星を目指す魔法
顔を看破されて、遥は目をそらしたくなった。
そうしなかったのは、彼女とこの場所で出会ったことが偶然と思えなかったからだ。
「莉彩も、奏にここを教えてもらったの?」
「あー、ちと表に面ぁ貸せ。……あ、なんか飲むか?」
そう促されるが、今さっきまで映画を観ていた旨を伝えて断りを入れた。
莉彩は、気分を害した様子もなく受付でひとり分の水を頼んだ。
「ふたりと知り合いだったの?」
「まあ、天音のやつとちょっとですね」
料金を手渡しながら、莉彩はそう答えた。
「なんで喋りながら看板やらせてもらいます」
「それは全然。お任せするわ。よろしく頼むわね」
莉彩はラベルレスの飲料水を受け取って、三人で劇場から外に出た。
「んで、だ」
莉彩は、キャップを回してボトルを傾ける。喉は鳴らさず、胃に流し込むようにして水を飲んだ。
快活に唇を離す。優美さより爽やかさの勝る動作だった。
「どうして仲良しやってるんだ、おまえら?」
「仲良しではない」
瑠依は即答した。
遥だって否定しないが、それはそうと少し傷ついた。
「新入りが〈失望〉になってないのを見るに、利害の一致ってやつか」
「それも違う」
「……あー、もういいだいたいわかった。どうせ面倒くさいやつだろ」
心底呆れた声音で莉彩はそう突き放した。背中を見せられる。どんな答えも聞く耳を持たないといった姿勢だ。
彼女は、弄ぶようにプラスチックの容器を揺らす。ちゃぽん、と中身が波打った。
キャップを締めて中空へ放り投げる。くるくると回るペットボトルは、莉彩の手に収まるころにはステッキに入れ替わっていた。
それに伴って、彼女の服装も魔法少女のコスチュームに変わる。
「あたしがここを知ってる理由だがな」
莉彩は、電燈に照らされる看板へステッキを向けた。
看板には、秋だっていうのに太陽に伸びようとする、花火のような花が描かれている。
「ここに〈失望〉がいたんだ。ずいぶんと芝居がかったやつだったよ。そいつを討とうとしたところで、〈救済〉のがちょちょいと解決しやがったんだ」
ステッキの先端に鏡の欠片が踊り、絵を撫でつける軌跡で振るわれる。
「そしたらもうこんなしけた劇場に興味はねえ。さっさと帰ろうとしたとこでな、〈救済〉のやつが絵を描いていけなんて言うんだ。オーナーの夢を語りながらな」
ステッキの重なる先から、絵なんて初めからなかったように消えていった。
「そしたら〈救済〉のがどんなに気に食わなくても、描くしかねえだろ。あたしらは、だからこそ魔法少女になったんだからよ」
ステッキで肩を叩きながら、莉彩は振り返る。
遥の頭は、疑問で埋まっていた。次から次へと浮かぶ疑問は行き先を求めて、未整理のままに口をついた。
「魔法少女になったことと、絵を描くことにどんな関係があるの?」
「なあ新入り、空の飛び方は知ってるか?」
莉彩の答えととれぬ言葉に、遥はまだ鮮明な記憶を呼び起こした。
「……上手くは、飛べなかったよ」
「だろうな。だから、変身しろよ」
「昨日の続きでもするの?」
「魔法少女は魔法少女を傷つけられない。どうしてか考えたか?」
「同士討ちをしないためじゃないの?」
「笑わせんな。いつ仲良しこよしになったんだよ。おてて繋いで夢が叶えられるかよ」
「でも、〈失望〉は魔法少女が討つべき相手だって、アト、が……」
まるで噂に引き寄せられるように。
眉をひそめる莉彩の後ろ。夏の匂いがした。
星屑がどこからとなくあふれて遥の全身を包んだのと、黒色の花嫁が姿を見せたのは同時だった。
変身を終え、今度は見ずともわかった。奏の顔が張りついている。
だが、それに何かを想う余裕はない。ステッキから撃ち出した星屑が莉彩をかわし、〈失望〉の化身に食らいついた。
まっくろな体に光が灯って、消滅する。
しかし、一体だけではない。甘いものにたかる蟻のようにぞろぞろと影が浮かび上がる。
そのまま群れなして襲い掛かってくるかと思われた化身は、近くの同類のおなかに頭から入っていった。おなかを埋められる存在も、また別の個体に頭から突っ込んでいく。それに伴って徐々に膨らんでいく腹もあいまって、胎内回帰のようにも、共食いのようにも見えた。
その進みは速い。百足が走るような情景は、生理的嫌悪を湧き立たせた。
遥はすかさずステッキを振るう。莉彩も振り返りざまにステッキをひるがえして、舞い散った鏡の破片が星屑の光を増幅させた。
