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七つの星海に息を止めて

「死は覆らないよ」


 空虚な声がした。照明に照らされる劇場の、画面が伸ばす影から。

 しゃぼんだまのようにふわふわと。

 透明。

 猫。

 色彩は、ひとつ。

 赤い、舌だった。

 少女の鮮血を舐めとったような鮮烈な赤色を、ちらちらと覗かせて猫は語る。


「魔法は奇跡さ。現実を描き変えて、夢を表現する。思い描く光景が鮮明であるほどに、その絵筆は世界に作用する。どうしたいか、どうなりたいか。それが、少女の魔法さ」


 理屈ではない。そういうものとして、ひとりの魔女がこの世界にそんな意味を贈った。不可解、不可思議。現象では説明できないほどの願いを抱いたからこその、魔法少女だ。


「でも、だからこそさ」


 そう、わかっている。告発されずとも、克明に。

 その事実を、再確認したばかりだ。その位置が、遥の場所だった。

 ゆえに、逃げられない。


「現実をなかったことにはできない――きみらの奇跡は、描き変える(、、、)ことだからね」


 画布(げんじつ)の上に絵筆(まほう)を走らせる。そうしてひとつの(ゆめ)が結ばれる。

 現実と夢は対比ではなく、同義だ。生と死が互いに存在証明をしているように、片方が欠ければ意味は転移する。

 死は覆らない。

 そんな事実からどうして、目を背けられていたのか。

 魔女であるのなら。

 境界である魔女ならば。

 救済の魔女は、そんな法則をやぶっているのだと、信じていた。

 信じたかった。

 生と死は鏡写し。共に実存し、片方の実在が片方の不在を意味しない――ならば、境界はない。

 あの夏の日に……花火の音がする……背中を焼いた地面の熱さを憶えている……飛び降りて――あの瞬間、たしかに天音奏は絶命したのだ。

 命が数日残っていたとしても。

 あの瞬間に、たしかに、自ら命を絶った。

 どうしたいか、どうなりたいか。

 魔法少女である奏の行為は、すなわち、自らの夢の在りようだ。

 決定的に、あの夏に、終わっていた。

 わかっていた。見送ったはずだ。

 けれど、不確かでも、目に見えたからすがってしまった。

 目の前に、奏がいたから。

 取り戻せると。

 諦めなければ、あの日々を取り戻せると。

 希望を、信じていた。

 救いなんてないのに。

 平行線などまやかしだった。彼女はただ、至ってしまったのだ。

 叶わぬ夢の終極に。命を絶てば望みに届くなんて、そんな絶望論に。

 奏はただ、笑っていた。咲き誇るようにして、笑みを浮かべるだけだった。

 そうあることが美しいとでも、表現するように。

 孤高に咲く花は、だれに美しいと言われずとも、その美しさを誇示するように。

 命がなければ。

 生きていなければ、夢を叶える喜びは、その瞬間だけのものだ。

 これまでの苦難によって刻まれた傷を癒す時間すらない。

 天音奏は、ずっとそうだった。

 生きていたころから、夢を叶えた後のことが眼中にない。

 すべてを救って、救ったひとりはだれに救われるのか。

 手を差し伸べるだけで、手を伸ばすことをしない。

 窮極を超えて、なお止まれなかった夢。彼女は自らの命を終極に運んだ。


「どうして……」


 手首を握ったままの指先が震える。ひとりぶんの鼓動だけが、遥を苛んだ。


「どうして……奏は……そうやって、ひとりぼっちになろうとするの!?」

「ひとりになることが目的じゃないよ。夢を叶えたら、ひとりになる。ただ、それだけのことだよ」


 奏のささやく声は、がらんとした劇場に響き渡った。

 ほかの客はだれもいない。それなのに、清掃作業は行われない。

 都合よく、不可解に。

 この〈世界〉は、奏が選んだものだ。

 すべては、彼女の思い描くままに変えられる。

 空虚。

 その法則(ルール)は、やぶれない。


「アト」奏は、影ににじむ透明な猫の名を呼んだ。「あらゆる夢が叶った世界だ。きみの役割は終わった――境界の向こうには何も残っていないけど、還すことはできるよ」

「いいや、まだこの世界には少女の魔法が残っている。その最後を見守るまで、ぼくはここにいるよ」

「なぜ?」

「遥が、ぼくを魔法だって呼んでくれたから」アトは、遠い銀幕を背にして赤い舌を動かす。「きみらが輝かせる夢と希望こそをぼくであると呼んでくれたから、その終わりを見守る理由がぼくにはある」

