11.放課後の哄笑(2)
「ってか、はえぇよ、あいつら……!」
皆人が階段を駆け上がりながら呆れた声を漏らす。
すでに二人の姿は視界の先から消えていた。
強はともかく、あのムックまで同じ速度で、いや、それ以上で駆け抜けていったのだ。どう考えても尋常じゃない。
ようやく西校舎の最上階に辿り着いた頃には、二人はもう息すら整え終えていた。
皆人はその場に手をついて、ぜぇぜぇと肩で息をしながら心の中で自分の体力のなさを呪っていた。
「……遅かったな」
強がどこか勝ち誇ったように笑う。
その横でムックは無言のまま、取り出した菓子をもぐもぐと口に運んでいる。疲れた様子は一切ない。
「お前と一緒にすんな……それにしてもムック、速すぎだろ……」
皆人はムックの方をちらと見て目を細める。どこか小動物めいた彼の仕草に目を奪われる自分がいる。
ふと、こんな場面にも心をほだされる自分が滑稽に思えた。
強はそのまま、ある扉の前に静かに歩み寄る。耳を澄ましているが実際はその必要もない。
扉の奥からはローズの甲高い声がしっかりと聞こえている。
けれど、ここで雰囲気を大事にしたい気持ちは皆人にもよく分かった。
扉の隙間から中を覗き、強は静かに頷く。
「よし、作戦開始だ。ムック、お前がローズを捕まえる。準備はいいな?」
ムックが力強く頷いた。すでに覚悟は決まっている。
強が指を三本立て、カウントダウンを始める。三、二、一。
「今だ!」
扉が勢いよく蹴破られた。
「なっ、何ですの!?」
ローズは咄嗟に反応し、驚きの声を上げながらもすぐに構えを取る。
左足を引き、右手をみぞおち、左手をへそのあたりに添えるようにして戦う意志を明確に示す。
咄嗟に出た構えにしてはとても板についていた。
彼女は拳は握っていない。どうやら打撃系ではないようだ。
その瞬間、ムックが疾風のごとく駆ける。
地を蹴り、左右にステップしながら、まるで幻影のように相手の注意を散らしていく。
ローズがムックの存在を正確に捉えたのは彼が目前に躍りかかった、その刹那だった。
だから迎撃の構えを取ったローズの手は寸前で止まる。
ムックはそのままの勢いでローズに抱きついた。
「な、な、なんですのおぉぉぉぉぉおお!!?」
突然の接触にローズの思考は爆発する。まるで熱湯を注がれたかのように脳が煮えたぎる。
ムックは捕まえたつもりだったのだろうが実際には硬直した相手に全身でしがみついているだけだった。
「……作戦通り、だな」
強が満足げに笑う。
「……うん、確かに効果は抜群だ」
皆人も呟く。この作戦はローズに対してだけでなく実のところ皆人自身にも特効がある。
ローズを抱きしめるムックの姿に、ただ指をくわえて見ているしかないという、なんともやるせない状況だった。
「はっはっはっはっ! ローズよ、我らが知略の前にはこの程度か!」
「勝手に一味にすんな」
ローズの高笑いは気品に満ちていたが強のはどこか魔王じみていた。
ローズが身動きできないと見るや、強はゆっくりと足音を響かせながら歩を進める。その様子は芝居がかった大物としての演出だった。
ムックは懸命にローズを押さえていたが、正直もうそんな必要はなかった。何故なら――。
「し、死んでる!?」
「……生きてるよ」
ローズは立ったまま気を失っていたのだから。
「ムック、もういい。離してやれ」
強の言葉に従い、ムックが距離を取るとローズはすぐに意識を取り戻した。
状況を一瞬で理解し、前方のムックを庇うように背に回し強を睨みつける。
「強さん! あなたには再三申し上げましたわ! くーちゃんを誑かさないでくださいまし!」
「誑かすって人聞き悪いな……ムックは俺のパーティーに加わっただけだ」
「ムックって何ですの!? パーティーって何ですの!?」
怒涛の勢いでまくし立てるローズ。
その様子を眺めながら皆人はようやく今までの謎が繋がった気がした。
強がムックを見つけてから今日まで動かなかった、いや、動けなかった理由。
それはローズが立ちはだかる壁だったからだ。
だが何らかの理由でローズが今ここにいる。その隙を突いて強はムックを連れ出したに違いない。
「皆人さん、あなたもですの!? 目的は何ですの!?」
傍観していた皆人に火の粉が飛んできた。もはや当たる相手は誰でもいいらしい。
「……いいだろう。皆人よ、例の物を!」
キャラ変をかましながらの指パッチン。強の合図に皆人は一枚の巻物を広げてローズの前に差し出す。
「これは……何ですの?」
「巨傲久美子、いや【放課後の哄笑】よ。貴様は選ばれた!」
「七不思議……? わたくしが【放課後の哄笑】? 馬鹿馬鹿しい!」
一蹴だった。
「まさか、あなたたちが言っていた【学食の黒渦】ってこれのことですの? そしてくーちゃんがそれだと?」
説明役になるはずだった皆人はほっと胸を撫で下ろす。ローズは一つ話せば十を理解してくれる。話が早くて助かる。
「金敷高校の七不思議って……こんな取って付けたような七不思議がありまして!? デマや噂、誰かが面白おかしく流したイタズラってところでしょう!」
正論である。ぐうの音も出ない。
皆人だって最初はそう思っていた。だが、ムックと出会い、そして今ローズを目の前にしてから、もうそういう問題ではなくなっていた。
「……まぁ、それは置いといてだな」
強がぶった切る。七不思議が何かとか、取って付けたとか、もはや問題ではない。
彼の目的は先輩から託された七不思議の全貌を明らかにすること。
それを追うことでいつもの変わらない学校生活に辛みのスパイスが振りかかるからだ。
「だから、俺たちの仲間になれ! 巨傲久美子――いや、ローズ!」
右手を差し出す。その手にローズは凛とした眼差しで答える。
「……お断りですわ」
その手を強く払い除ける。まるで自分の誇りを守るように。