しかし、光速ではわずかに足りない。
膨らんでいくおなかが、今まさに破裂するといったところで、遥の魔法が突き刺さった。
それが決定的な刺激だった。爛れた果実にナイフを通したように、ドロドロの液体が噴き出して三人を囲った。
辺り一面が暗闇に支配される。視界を確保するために遥が星屑を灯すと、黒くしなるものがその光をかき消した。
「〈銀〉の」
莉彩の声に反応はなかった。回避が間に合ったのだろう。遥との経験の差が如実に表れた。
「〈世界』〉のまねごとか。めんどうなことになったな……」
「〈失望〉が魔法で描き変えた空間のこと、だっけ?」
「ああ。化身なんてもんは、この世界に直接干渉できない〈失望〉がそれでも伸ばす手の先端だ。だから大したことはねえんだが……さすがに規格外か」
「皆森さんが外からどうにかしてくれるんじゃない?」
「外がどうなってるかなんてわかんねえからな。人任せにするのは違うだろ」
「そう言われたらそうなんだけどさ」
「アトのやつも、重要なときにはいやがらねえしよ」
こんな異常事態であれば、いつもならアトの声が聞こえるだろう。
暗がりの世界に影は生まれず、あるいは、光のなかでしかあの透明な猫は存在できないのかもしれない。
「ってことは、だ」
こつん、と。
遥は、頭に固いものが当たるのを感じた。
「魔法少女の領分だ、新入り」
それがステッキだと予想できたのは、はんぺんの角で殴られたような痛くも痒くもない衝撃のせいで。
莉彩の意図がわからず、遥は背中から冷や汗を浮かべた。
「わたしの顔が気に食わないのはわかったから、今はステッキを下ろしてくれない……?」
「その面についていまさら何を言うつもりはねえよ」
「だったら、なんで」
「空の飛び方を教えてやる」
「意味がわからないんだけど」
「魔法少女が意味とか言ってんじゃねえよ。あたしらは、意味や道理をなぞってちゃたどり着けない夢を見たから、魔法少女になったんだろうが」
夢。
その言葉に、遥は喉を詰まらせた。
「夢、なんて……わたしには……」
「わからないってか?」
「なりたいものなんて……見えないから」
目を閉ざしても、見えるのは暗闇だけ。今、目の前に広がる景色と同じだ。
「……夢がわからないから、〈失望〉にかかわることだけ教えてたってわけか……」
なにやら得心いったように莉彩がつぶやく。
「だったらおなさらだ。おまえの希望が――おまえが飛びたいと望めば、どんな場所にだって行けるよ」
確信を含んだ声音で莉彩は告げる。
「けど、こんな暗闇じゃ空も見えないよ」
「見るのは夢だ。希望っていうのは、夢を目指すあたしたちそのものだ」
莉彩の言葉は力強い。しかし、褪せた声色で「だから」と続けた。
「希望は、夢を諦めた瞬間に失われる」
「それが、〈失望〉……なんだよね」
遥は天井を見た。暗闇に視線が吸い込まれていく。
「夢と希望を失くした少女の魔法は、からっぽだ。そしてそれは、我が身を蝕む。世界を描き変える力の代償だな」
「夢も希望もない話だね」
見上げた先は目を凝らしても、どこまで続いているのか判別できない。
「見えてるから飛ぶんじゃなくて、飛んでるから見つかるのかな」
「どっちが正しいなんてねえよ。ただ、飛びたいときに飛べるかどうかってだけだ」
「だったら今、わたしは飛びたいよ」
「闇の底に閉じ込められた希望の光。おあつらえ向きな舞台じゃねえか」
ずっと側頭部を圧迫していたステッキの感触が離れていく。
「どうしたいんだ、新入り。空を飛ぶために、おまえがどうしたいんだ?」
天井を見たまま、遥は考える。
『花が咲くように飛ぶんだよ』
魔法少女になった日、奏はそう言って空の飛び方だけを教えてくれた。
けれどそのイメージは、遥には合致しなかった。
浮かび上がることもできなくて――思い出すのは、ビルから飛び降りたときの浮遊感だ。
「光を目指すんだ」
反転した視界で見た、地上にあまねく光の群れ。それに届くには、重力に従えばよかった。
逆らってでも欲するものがあるのなら、何が必要か。
「空を飛ぶのには、翼があればいい」
「それなら行こうぜ」
遥は地面を蹴った。空を飛ぶイメージをする。脳裏に浮かんだのは、水槽を自由に泳ぐ金魚のひれだった。
ひらひらと燐光が舞って体を浮き上がらせる。ふらふらと重心が危うい。どこに飛んでいけばいいかがわからない。でも、飛んではいける。
