14.眠る男
一年D組の放課後。
すっかり誰もいなくなったはずの教室に一人だけ取り残されたように机に突っ伏して眠る男子生徒の姿があった。
肩が揺らいでなければ死んでいると見まごうほどだ。それほど静かで安らかに彼は寝入っていた。
そんな静寂の中、皆人達は扉の前で足を止め、その少年を見つめていた。
「……あれが【眠る男】?」
囁くような声が教室の外に落ちる。
ただ眠っているだけ。何の変哲もない姿。
あれが七不思議の一人だというのならあまりに拍子抜けする光景だった。
皆人は眉を寄せ、何か見落としてはいないかと考えを巡らせる。もしあの男が七不思議に入るなら何かがあるはずだと。
しかし、皆人の慎重さなどどこ吹く風とばかりに強はズカズカと教室へ足を踏み入れた。
「おーい! 朝だぞ~!」
「あの馬鹿……」
皆人が止める間もなく強は寝ている彼の肩をぐいぐいと揺さぶった。まるでふざけるように、しかし悪意はない。そこにあるのは七不思議への好奇心だけだ。
やがて少年は目を細めながらゆっくりとまぶたを開く。眠気を拭うように手の甲で目をこすった。
皆人は思わず顔をしかめる。
自分だったらこんな無遠慮な起こされ方をされたら不機嫌な言葉の一つも口にしていたはずだ。
もっと穏やかに話を始めるはずだったが、強を止めきれなかった時点でもう責任の一端は自分にもある。
どうしたものかと視線を巡らせ、ローズに目配せを送る。
彼女は微笑んでウィンクを返した。どうやら皆人の意図を汲み取ったようだ。
頼りになる。こういう時、この二人が揃っていれば何とかなる。どうにかフォローできるはずだと。
そう思っていたのだが、事態は予想の外側へ転がり始める。
「うぅ~ん……やっと来たね。待ってたよ」
その一言に、教室の空気がかすかに揺れた。
寝起きのはずなのに、彼の言葉には確かな意図があった。
皆人は思わず背筋を伸ばす。その口調、その間合い、人が起こした怪異、【学食の黒渦】や【放課後の哄笑】と同じ異質な何かが漂っている。
本当にこの少年が七不思議の一つなのかもしれない。
根拠はないのに、そんな考えがじわじわと現実味を帯びていく。
「わたくし達が来るのは分かっていた……そうおっしゃりたいんですの?」
ローズがやや距離を保ったまま静かに尋ねる。
少年は微笑を浮かべたまま、まるでそれを待っていたように答える。
「そうだよ。巨傲グループの一人娘、巨傲久美子君。いや、ローズ君と呼んだ方が良いかな?」
その瞬間、教室の光が少しだけ傾いたように感じた。
少年は立ち上がる。ミディアムショートに伸びた髪は柔らかな栗色。自然なパーマがかかっていて、ところどころ寝癖のように跳ねているが、それがまた彼の雰囲気と不思議に調和していた。
彼の顔立ちは整っているわけでも、特別特徴的なわけでもない。
けれど、その平凡さが逆に目を惹く。栗色の天然パーマがゆるやかに揺れ、気怠げな目元にだけ、どこか異質な冴えがあった。
「そう言われれば巨傲って企業名、テレビとかでよく見るわ」
「へぇ、お前ってすげぇお嬢様だったんだな」
「貴方達、本当に分かってなかったんですの!?」
ローズが半ば呆れ顔で叫び皆人は思わず頬を引きつらせる。
そういえば秋山も以前あの巨傲がどうのこうの、と口にしていた気がする。
お嬢様ごっこでもしてるのかと思っていたが……思い込みとは罪深い。
皆人は心の中でそっと彼女に詫びを入れた。
「それとも……」
全員の視線が彼に向けられる。
彼はわずかに間を取り、その目を細めるようにして告げた。
「【放課後の哄笑】って呼んだ方がいいかな?」
その瞬間、空気が張り詰めた。
全員の表情が固まり、息を呑む音が静けさに混じる。
――この男、やはり七不思議【眠る男】なのか。
「どうしてそのことを? って思ったでしょう。求平強君に普済皆人君、そして……【学食の黒渦】無口喰臥君」
「俺の名が早くも轟いているみたいだな……」
強が冗談めかして言うがその疑いの眼差しはずっと彼を捉えている。
なぜこの男は俺たちのことを知っている? ――そう疑問が交錯する中、皆人の頭に浮かんだのはある人物の顔だった。
(……チビでか先輩か?)
この七不思議を持ってきた張本人。【学食の黒渦】や【放課後の哄笑】そして【眠る男】の共通点、それは全て人為的なことだ。【亀甲乙女】一色桜の件もあることから皆人の中では答えが固まっていた。
金敷高校の七不思議とはチビでか先輩に作られた強へのプレゼント。言ってしまえば説明が怪異的に書かれた人探しである。
先輩は目の前の男とグルで事前に情報を与えた可能性があると皆人は睨んでいた。
「僕はね。夢力を常日頃から溜めているんだ」
「無力……?」
「夢に力と書いて夢力さ」
わけのわからない単語が投げ込まれる。
それは宗教めいていて、けれど本人はごく自然に言ってのけた。
この歳で信心深い、かわいそうなやつ、それが皆人の見立てだった。
「寝ることで夢力を蓄えているのさ」
「……寝溜めってことか」
「……そうとも言うね」
何のことはない。ただ寝てる理由をつけただけだった。くだらない。
「で、結局俺たちのことは誰から聞いたんだ?」
そろそろ外れた道からは修正して、皆人が問う。
「……ある日、夢を見たのさ」
「夢?」
「そう。……あれは予知夢だったんだ」
皆人は一瞬だけ息を呑んだ。
突拍子のない発言なのに、少年の声には不思議と嘘の気配がなかった。
彼の話によれば――
ある日、いつものように机でうたた寝していると真っ白に霞んだ世界に立っていた。
何もない空間の中、ただひとり、黒いローブを纏った男が現れこう言ったという。
「数日後、君を訪ねて四人の男女がやってくる。彼等に力を貸してあげてほしい」
「あなたは……?」
「私は――神」
「か、神様!? な、なんで僕が!?」
「【亀甲乙女】攻略には、君の力が必要だ」
いくつか言葉を交わし、神を名乗る者は消えた。
少年が飛び起きた時、そこは変わらぬ一年D組の教室。
夢だったのか現実だったのか――答えは分からない。
けれど今日、四人が現れた。半信半疑だった点と点は繋がった。
「へー、すごいですのー」
「そうだねー、すごいねー」
皆人とローズはあからさまに棒読みで手を叩いた。
だが、強だけは真顔だった。
「なぁ皆人、神って言葉に聞き覚えないか?」
「え……?」
その言葉で皆人は少し前の記憶を掘り起こす。
たしか、あの割り箸占いで……。
「神って……俺のことか?」
そう口にしてしまった瞬間、少年は首をかしげた。
「……君は何を言っているんだい?」
皆人は真っ赤になって身を震わせた。とんだ赤っ恥である。
強は先程の真剣な表情はどこへ行ったのか、声を潜めて笑い、ローズは「ドンマイですわ」と肩を叩いたがやはり口元には笑みが浮かんでいる。
ムックは変わらずお菓子を食べながら無関心のままだった。