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スターリィシネマ・ダイアローグ  作者: 綾埼空
Fairymirror Festival
24/50

sing,falling star!

 いつかの幼い日、クジラの骨格標本を見た。

 彼女は空を目指すように何度も――同じ種がそうするのとは比較にならない数、海面飛翔(ブリーチング)を行っていたのだと言う。

 仲間との疎通はなく、ただいたずらに水中を揺らし餌を散らす存在は迫害の対象ですらあった。

 それでも、自らが泳ぐ青は天上にこそあると訴えんばかりに行為を繰り返していた。

 そしてある日、その巨体の全景で夕暮れに早き夜を招き、二度と浮上することはなかった。

 飛翔の際に負荷が大きくかかり、脊髄を損傷したのが致命だった。

 その瞳は空に届いたのか。

 疑問は今も、夕架璃の内側で回遊していた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 〈月降祭〉の開始を告げるアナウンスが流れてすぐ、遥は夕架璃に呼び出されていた。

 ふたりきりになれる空間はない。準備室としてあてがわれた部屋は使用上のシフトが組まれおり、そのほかの空き教室は封鎖されている。校舎の外周など便宜上の柵が置かれているだけで入ろうと思えば入れるものの、教師の巡回がある。何より来客含めひとの目が多い。

 だから文化祭を巡っているふうを装って、肩寄せ廊下を歩きながら話すこととなった。


「うわぁ、来てるねー。いま下すごそー」


 門扉に面した窓から外の渋滞を見て、夕架璃は愉快そうに片笑んでいる。

 その横顔に、遥は事態を飲み込めていない声を発した。


「いいの、準備とか?」

「いやまあー、そのとーりなんだけどさー」


 ゆったりと夕架璃は目線を前に送る。廊下はまだ、生徒がまばらに行き交っているだけ。片耳に教室から漏れ出る期待が聞こえた。空気がぴんと張ったピアノ弦のように澄んで見える。嵐の前の静けさだ。

 半歩先を行く夕架璃の喋りは、そんな世界の都合なんて素知らぬとばかりに一定のテンポを描いていた。


「いちおーさー、迷ったりしたんよー」

「何を?」

「どう答えようかってー。宿題があってー、その期日が今日までならさー、朝までにはできあがってなきゃじゃんかー」

「悩みごと?」

「そー。瑠依には話せないしー、メンバーにゃ話したくないー。くがちにしか相談できないなってー」

「くがちて」


 その呼び名は、彼女の所属するバンドのドラム担当だけのこだわりなはずだ。いつの間にうつったのか。


「なんで三人はだめなの?」

「言うのださいからー」


 端的な理由だった。ゆえに根本は絞れない。だから待った。階段をのぼる。


「奏のステージって生で見たことあるー?」


 遥は息が喉の奥で詰まるのを自覚した。〈私の唯一のお星さま(マイオンリースター)〉なんて誇大広告を背負って、その名声の通りに輝いたシンガーアイドル。それが天音奏だ。

 声を出せずにただ頷いた。招待され、一度だけそのライブを体験した。その七夕の日が決定的な断絶だった。

 上階に足を踏み入れる。一年生の教室が主として入る場所だ。文化祭への期待はさらに大きく聞こえた。


「うちもさー、招待してもらったんよー。役得よねー。そのまえから配信でちょこちょこ観てたけどさー。クラスメイトがアイドルやってたら見るじゃんかー」


 だらだらと連ねる言葉に重ねて夕架璃は歩を進めていく。


「すごかったってー、いまでも思い返せるー。大きなステージでー、キラキラ輝いてー」


 少女は言った。


「ずるいよね」


 夏の終わりに聴いた歌声を思わせる鋭い声だった。遥は喉元を抉られたように音を失う。


「ああごめんー。なんか嫉妬みたいで聞き苦しいよねー」


 唇を固く結ぶ遥の表情を警戒と読み取ったのか。夕架璃はにへらとほほ笑んだ。


「嫉妬がないわけじゃないけど―。憧れが正しい感情なんだよねー」

「憧れ?」


 廊下を渡りきった。屋上への道は塞がれている。階下だけが選択可能だ。ふたりは降りていく。


「奏の歌って夢を見つけさせたじゃんかー。それって、だれかの可能性を広げることでしょー」


 あなたと夢を繋げる架け橋になりたい。そんな標榜通りの活躍に、人生が変わったと語るファンは大勢いる。


「けどうちってただ歌ってるだけなんよー。聴いてるのは知り合いだけみたいなー……それって地獄のぬるま湯だよねって……苦しんでるのに苦しみ切れない中途半端だよなー、なんてよくライブハウスでも話題にあがるわけー」