暗闇めがけてがむしゃらに、魔法少女は飛んだ。
黒くしなるものが翼を奪おうと伸びてくる。よく見ればそれは、手のかたちをしていた。
「望みを失って、それでも希う。伸ばす理由すら忘れ果てた手では、もう何も掴めないなんて気づかずにな」
希望を羨むような手を遥は、星屑をまとわせたステッキで叩き落とす。
ひとつ払ったところで圧迫感を感じた。空間そのものが押し寄せてくような感覚。
一方向にかかずらっていては間に合わない。
それでも遥は信じた。このまま飛んでいけると。
星屑を放つ。数多の欠片たちが空間に光を灯す。
だが、足りない。星屑の光を絶やすほどの手が、遥には伸びてた。
夢へと飛んでいく魔法少女に対する怨嗟は底知れない。星の数ほどではでは照らし出せないくらいに、深く暗い呪いだ。
「――くっ」
「希望を絶やすな、新入り!」
星屑の走る先に鏡が躍り出る。砕けた鏡面は、映す光景に錯覚を作り出して、星屑の数を増やして見せた。
影すら作れぬ弱弱しい光であっても、空を埋め尽くすほどに輝けば、どんな闇も照らされる。
圧迫感が晴れていく。どこまで行けばいいのかわからない。もしかしたら出口なんてないのかもしれない。
だとしても、その行く先に空があると信じた。――だから、月が見えた。
星のない夜空に遥は飛び出す。暗闇に慣れた虹彩に月の眩さが突き刺さる。
まぶたを閉じれば上下の判別がつかず、転がるようにして空を駆けていく。
平衡感覚が奪われて、どちらが空で、どちらが暗闇かわからなくなる。手首に熱を感じた。
「おもしろいけど、少し落ち着け」
莉彩に手首を掴まれて、遥はどうにか常態に戻った。
足下には暗闇が健在で、星を掴むように手が伸びてくる。
遥は、視界の端でステッキが回るのを見た。
月を呑み込んだような光の瀑布が降りそそぎ、手のひとつひとつがのたうちながら消えていく。そうして暗闇ごと掻き消えて、あとには鏡の破片だけが残った。
あまりにも圧倒的な光景に遥は舌を巻く。
「これが……魔法少女」
「と、〈失望〉の関係性だな」
そう言って莉彩の手が離れる。
支えを失った遥は、回転こそしないものの空中をたゆたった。
ふらふらと。そうして地上に瑠依を見つけた。
彼女は、制服姿だった。変身を解いた際に舞う燐光も目につかない。
変身をしなかったか、早々に解いたのか。
そんな疑問に意識が埋められて、遥は迫る鏡の破片に気づけなかった。
顔がズタズタに切り刻まれる、はずもなく、月光を反射する破片は遠のいていく。
「星は歌っているんだとよ。人の耳には聞こえない音域で、そもそも音が伝わらない空間でだ。どうしてだと思う、新入り?」
「知らないよ、そんなの」
「だから星が欠けた、星屑の魔法なんだよ」
莉彩がステッキを回す。鏡の破片がひるがえって、再び遥に襲いかかる。
傷つけられないとわかっていても、明確な敵意を前にして無防備でいられるほど泰然とは振る舞えなかった。
おぼつかない姿勢のまま遥は、星屑をまとわせたステッキで鏡の破片を打ち落とす。
「ふらふらしてるな」
「夢なんてわからないからね」
「ちげえよ。夢を叶えようとするから、まっすぐ飛べるんだ」
そう口にしながら、莉彩は高く飛び上がっていく。
「夢を叶えるために重ねた行動や、眠れない夜が……夢を叶えようとするこれまでのあたしが、今のあたしを飛ばせてくれている」
莉彩の背後に、ひび割れた鏡面が立ち上がる。月が遮られて、世界の明度が低くなる。
「だから、魔法少女は、魔法少女を傷つけられない。一心に夢だけを見て飛ぶその姿を否定できない。そうしたくないと、何より望んでいるんだ」
――途端、月が落ちてくる。
錯覚を生み出す鏡面が、蓄えた月の光を吐き出したのだ。
「だから、〈失望〉を目の当たりにして討つことができるのは、魔法少女だけだ。掴んだものを取りこぼすだけのからっぽの手を――そんな夢の末路を唾棄し、終わらせてやりたい」
星の光は、月に霞む。星屑など存在すら許されない。
それでも遥は、ステッキを振るった。
「太陽に近づいた蝋の翼の末路を語るまでもなく、翼を失ったら落ちるしかねえ」
月が通り過ぎた場所に、遥は浮かんでいた。
目をしばたたかせながら、月が落ちていった先を見た。
そこには、何もなかった。本物の月は、空に変わらず浮いている。
空を見上げて、遥は焦げつくような胸中を震わせた。
「だったらもう一回、希望を見つければいいんじゃない」
