7.小さくて大きい先輩
職員室は東校舎の二階にあり、その隣が放送室だという。
三人はその前に立ち、強がためらいもなく扉を叩いた。
「たのもー」
軽薄な響きを纏った挨拶と共にリズムを持って加速していくノック。まるで遠慮という言葉を知らない男の所業だった。
止まぬノックに皆人が口を開こうとした、その瞬間、扉が音もなく開いた。
「やあやあ、待ってたよ、求平くん」
現れたのはポニーテールの揺れる眼鏡をかけた少女だった。小柄なその姿は一目で年下にさえ見えるほどだったが——目を引かずにはいられないほど、豊かな胸元が目に入る。小さい、けれど、でかい。
その存在はある種の矛盾を伴って視線を引き寄せる。ムックよりも低い身長。だが、それを補って余りある魅力がそこにはあった。
皆人はあえて視線を下に落とす。彼女は緑色のサンダルを履いていた。
金敷高校ではサンダルの色で学年が分けられている。
今年の一年生は青、二年は緑、三年は赤と、三年間をその色と共に歩み、卒業と共に次の世代へと引き継がれていく。
つまり、目の前の彼女は二年生。間違いなく、強が言っていた「チビでか先輩」なのだろう。
皆人の中で点と点が繋がったその瞬間、同時に強への不快感がせり上がってくる。
「おっす! チビでかせんぱーー!!」
叫ぶその瞬間、皆人の手が強の後頭部に飛んだ。パコンという乾いた音。
「何すんだよ!」
「こっちの台詞だ。そんな呼び方、失礼にも程があるだろ。相手は先輩だぞ」
それは人によっては確実に気にする要素だ。
強はそんな無神経な奴じゃないと信じていた——その分、裏切られた思いが怒りを引き立てる。
「ストップ、ストップ。二人共、落ち着いて」
少女が小さな身体で二人の間に割って入る。放送室前の静けさに不意の温度が宿った。
「それは私がそう呼ぶようにって言ったからだよ。求平くんは何も悪くない」
彼女はそう言うと胸を張った。その瞬間、弾けるような二つの存在感が空気を震わせ、皆人は思わず一歩後退った。
その呼び名はきっと彼女にとっての武器なのだ。
自ら受け入れ、振るうことで己を守る手段にしている。
男としてそれは得体の知れぬ恐怖だった。
「俺がそんな無礼な奴に見えるかよ?」
「……まぁ、すまん。確かに、お前はそんなやつじゃなかったわ」
「なんか釈然としないけど……許す!」
強が笑えば、もう水に流す。それが彼の良いところだった。
「じゃあ、改めて自己紹介しようか。私のことはチビでか先輩とでも呼んでくれ。君は普済くんだね? そして、後ろでずっとお菓子を食べてるのが——」
「ムックです、先輩」
「そう、ムックくん。よろしくね!」
「ちょっ、ちょっと待ってください! なぜ俺の名前まで!?」
皆人の問いに彼女はニヤリと笑った。全てを見透かすようなその笑みに、皆人は思わず一歩引く。
まるで魔女のような、不思議な知識と洞察を持つ異端の存在に思えてくる。皆人の脳内にある鐘が警戒レベルを一段上げようとしていた。
だが、彼女の次の言葉が、その構えをあっさりと崩す。
「求平くんに聞いてたの」
「あ、そうっすか……」
実にシンプルな答えだった。プライバシーのかけらもない。
さっきもう一発くらい殴っておくべきだったと、皆人は心底後悔した。
「……で、強。結局ここには何しに来たんだ? 先輩を紹介したかっただけじゃないよな?」
「良い質問だ。……先輩、他の情報は?」
強が思い出したように指を鳴らす。先輩は懐からいつの間にか一巻の巻物を取り出し彼へと渡した。
まるでお年玉でももらったかのように目を輝かせた強が結び目を解くと巻物は音を立てて開かれた。興味を引かれた皆人も思わずその内容を覗き込む。
【放課後の哄笑】
【亀甲乙女】
【学食の黒渦】
【鍵盤奏でる呪言】
【夕暮れの鬼人】
【眠る男】
【欲深い楽園の王】
そこに記されていたのはあの『七不思議』の全貌だった。
既に知っている名前もあるが、初めて目にするものもある。これで七つ全てが出揃ったということだ。——だが、皆人の疑念は別にある。
「この巻物……先輩が?」
「そう、七不思議を教えてくれたのはチビでか先輩なんだよ」
「やっぱりあんたが黒幕かぁ!!」
声を張り上げた皆人に、先輩は肩をすくめる。
「おおっと、急に大声を出さないでくれ。びっくりするじゃないか」
「そうだぞ! 礼儀ってもんがあるだろ!」
二人に責め立てられても皆人の怒りは引かない。握った拳が小さく震え、奥歯を噛み締めて感情を押しとどめる。けれど、その目は笑っていない。
「……先輩。なぜ七不思議のことを知っているんです? そしてなぜそれを強に?」
冷静を装う声にはわずかに鋭さがにじむ。その変化に気づけるのは幼馴染みの強くらいかもしれない。
「それを話すには私と求平くんの出会いから話さなきゃならないな」
「そう! それは俺と先輩との運命の出会いだ!」
急に芝居がかった声を上げた強。舞台でも始めるかのような勢いでポーズを取り、彼女の背後で自作自演の劇を始める。
「う、運命って……!」
その光景に先輩は真っ赤な顔をして困惑する。顔の紅さがまるで熟れたトマトのようだ。
皆人は二人の世界に距離を感じ、ムックを担いで逃げる算段を立てる。だが、マシュマロで口を満たした少年は幸せそうな表情で動く気配もない。
「さて、それは……一週間前のことになるんだけど」
そんなことをしているとチビでか先輩が語り始めた。
物語の幕が、また一枚、開かれていく。