57.頼みごとの正体
いつもと同じ朝。いつもの教室、いつものホームルーム前。
ざわつき始めるクラスの空気の中、皆人はふと言いようのない寒気に襲われた。
不穏だったのはその感覚だけだ。
いつも通り、朝は番組を観ながら珈琲を口にした。普段は見過ごす占いコーナーも今日は画面に映る葵ちゃんに惹かれて自然と注目してしまった。
「B型のあなた、今日は絶好調。全てがうまくいく最高の一日になるでしょう!」
あの時の明るく微笑む彼女の声を思い出す。
だからこそだ。今感じるこの悪寒は、妙に胸に引っかかった。
「どうした。求平か?」
秋山の声が降ってきた。顔を上げると、彼は既にこちらを見ている。
察しのいい男だと思う。だが、それ以上に皮肉だった。
皆人が頭を抱える出来事の大半は、紛れもなく求平強とその取り巻きによるものなのだから。
「……多分な」
ぼそりと答えてから、皆人は無理やり思考を切り替えようとした。
けれど、強とローズ、そしてチビでか先輩の影が頭の隅から離れてくれない。
確かに強は明日と言っていた。
ならば待っていれば何かが起こる。いや、起きるに違いない。しかしそれを迎えたくないのが心情であった。
それにしても、今朝はいつもなら道端でばったり会う強の姿を一度も見ていない。
B組に足を運んでみても空振り。いつも一緒にいる一派の誰に尋ねても口を揃えて「見てない」と首を振った。
美化委員活動に精を出す鉄将のもとを訪ねると、彼は花壇に水をやっていた。その横で美月が静かに鍵盤を叩いている。
「……花に音楽?」
「うん、世の中には音響栽培ってのもあるらしいからね。私の美しい音色が花をも癒すってわけよ」
長い髪を風に靡かせ、美月の表情は至って大真面目だった。その真剣な様子に感心しつつも、皆人は一言忠告した。
「……ゆったりなメロディーだけにしとけ。枯れるぞ」
思わず出た偏見だったが、美月が弾く音楽はたまにどこか陰鬱で重い。
きっと花も情緒に影響されるのだろう。そういうことにしておく。
他の面々もまた、普段通りだった。
桐人は机に突っ伏したまま夢の中。
桜の姿はまだ見えず。
ムックはクラスの人気者としてお菓子を貰い、囲まれている。
ローズの姿はどこにもなかったが、校門には厳重なSPが立っていた。
つまり、彼女は登校している。だが姿を見せない。それだけで昨日の一件を思い出すには十分だった。
皆人は溜息をついて、自分の席へと戻っていくのだった。
◇◇◇
昼休みが訪れても強の姿は依然として見えなかった。
食堂に集まるメンバーの席に、強とローズの分だけがぽっかりと空いている。
他の生徒達の迷惑になる前に、と席を詰めようとした時だった。
強が額に汗を浮かべながら駆け込んで来た。
「悪い、お前ら! じゃんけんしてくれ!」
言葉の意味を問う間もなく、彼は息を切らしながら叫んだ。
「はい、じゃーんけーーん」
焦りを隠しきれない強に皆人も首を傾げたまま従う。
この男が焦っている。それだけで何かが起きている予感がした。
そして六人によるじゃんけんが始まる。結果は勝負一発、鉄将の一人負け。
皆人はまさかの勝利に感銘を受けていた。
鉄将がそのじゃんけんに異議を唱える間もなく、強が購買から買ってきたであろうプリンを取り出して差し出した。
「一人負けドンマイ」
「……何だよお前は!」
「じゃあ俺、戻るから!」
去り際の早さも含め、まるで嵐のような出来事だった。
一同がぽかんとしている間に、彼の姿は遠ざかっていく。
残されたプリンは鉄将からムックの手に渡り、慰めのおやつは処理された。
ちなみにムックを愛でる会の会長が不在のため、列を成すファン達への対応は名誉会長である皆人がこなしていた。
列がようやく捌けた頃、場内にいつものチャイムとは違う、どこか柔らかい旋律が流れ始める。
それは放送部特有の合図だった。
『皆さん、遅くなりまして申し訳ありません。放送部です。本日はあるゲストの方をお招きしております。まさに彼のための特別枠となっております』
耳に馴染んだ、しかし皆人達の心をざわつかせる声――チビでか先輩だ。
その時点で嫌な予感が汗として流れ落ちる。皆人と桐人は顔を見合せ、普通の放送であるようにと願っていた。
杏子と灯ですら次に来る名前が読めたようで、無言で顔を見合わせていた。
『では登場してもらいましょう。今この高校で一番ホットな人物、求平強君です!』
案の定だった。
スピーカーから響くのは強のどこか誇らしげな咳払いの音。
『どうも皆様、この俺がーーこの学校の王となる』
『……おそらくスベってますわ』
『……ただいまご紹介にあずかりました、求平強です』
『しれっと言い直しましたわ!』
『やかましい!』
掛け合いはおなじみの漫才調。声の調子からしてローズも一緒にいる。
緊張感は一気に解け、食堂の空気もどこか朗らかになった。
しかしそれは関わりのない一般人だけだ。
渦中に巻き込まれた者達は奴が何を語ろうとするのか知らない以上、気が気でない。
その放送に耳を傾け、一言一句漏らさないように集中する。
『こんな俺のために放送枠をくれた先輩、そして放送部の皆さんには感謝しかありません』
いつになく真面目な声色に皆人の背筋がゾクッとする。
『この度、俺は部活を立ち上げました。名前は……金敷部(仮)。部活内容はこの俺が楽しく愉快にこの学校で暴れ――』
『この学校でおかしな事象、困ったことに立ち向かう。まぁ、ボランティア部みたいなものです』
強の言葉を遮るように、ローズが冷静に補足した。
放送事故すれすれの滑り込みだったがそのおかげで場はさらに和み、笑い声もこぼれ始める。
求平強という存在が生徒達にはどう映っているのだろうか。
大きなことを成す。場の中心にいつもいるムードメーカーに思われているのではないか、そう皆人は危惧した。
彼らにとっては強はただのトラブルメーカーだ。
この放送を早くも楽しんでいる生徒達がいる中で皆人は一人、静かに肩をすくめて、そっと頭を下げた。
他人のふりをするように、目立たぬように。
――今日もまた、嵐の一日が始まる。




