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いつかきみと、交差点の未来

 魔法の夜は終わった。

 ≪終極の光≫によって生み出された虚空は閉じ、≪夢現の星座≫が広げた空間も終幕を迎えた。

 世界は元のかたちを想像され、その通り創造された。

 決定的に取り返しのつかない、割れたしゃぼん玉が元には戻らないような変化である。それでも、平穏は戻った。


「根本的に、この世界はある存在の見る夢だった」語るのは、赤い舌をのぞかせる猫だった。「奏がそれをやぶった以上、だれかがこの世界を描き変えなければいけなかったよ」


 ふわふわと、空想のごとく漂うアトは四人の魔法少女へ語った。

 元、と。すべての存在に言えるとしても。


「アトは消えちゃうの?」


 遥の問いに猫はいつも通り無機質に返す。


「魔法が完結したんだ。それはつまり、ぼくという存在の完結でもある。そうでしょ、遥」


 自身の正体に迷う猫へ、遥は魔法であると定義した。はたして、その正体はこの世界に希望を贈ったはじまりの魔女だったわけだが、アトは与えられた定義を自らとした。

 魔法の終わり。魔法少女の導く結末。それを見届けることが役割であると語り――あるいは、わかっていたのかもしれない。

 希望を謳う少女がアトをそう定義した日から。

 そう遠くない日に、魔法少女の夢物語は完結すると。

 だから、奏の命を取り戻すための戦いは、決して無傷で終わったわけではなかった。

 犠牲、ではない。当然の対価として。魔法が失われるとは、魔法そのものを手放すこと。

 描き変えたものは変わらなくても、描き変えるためのものは変わってしまう。

 だから、アトだけでない。

 鏡の魔法。その中に映る少女もまた、遠のく。


「消えるわけじゃないよ」日本人形の姿をした莉彩は先んじて告げた。「わたしは、描き変えられて生まれた存在だからね。みんなの世界と同じ。空閑さんの〈世界〉で元の姿を創ったからって、この世界が消えてなくなるわけじゃないでしょ? ただ、境界がなくなる……わたしたちを繋げる鏡は消えちゃうから、見えなくなるだけだよ」

「ひとりでやっていけんのかよ」


 莉彩が莉彩へ言う。姉は弟へ首肯した。


「だれのお姉ちゃんだと思ってるの?」

「はっ」どこか愉快そうに――そうして、何かを払いのけるようにして赤い少女は赤い唇を裂く。「元気でな」

「そっちも、元気でね」


 短い別れだった。もっとも強く、深く結びつくふたりがそうなのだから、外から加える言葉はない。ただ見送りのあいさつを重ねることしかできない。

 魔法は終わる。神は死に、門の錠は壊れ、羽化した最期の魔女も境界を超え希望を選んだ。魔法少女は終わる。


「きみたちの夢の果て」アトが空を見上げていた。夜空に星がまたたいている。多くの星が夜を飾っていた。「夢と希望が描く景色がこんなにも輝いているのなら――そうだね、多くの失望が消えて失くなるわけじゃなくても、続けてよかったと思えるよ」

