50.夕暮れの鬼人(2)
ーーなぜ、天宮花は口を閉ざすのか。
きっと脅されているのだ。
恐怖で心を押さえつけられ、真実を言うことすら許されないのだ。
鉄将はそう思った。
だからこそ、犯人の姿を見つけた瞬間――鉄将の中の鬼が爆ぜた。
「あいつらかああぁぁあああ!!」
吠える。
怒りを撒き散らす赤鬼の咆哮。
その腕はまるで鉄の金棒のように振り下ろされ、発生した風圧により、周囲の者達はよろめき、バランスを崩した。
そして次の瞬間――鉄将は地面を蹴った。
「桜っ!」
「分かってる!!」
このまま鉄将を行かせるのは危険だ。そう判断した桜は縄を放る。狙い通り、彼女の操るロープは鉄将の右腕に絡んだ。
腰を落とした桜に強が加勢し、なんとか鉄将をその場に留めようとする。
だがそれはほんの刹那のことだった。
「嘘でしょ……!」
「止まんねえ!?」
唸る力。引き絞った右腕が振り払われ、二人の身体はあっさりと宙を舞った。
ロープが裂ける音が風に紛れ、鉄将はそのまま駆け出した。
怒りのままに。
「鉄将を追え! このままじゃあ、あいつ!」
擦り傷をこらえながら立ち上がった強の叫びに場の緊張が一気に高まった。
「人を殺すぞ!!」
冗談でも比喩でもない。鉄将は我を忘れている。
体を自身の鬼に預け、怒りという動力源だけで動いている。
「桜さん、大丈夫ですの!?」
「うん……あいつが下敷きになってくれたから。――強、大丈夫!?」
投げ出された瞬間、強は桜を庇うように抱えていた。
その代償に受けた衝撃は大きかったが休んではいられない。傷ついた己を奮い立たせ、仲間へ指示を送る。
「大丈夫だ! 桜とローズは鉄将とは反対側から行け! 犯人を見つけたら即確保、鉄将には絶対に近づけるな!」
「了解!」
「わかりましたわ!」
桜が跳ねるように駆け出す。その背にローズが続いた。
「美月はその子を、余りは俺に付いてこい!」
「余りって言うな!」
「まぁ、僕らじゃあ戦力にはならないからね」
強は自身の傷を顧みず、全速力で駆け出す。
皆人と桐人もその背中を追う。役に立つとは思っていない。だが仲間として共に在りたかった。
美月は天宮を宥めながら彼らの為に祈る。
遠く離れていく仲間達の無事を、強く、心から。
◇◇◇
北校舎のトイレでロン毛の金髪は震えていた。
便器の上で膝を抱え、何度も心の中で後悔を繰り返す。
見つかってもどうにかなる。
あの大男への仕返し――それはほんの軽い遊びのつもりだった。
けれど、今はただひたすらに後悔していた。
本気を出せば勝てると思った自分の思い上がり。
鉄将の大切な物を見てしまったから、それが壊れた時の奴の顔が見たくて、軽はずみな行動に出てしまったこと。
全てが間違いだった。
チビでかに絡んだこと、そいつを助けた一年に絡んだこと、そしてそこにあの巨人が居たこと。
全部の歯車が噛み合って彼という不良品は弾かれた。
こうなるとその部品は戻れない。いくら無理矢理戻しても齟齬が生じるだけ、その時点で二度と関わらないという選択肢を取るしかなかったのだ。
だが彼は踏み込んでしまった。狭い狭い鬼のサークルに。
もう、後戻りはできなかった。
屋上からの逃走ルートは事前に練っていた。
北校舎の両端は東西の校舎に各階で渡り廊下が通じている。
一階で待ち構える奴がいようと、屋上から音楽室の横を抜けて西校舎へ走ればどうにか紛れ込める。
そう思っていた。
だが――
その逃走の先に小さな壁が立ちはだかった。
