42.鬼怒川鉄将という男
「で、あなたはここで何をしてるの?」
あまりに混沌とした空気に少しだけ呆れを滲ませながらも美月は視線をただ一人、場の騒がしさに取り残されたように立っている鉄将へ向けた。
ムックが肩の上でスルメを咀嚼し、ローズと皆人が写真を撮りまくるこの異様な光景は彼女にとっては早くも慣れたものである。
「……花に水やってんだよ。俺は美化委員だからな」
鉄将は少し言いにくそうに、けれど正直に答えた。
「……それは、笑うところかしら?」
「えっ? 冗談でしたの?」
「冗談は顔だけにしとけよな」
好き放題呟く彼らに鉄将は半眼で睨みを効かせる。
「よし、殴る」
振り上げられた拳にムックの身体がぐらりと揺れる。慌ててしがみつくその様子はまた違う一面として皆人とローズのスマホからは連写音が止まらなかった。
「ギャップ萌え狙いってことね。なかなかやるじゃない」
「……いや、違うが」
毒気を抜かれ、振り上げた拳は行き場を失った。鉄将はムックを肩から降ろすと、一同に向かってどこか照れくさそうに注意を促した。
「とにかく、この花壇は俺のエリアだ。勝手に入る奴は容赦しねえからな。覚えとけ」
その言葉に、ムックが敬礼のようなポーズを取り、ローズはますます興味深げに見上げた。
鉄将は言葉通り、無造作に水道へ向かい、ホースを手に取る。巻き取り式のホースを巧みに操作しながら花壇へと水を注ぎ始めた。
「鉄将君……だったよね? それは何を植えているの?」
桐人の問いに鉄将はホースの先を持ちながら短く答えた。
「マリーゴールドだ」
「マリーゴールド。素敵ですわね。きっと綺麗な花が咲きますわ」
ローズの言葉に鉄将は目を伏せ、照れ隠しのように背中を向けた。
「お前ら俺が怖くねぇのかよ?」
背中越しで語る鉄将の声は少しうわずっていた。
それに対しきょとんとした様子で幾人か首を傾げていた。
「怖いって……あんたはあたしより強いの?」
「暴論!」
「くーちゃんが懐いてますので」
「極論!」
「ってなわけだ。こいつらはお前をそんな目で見たりしねぇよ」
実際に強達と言葉を交わしあって鉄将の雰囲気は柔らかくなった。
第一印象でいうならでかくて威圧感がある。
しかし先程のやりとりを見た者は、だから近寄らないという選択は誰も取らないだろう。
彼の背中を皆人は黙って見つめる。
風貌だけで決めつけてしまえば彼はまさに怪物と呼ばれても仕方ないのかもしれない。
だが実際は誰よりも繊細で誰よりも真面目な人間だ。
世間の目はどうしても見た目に引きずられる。だが今この場にいた仲間達は鉄将の中身をちゃんと見ていた。
それが何より大切だと、皆人は静かに感じていた。
「それはそうと——なぁ、校舎裏の怪物よ」
「……だからそれやめろ」
「じゃあ【夕暮れの鬼人】ってことで良いか?」
「今度は何だよそれ」
強が得意気に巻物を取り出し、鉄将の眼前に広げる。それを見た皆人はようやく本来の目的を思い出した。
すっかり鉄将に気を取られて忘れていたが校舎裏の怪物が出てきたのは【夕暮れの鬼人】を探すことが発端だった。
「何だこれは。誰が書いたんだ?」
鉄将は眉をひそめると、巻物をゴミでも放るように強へ返した。
だがその表情は険しくもなく、どこか呆れと笑いが混じっていた。
「それ書いたのは、チビでか先輩だよ」
「ああ……あの人か」
「チビでか先輩も覚えてるんだな」
「あんな巻き込まれ方して忘れられるかよ」
「お前が勝手に入ってきたんだけどな!」
「うるさい」
強が詰め寄ると鉄将は少し間を置いて、ため息をつくように肩をすくめた。
「……結局、お前らは何をしに来たんだよ。用がないならもう帰ってくれ」
「俺達は……」
珍しく強が言いよどむ。
一拍置いてしっかりと鉄将を見据えた。
「お前をスカウトに来た」
「はぁ?」
「鉄将が【夕暮れの鬼人】と仮定してスカウトに来た!」
相変わらず段階はすっ飛ばして距離を詰める男だ。
勢いのまま圧されそうになる鉄将は強の進行を手で制し、釘を刺す。
「俺は夕暮れのなんちゃらなんて知らねぇ!」
「じゃあ校舎裏の怪物でも良いぞ!」
「良くねぇだろ。いいから帰れよ」
「嫌だ!」
聞き分けの悪い子供のように強は良い放つ。
その言葉に一瞬、沈黙が落ちた。
七不思議の調査【夕暮れの鬼人】は置いておいて強はただ鉄将という人物を気に入っていた。そんな強の思いがにじむような声だった。
「良いだろ?」
言葉短く、強のまっすぐな思いが鉄将へと届けられる。
「……嫌だよ。ほっといてくれ」
「てっーー」
強は再度誘いかけるがその声が届くか届かぬかの、そのときだった——
「危ない!!」
乾いた金属音が鳴り響いた。グラウンドから飛び越えてきた特大のファウルボールが、美月めがけて一直線に飛んできたのだ。
「美月!!」
仲間たちの叫びが重なる。
そのボールは確実に彼女のおでこを捉え、反発するように空高く舞った。
直後、地面に落ちたボールを美月は何事もなかったかのように拾い上げた。
「あーあ、割れちゃった……」
手の中の球は信じられないことに真っ二つに割れていた。
「硬球だよ、それ!?」
「言ったでしょ? 私、石頭なの」
「いや、人間じゃねぇだろ……」
「お前もそっち側だったか」と皆人の呟きは風と共に消えた。
おでこを擦る美月。確かに少し赤くなってはいるが明らかに無傷だった。
「ほ、本当に大丈夫ですの……?」
「無傷よ。だいじょーー!」
「なわけあるか!!」
怒声と共に鉄将が鞄を放り投げ、美月を抱え上げた。そのまま地面を蹴り、一直線に保健室へと走り出す。
「ちょっ、ちょっと!!」
美月の叫び声が遠ざかる。皆人達はあわてて集まってきた野球部員達を追い払い、地面に置かれた鉄将の鞄を手にするとその後を追った。
腕の中で揺られながら、美月の頭はぐるぐると混乱していた。
痛みはないおでこを擦り、顔を真っ赤にしてこの状況に思いを向ける。
(……お姫様抱っこじゃん、これ)
今さらになって事態を理解し、さらに顔が熟れた。
だけど、揺れるたびに伝わる体温。大きくて、安心できる手。
何より、あの無骨な顔が必死になって心配してくれていることがたまらなく嬉しかった。
「……今度、お兄ちゃんに紹介してもいい?」
唐突な問いに鉄将はぎょっとして目を剥く。
「……なんで!?」
その戸惑いに、美月はふっと微笑んだ。