 先にくだっていく夕架璃の表情は窺えない。


「ただ青春を輝かせるためのスパイスとしての歌ー」

「だめなの?」

「どうしようかなーって悩みなわけよー」


 階を降りきり、振り返った夕架璃は額に当惑を刻んでいた。


「最後のステージって演奏して涙する学生バンドを何組も見てきたわけよー。気持ちはわからんでもないけどー……あぁ、まだ感情が残ってるんだって思っちゃたりー」


 夕架璃と距離が離れる。その背を追った。足裏がさらに段差を数える。上ってくるだれかの親とすれ違った。


「涙より血を流したい、なんて思い、青春だよねー。モラトリアム謳歌中って感じー。けどさー、そんなことをつらつら悩んじゃうんだわー。アイデンティティーってやつー?」


 それは聞きかじった言葉を扱う口調で、そんなことを言う自分がおかしくって仕様がないとばかりの声色だった。


「歌なんてどこにもありふれた世界でー、青春ごっこの量産品ひとつにどれだけの価値があるんだろうってなわけよー」


 降り立った二階は、ひとの往来でごったがえしていた。換金の第一波が落ち着いたのだろう。上階にも波及する予感はすでに袖にふれていた。

 夕架璃は構わずひとごみに身を投じる。大きく無い体だ。目を凝らさなければすぐに見失ってしまう。特色のインナーカラーは、彼女を目立たせるにはあまりに心許ない。

 遥はどうにか追いすがる。小さく揺れる指先を握る関係ではない。悩む少女はただ前を向いて、後ろを振り向かない。

 夜空に光るは過去からの輝き。迷子に星ははるか遠い。それでも歌っている。届かなくたって。それが遥の信じる希望だ。


「信じるだけじゃだめなのかな?」


 夕架璃が驚いたように肩を震わせた。行き交うひとびとのなかで振り向くことも足を止めることもできない。その背中に言葉を届けたいと、遥は声を重ねる。


「きっとだぶん、花園さんは答えが決まってる。でも、それに周りがついてきてくれるのかって悩んでるんだ」


 彼女は夢を見定めている。けれど、その景色はひとりではたどり着けないのだ。


「言葉は伝わらないし、届かない。けど、それでも歌うべきだって思う。届けたいって、その思いが本物だって、自分で自分を信じるために」

「けどそれじゃあー、ただのひとりカラオケだよー」

「でも夢は、そこから始まっていくんだ」

「……ゆめ」

「信じ続ければ言葉はいつか心に……可能性に届くんだ。花園さんだってそうやって歌い続けてきたじゃん」


 視界が開ける。ひといきれを抜け出した。使われていない教室の前に出て、冷えた酸素が喉を通る。資料などの保管室だが、それをふたりは知らない。来客は壁に貼られた順路の通りに進んでいる。こうした解放されていない空間に立ち寄り休憩するには、まだ開場間もなかった。

 夕架璃の表情を眼前にする。愉快そうに笑っていた。


「おもしろいねー。くがちは可能性を心って呼ぶんだー」

「花園さんは、空間、だっけ?」

「仮の名前だけどねー。広いところー。そこには可能性があるって思うんよー……けどー、それがわかってないから迷ってるんだねー」


 遥はかつてに思いを馳せる。夕架璃が息づくところについて共有しようと言葉を尽くしてくれた。世界は一周できるから違うと言った。場所は点々と存在して、それを含む大きな空間。そこではどんな可能性もあると。

 あの日はその輪郭も把握することはできなかった。けれど今は、思い当たる気がした。そこを知っているから。


(そら)じゃない、そこって?」


 夕架璃の喉から息を飲む音が聞こえた。


「澄み切ったり雨が降ったり、いろんなことが起きる。ときに音が響かなくって、果てしない。(ばしょ)だって点在してる。何より、思い思い自由に見上げることができる――そこが花園さんの世界(ステージ)なんだよ」

「空、か……いいねぇー。あはー、やっぱくがちはいいなー」


 甘味を食み陶酔するような声色で夕架璃は言った。


「新学期にさー、英語で名前の由来を答えろって授業あったの憶えてるー?」

「うん……」


 忘れるはずもない。思い浮かばなかった遥に、奏は〈Dream()〉と答えればいいと言った、それが関係のきっかけであり、そのころからすべてが掛け違えていたのだ。


「うちはさー、名前の由来とかどうでもよくってー。親のこと好きだけどー、与えられたとおりに生きる必要ってないじゃんかー。だから〈sing(歌う)〉って答えたのよー」


