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幸福な月《きみ》は夜に咲う

 ――奇跡の少女。シンガーアイドル『天音』の復活ライブ。

 そんな広告が、世界を染めあげる。

 日付は、七日後の夜。幼い夢が叶えるもっとも身近な幻想を目前とした、なんてことのない冬。

 カレンダーには、何も記されていない。ゆえにこそ、だれもが赤丸で囲う日となった。

 ただひとりとっては記念日であっても、九十九人にとっては日常。

 それを描き変える。

 天音奏であるからか。アイドルとは――ステージに立つとは、そんな希望論なのだろうか。

 結局のところ、決着の舞台は示された。

 七日でひとを救うと、〈空〉の魔法少女は宣言した。

 そこで彼女が何を行おうとしているのか。


「……」


 遥には、見当もつかない。

 ただ、放課後。

 すべてを飲み込み無意味に失わせるような暗い空に、紙面をかざしてみる。

 長方形。携帯端末よりは小さい。

 招待状。細かな伝達事項が羅列している。以前も、関係者用チケットの引き換えのために使用したので、目に馴染んでいる。

 目新しいのは、もう一枚。

 見まがうはずのない字体だ。手書き。奏の字。


「私が夢を叶えるところを見せてあげるよ」


 そらんじるようにして、声。

 隣り合う、放課後。

 いつかの奇跡の再現のように――天の川の向こうに分かたれて、永遠に別れた――そんな日常(きせき)が、当たり前の顔をして咲き誇っている。

 遥は、奏とともに正門を抜けた。


「……練習、間に合うの?」

「詰め込んでる。やるしかない……そういうものだよ」


 黒髪の少女の答えに、遥は静かに重ねた。


「夢をさ、叶えて……どうするの?」

「どうするって?」

「この世界……この〈世界〉って、夢を贈ってるんだよね」


 魔女の魔法は世界に意味を贈る。

 実存として存在しないもの、言葉ばかりの形象を具現化させる。

 夢。

 あやふやで未知数な概念だ。みな一様にそれを見ると言いながら、決して明晰な実態はもたない。

 未来、理想――つまり、ここではないどこか。

 楽園。


「すべての夢が叶う世界……だから、希望(ほし)がない」遥は、虚飾を眼差すように目を細めた。「でもだれも、夢なんて叶えてないでしょ」

「叶ってるよ。この広い世界では描写されてなくても、各々の内側では」

「実感があるだけ……嘘ってことでしょ」

「違うよ。楽園は、自分の内側にあるんだ。変わり続けるのは、世界じゃない。どうしたか、どうするか。変わるのは、自分なんだからね」


 それは、魔法少女の基本原則だ。

 どうしたいか、どうするか。

 夢と希望。

 それこそが少女の魔法の原則である。

 すなわち、だれもの夢が叶う世界とは、世界を描き変える奇跡がありふれた現実に成り代わったことを意味する。

 魔法少女に存在意義はない。

 夢を目指す熱も、夢を目指す翼も、もはや再生産不能な資源として疎まれる。

 先史時代より連綿と続いてきたはずの営みは、絶たれた。

 あらゆる過程も結果も、すべてはひとまとめ。ひとりの少女によってすくい取られた。

 台なし。

 成り果てようとも、その内の夢は変わらず。


「夢を追うこと……叶わなくたって、その背中に希望を見いだすひとがいた」遥は静かに紡ぐ。「そのひとの夢は叶わなかったかもしれない。けど、後に続いたひとがその続きを羽ばたいて、いつか夢は叶う。そんな希望論を、わたしは歌ってきた。残すことも、残されることも、失望するような出来事じゃないって。でも」


