きみのままでいられる世界
リバイバル。リライズ。リプレイ。
繰り返される演目をどう呼ぶか。それぞれが何を込めるかによるだろう。
ただ声は求める。熱狂を。熱狂を。狂おしいほどの命の色を。
舞台裏。だれもいない暗がりにひとり。少女は佇む。
瑠璃色が照らし出したステージは、いわば影法師。観客はいまだ≪終極の光≫に夢を見ている。ただただ、開けられた境界から落ちてきたロックンロールを目覚ましに、眠気まなこで訴えているにすぎない。
何かが元に戻ったわけではない。今はまだ。いわば白昼夢だ。あと五分、と永遠を作ろうとする人々へ、少女は焼きつけなければいけない。
冷たく澄んだ、天音奏という存在を。
貼りつけた貌にふれようとして、やめる。気づかれないだろうが、万が一メイクがよれたら困る。そこから、なんら変哲のないそばかす顔があふれてしまえば、みな興ざめだ。
歓声が波打って拍動を乱す。成功への不信より、みんな前に姿を見せる緊張が勝っていた。不思議だ。だれがどう見ても、ここにいるのは空閑遥ではない。問われるのは天音奏としての完成度。それなのに、舞台照明を浴びることこそ恐ろしく感じられた。
あの場に立ってしまえば、あらゆる脚色が剥がされてしまう。平凡で凡庸で夢のない、輝くものの一片すら漏れ出ないような存在が露呈してしまう。そんなものが希望だなんて失望の対象だろう。
脚色の終極こそアイドルステージのはずだ。瞬間、世界でただひとつの光であると信じさせる。
「……」
できる、できないではない。
なる、と決めた。
ここに来て、だれの支えも求められない。
天音奏。孤高の孤独こそ、彼女の命だからだ。
舞台。舞うための台。大それたことに、遥が舞うために台を整えてもらった。
ならばステージ上は絞首台とも、銀幕ともとれる。
だれのための孤独か。たとえ歌うのが百人だろうと、アイドルはいつだってひとりだ。
一番星。そのきらめきを証明するため。過ぎ行く交差点に紛れてしまうような普遍な存在だろうと、応援されれば輝く。ただひとつのサイリウムが、少女を希望へと描き変える。色彩は混ざらない。だれのためでなく、自らの理想を叶えるために、色づいていくのだ。
ゆえにだれだって孤高で孤独。
わかりあえるなんて夢物語がもてはやされるのは、その孤立こそ本質だから。
遥は息を吸う。顔をあげれば瑠璃色の光がこの舞台を証明している。虚空は夜の色彩を取り戻していた。懐かしい。散乱する光の交点に輝くものが見えた。星に似ている。でも違う。鏡の破片だ。
屈折し、錯覚する光が、そのステージの光景をあらゆる瞳へ届けていた。
これ以上にないお膳立て。最期のステージですらここまでしてもらえる子はどれくらいいるのだろうか。
初ステージは言い訳にならない。成功はもはや約束されている。果たせるかどうか。なってどうするかは貌に描いた。
ただ、飛べ。飛び出せ――!
音が質量をもって襲いかかる。視界の外から殴られた気分だ。わずかに押し込められて、息が詰まる。歩けないほどの重さではない。なんとなく覚えがあった。ステッキだ。ステッキで殴られたとき、はんぺんの角にぶつけたような少しの抵抗。そんな下手な比喩よりよっぽど適した感触だった。
サイリウムが夜光虫のように世界を照らしていた。多種多様な色。その重なりが時間を曖昧に溶かした波打ち際のように見せた。
――どうしてか、思い出す。
それは奏の心象風景。契約の印である空っぽの手を抱きながら屋上から飛び降りたときの風景のこと。
境界のない青い世界。
遮るものはなく、区別するものもない。
まっさらな、青。
それが抜け殻であったがゆえの空虚なのか、真実あれこそ奏の見る世界なのか、判別はつかない。
だから、ただ信じた。あまねくを救おうとする心に、いっさいの澱はないのだと。
あれこそ、生まれてきてからずっと奏の見る世界なのだと。
同じ目でなく、同じ心でないのだから。
同じものは見れない。
同じようには感じられない。
でも、信じられはするのだ。
同じものを見れなくて、同じように感じられなくて――それでも、と。
「ねえ奏……わたしたち、同じ世界を生きてるよ」
それだけが確かなら、きっとそれでいいのだ。
黒い髪が波打った。
怜悧な眼差しが地上を見下ろす。黒い瞳に光の粒が反射した。宇宙に輝く星のように。空はもはや、月すら失われた暗闇だ。
頭上に右手を掲げる。その手にはステッキ――ではなく、マイクを握っていた。
歓声が鳴る。大きな音だ。けれど決してひとつには聞こえない。
不協和音。不調和。不縁。
個性とは名ばかり。孤立の言いかえに過ぎない。孤独を慰める寝処のお伽噺。
ひとは、目の前も見えない暗闇を恐れた。目を閉じて訪れるひとりぼっちを嫌悪した。他人の手で作られた空想だけが、夢すら見失った真夜中の迷子の手を引いた。
アイドルとは、偶像で、空想だ。
ゆえにこそ、描ける運命がある。
すべての縁が失われて、あらゆる自分を見失ったとしても。
空に光がない。そんな、〈世界〉だとしても。
ただひとりの希望が――たったひとりの夢が、世界を描き変える。
「さあ、叶えるよ、私の唯一のお星さま」
マイクに声は乗らない。だれの耳にも届かない。
それでも確かな宣言だった。
「夢は叶うんだ」
空に光はなく、地上に輝きが燈る。
それぞれの手には、ステッキにも似たライトが握られていた。天上へ救いを求めるように差し出されている。
されど、その先端に結ばれるのは、決して貌を見せることのない神なんかではない。
天と地の狭間に佇むただひとり。
黒い衣装の少女。
祈りが向けられる。
応えるように、頭上の手を下ろした。
「さあ――見せてあげる」
マイクを通した声が歌うように響く。
「偽物が本物を証明する、そんな希望論を!」
湧き上がる声は、鏡を割ったようだった。地上のだれもが求め喘ぐ。夢なき世界で夢を。二度と目覚めることのない、幸福な眠りを。
ゆえに少女は描く。
夢の失われた世界で、ひとりぼっちの夢が見せる。
夢と希望。
それが少女の魔法。
魔法少女の描く奇跡。
あるいは、だれもが描く物語の軌跡。
あまねく光に照らされる。
そこが彼女のステージだった。
ゆえにこの〈世界〉の名は、≪夢現の星座≫。
「奏でるよ、星合に歌う叶え星――!」
奏から遥へと送られたメッセージ。
共に生きていける、という希望論。
奏もわかっていた。でなければ、こんな感情をわざわざ言葉に起こしたりしない。
生きていけない。天音奏と空閑遥は、同じ道を進んでいくことができない。
初めから、交わらない色彩をそれぞれの命が発していた。
交差は一瞬。顔も知らないだれかのように、疎通は絶たれる。
価値基準の違い。
友達にはなれない。
「放課後 名前のない道で 未来を呼びあった
懐かしむ日々 過去ばかり知って 今は忘れて
時計を隠したんだ
白紙を埋めた自己紹介 Call me name 私はだれ?
