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星と夢と歌と

「さあ行くよ! ラストはお待ちかね新曲。みんな、憶えてる!?」


 マイクを通してスピーカーから奏の声が伝わる。それは止まない歓声の波を貫いて、放課後に隣り合う距離のように感じた。


「『星合に歌う叶え星』――きみたちの輝きを燃えあがらせて!」


 感情が光になったようなサイリウムは星雲のよう。その彼方に小さく見える姿はしかし、夜空で決して見失わない月のようにはっきりと網膜に焼きついた。

 ステージライトのおかげ、だけじゃない。それだけでは説明ができない。

 世界(ステージ)に向けられる光すべてで輝くような、暖かでも鮮烈な存在感が、天音奏を特別たらしめていた。


「放課後 校舎に背を向けて歩くきみとの道 笑いあうね

 過去なんて振り返らなくて 未来なんて見えなくて

 今だけがあったんだよ」


 歌う。バラードに似た感傷的な詩を、軽やかなメロディで歌いあげる。


「進路希望表なんて書いた なんてきみの声

 未来なんて遥か彼方 見えないから空白で出した だってそれが可能性

 白紙に期待を込めて 飛んでいけどこまでも なんて願いは墜落

 落第押されたのは私そのもの? でもいいの

 未来は決めるものじゃない 描くものなんだ」


 彼女の歌声に、サイリウムが波打つ。統率のとれた動きではない。色だってバラバラだ。最初から、このライブには調和はない。

 けれど、それは心音のように力強く、何よりも尊い営みに見えた。


「再提出の進路希望表 紙飛行機にして飛ばした

 あまねく星目指して飛んでいけ 遥か彼方を夢と呼ぼう

 伸ばした指先で星を結ぶ それが未来の姿

 落ちていく星に私を託さない 未来に出逢うのはこの足だ」


 歌詞が耳を通って、脳のなかでわだかまる。

 知っている。だれのための歌なのか。この瞬間が、だれに向けて用意されたものなのか。

 胸は張れない。肩をすぼめるしかできない。でも、眼差しだけはまっすぐ。

 奏を――〈天音〉の名前で輝く、天音奏を見る。


「明日もまた きみと歩く

 未来は白紙で だから今日も笑いあえる」


 一番が終わって、二番に移る。未来は現代になって、疎遠になるふたり。決定的な仲たがいがあったわけでなく、ただ経験がふたりを隔てる壁となって高くそびえる。

 見上げるように空を眺める。遥か彼方に続く星は、結ばずともふたりを繋げた。それはいつかにした約束――大人になったら忘れてしまうはずの、笑い話。

 それだけが何よりも輝いて、ふたりは再会する。かつて夢見た景色は、過ぎた日々ごと愛おしく、笑顔を咲かせた。

 歌が終わり、拍手が燃え盛る。ステージを割らんばかりの喝采が〈天音〉に向けられる。

 天音奏は、現代音楽シーンをけん引するシンガーアイドルだった。私の唯一のお星さま(マイオンリースター)なんてセンスの欠片もないキャッチコピーを背負って舞台に姿を見せた〈天音〉は、しかし、それを体現するアイドルだった。


「あなたと夢を繋げる架け橋になりたい」そうインタビューで語り、行動の指針として標榜し、実現してきた。

 世界(ステージ)で輝く〈天音〉の姿に希望を見て、自分の人生を輝かせてみたいと――彼女の応援歌に背中を押され夢を見つけるひとが多く生まれ、その熱がさらに〈天音〉を輝かせた。

