瑠璃色の舞台照明
「どうしてわたしがライブを?」
遥の疑問は当然だった。はてなを浮かべる顔を、瑠依は指さす。
「かなでの実在証明が必要」
「え……でも……」
当惑が口から漏れ出る。様々な疑念が結び目を見つけられないまま遥の内側でわだかまった。
「細かな理屈は考えなくていい」
瑠依が迷いを一掃する。指を三本立てた。
「大事なのはみっつ。
はるかが〈失望〉になること。
かなでの貌をしたはるかが歌うこと。
それを多くのひとが見ること」
「どうやっては、叶ってるのか?」
莉彩が遥の感情を代弁する。黒髪が縦に揺れた。
「どうするもどうやるも揃えてる……こうなるって想像がついていた。準備してきた」
魔女。
その存在であるからこそ、いや、そうでなくても。
奏と遥をずっと見つめてきた少女にとって、この運命は必然と言えた。
「観客は揃える。舞台は照らす――だから、かなでともう一度話せる〈世界〉をはるかが作って」
「じゃあ、おまえがどうしたいかだな、遥」
莉彩の問い。
遥は知らず、つばを飲み込んだ。
どうしたいか、どうなりたいか。
初めて赤い少女に聞かれてから、この瞬間まで。
魔法少女の命題はそれだけだった。
――奏の生きててほしい。
ただそれだけの願い。だけど知っている。奏は死を望んだ。夢の完結を望んだ。それは否定できない。
一度目の死も、二度目の死も、遥は否定できない。大切だからこそ、否定したくない。
「わたしは……」
でも、だからこそ。
「わたしは、奏に届く星になりたい」
ただ輝くこと。それはひとが呼吸をするように、活動として行われること。星はだれのために輝くわけではないし、ひとはだれかのために息をするわけではない。
それでも、ひとつの星が自我をもつ。
指差すだれもの希望は、ただひとりのための光。
でも、それでいいはずなのだ。
選ばないということは、選ばれないということ。
選ばずただ輝く星は、だれも選ばない。
その事実が、ひとを失望に陥れる。
遠い日に眩しい光があって、その日々に夢を見れなかったからと言って、生まれた感情が翳るはずがない。
だれかのために輝く星だからこそ、その光はだれもの希望たりえる。
「やるよ、ライブ。奏が生き返っちゃうような、奏みたいなアイドルを演じてみせる」
したい、ではなく、なる。
死を望んだ奏を蘇らせようと望むのではなく。
奏が生きてしまおうと思うような希望になる。
そのために、天音奏に成りきると遥は決めた。
自らの顔に手を当てる。この貌を貼りつけたのはただひとつ。
奏の存在を失わせないため。
だから、この答えはずっと遥の中で開花を待つ想いだった。
「歌えるのか?」
莉彩の問いかけは自然なものだ。遥の今までの来歴にアイドルだった瞬間はない。文化祭ですら裏方に回るくらいに人前に出た経験もない。
ステージライトの熱を知らない。熱狂の坩堝において自分の声を見失わない方法も知らない。どうやったらみんなに見つけてもらえるかも知らない。
でも、知っていることがひとつ。
「歌うよ――わたしは、希望を謳う〈星〉の魔法少女だから」
だれも知らない夜の希望は、胸を張って瞳を輝かせる。
がらんどう。黒い眼に、わずかな光が燈ったように莉彩には見えた。
だからもう、疑念はない。
「どうすればいい?」
「莉彩は、はるかを華やかにして。顔、薄い」
凍らせた青バラのような美貌をもつ奏の顔に対し、瑠依は端的に言い放った。
「たしかに、照明当てたら飛ぶな」
ステッキを回すと鏡が躍る。ふたつの鏡が互いを映し出し、錯覚を生む。
三面鏡を描き出した。
「思い描け、どうなりたいか」
「わたしたちが、導くよ」
同じ声が、ふたつ。音が同じで色が違う。
視界の端に日本人形が鎮座していた。鏡の向こう。それがだれか遥は知っているから、迷わない。
「だれかになんてならない」
宣言の通りに顔がきらめいていく。
「わたしがなりたい姿」
思うがままに顔に色が乗っていく。
「わたしだからなれる姿」
くすり、と微笑む音が聞こえた。アイラインを眼球にふれそうなほど近くに引く遥には、どちらのものか判別できない。
どちらでも喜ばしい。化粧台の魔法は続いていた。
告げる。
「だれかのためのわたしじゃなくて、わたしのためのわたしに」
メイクアップ。
それは、作り話。
物語。
作られた偶像は、偽物でしかないのか。
魔法とは、自暴自棄の果てに縋る麻酔でしかないのか。
少女の魔法は夢と希望でできている。
ある説話のように――砂糖菓子の弾丸のように脆く甘い、現実を何ひとつ撃ちぬけないお伽噺。
でも、だから。
現実を前にやぶれてしまうあらゆる夢に対して、寄り添うことができる。
がらんどうの心を、ひとときでも慰めるお伽噺。今日の死を明日へと引き延ばす。やがて重ねた明日は、一生に至る。
そんな希望論が世界にあってもいいはずだから。
鏡のなかで少女は笑った。
遥は、その顔を見たいと思った。
☆ ☆ ☆ ☆
遥のメイクが終わり、瑠依はステッキを回した。連動して不形の幻想が踊る。
「どうやるんだ?」
手の空いた莉彩が言外に手伝いを申し入れてくる。それを固辞した。彼女にはこの後に頼みたいことがある。
「夢から目を覚ましてもらうには、大きな音があればいい」
「それって……」