「アト」奏が呼び止める。捻じれたステッキの先端を向ける。「送ろうか?」


 救済が導く楽園へ。境界は閉じた。けれど、出自に卑近はするだろう。

 まだ、最後にひとつを救うだけの奇跡は残っている。


「いい。それはぼくから世界(きみら)への贈り物さ。ぼくのためのものじゃない」

「そっか……ありがと」


 そう言って、砕ける。奏のステッキは、その役割の終わりを悟ったようにかたちを崩した。ぼろぼろと。砂糖細工のようにして。痕跡のひと粒も残さずに。

 崩れ去った。

 そして、そう。それが契機だった。

 ステッキが。衣装が。鏡が。

 砕けていった。


「瑠依」


 アトの声に銀色の少女が向き直る。瑠依は小首をかしげて言葉を待った。


「いい夢を見せてもらった。空っぽのぼくが満ち足りる、いい夢物語だったよ」

「あなたが紡ぎ始めた物語……だから、あなたは生きぬいた」


 心臓のように赤い舌を見せて、透明な猫は尻尾を揺らした。


「繋げられてよかったよ」


 そして、寝覚めとともに忘却する夢のようにして。

 アトの姿が見えなくなった。

 満天に星のまたたく空の下。

 魔法は、終わった。




 ☆Holy Night End


 明けて。明けて。聖夜。

 奇跡は特になく、日々は快晴のまま続いた。

 魔法。その痕跡は、四人の少女の海馬の片隅に。

 世界には一切、残り香もない。

 あのライブの日、その終わりに何があったのか。あるいは、夢を叶えた世界のことも。認識も記録も残っていない。

 過去のようなものだ。忘れ去ってしまうもの。奇跡とは、そのようにして平穏を守っているのだ。記憶されるためでなく、途絶えさせないために。広がっていく心を、肯定するために。

 そうして繋がる可能性の世界で、空閑遥は、可能性を問われていた。

 進路相談室。放課後、担任に呼び出されていた。


「あとはおまえだけなんだけどな」


 机の上に広がる白紙の進路希望表へ目を落とす。

 彼の言葉から察するに、奏も瑠依もその空白を埋めたらしい。


「テストの点数も芳しくないしな。どう考えてるんだ、空閑?」


 夏からここまで、期末テストは二回。奏の件があり、勉学はおろそかになっていた。

 高校二年、冬休みを目前に。

 何か、正答ではなく回答を出さなければいけない時節だった。

 なりたいものは決まっていた。どうすればいいのかも定まっている。

 どうやるか。社会のなかでこの希望をどう通せばいいのか。

 迷いはただ、それだけ。


「…………――空閑」長い沈黙に、言葉を待つ教師がぽつりとつぶやいた。「やりたいことをやれ、なんて言えるほど、私は立派なものじゃない。理想のままでは過ごせないと妥協して、だから肩の力を抜いて働けている。責任に息が詰まっても、押し殺されることはない。それは正しくないが、望んだ仕事の在り方だ」


 教師は窓の外、暮れた空を眺めた。冬は日が落ちるのが早い。近くで金属バットが硬球を捉える子気味いい音がした。


「迷いながら生きればいい。正解を決めて進むのは格好いいかもしれないが、その道だけが目指す場所に続くわけでもない。選ぶことは苦痛だが、その痛みが生きている実感をくれるものだ……謝意というのは得てして、心を麻痺させないとやっていけなかったりするからな」


 そうして皮肉気に片笑む頬に、少なくない皴が寄った。ざらついた肌はきっと、雑な手入れで済ませているのだろう。剃刀負けの赤い傷が鼻下にある。だから、ここで笑えるのだ。

 笑える程度に、世界と付き合えている。

 傷を覆ってしまうことが間違いではない。でも、隠したって傷がなくなるわけではない。隠して覆って、摩擦を失くそうとした先にあるのは、傷ついた自分の否定。

 どうやって、傷と付き合っていくか。隠すか、隠さないか。それは方法でしかない。

 だから、求められる回答。進路も、自分を叶えていく方法でしかないのだろう。

 決めるのは未来でなくて、そこへの歩き方。

 そう考えたら、少し、喉が軽くなった。


「わたしは――」答えがチャイムに混じる。

「そうか」教師はただ、そうひと言だけ告げて、ボールペンを差し出した。

「じゃあ、そう書けばいい」


 受け取って、走らせる。だから、遥は走った。後方から声がする。「廊下は走るなー」

 青春真っただ中の女子高生を大人が止められると思わないでほしい。

 スカートを揺らす。踊り場で上履きを鳴らした。教室に置いた上着とリュックを肩にかけて、夜空の下に飛び出る。靴を履き変え昇降口から、自分の足で進んでいく。正門を出て、白い息。昇っていく空の星を見た。

 目的地は確かだった。

 明滅する信号を前に足を止める。荒れた息が止まらない。逸る気持ちを落ち着かせるのに、十字路はちょうどよかった。縦横、ふたつぶんの車道が時差で進行する。遥は空を見た。