 そんな魔法のような現実を、奏が求めた理由(わけ)は知っている。彼女が叶えたかった夢は、そんなかたちをしていた。

 舞台から降りたアイドルを煽り立てるアンコール。応えて〈天音〉は壇上によみがえる。

 夢は終わらない。スピーカーから響くミュージック。言葉はなくとも、歌があった。

 往年の名曲。昔日の光が今まさに降りそそぐ。

 全力の汗は涙を置き去りにして、全霊の輝きが今日と言う日を燃やし尽くした。

 会場を去ってなお熱病に侵されたような人いきれをかいくぐって、遥は足を家とは別の場所に伸ばす。

 その道中で考え浮かぶのは、奏と出逢った日のこと。

 桜舞う四月の新学期。その昼休み。

 クラス替えの運が悪く、教室には顔馴染みがいなかった。

 よくある出席番号順の席。空閑遥は、廊下にも窓にも面していない微妙な場所に配置されるのがお決まりだった。

 机に突っ伏して呼吸を浅くする。喧騒から耳を閉ざして、時間が経つのを待った。

 友達と呼べる親しい間柄に興味がなかった。休み時間の暇をつぶせるほどの関係は構築できても、休日を共にするくらいの関係を、今までの人生で構築した試しがない。

 孤独こそが最も心安らぐ隣人であった。


「遥の由来、英語で聞かされたさ。次はこう答えればいいよ、ドリーム……夢ってね」


 それは、先の英語の授業で答えに窮した遥を救う声で。

 そんな言葉が、遥の人生を変えた。

 出逢いという言葉に運命なんてつける感性を、彼女は初めて肯定できた。

 顔を上げると、流麗な黒髪が鼻先をかすめた。甘酸っぱい花のような香りがしたが、それがどんな種類のものか、遥にはわからなかった。

 彫刻から切り抜いたのだと見まがうほど整ったまぶたを、瞳が捉える。急き立てられるように心臓が跳ねた。


「いじわるだよね、さっきの授業。自己紹介がてら、自分の名前の由来を英語で答えろなんてさ」

「天音、さん?」

「あれ、知っててくれてるの?」

「有名だし」


 目を丸くする奏の後ろをちらりと覗く。

 先ほどまで奏を中心に盛り上がっていたコミュニティーは、彼女を抜きにしても円滑な輪を育んでいた。奏を通して知り合った彼らは、奏を介さない友人関係に発展しているのだと窺い知れた。

 それでも、中心にはいつだって天音奏がいる。

 この学校において、ペットボトルでも投げれば彼女の友達に当たる――派閥とさえ呼べる、そんな大きな輪の中軸が天音奏だった。


「たまに話も聞くから」


 グループ活動などでよく一緒になった幾人かから名前を聞いていた。彼女らの名前を口にしてみれば、奏は逡巡なく愁眉を開いた。


「なるほど! よくあの子らと行動してたもんね、空閑さん」


 今度は遥が目を丸くする番だった。


「わたしの、名前……?」

「ん? もちろん知ってるよ! だって前から友達になってみたかったんだもん」 

「な、なんで……」

「なんでって? 友達になりたいと思うのに理由って必要?」

「いる、んじゃないかな」


 友達になるのに理由はないだろうが、友達になろうとすることには様々な感情があると遥は思っていた。

 クラスで孤立するのを怖がってかもしれない。求心力のある人物に惹かれてかもしれない。

 友達になりたいという感情の一歩目は、どこか打算が入り混じっているものではないかと遥は口にした。


「たしかに、言われてみれば理由はあるはずだよね」


 奏の眉がわずかにゆがむ。

 ただそれは不快を示すものではなく、一目わかるほどの好奇に満ちたものだった。


「そう、きっと私は興味があるの」

「興味? それは、友達になったみんなに?」 

「だって一緒にいて、言葉を交わしてみなきゃ、どんな人かわからないでしょ」

「……もし友達になってから優しい人が実は口だけで、本当はひどいことを平気で行う人だってわかったら、裏切られた気持ちにならない?」

「そういう人もいるけれど……それで失望するってことはないかな」

「どうして?」 

「綺麗な体裁も淀んだ中身も全部その人でしょ? それってすてきなことだと思う」


 その言葉の真の意味を理解するのは、季節をひとつ跨いでだったけれど。


「友達になってくれる?」


 今この瞬間の遥には、その言葉がすべてで。

 いたずらっぽく笑って差し伸べられた手を、握り返すのには十分に思えた。

 ――時間は過ぎていく。

 遥としては奏が例外で、交友関係を広げることはしなかった。

 そして遥の隣には、いつだって奏が一緒だった。

 人間関係に大きな変わりこそなかったが、時間が経てば経つほどふたりっきりで過ごす時間が増えていた。

 奏と過ごすなかで、彼女の影響力が校内だけで収まるものではないと目の当たりにしていく。

 それなのに、特定の時間を、特定の人物にだけ割く。

 いくら交友に疎い遥でも、それが特別な行為だと理解していた。

 その理由を問うことはついぞなかった。

 聞いてしまって、この関係が変化してしまうことが怖かったから。

 そう、なあなあで済ませようとする遥を断罪するように、この瞬間は訪れた。

 七夕の日。〈天音〉のワンマンライブの終わりに、天の川を見ようと約束していた。


「打ち上げはないの?」と聞いたら「未成年だから」と返ってきた。十九時過ぎに終わったライブは、その後に写真や動画撮影、インタビューの時間を設けつつ法令を遵守して夢のひとときを結ぶらしい。