莉彩の瞳孔がわずかに開く。胸にさざめきが宿っているのが見てとれた。どこかで縁があったのだろう。音楽は世界に広がる。
「夢を叶えても燃え尽きなかったロックンロールで、舞台を起こす」
夢が叶う〈世界〉で彼女が満たされていないと、見てわかった。
だから、この方法しかないと信じられた。
「大きな舞台を用意するって約束した。世界じゅうの鼓膜を震わせるステージは、ここ」
「けど、どうやってだよ。あいつの〈世界〉は閉じてるだろ」
「断絶して届かないのなら、開くだけ――瑠依は、魔女。境界を司る存在」
個々に世界が存在するのなら、それを隔てるものは境界でしかない。
境界、すなわち魔女。
「鳴らして、夕架璃」
そしてロックンロールが、魔法少女の鼓膜を揺らした。
命を呼び覚ます音が響き渡る。
「回遊する言葉に混じれない 僕の名は孤独」
夢を叶えてなお埋まらなかった少女の心の叫びが、叶えても命は終わらないと伝える。
だれかが言う。だれもが言う。夢を叶えた先にも退屈でつらいばかりの人生が続くなんて、夢も希望もないと。
「くだらないな」
夢ばかり見てれば命を失う。理想は守るものであり、理想は命を守らない。叶わなければ死んでしまうしかないのは、そして叶えても死んでしまうしかないのは、現実と絶縁するほどに命が夢に架かってしまったから。
現実という軋轢から守り抜いた理想だけが開花する。それは現実からの解放を意味しない。
夢を追う日々の怒りを思い出せ。理不尽で不理解で傍若無人な嵐に感情も命もすり減らした。
それでも抱いた夢にだけは傷ひとつ負わせなかったはずだ。
夢を叶えて思う。振り返る日々に、もう二度と帰りたくはないと。
この成功だって手放す気はないし、あの艱難の日々に耐えられるはずもない。
続くことは絶望であり、日々には失望を覚える。
だったら死んでしまってもいい。理想を抱いて窒息してしまいたい。それが救いだ。
「だから歌うだけ 私が呼ぶ希望を」
それでもよくたって、おまえに生きてほしいと思うひとがいる。
悲しませないためとか、そう言った綺麗事じゃなくて。
生きてほしいと思わせた責任を。
身勝手で思いもよらないような期待だったとしても。
果たせ――命を。
最後の、最期まで。
生き方は教えてやる。
下り坂ばかりの現実だったとしても。
だれもが言う? なら、だれも変わらない。
どいつもこいつも転がってどうにか進んで生きていくのだ。
だから、ロックンロールは生きていくための音楽だ。
「さあ、命を楽しもう!」
歌声の降り注ぐ空から、ひとりの少女が転がり落ちる。まるで流れ星のように。
主役。ギターを携えて、ロックンローラーが笑った。
「証明しにきたぞ、世界」
夕から夜へ。
終わりからはじまりへ架ける少女の音楽が鳴り響く。
「ロックスターが夢物語じゃないって――この空に、星を刻んでやる!」
「じゃあ、忘れてくれるなよ」
「〈ホエールフォール〉は三人だからなぁ」
そして、星がふたつ降る。
ベースとドラム。ギターボーカルに寄り添い、スリーピースが完結する。
走る。いつだってそう。こういったときに空を切り裂くのは、ギターだ。
空回りしそうな先導者をどうにかベースが支え、ドラムが道を整える。
いつだって変わらない。夢を叶える前から、彼女たちはそうしてロックを奏でてきた。
どこまで行けるかわからなくても。
「〈金魚鉢〉」
転がっていく。
「開かない扉に 安心しきって
今日もひとり息をする
狭い世界に飽いた あの日の息詰まり
後悔ばかり 飲み込んだ
泡の夢が 天井を泳ぐ
伴わない理想ばかり膨らむ 或る日
泳ぐのにすら飽いた このごろ
もういいか……の数と同じだけ 諦めなかった日を空想する
転んでばかりの馬鹿な日に 祝杯を やがて来る葬送を
水底に 光差さなくて
祈らない 神はいない なくした夢はどこにもない
息はどうしてか続く
飲み干せない後悔 焦がれた日々に帰らない
傷だらけの翼はもう飛べない
流される日々に 抗うことをせず
死を待つ日々 あぁ 息の中に夢を見る
出逢った運命 呪って
諦めきれない性 呪って
転がって落ちていく 水底に希望はなくて
ただ生きる それだけでいい
閉じた楽園 空を夢見た 泡が溶ける」
夢やぶれた存在への歌。
ありふれた現実。どうしようもなく、何もかもを失くして、でも、息は続いているはずだ。
命が続くのなら、生きればいい。だれにも咎める権利はない。己自身にすら。
だから、そう。
目を覚ます。
だれもかれも。
叶わない夢――叶える夢。
命が、自分自身によって脈打っていると思い出したから。
夢を叶えてもらうものでなく、自らが見るものであると。
心が奏でる価値基準でしか埋められない空虚があると、それぞれが心臓に認識した。
あふれかえる世界。ステージが求められる。
なぜ起こされたのか。夢見心地をやぶるに足る、生存への熱狂が希求されていた。
「瑠依」
「ありがとう、夕架璃」
そのさなかで、ふたりの少女が言葉を交わした。
空をロックスターの歌が彩っている。夜色の魔法少女は、ステッキを掲げた。
夢がないひとに夢物語を。
生きることに失望したひとへロックンロールを。
瑠璃色が舞台を証明する。
瑠璃色の空が舞台に照明を当てる。
「夢を叶えよう」
瑠依の魔法が結実へ至る。
最期の〈世界〉がはじまろうとしていた。