「定義、か」


 深く、噛みしめるようにその単語を奏はささやいた。そして、


「なら、そこで鑑賞しているといいよ。きみが見いだした夢の種が、どう咲き誇ったのかを」

「艶やかな夜の花。その終わりに、また逢おう」


 そうして、夢幻であったようにアトは姿を消した。

 ふたり。

 静寂。

 心音は、ひとつ。


「ねえ、遥」

「……なに、奏」

「金魚、見せてよ」


 星合に分かたれて、花火に散った。その間。

 すくった金魚を一尾、奏からもらっていた。


「まだ元気でしょ?」

「おかげさまでね」


 今朝も水面に置いた餌をぱくぱくと食らっていた。ひれの動きもよどみなく。しばらくは、あの狭い鉢から旅立つことはなさそうだった。


「家、来るの?」

「だめ?」

「いいけど」


 半年ほどの付き合いで、放課後を一緒にする時間は多かったが、互いの生活空間に踏み込むことはなかった。


「それに、連れてってくれるでしょ?」


 いたずらげに、奏の怜悧なまなじりがゆがんだ。口の端を愉快とばかりに上げながら、腕を持ち上げる。

 いまだ、手首をつかんだままの遥の手ごと。

 血液が頭にのぼる。首筋の血管に息が詰まりそうになりながら、遥はそこでようやく指の力を緩めた。

 恥ずかしさで瞳が潤む。にじんでいく虹彩をおもしろがるように、奏の表情が歪むのが見えた。

 笑っていた。

 ただの、少女のように。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 空の色は変わらない。遥は携帯端末を見て、時間をたしかめる。夜はまだ浅く、父母の帰宅には早い時間だった。

