44.求平強はG組を掻き乱す
鉄将は自分を嫌悪していた。何よりその軸のぶれやすさを、だ。
誰とも関わらないとあれほど心に決めたのに。
昨日の自分はいったい何だったのか。
自分の名が挙がっただけで、思わずその輪に足を踏み入れた。
気づけば舞台の中央に立っていた。
挙げ句、心配してくれた者たちに向かって突き放すような言動――まるで自分を否定するかのように。
なんと、未熟で甘ったるい精神か。
頭の奥でその言葉がこだまする。己の浅はかさが息苦しいほどに。
(……いや、あれで良かったんだ)
関わってほしくなかった。だから、あんな言い方をした。
そう自分に言い聞かせることで心の平衡を保とうとする。
自分と関わらなければ誰も傷つかない。
それでいいんだ。それが一番なのだと、言い聞かせるように強く自分を戒めた。
大きな溜め息をつくと、鉄将は机に頭を打ちつけた。
鈍い音が教室の静けさをかすかに揺らした。
今は朝のHR前。自分の鞄が見当たらない。
昨日、美月を抱えた勢いで手にしていたそれをつい無造作に投げ捨ててしまったのだ。
現場に戻ったが跡形もなく消えていた。
保健室にも行ってみた。だが、すでにもぬけの殻で女教諭は気怠げに「すぐに出てったわよ」と答えただけだった。
正直、安堵もあった。あの後にどんな顔で戻ればいいか分からなかったから。
けれど、鞄がないという現実は変わらない。
教科書もノートもあれに全部入っていた。
昨晩は母親に「学校に忘れた」と言って誤魔化したが、このままでは遅かれ早かれバレる。
今朝は人のいない早朝に学校に来て再捜索したがやはり見つからなかった。
「は~~あ……」
深く、長いため息。
それだけでクラスの空気がわずかに張り詰めたのが分かる。
一年G組――。
鉄将が所属する教室は、いつも緊張感の膜で包まれている。
早々に行われた席替えで、背が高いというだけの理由で端の奥に追いやられた鉄将。
その周囲には常に距離が生まれていた。まるで無言の結界でもあるかのように。
教室のどこかで話が盛り上がっていても鉄将がひと咳するだけで声が小さくなる。
近くにいた生徒は「ごめん」と謝る。何に対しての謝罪なのかも分からずに。
気にするな、と言ったところでこの空気は変わらない。
皆、鉄将の顔色ばかりを伺っている。
いつもなら始業のチャイムぎりぎりまで教室に入らない。
――が、昨日の今日だ。鉄将にそこまで気を使う余裕はなかった。
どうしたものか、と思考を巡らせていた時だった。
その空気を破るように陽気な声が廊下から響いた。
「鉄、将く~~ん!」
教室の扉が勢いよく開かれる。
その名を軽々しく呼ぶなど、禁忌に触れるかのようにクラスがざわついた。
その瞬間、鉄将は天を仰ぎたくなった。
――来た、最も厄介な男が。
扉の向こうに立っていたのは求平強である。
空気を読まない、あるいは読んだ上で堂々と無視するような、あの男である。
「求平強だ……」
「なんであいつが鬼怒川に?」
「……ここで、何が起こるんだ?」
有名人と、孤高の問題児。
意外すぎる組み合わせに教室中が固唾をのんだ。
強はまるで緊張感など眼中にないような足取りで鉄将に近づくと、無言で机の上にある物を置いた。
それは鞄だった。
「忘れてたぞ」
その言葉に鉄将の胸の奥が一気に緩んだ。
見慣れた黒い鞄。ファスナーの端が少しだけほつれている。
「おぉ、……悪いな」
安堵に肩が落ちる。
これで昨日の言い訳が現実になった。忘れた、それだけで済む。
鉄将は鞄を手に取り、強の顔を見上げた。
昨日のことがあったはずなのに、彼は笑っていた。
何の屈託もない、どこか底知れない笑みで再び鉄将の前に立っている。
不思議な男だった。
鉄将に話しかけてくるその態度に怯えはない。
かといって純粋無垢というわけでもない。
何かしら魂胆を隠し持っていそうな気配もある。
だから鉄将は先に言葉を放った。
「……けどお前らの輪には入らんぞ」
自分に言い聞かせるように。
これ以上踏み込まれる前に線を引いた。領域を守るために。
しかし強が言いたいことはそこではなかったらしい。
強は一瞬、首を傾げ、鉄将の顔をじっと覗き込んだ。
そして、そのまま振り子のように顔を上下に動かす。
「な、なんだよ……」
何かを待っている。教室の空気がさらに張り詰めた。
その刹那、強は笑顔のまま鉄将の頬をがしりと掴むと、上下左右にぐにぐにと引っ張り始めた。
「拾ってくれて、あ・り・が・と・う、だろ?」
「いででででっ!」
思わず悲鳴をあげる鉄将。
その光景にクラス中からもどよめきが起こる。
血飛沫が舞う地獄絵図が脳内再生された者もいたかもしれない。
「お礼は~?」
「あ、ありがとうございまひゅ……」
その言葉が口から零れ落ちた瞬間――。
教室が、爆発した。
「鬼怒川君が礼を言った!?」
「求平に弱みでも握られてる……?」
「えっ……なに? えぇ……?」
鉄将の行動はG組の空気に亀裂を入れた。
ざわめきが連鎖し、あっという間に混乱の渦と化していく。
「お前がこのクラスでどう思われてんのかよく分かったよ」
「……それ以上言うな」
二人にだけ聞こえるようにぼそりと会話していた強は突如として手を上げるとそのまま出口へと駆けて行く。
「じゃ、俺はそれだけ。またな、鉄将」
「……え? お、おい!」
こうして強は騒ぎの余韻だけを残してG組を後にしたのだった。
そしてその瞬間、クラスが一斉に沈黙する。
そのままホームルームが始まるまで誰も口を開くことはなかった。
鉄将は呆然と立ち尽くしていたが強が去った後に感じた煩わしさに、ふと顔をしかめる。
手に残された鞄の感触だけが現実的で、鉄将はそれを抱えるように机の下へ置き、窓の外へと目を向けた。
曇天の空に浮かぶ淡い光。
まるで、自分の迷いを映すようだった。