仮面の色も知らず舞い散る日々 未来
たどり着いた27は 空っぽ 可能性はない
期待と裏腹に 生きていく 焦げた命 灰もなく
落第押される私に 涙も出ない
絵筆はとっくに折った
再提出の許されない一生 夜空に飛ばしたい
願って 叶えて 空を手にして
光る星が 私の心
結ぶ先はなかったけど
この指は 未来を呼んだんだ
きっとまた 君に出逢う」
なぞるようにして歌っていく。
それは、人々の瞳に天音奏を証明するためであり。
この理想を描いた少女の感情を追想するために。
「時間は進み 過去をたどる
小指に赤い糸はなく
薬指を守るものもない
かすかにふれた中指と
星に夢見た人差し指だけを導に
親指 ひかり 停留所をめぐる」
ここから先は、夢物語。
そうであったらいい、そんな理想論。
天音奏の望み。
「出逢い 別れ 道が続く
あの日信じた未来 片道切符はひらひら落ちて
託さなかった私 運命に愛想つかれたって
はるかな星は消えず あまねく空を照らした 道しるべ
分かれ道は交わって
叶えた今に 君と笑いあう」
喉の奥が熱かった。
全身全霊。魔法の限界のようにふり絞って歌いきった。
歓声が遠い。このステージは完成しているのかわからない。
ただ、向き合わなければいけなかった。この歌と。だから選んだ。
これこそが、天音奏と空閑遥を結び分かつ星合。運命の交差路。
いまなお残る縁。
だから、証明になる。
天音奏の命の。
「わたしは――」少女は、マイクも通さず絶え絶えにただ叫んだ。「夢を叶える!!」
それはだれの夢か。
決まっている。
境界のない世界。
あまねく救いをあたえるひとりの少女。
「言ったんだ、わたしはみんなの夢を守るって」
ひとの夢を叶えたいなんて。
とんだおせっかい。
叶えたところでひとりぼっちになるだけ。
だれにも褒めそやされないし、だれにも認めてもらえない。
それでいいと、裏表なく純粋に思っている。
でも。
それでも。
ひとりくらい、いてもいいのだ。
その夢を応援したいと。
夢の叶ったそのあとに、あなたを送り出したいと。
夢を命と呼ぶのなら、運命を果たしたあとも生きててほしいと。
普通で普遍であたりまえで。平凡すぎて飽き飽きしてしまうような、退屈な日常を生きててほしいと。
見せてもらった夢のぶんだけ、ちっぽけだけど、お返しがしたい。
「奏の夢だって、星は守るよ」
そして、ひとりじゃない。
掲げられたサイリウム。地上にまたたく星。
その輝きが、あなたを肯定している。
だから、ただ八八の嘘が花開く。
八八の星座は星の配列。それは無限に照応する。現在既定される星座の形象と新たに見いだされる星の並びの置換。星と人がある限り、そこに物語は結ばれる。
過去の妄執。魔女として羽化を選んだ奏。未来に行けない命を、どう救えばいいのか。ずっと考えていた。
生きる理由が必要ならば、見いださなければいけない。
その答え。
≪夢現の星座≫。だれもが胸に抱き瞳を彩る希望、そのひとつひとつを縁で結ぶ配列によって、新たな物語を作り出す。
創造された新たな星座は、新しい物語。新しい希望を見いだすということ。そこには、新しい命が脈動する。
そんな≪世界≫が、空閑遥の夢見る世界。
息が苦しい。一曲歌うだけで、こんなにも呼吸から拒絶される。だから、終わってしまいたいと望んだ奏の気持ちに、少しだけ近づいた気がした。
ひとを救おうだなんて個人には分不相応で、どれほどまでに優れていようと限界はある。
それでも、望んだ。無垢な心が夢見た。
まぶしい夢だ。
やさしい夢だ。
だから、息をしてほしい。
息をできるようになってほしい。
きみが、きみのままでいられる世界であるように。
「希望で照らしてみせる――だから、もう一度話そう、奏!」