 星と月。並ぶ空は瑠璃色。かつてより彩られた夜空だった。

 歩行者の通行を知らせる通知が鳴った。堰き止められた歩行者が一斉に進む。だれもかれも冬化粧と文字通り言わんばかりの衣服だ。ほかの季節より顔が見えない。知らない他人が、知らないままに過ぎていく。

 交差する道のり。ローファーが白線を踏む。韻律に合わせる足並みなどない。それぞれが迫る年末に足早に過ぎていった。

 その中心で。

 遥は、ふと足を止めた。

 ただ、過ぎていく。すべてが過ぎていく。己をすり抜けて、あまねく風景が流れていく。

 高架下を走る車のヘッドライトが伸びるように、流れ星の尾が瞳を焼くように。

 すべてが光に見えた。

 目をくらます光に。

 だから、ただ。

 光の粒のなかに映したものはまばゆく。


「……――」


 長いまばたきののちに、風景が還る。

 信号が点滅していた。遥は走って対岸へ渡る。振り返ることはしなかった。

 冬の魔法が距離を近くする。手を繋ぐふたり。どこにでもいる少女たち(わたしたち)が笑いあっていた。

 ただの白昼夢だ。




 ☆Magic Night End


 この世界は、今日と変わらない明日の想像によって創造された。

 主観がない交ぜとなった世界だ。それは多数決によるものでなく、もっとも文脈が成り立っている物語が採用された。

 確固たる現実。疑いようもなく信じられるもの。そういったものが互いの隙間を埋めていって、一枚のパズルを完成させた。それは枠組みのみが決められて、内側の紋様は秩序より法則が通っているかが優先される、前衛芸術的とも評される発展の過程だ、

 だれかの公平は、だれかの不公平。その不平等をもって世界は多様に広がっている。

 あたりまえだが、今日と同じ明日を望まない人間だっている。

 一秒後の未来に何もかもが滅びてしまえばいい。そんな地獄に苛まれている人間の想像だって、その世界を創造している。

 その影が、ひっそり、だれの息も届かない場所でわだかまる。

 生きているのか、死んでいるのか定かではない。どちらにしても変わらない。息をしていることが生存ならばそうであるし、息をするため開いた口の端から唾液のこぼれるままになっている様子を死と捉えるのならそうである。

 失望。

 その女の子が何を抱えてるのか。克明に描写することは不能だ。忘却を望み、想像することを拒む現実は彼女の海馬で完結している。

 ただ、事実としてあるのは。

 今日という日が生まれたその日であるということ。

 生まれたその日に、何かが死した。限界を迎え、崩落した。

 奇跡はない。女の子は思う。かつてあった暖かさを微睡みのなかに見る。夢心地。現実に寄る辺はない。

 失われた記憶は冷たさを帯びてなお心を暖め、熱を持つ現実は腹に大きな空虚(あな)を開ける。

 誕生を祝われること。聖夜の奇跡が訪れること。それは別個のイベントだった。十を数えた去年に、十二月二五日の魔法は愛情によってふたつを贈られていたと知った。そしてやぶれるお伽噺があった。

 何がいけなかったのだろう。

 そう考えると、すべてが悪いように思えた。

 憎い。

 幸せな人間など、ひとりだって必要ない。

 むごたらしくこの世界が終わればいい。

 そんな想像だけが、女の子の生存を創造していた。

 カーテンの隙間から覗く星の並びすら、だれかの笑顔のように思えて吐き気がした。閉じ切ってしまいたいが這う気力もない。両の手指を覆う包帯で掴むこともできないのだから。希望なんてない。動く理由が生まれない。


「……しんじゃいたいなぁ」


 ただそんな思いだけが、貼りついた喉から漏れ出た。


「どうして結夢(ゆめ)が……生きのこったんだろ……」

「――ひどい(はなし)


 声がした。どこにも存在しないようで、けれど確かに聞こえてくる不思議な声だった。

 どこからするのか。首を回す気力なんて到底なくて、都合よく望むのなら自分の命を苦しみなく終わらせてくれる存在であればいい。いい子にしていれば叶う日のはずなのだから。