「命を賭して目指した夢に届かないと、自分自身が認めちまったんだ。溶けた翼はもう、元には戻らねえよ」
「でも、見ることができてるんだから……もしかしたらいつか、届くかもしれないよ」
「夢は、命と同じだ。自分の中でだけ脈打っている。思いを託したところで――かもしれない、なんて願ったところで、だれが聞き届けてくれるもんじゃねえ。自分の夢は、自分で叶えていくんだ」
「……だから、オーナーさんの夢を叶えるために絵を描いたんだ」
「オーナーがどう言おうと、夢を叶えようとしたのは彼女自身だ。あたしは、そこに色を添えさせてもらっただけだよ」
莉彩は目線を動かす。
その赤い視線を追うと、真っ白になった看板が見えた。
「せっかくの終わりが白紙だなんて……やっぱり美しくねえよな」
莉彩は、並びのいい歯をむき出しに大きく口を開いた。
「〈銀〉の、オーナーさん呼んで来い」
瑠依は、特に反論する理由も見当たらなかったのか、劇場へ足を向けた。
遥は、怪訝な声音を隠すことができなかった。
「どういうつもり?」
「ひとつの夢が終わるんだ。盛大に送り出してやろうぜ」
言うと、莉彩の背後にまたしても月が生まれた。
その光は、まやかしだ。この世界に、どんな影響をもたらすことはない。
遥が傷つくこともなければ、地面を抉ることもなく、きっとこれから顔を見せる老女の目にも映らない。
だから、相手にする必要はない。そうすれば、存在しないのと同じだ。
ただ、莉彩の言葉を認められなくて、遥はステッキを振るった。
この感情は理屈では語れない。
だからここに魔法がある。
月の光に向けて、星屑の束を放つ。
星屑の光は、より大きな光に飲み込まれる。
蒸発して消える星屑から、かすかに音がした。
莉彩が牙をむいて笑う。
「っは! いいじゃねえか。歌えよ、〈星〉の魔法少女!」
「わかる言葉でしゃべってよ……!」
「全力で来いよ!」
「――っ!」
言われるまでもなく、全力だ。
死力を振り絞って、すべての意識をステッキの先端に乗せている。
何が認められないのか。わからない――いや、言葉にしたくないだけだと、わかっている。
本当の気持ちはどう伝えればいいのだろうか。正しい言葉は、どうしたら届けられるのだろうか。
溶けていく光の渦に、夏の後悔を見る。それは、割れた鏡に反射する奏の顔だ。
「わ、たしは……奏に……言いたかったん、だ」
もう届かない思いは、ここに。
秋は、夏に還らない。
だから言葉はなく、ただ、思いだけが爆発した。
消えたはずの星屑は、月の光によって見えなくなっていただけだった。
そのひとつひとつは小さくとも、重なれば星をかたどった。遥の感情に共鳴して、鏡を砕き割る。
鏡の破片が月の光を蓄えながら、流れ星のように、インクのように飛び散っていく。
そのいくつかが看板に落下して、色を残す。赤と、わずかな緑と青が、放射状に線を刻んだ。
それはどこか、夏に忘れてきたものを想起させるかたちだった。
「ま、上出来だ」
莉彩の声が耳の横を通り過ぎていく。彼女は地面に下りて、変身を解いた。
遥は気力が限界で、ゆるやかに地面に落ちていった。膝から崩れ落ちると、花弁のように光が舞ってコスチュームがほどける。
鈴の音が鳴った。瑠依に呼ばれた老女が顔を見せる。
「終わりましたよ」
莉彩がそう声をかけると、仕事を検めるように看板を見上げて、はたと首をひねる。
「絵が変わってるわね」
「ええ、どうせなら華々しく終わってほしくて」
「花火、ね。餞には、いいのかもしれないわね……」
老女の口から感傷がこぼれ出る。それがだれに宛てたものかは、彼女自身にしかわからない。
だから、遥が眉根を寄せたのは絵に対してだった。
莉彩の傍にどうにか足を運んで、ささやくように言葉を紡いだ。
「魔法なのに見えているの?」
「魔法そのものは見えなくても、魔法で描き変えたものは、現実として認識されるんだよ」
「魔法の影響は、だれの目にも映るってこと?」
「あたしらが魔法で描き変えてるのは、現実だからな」
だからきっと。
「……ぁ」
遥は小さく息を漏らした。
視界の端で輝くものを見た。
ひとしずく。老女の頬をつたう。
地面に落ちて、小さな染みを作った。
見間違いじゃない。
あるいはそれは、夢の終わりと呼ばれるのだろう。
だからきっと、魔法は心に届くのだ。
うるんだ瞳が輝く老女の横顔を見て、遥はそう思った。