 遥は、招待状をしまい込む。その手招きを、誘われた先の道を拒むようにして。


「奏は、それを絶ち切る……それが、〈空〉の魔法少女の魔法なんだね」


 遥の行為を見て、奏の眼差しが細まる。風を見送るようにして。交差する道をまっすぐに通り過ぎた友人を、見つめる視線だった。


「そのひとが見た夢だ。そのひとが叶えるべきでしょ」


 平行線だった。奏の内側に言葉が届いていない。それは、七夕の日。告白が通り過ぎたことを思い出す。同じ感情が胸を染めあげた。

 あの日と同じ空模様。星の見えない、曇り色だ。


「でも、知ってるでしょ。夢をもたないひとがいるって、ねえ、奏」

「うん、だから夢を見せるんだ。わかってるだろ、遥」


 そう。夢を見なくても、夢を見ることはできる。

 叶える夢はもてなくても、だれかの夢を応援することはできる。

 ゆえに、夢の結実は、だれにとっても救済だ。


「私が夢を叶えることで、この〈世界〉は完成するんだ」


 救済の魔女――絶望を司る〈空〉の魔法少女。

 彼女は夢を叶える。そして、彼女に夢を見た人間も、また、夢を叶える。

 叶うこと。その救いは、どこまでも絶望だ。


「それでも止めるって言うの? ねえ、〈星〉の魔法少女」

「だからこそ、譲れるわけがないでしょ」

「叶わない夢を見たから、魔法という奇跡に手を伸ばした。それが魔法少女だ」奏は言う。「なら、私と敵対することは、矛盾するとは思わない?」

「わたしの――わたしたちの夢は、押しつけられたものじゃない」

莉彩(りさ)は例外だとでも?」

「だから、希望があるんだ」


 赤い魔法少女を思い出す。遥の人生にとってかけがえのないひとりである存在は、母の願望(ゆめ)によって人生を塗りつぶされていた。

 否定された(じぶん)は、自分自身にすら認められない。それでも、母を幸福にする。その夢を根源に、埒外の奇跡で世界を描き変えた。自己否定によって自らを失おうと、現実を見失ってしまった母へ夢を届けた。

 たったひとつの夢を叶え、燃え尽きるようにして消え入る赤い命。再び染めあげたのは、生まれてきた事実そのものだった。

 生まれてきたのだから、生きる。望まれていなくても、呼吸すら苦しみの理由だったとしても。

 それが今日を諦めなければいけない理由にはならない。

 お伽噺にも似た、夢物語。その(よすが)が、手放した現実をもう一度だけ結った。

 その先で夢に出逢えるかもしれない。その命を惜しむ運命に出逢えるかもしれない。――そのすべてが叶わなくても、信じる。

 それが希望だ。


「希望があるから、わたしたちはわたしたちを生きられる。なりたい自分を信じて、羽ばたける……」遥は「ねえ」と鋭く奏を見据えた。「そろそろ試すような物言い、やめて。ぜんぶ、わかってて言ってるでしょ」


 視線の先の少女はただ、肩をすくめる。


「確認は大事だろ、お互いに」

「わかり合えないって、わかってる。とっくに」

「……そう」

「でも、それでも、もう手を離したりなんてしない。わかり合えないことが断絶の理由にはならない」

「希望論、ね。――ならさ」


 先ほどまで招待状を掴んでいた手が握られる。季節のように冷たかった。


「あまり私を失望させないでね、私の唯一のお星さま(マイオンリースター)