 〈天音〉のSNSアカウントが展開するメディアの動きを眺めながら、時刻の数字が増えるのを待つ。

 空の開けた川辺で待ち合わせている。辺りにひとは少ない。あいにくの曇り模様だった。それでも、待っていた。


「星は見えないね。残念」


 その声に遥は顔をあげる。夜のスクリーンに映し出された奏の顔に、ステージ上での輝きは見つけられない。

 その表情が曖昧な笑みを浮かべる。遥も同じ顔をした。


「帰ろうか」と立ち上がる。


 奏は持参のレジャーシートをおもむろに広げて、そこに腰を下ろした。


「隣、座って」


 遥は唯々諾々と膝を抱えた。奏の言葉に背く理由は、彼女のなかにはなかった。

 奏は、星はおろか月すら見えない夜空を見上げていた。

 彼女の瞳には何が映っているのだろう。隣からは窺えなかった。

 だからその言葉を、遥は避けることができなかった。


「ねえ遥、夢は見つかった?」

「いきなりどうしたの」

「星が見えないなって思ったら、遥の夢を聞きたくなったんだ」

「何それ」


 遥は困ったように笑った。


「夢かぁ」


 飴玉を転がすように言葉を反芻する。吐く息は重くて、甘いとは思えなかった。

 遥は視線を落とす。感情をかみ砕いて、その言葉をこぼした。


「ないよ」

「断言するんだね」

「やっぱりさ、夢があるのがあたりまえみたいに言われている意味がわからないよ、わたしは」

「すばらしいものだからじゃないかな。叶えるために多くの苦悩があったとしても――叶えようとする姿は、星のようにきらきらして見えるものさ」


 そうだね、と遥は首肯する。

 夢を語る口吻に、叶えようとするまなざしに、何度焼けつく思いをしたことか。

 ただ、それは嫉妬に焦がれたからじゃない。ただただ熱にあてられたからだ。温度の違いで火傷したにすぎない。


「それでも、夢が叶わないときがあるように、夢を持てないって人もいるんだよ」


 奏と交友を重ねて知った。

 彼女にとって呼吸をするとは、だれかの夢を聞き届けて、その手助けをすることなのだ。

 もっと端的に言うのならば、天音奏の夢は、ひとの夢を叶えることだ。

 救いのように、手を差し伸べ、夢を叶える。

 もちろん、すべてが実現できるわけじゃない。けれど、橋を架けるように、その未来を諦めなくていいように後押しをした。

 そのための手段として、希望(アイドル)になるほどに。

 彼女の興味に貴賤を問わないのは当然だった。奏にとって人間はあまねく救済の対象なのだから。

 はたしてその価値観を抱くことが幸か不幸か、遥には計り知れない。

 わかるのは、自分が奏の手を必要としていないということだけ。


「持てないなんて言わなくても……いつか夢は見つかるかもしれないよ」

「そうだね。そんな希望くらいわたしだって抱くよ」


 けど、と遥は続ける。

 心のうちを告白したのは、伝えたい言葉があるからだった。


「いつか叶える夢を見るより、わたしにとっては、この今が大事だよ」


 そして、まだ梅雨の香りが残る空気へそっと忍ばせるように、その言葉を紡いだ。


「      」


 それは、夏の熱気に溶けた。

 気づくと遥は、学校の屋上にいた。


「ああ、そうか……」


 ひとりごとが許されるほどに、微睡みはやさしかった。

 だからこれは、都合のいい夢なのだ。

 夢を見たのなら、あとは覚めるほかない。


「ときおり考えるんだ」


 柵の上に浮かんで、彼女は世界を見下ろしていた。


「手を差し伸べることで、私は私に手を差し伸べている気になって、慰みを覚えているだけなんじゃないかって」


 すべての望みを平等に救おうとした彼女は、だれよりも高い視点に座していた。

 ゆえに孤高であった。

 自らに差し伸べられる手が、救いを求める手であると思い違いをするほどに。


「私はきっと、だれかに与えられる人じゃないんだ」


 花火が上がる。奏は笑った。


「こんな私じゃ、だれも救えない」


 起き上がる。足が動き出していた。

 彼女へ伝えなければいけない思いがあった。

 そのために有刺鉄線を蹴って、遥も落ちた。


「……」


 けれども、思いがかたちをなすことはなかった。

 だからか、伸ばした手が届くことはなく。

 落下への恐怖は、奏の笑顔と一緒に消え去って。

 言葉は、行き先を失った。

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