 そんな奇跡も死に絶えてしまったのだろうか。


「どうするか、どうしたいか――奇跡はそうして、自らで描き変えるものだよ」


 声が言う。少女の声だった。それはひび割れた姿見から聞こえていた。

 背後にあるそれを見る気力はない。ただ、見えた。浮かんでいた。しゃぼん玉のようにぷかぷかと漂う存在が、破片を口にしていた。猫だ。赤い舌を覗かせる猫の口を経由して、星のように小さな景色を目にした。

 日本人形。髪の長い女の子が、亀裂の中で歪むことなく居座っていた。


「あなたはどうしたい?」

「?」


 どうしたい――その問いの意味がわからない。

 それがかけがえのない自由だと知る程度には、ここに自由はない。

 想像の自由がなかった。


「思い描けば叶うよ」


 無機質の音。目の前の猫が破片を捨て、赤い舌を揺らした。一時の救い(ゆめ)に似ていた。

 だからこれは、都合のいい、まったくもって何も終わりはしないけれど、自由に思い描けるお伽噺の世界なのだ。

 だから、言える。かたちないまま胸に育った、無垢な夢を。


「こんな現実、失くなっちゃえばいい」


 それだけだった。それだけで、現実は描き変わった。

 何もかもが終わって、これからがはじまってしまった。


「……なに、これ」


 茫然自失の少女へ鏡の中の少女が答える。


「叶わないような夢を叶える奇跡――魔法だよ」


 かつて寝室で、母の子守歌のなかに想像した『やさしい』世界。何も残酷なことなんて起きないし、すべてが救われる夢のような世界。

 だれも見向きもしない片隅で、それが花開いていた。

 醜悪に――罪深く。ゆえに、美しく。

 赤い血を吸う青バラのような耽美な光景が咲き誇っていた。


「おはよう……そしておめでとう、〈夢〉の魔法少女」


 猫が、なんら感情なく言祝ぐ。その出生を。誕生日。たしかにこの体は傷なく生まれ変わっていた。砕けた手指に棒きれ。夜のような色のステッキ。先端に球体が蠢いていた。七色に蠢動する(、、、、、、、)球体。何もかも、描き変わっていた。

 だから、震える。折れた膝に、自分が立ち上がっていたのを知った。


「怯えなくてだいじょうぶ。わたしたちが、支えるから」


 日本人形の少女の声はやわらかだった。


「生まれたことも、望んだことも、呪わないで。どんな残酷な現実も夢も、失望してしまうようなことじゃない――あなたはひとりじゃない。罪も罰も赦しだって自分だけで抱えていくしかなくても、隣を生きてくれるひとがいる。そんな希望論を、信じてあげて」


 横目に光が差した。猫がカーテンを開けていた。月と星が頬を濡らす。泣いていた。


「見上げてみて。あの星空に、あなたは何を描く?」


 この世界は、想像によって元通りになった世界。

 しかし、創ること。想像を原動力とした行いに、歯止めはない。

 空想はふけるもので、夢想に果てはない。

 魔法を目の当たりにした少女が、その記憶を失っていようと、どこか断片的に

 少女の魔法は夢と希望でできている。

 だから、そう。それ自体は特別なんかではない。

 魔法は過去のように忘れ去られしまう夢物語なだけで。過去が未来へと続いていくように、消え去ったりはしない。

 どこにでもある、ありふれた奇跡。あたりまえの日々を彩る、ちょっとしたご褒美――砂糖菓子でできた弾丸は現実を撃ちぬけなくても、今日あった『嫌なこと』を乗り越えることはできる。

 いつか、失望が全身を覆ってしまって、どうしようもなくなってしまっても。それはだれかに決められた運命なんかではない。

 そして、そうならないかもしれない。

 今日を織り重ねる日々の先で、生きててよかったと思えなくても、死ななくてよかったと思える時は来るかもしれない。

 麻酔のように、午睡のように、がらんどうを慰める一時の夢が魔法ならば。

 世界に少しだけ、お伽噺が混じっているのも一興だろう。

 銀幕は降りない。

 夢と希望は続いていく。

 その指が差す永遠にすら、届く。

終章やりきってたら遅れた。

次で完結です。

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