 家主を出迎えた家は、その客人を歓待するように、階段を踏むたび鳴る軋む音を響かせた。

 二階、遥の部屋。

 扉を開けて、招き入れる。玄関を通したときには感じなかったこそばゆさが、毛穴のひとつひとつを走り抜けた。

 彼女は、何かを感じているのだろうか。

 期待や願望――とは違う。ポケットを膨らませるような感情ではなく、胸にあるのは痣を押すのに似た痛みだった。

 祈り、と呼ぶべきだろうか。

 そうでなければいけな(、、、、、、、、、、)()。でなければ、現実に押しつぶされてしまう。

 それとも、天音奏にとっては。

 魔女になってしまった少女からすれば。

 境界とは、不感症に等しい扱いなのだろうか。

 世界と私。それが一枚の板で隔てられている。

 ドアひとつが、そんなにも大げさな役割を果たすわけがない。

 でも。けれども。

 私室に招き入れるとは、不可侵の領域を拓かれた気分になる。

 入るのではなく、許す。

 招き入れるとはそういうことだ――表層ではなく、内側に混ざりこむ。

 それだけの想いが、遥にはあった。それほどを許すだけの感情が、奏に向いていた。

 一方通行である、その事実が何よりも恐ろしい。

 だから、祈ってしまう。ひとつも言葉にせず、ただ祈る。

 答えは、とっくの昔に出ている。星の契りは果たされず、関係は曇り空。

 晴れ間は夏の象徴で、だからもはや呪いだ。

 冬の夜空は、未来など見通せないくらいに真っ暗だった。

 そんな、水中。

 ひれがなびく。

 真白に紅引く小さな体躯で、閉じた世界を悠々たゆたう。

 暗い虚無とは正反対の色彩をした、一匹。

 金魚。

 世界の広さも、孤独も、未来なんてものも知らず生きている。ただ、生きる――生物としての基本定義がそこに息づいていた。


「そも、夏祭りですくった金魚なんて短命なのが常でしょ」


 奏が金魚鉢に近づいていく。


「個体差だったのか、環境に起因するのか……」


 水面の揺れにひとの足音を見たのか。金魚はぱくぱくと口を出して餌を乞う。

 奏が、ふっと息を吐くのが聞こえた。


「ごはん、あげてもいい?」

「……引き出しに入ってるよ」


 遥の示した机から、筒を取り出す。その中身をひとつまみして、奏が金魚に餌を与える。

 いつもと違う人物にあげられようと――自分をすくいあげた人物から与えられようと、餌への食いつきはいつも通りのまま。旺盛だった。


「素直だね」

「餌もらえればだれでもいいんだよ。世話のし甲斐がない」

「遥が世話をしてきたから、でしょ」

「そんな頭よくないよ」

「わかってるよ、この子は……この子たちは。世界の広さに、絶望してしまうほどにね」

「……それこそ、個体差でしょ。みんながみんな、そうじゃない」


 奏が何を想起しているのか。彼女は二匹の金魚をすくった。その片割れは、短命だった。その現実は、ひとりの少女の心を失意に落とした。

 それは、だれが悪かったのではない。何が悪かったのでもない。

 ただ、そういった別れだった。


「みんながどう思ってるかなんてわからない」


 金魚鉢に目を落としたまま、奏は言った。


「ならさ、環境を整えるのが均すにはちょうどいいよね」

「この〈世界〉の話?」

「そう。希望か絶望か。そんなの、箱を空けなきゃわからない。ふたも開けずにそこにあるって信じるのは、ただ息を続けるだけの延命だよ」

「だれもかれも、奏みたいに答え合わせを求めてるわけじゃないよ」

「自分だけの答えを知らないままに、自分以外が用意した水槽の中で窒息する。その繰り返しこそ、失望を生んできた。望みを失うこと……答えを見失えば、息の仕方もわからなくなる」


 奏が振り返る。違和があった。そう、あるべき動きがない。肩の上下。

 息を止めていた。

 呼吸のやり方を知っているからこそ、止める。生存を手放す行為だ。それでも彼女は顔を赤らめることもなく、淡々と存在した。

 生きて、いないから。


「そのすべては絶たれるべきだよ。あまねく夢が叶って、希望が必要のない世界。水槽の夢は終わった――だからもう、手遅れだよ、遥」


 断絶に光を落とすように少女は言った。


「あの夏に、ぜんぶ終わってるんだ」


 どう、とか――なぜ、とか。

 そんなものはもはや通り過ぎた現象だ。意味がない。

 答えはただひとつ。

 あまねくは過去の出来事である。

 そこにいれなかった――そこにいても何もできなかった。

 手遅れになった現在だけが、たしかに存在していた。


「かな、では……」


 指の隙間からこぼれ出る砂のように儚い声で遥はつぶやいた。


「どうやったら、奏は救われるの……?」

「夢が叶う。その場所にいることだよ」

「奏の夢を応援させてほしい……けど、その夢が叶う瞬間にわたしはいられないの?」

「そうだね、だから言ったでしょ」


 繰り返し摩耗した言葉を紡ぐようにして、飽き飽きとした口調で奏は告げる。


「私たちは変われない……最初の最初から、相容れない生き方だったんだよ」


 それだけだった。

 それだけの確認に、どれほどの時間を要したのか。


「あらためて宣言しよう」


 時を進めるようにして奏は言う。

 その時間とは、はるか前――花火の散るなかに焼きついてしまったもの。


「この〈世界(ステージ)〉の名は、≪終極の光(セプテムルミナ)≫。救済の魔女が……〈空〉の魔法少女が贈る絶望」


 名をかたちにする。

 あるいは、ただ形式だけ存在していた法則の名を。


「神が七日で世界を創ったのなら、私は七日で世界を救ってみせる」


 ただ、静かに、己が命の音のように少女は口にした。


「そうして夢は叶い――」


 冷たい現実が、奏でられる。


「私の心臓は、熱を失う」




 ☆ ☆ ☆ ☆




「魔女ってやつがなんなのか、考えたことがあった」


 粗雑に聞こえる口調でありながら、根底に閑雅な感情を思わせる声だった。壁面に表現(ボム)されるグラフィティのように。無秩序な色彩こそ何より、実在を明瞭に描く。


「〈失望(ボイド)〉が魔法少女の末路だって言うんなら、希望を贈った魔女は絶望的な存在だ。失うために贈る――天敵、つってもいいだろ? だから、瑠依が魔女になって、わかったんだ」


 赤く引かれた口紅が世界を染めていく。


「過去に生きている。魔女は、過去から今を見てるんだ。新しい意味を贈るってことは、古くから先を見るってことだからな……親が子どもに名前をつけるようなもんだ。妄執、ってやつだよ」