 別に間違ってないしー、と言い加えて、静かに続けた。


「夕映えから瑠璃色の空へ――終わりから新しい始まりに架ける……母親がさー、売れないバンドマンのまま終わってー。でも、夜のライブハウスで観客がいなくても自分は歌っていたー。だからそういった孤独と世界の架け橋になれる存在になってほしいってー、教えてくれたわけよぅー」


 夕架璃が髪をかき上げる。緑が覗いた。


「与えられた色に染まらないって反発したけどー……ままならないねー」

「ごめん……いやだった?」

「あー……勘違いさせる言い方だったねー。ごめんはこっちだー。いやねー、与えられた夢を叶える必要なんてないけどー、その延長線上に自分の夢が存在することまで否定しなくていいんだって納得してさー。呼ばれ方なんてどうでもいいって感じだったけど―、これからは自分の名前を肯定できそうだよー」


 それならよかったと遥は胸を撫で下ろす。

 夕架璃は唇を引き結んで、その沈黙の固さこそを言葉とするようにゆっくり口を開いた。


「やるしかないか」


 間延びなく、しかし歌声と同様でテンポは崩れない。余裕のなさを示すものではなかった。

 ただ一本を見据える、その芯の発露だった。


「くがち……ぜんぶがぜんぶだめになって、今日が最後だったとして……それでも、うちの歌、聞いてくれる?」

「わたしは夢を見せたり、叶えたりなんてできないけど――夢を見るひとを応援したいって思うんだ」


 煽り立てるように遥は笑った。


「空の果てまで歌えよ、ロックンローラー」

「期待しててよ。叶えるから」


 夕架璃は歯を見せて笑った。

 あとはもう、向かう先は一直線だ。

 視聴覚室でライブをするのは一年生の軽音部員で、演目まで時間があるので集まってはいない。

 待ち構えていたのは、二年生。ベースとドラム。少女ふたりだった。

 教室の中央を陣取っている。夕架璃は迷うことなく近づいた。遥は遠く壁際に控える。見守る責任がある気がした。

 インナーカラーを誇る少女は、内に秘めた熱を語った。


「てなわけでさ、一緒にプロ目指してくれない?」

「また急だな」とベースの少女。

「最近悩んでたのってそれか」とドラムの少女。


 ふたりは互いを見合い、視線で合意したのか頷く。ベースの少女が顔を戻した。


「ま、温度が違うね」

「考え方はわかるよぉ。気持ちには同調できないけどね」


 ドラムの少女も呆れを含んだ声音を真正面でぶつける。


「一生を賭けるとかさ。目的と手段が違うよ。人生を楽しくしたくて、そのために音楽に打ち込んでるんだからねぇ――けど」

「うん――命を賭けたいなら付き合うよ。せっかくさ一緒にやってんだから」


 夕架璃はその言葉に目を見張る。


「いいの?」

「どこまでついていけるかわかんないけどね。地獄の手前くらいなら、ま、どんなもんか興味はあるし」

「なんて油断してると地獄の底まで落ちるよぅ」

「それならそれでいいんじゃないか? 運命は落ちるもんだし」

「恋じゃない?」

「ロックンロールだよ、転がり落ちるのは」

「明けの明星ってね」

「出たよオタク。わかる言葉で喋って」

「おまえの頭の出来だろぉ」

「冗談はさておき、だ。じゃあ、まあ……今日はとりあえず」


 ふたりは互いに目配せし、言葉を重ねた。


「「ロックスターになろうぜ、夕架璃」」




 ☆ ☆ ☆




 時間が経つのは早いと夕架璃は思う。それは心臓の高鳴りのせいか、歩くべき方位が見えたからか。

 体育館のステージ上。エフェクターにマイクと準備を進めていく。ちらりと目線を前に送る。来客は上々。しかし、自分たちのライブを目的とするひとはそう多くないだろう。

 みな何かの繋ぎでここにいる。それでいい。架け橋とはそういうものだ。

 渡った先の景色に感動させよう。

 開始までの秒針を数える。マイクはオフのまま、夕架璃は唱える。


「学祭バンドで終わりにするか、人生を音楽に賭けるか」


 それは巧拙の問題じゃない。

 信念についての問いかけだ。


「やるんだ――ロックンロールを!」


 顔を見るまでもなくふたりが頷いたのを夕架璃は感じた。

 司会が演目の開始を告げる。

 自己紹介なんて言葉にしない。脈動をかき鳴らす。