 そして声に、温度はなかった。

 天音奏から奏でられたとは信じられない、平坦な声音だった。


「……」


 ただ、知っていたつもりになっていただけだ。定義して、その枠組みを輪郭としてかたちを作った。それが空想でしかないと、今さらに自覚する。

 時間を重ねることが友情だと思っていた。時間を割いてもらうことが、特別の証明だと思い込んでいた。

 足りない。

 理解には、遠く及ばない。

 ただふたり、同じ道を肩を並べて進むだけでは。

 やがて訪れる分かれ道で、手遅れの断絶を知る。

 来た道は戻れない。足を止めても、道は重ならない。運命――命を運ぶこと。自らの選択はその瞬間に下されるのではなく、遠い過去によって選ばれている。

 いつか過ぎ去る今が、まだ見ぬ未来をかたち作る。直線の道ではなく、ひとつひとつの場所を。そんな新たな場所に、ひとは飛び立つ。その軌跡が、生きるということだ。

 同じ場所に降り立つには、同じ場所を目指さなければいけない。

 そのためには、


「夢を終わらせることが奏にとっての現実なら、わたしの希望は夢物語なのかもしれない。けど、そんなお伽噺も信じられないような世界なら、わたしは……」


 冬の澄んだ空気に、桜色の風を幻視する。出逢いの季節に結ばれた縁は、いまなお遥の網膜を焼いていた。暗闇に閉ざされた瞳が、星を見つけたような、そんな奇跡。


「わたしは、あるって歌い続けるよ。奏に届かなくたって……星のない世界で、だれも見つけてくれなくたって、ここに希望はあるって歌い続ける」


 まるで、そうすることでしか息のできない生き物のように、遥は同じ言葉を紡ぐ。それだけが、少女にとって譲れない、かけがえのないひとつだった。

 交差した道を振り返ってみても、そこには足跡すら見えない。そこはただ、重なっただけの道だ。同じ場所に飛び立つには、同じ未来を見据えなければいけない。

 縁が途絶えても――手を離されたのだとしても、同じ景色を見た事実は変わらない。

 だから、同じ未来だって見れる。

 遥は、そんな希望を胸に抱いていた。

 奏は、星のない暗闇を見上げていた。


「そう……変われないね(、、、、、、)、私たち」


 ちくりと、刺す言葉が放たれた。反論は吐き出さない。この道はまだ、平行線だと知っている。

 交わるのは、


「六日後、ちゃんと期待して来てね」

「……うん」


 しまい込んだ招待券の重さを自覚する。薄い紙が二枚。その程度なのに、未来を考える陰鬱さを思い起こさせた。

 感情が、実態を持つかのようだった。それは自らか、それとも。


「……」


 その仮定は、どこまでも都合のいい話だ。考えても仕方がない。

 自分自身すら不確定で――それを希望と呼んだのなら、他者の感情は空想に過ぎない。

 現実に描くには、言葉が必要だ。そして、その声が聞こえる距離にいることも。

 再定義は済んだ。遥の足は、感情の重さによってアスファルトを踏む。飛び立つ魔法(ひかり)はない。それでも、今日は歩ける。

 そうしてたどり着くのは、見慣れた――きっと、奏とともにいるからそう思う――安普請な建物だった。


(あっち)の世界でもそうだったけど、支倉(はせくら)さん、映画館畳んだんだってね」


 奏が救い、短くも忘れがたいひと時を供してくれた老女を思い出す。


「叶えた夢を、終わらせる。それって人生を終わらせることと同じだよね」

「でも、生きている。生きて、次の夢を追っている」


 支倉とは、長く会っていない。彼女が終わりを定めたように、遥も奏との終わりを受け入れた。その二者は同じで、後悔は尽きずとも未練はない。

 幽霊がそうであると言われるような、未練を続けた瑠依が、支倉の熱を接いだ。

 どちらもただ、かかわり方でしかない。命をどう運ぶか。その選択が、道を作る。

 だからすべては、瑠依から伝え聞いた話だった。


「終わらせたからって、何もかもが台なしになるわけじゃないんだよ」

「そうだね……でもさ、夢を終わらせることは、きっと、自らを終わらせるのと同じくらいの決断が必要だったと思うよ」