 鏡を見るように――あるいは、鏡の中に別の存在を見たように、赤い瞳が揺れる。世界を舐めとる猛火に似ていた。


「な? 夢って未来に希望を持って今を生きる魔法少女の天敵だろ」


 奏の寿命について、ふたりの魔法少女に遥は共有した。

 そうして――揺らがず長い髪も、瞳も、口紅も、その命すら赤い少女は、魔女について語った。

 その含意を、どこか理解しつつ遥は聞いた。


「莉彩は……何が、言いたいの?」

「そうなっちまったなら、敵だろ」短く、余白などない言葉だった。「魔法少女は魔法少女を傷つけられない。その内側にいるか、そうじゃないか。それがすべてだろ」

「そう、だけど」


 遥は、ちらりともうひとりを窺った。

 緘黙する少女。開かれた海溝のような藍の瞳は、感情を覗かせない。

 そして……ふと、澄んだ紅石ルビーのような唇が動く。

 瑠依が、沈黙をやぶった。


「どうするか、でしかない」


 その声に失意はなかった。


「瑠依は……知ってたの?」

「わかってた。瑠依も、魔女だから」


 それは変えようのない彼女の出自であり、一度は選び取った道だ。


「かなでが手遅れだって……そうだとしても、かなでは夢を選ぶって、わかってた」

「……瑠依は、どうするの?」


 かつて、同じ夢を見て、違う道を歩んだ。その先で同じものを見送った。

 息ひとつない(そら)に咲いた花。忘れられない。交差した道で繋いだ手の温度も、脈拍も――すべてが忘れがたかった。


「瑠依は」


 だから、


「かなでの夢を叶える」

「……そっか」


 澄みきった鐘の音のような言葉に、目を背けるしかできない。

 その道を、疑うことなく進めること。その純粋さが眩しい。水に透かして太陽を見るようだった。

 重なった道は、再び平行する。

 同じ鼓動などないと知っていたはずだ。それぞれにリズムがある。その拍動こそ命。違うことを肯定した。

 生まれたとき(はじめ)から、同じ道なんてひとつもない。

 ゆえに、思う。

 どうして自分は、そこにいないのだろう、と。

 条件は同じ――あるいは、もっと恵まれている。

 選ばなくたって、手は差し伸べられていた。

 ただ、与えられるままに掴むだけでよかった。

 拒んだのは、自分だ。

 どうしたいか――それに、反したから。

 どうなりたいか――奏が夢を叶える姿を見たい、理想の自分を裏切ってでも。


「なあ、瑠依」


 赤い声が暗がりに落ちる意識に響いた。耳を傾ける。


「信じるぞ」

「何を?」

「おまえが魔法少女だって」

「もう言葉にした」


 風が吹く。銀色の髪がなびき、妖しく光った。外だ。月がある。≪終極の光≫でなくとも、皓々たる時刻。

 夜だった。


「瑠依は魔女」


 端的に少女は言い切った。


「そして、魔法少女……その法則がやぶれることはない。それが瑠依の罪だから」

 生まれは変えられずとも、意味は変えていける。


 あまねく夢を奪い、希望を失わせることを救済とした魔女の夜は終わりを迎えた。

 なかったことになった。

 それでも、ひとりの少女は、その贖いのため伽を慰める。

 裁かれることのない罪。贖罪はだれにも認識されない。鏡にも映らない。ただ、果てのない荒野を歩き続ける行為だ。

 いつ足を止めたっていい。それすら、だれに認識されるものでもないのだから。


「はるか」


 名を呼ばれた。


「見ていて」


 いつかの秋のように――そして、夏の終わりにした約束を叶え続けるために。


「うん……見てるよ」


 許されることのない罪を犯した。裁かれなくとも、罪を消し去ってしまえばそこに至るまでの苦節すらなかったこととなる。

 何を楽しんだのか。何を哀しんだのか。何を怒ったのか。何を喜んだのか。

 他者の感情を掃くのと同じく、自らの過程を蔑ろにするのは罪業だ。

 だから、遥は瑠依を許さない――贖いの道を行く少女を、ずっと見つめ続ける。

 それこそが、手遅れにしてしまった自らを裁く唯一の方法だと、受け止めているから。


「スタンスは決まったな」


 莉彩が静かに言う。


「遥は、否定する。瑠依は、叶える」

「莉彩は?」


 遥の問いかけに、赤い少女は夜を見上げた。開けた空。ある屋上だ。月が近い。その横顔が、月光に濡れる。


「あたしは、あいつを終わらせる」

「それって……」

「行きつく先は、おまえらと変わんねえよ。ただ、おまえらと違ってあたしは……〈救済〉のが端から気に食わねえ。だから、あいつの(いのち)を、終わらせる」


 淡々と……まるで、机の奥底から出てきた宿題に手を付けるように。

 意味があるわけではない。何かに間に合うわけでもない。

 そこにあるから終わらせる。そんな温度の声だった。


「あいつが生きてないとか、七日の命とか……たしかに、ひでえ話だよ。けどさ、結局よ、魔法少女(あたし)たちにとって大切なのは、夢と希望が守れるかどうかだ」


 冷たく、顔を濡らす月の雫のように冷たく、莉彩は告げた。


「あれがそれを絶つ存在だっていうなら、受け入れる理由はねえ」


 否定も、叶えることも。奏という存在を受容している――諦めていない証左だ。

 莉彩は、手を、放してしまったのか。


「どう転んだって、あいつの存在はもう、五日後には失われる」


 赤い瞳が、爛々と空の光を睨んでいた。


「なんてつまらねえバッドエンドだよ」

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