 内臓をさらけ出すように弦をはじき、歌い出す。

 胸の奥底でわだかまっていた感情が脳内に声となって巡る。

 ――別の道だってあるよ。失敗したって次があるさ。

 そんな慰めは届かない。価値がない。なのに絶対的に正しい言葉のように世界では扱われている。

 じゃあ、価値がないのはこちらだ。間違ってる命に価値なんてない。

 正しく在れない生き物が、排斥されていく。適者生存。正しさに適応できない生き物から淘汰されていく。

 どうせ死ぬのなら、抗うほかない。

 別の道はない。失敗したら終わり。引き金を引く権利はないけれど、手首に置いた刃を引くことくらい、そのときの自分にはできると信じる。

 これは信念についての問いかけだ。

 正論は願い下げ。馴れ合ってやさしい世界で朽ちていけ。その不幸(こうふく)を否定しない。

 この命の終わりが汚泥でしかなくとも、正しさ(おまえら)と同じにはならない。

 〈私〉の幸福(ふこう)を指差すおまえらに、宣戦布告だ。

 キャッチーなフレーズは聴き飽きた。エモい歌詞なんてもうたくさんだ。

 魂をむき出しにしろ。だれにも他人の心なんて理解できない。耳障りなノイズにしか聴こえない。ロックンロールなんてそんなものだ。

 でも、それでも。

 叫ぶんだ。喉が張り裂けても、歌いたい。

 ここにいるんだって。この心臓は高鳴っているのだと。息を吸って、大きな声で。

 命をさらけ出す。

 存在理由は必要ない。存在証明は消えない。でも、大勢の命がひしめき合ったこの世界で、〈私〉の存在する意味はなんだ。

 代替可能。なんて救いだ。だったらどうして、こんなにも息苦しい。

 呼吸をしてるだけで窒息してしまう。世界の空気が首を絞める。

 正しさ、正しさ、正しさ。

 だれもかれも、自分の世界の正しさを信奉している。

 AとBはイコールで結ばれず、しかしひとつの回答欄にふたつが記述されている。

 ならばCも正答だと記入すれば、与えられるぺけマーク。

 おまえは間違っている。どうしてわからないの。出来損ない。


「この世界に生まれてきたことが正しくなかった。そう指差される」


 最後の曲を前にしてできた空白の時間。自己紹介のMCでも入れようと考えていたが、口をついたのは心情だった。


「正解が刃となって指し示されるんだ。それを他人に向けるか、自分に向けるか。そんな二者択一をいつだって迫られて、窒息しそうになる。いっそ首を切り開いてしまえば楽に呼吸ができるって考えちゃうくらいに」


 法則、ルール。守ることで、多くのことから守られているのはわかる。

 そんな世界を生きてるんだって、わかってる。


「でもさ、なんでおまえの正解に付き合わなきゃいけないんだよ!」


 納得できないなら首を切れ。そもそもへその緒で首を絞めるのが満点回答だ。

 それでも。


「生まれてきたなら、やっぱ最後まで生きるべきだ。ゴールテープが切れるかなんてわからないし、そもそもゴールがあるのかも知らない。道端でつまずいて、そこが終着点になるのかもしれない」


 お行儀のいい諦観が甘い囁きとして忍び寄り、世界に融和させようとする。

 従えば幸せだろう。逆走しなければ傷つくことはない。行き先が奈落だろうと、それこそが最大多数の最大幸福。定められた運命でしかない。

 大人になるとは、そういうことなのだ。モラトリアムは終わる。空は飛べない。地上に群れを作り、その足跡が道となる。そうして世界は継続する。

 論理は正しい。でも、とエフェクターを踏む。鳴らした音がひずむ。こんな音だって音楽だ。

 秋の終わりの風が頬を切り裂いた。夕架璃は叫ぶ。


「世界は変わらない。ひとは変えられない。でも、自分は変えていける――この命を明日に持っていく権利は、だれでもないあたし自身のものだ!」


 理由も証明もいらない。生きていることが意味になる。

 ああ、それをどう表現しよう。

 わかっている。ひとの命は音と共にある。

 心音ひとつ。音楽は鳴りやまない。


「おまえが息もできない世界から明日を選んだなら、ロックンロールはそこにある!!」


 先走って弦を弾く。リフは即興。呆れたようにドラムが追従した。リズムが生まれる。ベースが静かに忍び寄った。これちょっと怒ってる。でもまあいい。いろんなものを込めよう。

