22.亀甲乙女vs求平強
首一点狙いなら躱せる。強は腕も上げずノーガードのまま身を捌き続けた。
一歩も退かず、ただ涼しい顔で首を逸らし、時に肩を傾け、わずかな軌道の狂いすら見逃さない。
まるで攻撃そのものが届かない世界に身を置いているかのように。
それは挑発にも似た防御。いやもはや嘲りだ。
相手の焦りを誘うための計算された態度。
「避け続けるだけじゃ、あたしには勝てないわよ!」
桜の声が苛立ちを孕む。彼女の感情がはっきりと動いた。
「女に手を出す趣味はないんでな!」
強の返しもまた彼女の激情に油を注ぐ。互いの意地と誇りが言葉に宿り火花を散らす。
「それでどうやってあたしに勝つのかしらね!」
その一声と共に桜の動きが変わった。打撃にフェイントが混じり始める。
鋭さと柔らかさが入り混じる変則的なリズム。だが読みやすい。
狙いが分かる攻撃に戸惑っている暇などない。これしきで崩れるようでは彼女に「効いている」と思わせてしまう。
強は全てを躱す。ただ静かに、冷静に。
顔をかすめる縄にひやりと汗が伝うが、それすら表に出さない。その無感情の仮面が桜の次の行動を誘う。
攻撃のテンポがさらに速まった。次なる段階へと進む。
足が動いた。蹴りだ。桜はついに蹴撃を混ぜてきた。
打撃の質が変わる。拳から足へ。リーチと破壊力を兼ね備えた武器の登場に流石の強も後退を余儀なくされる。
「っ――!」
飛び込むような蹴りを避けた瞬間、足が縺れた。思わず体勢を崩す。その一瞬の隙を桜が逃すはずもない。
気付けば、強の左手には縄が絡まっていた。そしてその先には桜。いつの間にか二人は繋がっていた。
「まずい!」
皆人が、そしてローズが声を上げる。 これは桜の必勝パターン。幾度となく猛者たちを沈めてきた勝利の方程式だ。
距離を取って縄を操り、相手が崩れるのを静かに待つ。桜にとってはただの作業に近い。
縄に引かれ、焦った者から崩れる。力比べはまだしない。強の出方を待つ。それだけの余裕が彼女にはある。
「この状況ってどれくらい不利なんだ?」
皆人がまだ床に転がるローズへ問う。
解こうかとも思うが妙に恍惚とした表情の彼女に躊躇する。縄から快楽物質でも出ているのかと疑いたくなるほどだ。
「主導権は完全に桜さんにありますわ。ロープを結んだ状態は当然桜さんの土俵……力比べで勝てないなら踏み込むしかないですが、それはつまり……」
「飛んで火に入る夏の虫ってか」
桐人だけが何も言わず静かに祈っていた。自らの策が彼の手で結実する瞬間を信じて。
「大丈夫。強君ならやってくれる」
強は静かに縄を掴む。右手で力を込め、真正面からの力比べに応じる構え。
足を開き、腰を落とし、目を逸らさず堂々と受ける。
意外にも縄は均衡を保った。互角。そう見えた。
いや強は決して弱くはない。運動神経は抜群だし、なにより男として負けられない。
「……なんか良い勝負してないか?」
「もしかしたらあるかも……いや、ないか」
ギャラリーはざわめき出す。そんな中、桐人はそっと首を振る。
「桜君が力比べに強いのは腕力じゃない。異様な足腰の強ささ。踏み込みもそれゆえの爆発力だ。……見てみなよ」
桐人が指差す先を皆人が追う。桜の顔は余裕そのもの。そして足元を見て息を呑んだ。
「まだ腰を入れてない……」
そう、彼女は本気を出していない。遊んでいるのか、あるいは様子を見ているだけ。強の力を測っている段階に過ぎない。
そしてその時間は終わったようだ。次の瞬間、桜が腰を落とした。
圧倒的な重心。質量が変わった。だがそれこそが彼らの罠だった。
強の右手が胸元に引き寄せられパチンというわずかな音が鳴った。桜には届かないほどの小さな音。
彼女は足に注意を向けていた。だから気付かない。
「きゃあああああっ!?」
「腕が抜けたぁぁっ!?」
次の瞬間、強の左腕が凄まじい勢いで飛んでいく。ギャラリーの誰もが目を疑う。それは本物に見えた。
だが桜は見逃さなかった。ベルトに繋がれた義手。小野灯から借り受けた切り札の一つ。
「しゃらくさい!」
だが桜も化物。全くの不意打ちにも関わらず、僅かな体勢の乱れを見事に回収する。
踏み抜くように床を蹴り、軸を維持した。受け流したかに見えたがーーその慢心が次を鈍らせた。
強は既に動いていた。左手は再び現れ、サングラスを取り、肩のパッドを投げ捨て、懐から赤い縄を取り出す。
その先には小さな分銅。頭上で回されたそれが風を切って唸る。放たれたそれは桜の軸足を正確に捉えた。
「なっ……!」
気付いたときには遅い。桜の足に縄が絡みつき、引き絞られ、そのまま足元が空を舞う。
受け身に失敗。顔から、畳へ。
崩れ落ちた。一色桜が。
彼女は知らなかった。いや、気付くべきだった。
柔道部の顧問があれほど見事な亀甲縛りから解放されていたというのに。
強が用意した二つの武器。義手と縄。
それらを隠すためにだぶついた道着、手袋、肩パッド、そして数々のアクセサリーが布石としてあった。全てがこの一手のために。
「桜君は型破りに見えて実は型にはまってたんだ。言い換えれば……読みやすい」
「けど柔道部相手の時は多彩だったぞ? 偶然じゃないよな?」
「三度目だからさ。柔道部とは……さらに果たし愛という絶対負けられないシチュエーション、桜君も慎重にならざるを得ない」
キャラ対は仕上がっていた。柔道部はそれを越えられなかった。
だが初見の相手ならその隙を突ける。それが桐人の言い分、作戦だった。
「僕は流れを読んだだけだよ。でもそれを現実にしたのは強君一人の力さ」
「……それは違うぞ」
皆人はこの試合で使われてないスタンドマイクを桐人へと突き出す。
「この勝利は作戦と行動、二つ揃って初めて得られたもんだ。お前ら二人の戦果だよ」
「……ありがとう」
桐人は目を潤ませながらマイクを握りしめる。試合はまだ終わっていない。声に力を込めた。
「桜選手が立ち上がる前に強選手が背後を取ったぁッ!!」
すぐさま駆け出し、うつ伏せの彼女に両手を回す。そして――、
「ちょっ……! あんた女には手を出さないんじゃなかったの!?」
「記憶にございません……なぁッ!!」
背後から全体重を込めて、一気に引っこ抜いた。
「ちょっと待って! ストップストップ!!」 「降参以外、聞こえねぇッ!」
もはや誰にも止められない。強の叫びと共に、
「時代逆行――」
「おーっと!? これはまさかの――!!?」
「男女平等――ジャーマンスープレックス!!」
「ぎゃあぁぁぁあああああッ!?」
豪快なアーチを描いてーー、一色桜が畳に突き刺さる。
「桜選手、動かない……! これは……これは……! 解説の普済さん!?」
「この学校の男女、全てを敵に回す覚悟で放たれた見事な一撃……強選手の勝利でしょう!!」
勝敗が決した。
強はそっと手を離す。桜は静かに沈んでいった。
呆然とする観客の中、彼の雄叫びが響く。
「よっっしゃあああああああ!!」
その声に道場が揺れた。




