33.凸リンと赤バラの化身
「私の可愛いおでこに何してくれてんのよ!」
ぷんすか怒りながら額をさする美月。
その指先に付着したインクは幸いにも水性だったようですぐに滲んで消えていった。
だがその間、強はというと頭を押さえ、地面に膝をついて呻いていた。どうやらダメージは本物だったらしい。
そんな彼を横目に美月は得意げに鼻を鳴らした。
「家の柱に打ち込み続けた私の石頭を思い知ったか!」
小柄な彼女がふんぞり返って言い捨てる。まるで冗談のようだがそれは事実だった。
温厚な母親が「もういい加減にして」と本気でキレるまで数年。美月のストレス発散法はその間に『柱に頭突き』という奇行に収束していたのだ。
陽の光が彼女を照らすように降り注ぐ。美月のおでこは神々しく輝いていた。
「み、美月君は何のゲームしてるの?」
ぎくしゃくと空気が重くなりかけたのを察したのか、桐人が無理やり話題を変える。
彼なりの必死なフォローに親指を立てつつ皆人は困ったように強の肩を軽く叩いた。
「……調子に乗りすぎだ」
それだけ静かに言い残すと彼も自然な流れで輪の中へ戻っていった。
「最近は『ワイルドファイティング8』かな?」
「格ゲーって言えばそれ一択だよね」
通称『ワイファイ』
アーケード時代から続く伝説の格闘ゲームシリーズ。人間だけでなく、獣人、悪魔、ロボット、果ては神様まで種族の垣根を超えた戦士達が繰り広げるまさに夢の乱戦だ。
「ローズはワイファイって言っても分からないか?」
「失礼ですよ皆人さん。わたくし、こう見えて立派なゲーマーでしたのよ」
「うっそだぁ」
「本当ですわ! 昔はよく家で『魂コロ』をやってたものです」
その言葉に誰よりも早く反応したのは美月だった。
「それ、私もやってた!」
『魂コロ』とは正式名称、魂コロ連打ぁぁの略だ。今から十年前、全国の子供達の心を鷲掴みにしたトレーディングカードアーケードゲームだ。
プレイするたびに多種多様なモンスターのカードが排出され、それを筐体に読み込ませてバトル開始。
とはいえ内容は実にシンプルで左手でレバーを操作し、右手の二つのボタンを交互に全力で連打するだけ。
キャラクターは迷路を進み、早くゴールにたどり着いた方が勝ち。
障害物もほぼなく、カード性能の差もない。完全に指の体力勝負の世界。
なぜかその単純さがツボに入ったのか、当時のデパートには子供達の長蛇の列ができ、朝から晩まで魂コロ一色だった。
「僕もやったことあるよ。あまりハマらなかったけど」
「あたしもやったわ。すぐ飽きたけど」
今思えば何がそんなに楽しかったのかよく分からないただの連打ゲーム。
迷路は上から丸見えで難易度も皆無。それでもあの頃、あれは確かに熱を持っていた。
「……ちょっと待て。ローズよ。お前、さっき家でやってたって言ったか?」
「そうですわ。よくメイドたちと対戦しておりました」
その瞬間、一同の顔がひきつった。 魂コロはアーケード専用。家庭用など一度も出たことはない。
つまりこのお嬢様の家には筐体そのものがあったということだ。
たまに見せるズレた言動に気を取られて忘れそうになるが、彼女は『巨傲』の一族。超がつくほどの金持ちだ。
「けっ、最初から持ってる人種は違いますわ……」
「桜! 美月がネガティブモードに入ってる! ヘルプだ!」
「美月は凄いわ~ピアノ上手だし~」
「えへへー、そう? でしょ~?」
桜の手がそっと美月の頭を撫でると、彼女の表情はころころと溶けるように変わっていく。
(ちょっろ)
(ちょろいなぁ)
(ちょろいですわ)
心の中で声を揃える三人。だがそれは何よりも平和な光景だった。
美月がふと何かを思い出したように懐かしい口調で話し出す。それは五歳の頃、近所のデパートで開かれていた魂コロの大会のことだった。
「私、手が小さくて指も上手く動かなくていつも初戦負けだったの。悔しくて……それを母に相談したの」
そしてその瞬間、人生が少しだけ変わった。
「母はね、こう言ったの。ピアノを始めたら指が動くようになるんじゃない? って」
「そいつはイカレ……イカした母親だな」
きっと親も何かしら習い事をさせたかったのだろう。
繋がりはおかしいが絶好のタイミングだと思ったに違いない。
いつの間にか強は復活し、ちゃっかり会話に混ざっていた。
「それでピアノを始めた。すると指が滑らかに動くようになって、大会でも勝てるようになったの」
胸を張る美月。その姿に拍手を送らなければいけない空気が広がった。
「でも……その頃には、もう魂コロはブームを過ぎていて……」
言葉を区切った美月が次に声のトーンを上げる。
「……だけど!」
その盛り上がりを待ち構えていたかのように、ローズが静かに語り出す。
「全国大会が開かれたわけですね」
その言葉に一同がざわめく。
「巨傲さん……やけに詳しいわね」
「当然ですわ。魂コロは、うちの傘下の会社が開発したゲームですもの」
「えぇ……」
「しかも最後の全国大会はわたくしが魂コロ終了が寂しいと父に泣きついた結果、特別に開催されたものですわ!」
空気が止まった。そうだ、この子はそういう家の子だった。
「しかしその大会、賞金を出したのでちょっとした騒ぎに……」
「賞金? いくらだよ」
「……300万」
「馬鹿じゃねぇの!?」
美月が言う。それは大人達が殺到し、大騒動の地獄絵図だったという、最終トーナメント進出者のほとんどが成人。
「それでも決勝に残ったのは、五歳の選ばれし子供達……!」
ローズが真っすぐに美月を見る。瞳の奥に確信があった。その視線に美月はハッと息をのむ。何かを察したのだ。
彼女は静かにお茶を飲み干し、目を細めてローズを見返した。
「あなた、まさか……『赤バラの化身』!?」
「ようやく気付きましたか『凸リン』」
「どういうことなの?」
「二人がその大会の決勝で戦ったんじゃない?」
「凸リンはともかく赤バラの化身って5歳時がつけるニックネームじゃないだろ」
伝説の大会で火花を散らした二人の再会。その偶然にも、コクがある内容にも、思わず強が大声で笑い飛ばした。