 遥は息をのむ。憶えていた。忘れるはずもない。頬をつたったものを。

 放射状に咲いた花。夏の空をだれもが見上げる。繋いだ手に愛を実感していても、底の溶けきった孤独に身を沈めていても。そんな色彩が、秋を染めた。

 魔法。

 心を描くからこそ、心に届く。

 夢とはそれほどまでに深く、まばゆく、その命に結びついている。

 ならば夢を終わらせるとは、可能性(こころ)を終わらせることだ。

 道を閉ざす。はたしてそれで、ぜんぶがぜんぶ失意に落ちるわけでなくとも――信じて眼差した道は、消える。

 その喪失は決して、希望的な言葉で塗り替えていいものではない。


「だから、わたしたち魔法少女は存在するんだ。終わらせても、(ひかり)はあるって歌うために」


 魔法は現実を描き変える。流れる涙はとめられない。けれど、流れた涙の意味は、変えられる。

 もし、涙の流れた事実を変えるのなら、それは夢を追う軌跡そのものを否定する行為だ。


「終わらせる事実をすらなかったことにする――奏の魔法(ゆめ)は、破綻してるよ。わたしは受け入れられない。〈星〉の魔法少女は、夢を応援するんだから」

「決めつけだって……わかってるか、その顔は」


 鏡はない。遥自身が、どんな表情を浮かべているのか知るすべはない。ただ感情は、星を閉ざす曇りが晴れないままであった。

 あるいは、曇りガラスのように。その向こうを、透かして見えない。そんな不理解を、痛切に抱いていた。


「いこっか」


 奏が歩みを進める。誘われた場所は、ここではない。ずいぶんと遠回りだった。途絶えた時間を手繰り寄せるようだと考えるのは、感傷だろう。

 言葉は、崖下に投げ込む石のように断絶の深さを知らせるだけだった。

 道中に、会話はない。上滑りする摩擦のない対話は、かつてに尽くされていた。だから、言葉の必要ない場所を求めていた。

 映画館。

 駅前の商業施設に展開する劇場では、封切りされた作品が生温かな息を吐くような鮮度で並べられていた。

 奏が選んだのは、爆弾なんて到底出てこなさそうな、青春の後始末を題材としたヒューマンドラマだった。

 お互いに隣り合う席を買う。薄い紙一枚は、羽のように軽かった。時間が近い。これまでの道のりは、この調整だったのだろう。

 遥は、炭酸飲料を買った。奏は何も買わなかった。

 入場のアナウンスを聞き、ひと波にまぎれる。劇場に入り、アルファベットをなぞって席を探した。着座する。端の席だった。空席は多くあったが、奏がその場所を選んだのだ。

 広告と予告が入り混じる映像を眺める。そのどれも、琴線にはふれなかった。これまでも、予告に期待を煽られたことはなかった。

 いつだって、奏に手を引かれて作品を楽しんだ。高揚の熱は、彼女から伝わる体温が火をつけたものだ。

 今日だって、きっと。

 注意事項の後に、本編が流れた。

 やり残したもの。置いてきたもの。

 友情や、あたりまえのように流れる男女間の悲喜。

 過ぎてしまった熱は未練であり、忘れがたい過去と向き合うことで、この瞬間に煌めきを再演する。ただの一瞬で、この先に続くものがないとしても。

 あの日々を振り返るために、感情をぶつけ合う。

 あの頃――きっと、ここではないどこか。

 そうしたものに焦がれるひとは、きっとかけがえのないフィルムとなるのだろう。

 そんな冷めた感情を、遥はずっと抱えていた。

 エンドロールが流れる。

 あたりまえのように、爆発はしなかった。

 爆発を、奏は砂糖菓子のように甘ったるい救済と言った。

 もはや、彼女はそれを必要としていなかった。

 だから――知ってしまう。

 手を伸ばす。隣り合う手首に。

 ふれる。

 脈がなかった。

 ああ、だから――天音奏は夢を見ない。

 エンドロールが終わり、暗闇にぽつぽつと光が燈る。

 徐々に明度を増し、やがて白々しい現実に接続する。

 だから、一瞬。隣人の表情だけが見える世界は、刹那。

 うす暗い、そのひと時のなかで。

 奏が、(わら)っていた。

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