それはムックだった。
すばしこく、彼らの横を抜けて階段へ先回りし、鉄の防火扉を閉じて塞ぐ。
くぐり戸の前に仁王立ちし、まるで小動物のような威嚇で睨みつけた。
「何だガキ! どけって言ってんだよ!!」
「ぬぬぬぬぉらああああああ!!!」
金髪の力に任せた大振りが空を切る。脇を締めたコンビネーションパンチが茶髪から打ち込まれる。
ムックは頭を振って相手の懐へ飛び込むと、巻き付くように金髪の背中に取り付いた。そして、その頭にかぶりついた。
「いててててて!! おいこのガキ、離せっ!」
体格差を無視したその力に金髪は動揺する。
必死で引き剥がそうとするがムックの噛みつきはまるで獣のようで離れない。
茶髪が助けに入ろうと拳を振りかざすが、ムックは金髪の頭を支点にアクロバティックに回避、再びくぐり戸の前に戻った。
その姿に金髪はようやく気づく。
この小さな獣は決してか弱い存在ではない。
ムックは静かに構えたまま、再度立ち塞がる。
「くそっ! ……おい! 下だ!!」
これ以上は埒が明かない、そう思った金髪は彼を無視して下の階へ駆け出した。
それを追随しようとするムック、だが下から彼へ声が飛ぶ。
「ムックはそのまま居て!」
階下から桜の声。
ムックは踵を返して逃げていく二人を追わず、任務を全うしたことに満足し座り込む。
リュックからスナック菓子を取り出すとぽりぽり、と音を立てて咀嚼を始めた。
その姿はどこか誇らしげで、信頼される喜びに満ちていた。
金髪と茶髪は階を下り、三階へと逃げる。
だがそこには既に二人の障壁が待ち構えていた。
桜髪の少女、そして金髪の奇抜な髪型の女。
逃げる先に美しき捕食者達が待つとは知らず、彼らは勢いそのまま殴りかかった。
金髪が拳を振り抜く。
だが次の瞬間、彼の視界がぐるりと回った。
(ーー何が起きた?)
思考が追いつかぬまま、背中が硬い床に叩きつけられる。
視線をずらせば、相棒の茶髪は信じられない姿勢で地面に縛られていた。
そのときようやく金髪は思い至る。
噂を聞いたことがある。
相手にしたら最後、容赦なく縛られるイカれた美女の噂。
【亀甲乙女】目の前の女こそ、あの噂の存在だと金髪が気づいた時には相方が戦闘不能にされた後であった。
「くっそがああぁぁああ!!」
歯を食いしばり、金髪はローズへ突進する。
だが彼女は笑顔でそれを躱す。そしてその先には一色桜がいた。
彼女はロープを構え、一歩下がり、迎撃の姿勢をとる。
ーーもう終わり。逃げられやしない。二人がそう思った、その時。
金髪は咄嗟に倒れた茶髪を抱え上げ、そのまま桜へ投げつけた。
「桜さん!!」
「大丈夫!」
不意に飛んできた茶髪を桜は体をひねって受け止めた。怪我はない。
ローズも駆け寄り、すぐに状況を確認する。
その間に金髪の姿はもうなかった。
階段を駆け下りる二人。しかし奴の姿は見えない。
「やらかした……」
「まさか仲間を囮にして逃げるなんて……」
しかし逃がした者はしかたない。追撃に出る前にやることはある。
二人の視線は床に転がる茶髪へ向いた。
「で、こいつ、どうする?」
「ちょうど巨傲家に伝わる尋問がありますの」
二人の悪魔のような笑顔に茶髪は血の気が引いていく。
その瞳はやり過ぎても構わない。そう言っているように見えたからだ。
茶髪は息をのんで二人に懇願した。
「すいません……お手柔らかにお願いします……」
それはその日、彼が初めてちゃんと喋った正しい日本語だった。




