ハッピーエンドに手を振って
閉じ切った遮光カーテンは時間を曖昧にする。朝か夜か不明瞭なまま、体を起こす。ぼやけたまなこは、世界の影と自分の輪郭を見分けない。
ただ、手を胸にやった。奥底に静かな鼓動を感じる。
今日も生きていた。
実感はない。息を吸ってみても、空想したお伽噺のように現実感がない。
けれどまだ、生きようとしていた。
「……はぁ」
だから、起き上がる。カーテンを開いて、空を見る。
青い。ちぎれた綿雲がわずかに日差しを遮るも、抜けるような色彩までは阻めない。
己が髪を梳いてみる。赤。長い髪だ。空が青いのは、赤色の波長が長いからだと思い出す。
目に届かないだけ。存在はしている。
「とりあえず、顔洗うか」
記憶をなぞって部屋を出る。散乱した絵の具の缶に爪の先もふれない。ドアを閉じる際に、張ったばかりのカンバスが見えた。
階下に降りる。いつものスキンケアも終えて、空腹を慰めようとリビングに向かった。
母は今日も、空想の莉彩を眼差している。
笑顔だ。
問うまでもなく、彼女は幸福だ。
ならばそれでいいのだと思う。真実だけがひとを慰めない。ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋めるのに、現実を押し込めるのはやさしくとも無常だ。
箱庭の幸福でしかなくとも。
永遠に夢を見れるのならば――ただ、永遠を過ごすだけならば、幸福になる必要はない。
幸福であればいい。二度と、変化などないのだから。
麻酔の譫妄。額縁で飾られた絵画を想う。
差し出された食事を胃に詰めながら、昨夜の天音奏の言葉が頭を埋めていく。
「夢を見せて、叶えて……救う。だからって、てめえの人生が慰められるわけじゃねえんだけどな」
今ならわかる。〈救済〉の魔法少女が〈失貌〉した理由が。その自己矛盾が自己嫌悪に変貌して、自己否定につながったと。
夜空に馴染む紫の花は枯れた。その果てで再び咲き誇った、夜を染める黒い花は、いったい何に成り果てているのだろうか。
「まあ、考えても仕方ねえか……どうせ、未来に棚上げしなきゃ回答欄もねえ問題だ」
皿の上の食べ物が空になり、胃が満たされる。いったい今日の食事はなんだったのか記憶にない。変わらず味はしなかった。
「ごちそうさま」食器をシンクに運ぶ。母の褒めそやす声を受け流して、自室へ戻った。
迷わず筆をとる。衝動だけがあった。もはや焦燥はない。約束までは時間があって、指先を白紙に重ねた。
線はない。ただ色を重ねていく。乾燥を待つまでもない。鏡の魔法を活用する。筆はステッキに似て、思うがままに世界を描き変える。
色彩で色彩を削るようにして、同じ色を塗りあげる。テーマはない。ヴィジョンもない。鼓動だけがある。橈骨動脈が鳴るたび、手指が勝手に筆を走らせた。
今日中にかたちになるとは思っていなかった。今日中に完成するなんて思いもよらなかった。そもそも終着点なんてないと思い込んでいた。
「……はぁ」
描き終えてもなお、命は続いていた。
心地よい疲労感に苛まれて、筆を置く。没頭に身を晒せば、すべてを忘却できた。生存の矛盾すらも。呼吸は自然と行えて、そこに実感の有無は介在しない。
けれどそれも、やはり麻酔なのだ。痛みに針を刺して鈍くなった感覚は午睡に似て、夢と現実の境界をなくす。やがて死んだことにも気づかずに、生は終わる。
生に身を任せることは、死に包まれることだ。その逆もまた然り。死に投じれば生が浮き彫りとなる。それこそが命の存在証明。
ならば、この絵画は、命そのものだった。
赤。
一面の、赤。
その表面に指を置く。動かす。画布の凹凸は覆われ、絵具の強弱もない。
まっさらな、赤。
赤という光を切り抜いて、貼り付けたような一枚。
摩擦を感じられないほどに――あるいは、鏡面とも捉えられるような平面だ。
カーテンを開いた。夕日が差し込む。風景を溶かすような色彩が西の空に揺らめいて、室内を焼いた。
絵画はその風景を受け止める。太陽から降り注ぐ波長がカンバスを貫く。燦然とした輝きに包まれて、色は霞む――ことはなかった。
心臓で染めた唇のように。
鮮烈に、赤。
それこそが、選んだ命の色彩だった。
だから、赤い少女は粧し込む。赤い光に包まれて。メイクアップ。服は衣装に。窓を開けて、魔法少女は空を飛んだ。
夜の迫る空は瑠璃色だ。月が光る。星はない。そんな幻想に、お伽噺は踊る。
沈む太陽を見送るように――明日の日の出を、約束するように。
その赤色が空を駆けるほどに月は輝きを増した。
夢のような夜を、だれもが錯覚する。
お伽噺のような幸福を、どこかで期待する。
けれどそんなこと、どこにも約束されない。
すべてはただ存在しているだけ。理由も意味もない。祝福も救いも、与えられない。
けれど。
「生きてりゃいいことあるなんて、言わねえけどよ」
冬の風を頬に感じながら、赤い少女は歌うようにつぶやいた。
「生まれてきたことは確かなんだ。だったら、生きてみようぜ……無様で、みっともなくて、美しくなくても」
幸福はいまだ遠くとも。
幸福にはなれなくとも。
それが、命の音を止めなければいけない。そんな理由にはならない。
「どうせ明日には死んでるかもしれねえんだ――だったら、生きてみようと思うくらいの幸福は、だれの胸にも存在してるだろ」
言い聞かせるように、語りかけるように、赤い少女は言った。
心臓ひとつ。心音が命を運ぶ。
「楽しんでいけよ、人生を。運命がおまえの幸福を選ばなくても、おまえの選んだ生き方が命を彩るんだ」
胸に赤い音楽を抱く。そうして少女は生きていた。
「その命を、あたしは――〈鏡〉の魔法少女は映してやる」
宣言と、目的地への到着は同時だった。
空に星はない。
けれども、希望はある。
視線の先――屋上に、星のような笑顔が見えた。
粧した表情に笑みを誘われる。
聞きたいことはいくつもあるが、まずはそれについて。
化粧した顔についての、級友のリアクションというやつが、聞いてみたかった。
きっとそれは、笑ってしまうほどにお気楽な、なんとも些細で盛り上がりもない、幸せな話だろうから。
降り立って、手を振った。
そんな今日を、莉彩は生きていた。
Fairymirror Festival “may the music never END”
next Last story 〈Idolight Imagine〉 coming soon
次は今年の五月ごろからの更新予定です。
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5/15付記。
引っ越し作業が滞っていて、本文に取りかかれていないです。
冬の話なので、夏には始められればと考えています。