 ギターとベースとドラム。世界を構成するにはこれだけで十分。

 歌うのは戦うため。おまえの鼓膜を震わせる。脳細胞を焼いてやる。

 おまえがノったらこっちの勝ち。

 間違いでも生きていいって、胸張ってやる。

 だれも気にしなくたっていい。これは――信念の話なんだから。

 名乗りをあげる。新曲だ。さあ、産声を轟かせろ。


「〈ケートス・ソング〉」


 思う、思う。


「暗闇迷い道 星を指差す

 いつかの星と違っても 同じ道しるべ

 生まれ損なって 底なく落ちる 羽のない天使の歌

 生きろって歌ってる 生きたいって歌ってる」


 夕架璃は思う。

 ガールズバンド特有のこの音の軽さはなんなのか。魂の重さは二十一グラムで平等じゃないのか。筋力の差か。性別で決定する運命なら否定しない。うだうだ文句垂れるなんてしょうもなさすぎる。運命論は利用するものだ。与えられた手札で戦え。どうせぜんぶ愚者(ジョーカー)なんだから並べるだけ。首を吊るかあざ笑うか二者択一だろ。


「聴きやしないさ どいつもこいつも 耳に詰まる水たまり

 世界に正解はなく誤解だけがあって 証明の雑音 地獄と叫んでいる」


 頬の筋肉がつりそうなくらい口を動かす。ハキハキ歌え。音節を滑るような歌はぜんぶ肥溜めに落ちて異臭でも放ってろ。


「くだらないな」


 視界が霞む。季節に似合わない汗が目に入った。ライブハウスよりうすら寒い電燈のくせして頭が燃え滾る。

 さっきまで何を喋っていたのか思い出せない。今だって予定した歌詞をなぞれているかわからない。書いたときの気持ちと現在の心情は違う。この曲で叫びたい思いは、この瞬間の心だった。

 理性が溶ける。喉を裂くこの感情の正体はなんだ。きっとこの日は、未来には熱病の原因となるのだろう。


「戯言は切り売りして からっぽの鞘がふれた

 捨てた命さえ空虚だった 真昼の怪物が心臓を食い破る 夜の孤独が覆い被さる」


 けれど、今だけは思いのままに疾走する。

 時間とはただ流れゆく現象でしかない。すべては手から離れていく。その空虚こそを死と呼ぶ。ひとは根源的に死に向かうことを約束されている。

 しかし、刹那が数珠つなぎとなって人生となる。遠のけど連なる。だから音楽とは、人生を楽しむことにほかならない。


「夕映えの空 賭けて架けて道を駆けて 目指すのは明日

 破れた心臓が歌う 飛び出したのは 羽がなくたって生きていたかったから」


 謳歌しろ。くそったれで呪われていて、だれにも望まれてない命だったとしても。自分自身ですら信じられなくたって。

 内側で鳴り響く心音は、おまえの生を祝福している。


「夢に届かなくたって だれかの道として 星になる」


 歌いきる。酸欠の体はすべてを忘却した。ただ機能するままに振り返ると、ベースとドラムが待ち構えていた。考えることは同じだ。見えなくたって、笑っていると確信できた。

 アウトロをひっぱってひっぱって――いちばん大きな音を揃えてこの時間を切り取る。有無を言わせない終幕だ。

 客席へ向き直る。霞む視界で光の玉の集合のようにしか映らないなかに、生々しい赤色を見つけた気がする。それはクジラの心臓として輝く赤色巨星(ミラ)か。脈打つ変光星。終わりゆく命の証。

 天の赤道に跨るクジラ座は、初夏から晩冬にかけてあまねく地域で観望できる。星とは過去からの輝き。過ぎ去った光。その死を知るのははるか未来だ。

 クジラの死骸は寄る辺となる。水底に落ちた体は、独自の生態系を形成する。鯨骨生物群集。閉鎖した生き方だった空飛ぶクジラもまた、だれかの命の意味となった。

 空の果てであろうと、海の底であろうと、暗闇には希望が灯る。

 そんな存在になりたいと願った。

 叶えたいと、夕架璃は思う。

 だから、ありったけをかすれた喉から響かせた。


「ありがとう! 〈ホエールフォール〉でしたー!」


 憶えなくたっていい。名前なんて好きに呼べ。

 認められなくたって、証明したい名前で歌ってやる。

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