40.校舎裏の怪物
日が傾くころ、ひとり現れるという赤鬼は優しさを宿した孤独な鬼だった。
誰にも理解されず、誰にも抱きしめられないまま、夕暮れにだけ姿を現すその鬼を人々は恐れた。けれど、本当はただ愛されたかっただけなのかもしれない。
凍てついた心をほんの少しでも溶かせたなら、それが鬼を解き放つ鍵となるのだろうか……。
空はまだ淡い藍を残している。季節の端境、春とも言えず冬とも言えぬ風が校舎の屋上を通り過ぎていった。
昼休みの屋上にはただ一人、強の姿があった。
制服の襟を風に押し上げられながら、彼は地面に広げた巻物と睨み合うように視線を落としている。
残された未解決の七不思議は【欲深い楽園の王】そしてこの【夕暮れの鬼人】だ。
今回もまた手がかりは乏しかった。夕暮れという曖昧な時間帯以外、何の糸口もない。
ローズのように自ら声をあげてくれたり、桜のように勝手に目立ってくれればどれだけ助かるだろう。
ため息混じりに体を倒し、空を仰ぐ。
うつらうつらとまどろみに落ちかけたそのとき、屋上の扉が軋む音と共に開かれた。
まぶたの隙間に射す影。仰向けのまま目を細めると、逆光の中で誰かが立っていた。
「求平君、一色さんが探してたよ」
声の主は美月だった。手にはいつもの電子ピアノ。まるで日常のように隣に腰を下ろすとぽろぽろと鍵盤を指で撫でて音を確かめる。
風がその音を拾って運び、屋上に静かな旋律が生まれる。
「桜が何の用だって?」
「新しい縛り方覚えたから試したいんだって」
「……今日は気紛れ猫ちゃんモードなんで探さないでください」
「何それ?」
ふと吹き出すような笑いが美月の横顔に浮かぶ。
「あいつは俺の天敵だ」
桜と出会ってからというもの、強は自分のペースをことごとく狂わされている。
見た目はまるで人形のように整っているのに性格はまるで嵐のように自由で、しかも趣味が破天荒だ。
美月の指が滑るように鍵盤を渡っていく。
その旋律は春の予感を運ぶようなやわらかい音だった。
けれど徐々に雰囲気は変わり、音は次第に濁り、どこか鬼火の燃えさしを思わせるような不穏な調べに染まっていく。
炎に包まれ、罪を裁かれる地獄の業火のような、激しく重い音。
「……また何かあったのか?」
問いかける強の声は風にまぎれるように低い。
美月は肩を竦めて照れ隠しのように言った。
「……ちょっとね」
「……気にしないから言えよ」
「う~~ん、では失礼して……ネット対戦する時は有線引かんかい! それがマナーやろがい!」
風と共に怒声が屋上に響いた。
叫びながらも鍵盤を叩き、音量もテンションもどんどん上がっていく。
「お前は動くかも知れんけど、こっちはコマンド入力すらままならんのじゃあ!!」
最後の音が弾けると、美月はようやく満足げに息をついた。
顔には達成感と、ちょっとした気恥ずかしさが混じった表情。
強は笑いながら何気なく言葉をかける。
「美月の曲はどれも耳に残る名曲だな」
「……そんな褒められても何も出ないわよ」
そう言いながら美月はくすっと笑って鞄からクッキーを取り出した。
照れ隠しのつもりだったのかもしれない。
強はその一枚を齧りながら思考を元の謎へと戻していく。
ぽつぽつと音を奏で続けながら、美月はふと目線を落とした。
彼女の視線の先には地面に置きっぱなしになっていた巻物。
手を伸ばしてそれを拾い上げると、強の悩みをなんとなく読み取ったように口を開いた。
「どっちを探すの?」
「次は【夕暮れの鬼人】だな」
進展を見せていた謎解きもここにきて壁にぶつかっていた。
朝から情報を集めてはいるが、それらしき話は一切出てこない。
目星もなければ確証もない。ただ徒に時間だけが過ぎていく。
「そういえばね――」
美月の声がやや遠慮がちに響いた。それは今朝の出来事だという。
「吹奏楽部の朝練前にグランドピアノ借りてたの。そしたらね、部員の子が校舎裏の怪物に会ったって」
「怪物……?」
強の目がぎゅんと開く。美月の言葉は怪談めいて続く。
「化物みたいにデカくて、でも人の言葉を喋ってたんだって。怖すぎて直視できなかったらしいの」
「不審者?」
「さすがにそこまでは……でも、一応ネタにはなりそうでしょ?」
どこまでが真実なのかはわからない。けれど調べてみる価値はある。
強は美月に手を差し出す。二人の手が軽く重なり、軽やかな音が空に弾けた。
「美月がいてくれて助かるな。こんな情報を持ってきてくれたし、いつも良い音をくれるし」
「もうっ! そんな褒めても私は安い女じゃないわよ!」
彼女ははしゃぐように強の肩を叩き、次は鞄からマシュマロが出てきた。
次褒めたら何が出てくるだろうか、そんなことを考えながらふと電子ピアノに目が止まる。
「……っていうか、そこまで吹奏楽部に入り浸ってるなら部活入ったらどうだ?」
「毎日縛られるのは御免よ。私は弾きたい時に弾くの。私も気紛れ猫ちゃんなんでね」
「何だそれ?」
互いに舌を出して笑い合う。そんな穏やかな時間が屋上を満たしていた。
だがその空気を破ったのは鋭い破裂音だった。
「さて、気紛れ猫ちゃんには首輪をかけないとね」
扉の向こうから現れたのは一色桜である。縄をしならせて音を鳴らす姿はもはやホラー映画のクライマックスそのものだった。
強は息を呑み、けれどその恐怖を隠すように問いかける。
「……何でここが?」
「ごめん、見つけた時に連絡しちゃった。一応、探さないでくださいって伝えたんだけど――」
「それは探して下さいって意味だよ……」
「美月も私の奴隷に手出さないでよ」
「……求平君は面白いけど私の好みじゃないから……ごめんなさい!」
「なんかフラれたんだが!?」
「私のタイプは包容力があってカッコいい騎士みたいな人なの」
「誰も聞いてねぇよ……」
「まぁその話はあと、とりあえずお縄につきなさい!」
「勘弁してくれ!」
声を上げて立ち上がる強。そのまま昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴るまで鬼ごっこに興じることとなるのだった。




