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第3話 かわいい花柄の塗り薬

次の日から、私は自由になった。


もう自分の屋敷のことは考えるまい。


考えてはダメ。


だって、両親のことが思い出されてしまう。難破したのではと言う噂が流れてきて以来、私は悲しくて悲しくて、もし伯父一家が物欲しそうに屋敷にやって来るだなんてことがなかったら毎日なにもせず泣き暮らしていたに違いない。


だけど、厄介な伯父一家は、まるで当たり前のような顔をして、我が家に出入りを始めた。絶対に危険。あげく、家に乗り込んできた。


私は狭い小さな家の台所に並べらた薬瓶や道具類を眺めた。


「大丈夫。大丈夫よ」


母が病気になった時やってきたラダー婆さんは私をかわいがってくれた。私はこの婆さんから、薬の作り方や薬草取りを教わった。


「あんたは才能があるよ!」


お金のある家の令嬢たちはたいていドレスや宝石に夢中になる。


でも私は薬作りに夢中になった。


母はため息をついたが、時期が来ればきっと変わるわとあきらめて好きなことをさせてくれた。


「うむ。私の薬は大したものよ」


私は自分に向かってうなずいて見せた。大丈夫。どれもみんなウチの使用人や使用人の家族に大人気だった。


下痢止め、便秘薬、日焼け止め、風邪薬、頭痛薬、虫よけ、毛生え薬、ムダ毛撲滅薬、水虫の薬、炎症止め、火傷用、このほかに美肌に効果のあるほんのり緑色に輝く乳液がある。毎日のお手入れに使ってもいいが、火傷の跡まできれいにしてしまう強力な代物だ。


「絶対、売って見せるわ」


私は決意した。


次の日から、町の市場の隅っこに一週間1フローレンというお値段のせっまい場所を借りた。


「何を売るんだね?」


客が誰も来ない店に疑問を持ったのか、市場の管理人のおじさんが疑わし気に尋ねた。私は人相がわからないように老婆に化けていたからだ。

つまり、老婆風頭巾、老婆風ショール、老婆風ブーツ、トドメは丸い黒縁眼鏡だ。

家で鏡を見た限りでは完璧な変装だった。伯父の男爵に見つかるわけにはいかない。その分、もはや不審人物だったけど。


私は出来るだけしゃべりたくなかったので、黙って木箱の上に並べられた品々を指し示した。

夕べ夜なべして、かわいい袋に詰めたのだ。皮膚の傷をきれいにしてくれる秘薬だ。


おじさんは私の人相と品物をかわるがわる眺めた。


顔には売れないんじゃないかなという表情が現れていた。


「試供品におひとつどうぞ」


私は老女らしく出来るだけ低い声で言った。市場の管理人のおじさんは、太って貫禄のあるおじさんだった。ちょっと怖い。サービスしといたほうがいいかもしれない。


「え? ひとつ半フローリンて高くない? 変なもの入ってないよね?」


「市場の管理人さんにそんなおかしなものは渡しませんよ。自信作です。気になるなら、顔用ですけど、手にでも塗ってみてください……ゴボゴボゴボ」


低い声を無理に出すのって苦しいな。


市場のおじさんは、疑わし気にかわいい花のマークの付いた袋をつまみ上げた。


「あ、そう……」


まあ、その日売れたのは(売れてないけど)その一袋だけだった。


この商品、私の家の使用人たちなら奪い合いになるところなんだけどな。

信用ないんだろうな。

飲み薬とかは、知らない商人から買うのは多分怖がるかなと思って、遠慮して塗り薬から始めたのだけど、この場所は目立たないし、売り子の私は老婆だし、売れる要素がない気がする。


その日はとぼとぼと家路についたのだけど、勇気を振り絞って翌日も木箱の上に商品を並べてみることにした。

テーブルクロスを木箱の上に掛けてみた。そんないい布じゃないけど。努力って大事だよね。それからニキビに効く薬も並べてみた。どうかな?


昨日、全然売れなかったのはショックだった。今日も売れなかったらどうしよう。

しかし、その日の朝は怒涛の幕開けとなってしまった。


「これ! これなんだけど!」


ゼーゼー言いながら走ってきたのは昨日のおじさんだった。


「あ。市場の管理人さん……」


しばらくは息が切れて手を膝についてはあはあ言ってたおじさんだったが、息が戻ると叫び出した。


「売って!」


「え? 何を?」


管理人さんはポケットからくちゃくちゃになった花のマークの袋を出してきた。中身は入っていない。全部つかった後らしい。


「お願い。売って」


私はおずおずと一袋差し出した。


「半フローリンです」


「違う。一つだけじゃない。もっとあるだろ?」


「一体どうしたんですか?」


昨日はあんなに疑わしげだったのに?


おじさんは小声の早口で言い出した。


「実は、うちの娘には火傷の跡があるんだ……」


おじさんの年頃は四十代。ということは娘さんはまだ少女だろう。


「何を塗っても跡が消えなかった。もう塗る薬がなかったんだが、これを塗ったら大分マシになったんだ」


「あ。そうですか」


知らなかったこととはいえ、ぴったりの人に渡してしまったみたい。


「それなのに、得体のしれないものを娘に塗るなって、嫁が怒って自分の手に塗ってしまったんだ」


その流れでどうして自分の手に塗ったんだろう。捨てるとかならわかるけど。取扱説明書は読んでくれましたか?


「万一、悪いものだったらいけないから自分の手にも塗ってみるって」


つまり、花のマークの塗り薬をイマイチ信用できなかった嫁が、試しに自分の手に塗ってみたと。


「赤くもならないしピリピリもしない、匂いもいいし、なによりしっとりするから気持ちがいいとお許しが出た。嫁はハンドクリームの一種だと思っていたらしい。傷が治るとは思っていなかったんだが翌朝起きてみたら、娘の火傷の赤みがずっと減っていた」


まあ。それはそうでしょう。注意書きは全然読まなかったんだな。


「もっと塗り続けたい。きっともっと良くなるだろう」


もちろんです。


「それなのに、この薬を信用しない嫁が、どっさり手に薬を塗ってしまっていて、もうなくなっていたんだ」


「あの、奥様はどうしてそんなにたくさん手に塗ったんでしょうか」


もったいない。ウチの使用人たちは適正量をよく知っているので、そんなもったいない塗り方はしない。というか、全員顔に塗ってるね。手になんか塗らない。もったいないもの。


「いい匂いがして、塗ると艶が出てしっとり快適だったので、つい足の裏とかにも塗ったら、硬かった部分がすべすべに……」


「あれ、本当は顔専用ですよ? もったいない」


おじさんはひげの中からびっくりした顔をした。


「そうなの?」


「その袋に書いてあるでしょう?」


ガサガサガサ。おじさんは効能書きを真剣に読み始めた。やっぱり読んでなかったんかーい。


「用量をお守り下さい」


私は言った。おじさんは叫んだ。


「ここか!」


『……火傷の跡を治します。適量を毎日一回風呂上りなどに塗ってください。厚塗りしても効果は変わりません』


「うう。返す返すも嫁の無駄塗りが悔しい」


いや、無料(タダ)だったんだからいいじゃない。


おじさんは見た目は威圧感たっぷりだったので、最初は怖かったが、こうして話してみると家族思いのいい親父さんだった。


「俺はグスマンって言うんだ。頼む。この薬を売ってくれ!」








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