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だれも知らない夜の希望

 白い花が落ちるように、少女は落下する。

 夜の暗闇に沈んだビルの屋上から真っ逆さまに。

 風の抵抗を受けてなお膨らんだスカートは、アネモネが咲いたようなシルエットを崩さない。星の意匠が、星のない夜空で目を引いた。

 ゆらり(、、、)と、黒い髪が闇夜に溶けるようになびく。

 少女は、さかさまの世界を見た。

 夜の孤独より冷たい黒をした瞳が、皓々とした月を見下ろす。

 暗がりを静かに照らす、青白い明かり。その光に飲み込まれてか、空には星ひとつ見えない。

 それが悲しいとは思わなかった。涙があふれたのは、夜空に別れの記憶を刺激されたから。

 目に映る景色が、水を混ぜすぎた絵具みたくにじんでいく。三日月の輪郭が溶けて、満月のように錯覚する。


「……どうすれば、言葉は正しく伝わるんだろうね」


 涙をこぼしたくなくて、そっとまぶたを閉じる。

 そうして目の当たりにするのは、暗闇だ。ここではない景色を映しだすことは、ない。

 やわらかな秋の風が吹き抜ける。

 眠りから覚めるように、少女は目を開いた。

 涙が空へと吸い込まれる。頬をつたうことなく落ちていく。

 それを、悲しみが切り取られるように感じた。

 だから感情を胸に押しとどめる。そうすれば涙は出ない。

 晴れた視界は鮮明で、頭上に星を見た。

 それは、地上に咲き誇る光の群れ。

 温かさはない。揺れることのない光は、いっそ残酷なまでに無機質だ。

 その数ほどに命がある。

 生活の明かりに目を細めた。


「これが、奏の見た景色なら……」


 落下に影が差す。

 ビルの壁面から重力を無視して、少女を受け止めるように、それは立ち上がった。

 血に墨汁をぶちまけたような色のドレスを身にまとう、白肌の花嫁。

 ひらひらと波打つヴェールが目元を覆って感情を窺わせない。血の気が引いて青ざめた唇は、笑っているようにも憤っているようにも見える。張った乳房とは真逆に、どこまでも空虚な孔がおなかにぽっかりと空いていた。

 少女は大きく目を見開いた。それは言葉より雄弁に、異様への驚愕を物語っていた。


「〈失望(ボイド)〉の化身(アバター)だ。ステッキで応じないと、夢を失ってしまうよ」


 どこかから少女ものとは異なる、やけに感情のない声が響いた。

 その言葉に縋るようにして、少女は手を伸ばした。

 そこには、何も握られていない。

 宙をかくばかりの手は、何も掴めなかった。

 焦燥で心臓が高鳴る。

 落下の速度は増すばかり。

 重力が作用する限り、物体はその束縛からは逃れられない。

 空中でこそ、人は自由を奪われる。

 当然の道理。自然の法則だ。

 黒い花嫁の腕が少女に抱き着いた。

 失ったものを羨望するようにして顔をおなかにうずめて。

 そこからずっぷりと黒い染みが広がっていく。

 早鐘を打つ心臓を覆いつくすように、胸のなかに暗いものが広がった。

 地面が近い。このまま落ちてしまえば、道端で潰れた果実のような末路を晒すことだろう。

 それでいいと、少女は思った。

 そんな結末がお似合いだと目をつむった。

 変わらない暗闇の景色を見る。


「……でも、わたしはまだ奏を見つけられていない」


 終われない理由が、まだ残っていた。

 それは、暗闇を晴らすような光では、ないけれど。


「わたしが――空閑遥(くがはるか)が、希望を灯す〈星〉の魔法少女なら……!」


 少女は伸ばしたままの手を強く、握りしめた。

 重さはなかった。ともすれば、空想の産物だと思ってしまうほどだ。

 それでも、開いた目にかたちが映る。

 だから、存在を信じられた。

 ステッキを、黒い花嫁へ振るう。先端に小さな球体が浮いていた。瞳に焼きつく夜空色をしている。その周りを廻る星が尾を引いて、輝く軌跡を残した。

 手に返ってくる感触はない。


「なんで……!?」

「いいや、それでいいんだ」


 その軌跡から、星屑が放たれる。

 星を砕いたような欠片が宙に踊った。

 それは小さくも綺羅と輝いて、空洞のおなかに光を灯した。

 化身がボロボロとかたちを崩していく。影はなく、染みひとつ残さず消え去った。

 それを見送る間もなく、遥のつむじが接地する。脳漿がアスファルトを染める刹那、彼女の視界の端に白い光が映った。

 それは、墜落の衝撃で意識がはじけたから――ではなく。

「わ」

 と、ひっくり返った。

 くるりと体の上下が入れ替わって、靴底に砂がこすれる。どこかの路地裏に降り立ったようだ、月の光は遠く、夜の底を思わせた。

 地面の硬さを味わうように足踏みをする。べたつく感触が足裏から伝わって視線を落とす。

 真っ赤な果実が落ちていた。

 りんごだ。

 あたりはビル群で、果樹の生える余地はない。だれかが故意に落としたか、あるいは不幸な事故があったのか。

 点々と、染みのように黒いものが見えた。

 蟻が群がっていた。

 割れた断面からにじみ出た果汁をたどって、黒い虫がわらわら、夜の影に蠢く。

 美味しい中身(かにく)を、せっせせっせと運んでいた。

 そんな食物連鎖に、遥は、


「がんばれ」


 と思わず、そんな言葉が口を突いた。

 何に対してがんばれなのだろうか。

 果肉を運ぶ蟻に対してか。それとも、その身を貪られるりんごに対してか。あるいは、別の何かに対してか。

 自分の感情の正体を、遥はわからずにいた。

 そんな疑問など興味なさげな声が、彼女の影から響いた。


「初めて空を飛んだ感覚はどうだった?」


 影が喋ったのではない。

 猫が毛づくろいをしていた。

 ふわふわと、しゃぼん玉のように浮かんで。

 夜を写し取る透明な体に毛色はなく、揺れない尻尾が精緻な硝子細工を思わせる。

 瞳孔の細長い瞳と、ぺろぺろと動く舌だけが、りんごのような深い色をしていた。


「落ちただけだよ。それにすっごく怖かったよ、アト」


 既知を認めた少女の声音は、明るくはずんで夜馴染みのしないものだった。


「何を怖がる必要はない。コスチュームは、きみの描いた魔法さ。希望を失いさえしなければ、守ってくれる」


 見てごらん、と。

 アトが鼻を突きだす先。

 黒い花嫁にふれられた腹部の布は破れて、みぞおちからおへそまでのなだらかな丘陵を露出させていた。


「希望は脆いんだね」

「けれど、失わない限り夢を描ける。世界は、きみらの思う通りに描き変え(、、、、)られる」


 どこからともなく光が集まる。白い光が蛍のように飛び回って、衣装の穴を埋めていく。

 あっという間に縫製されて、元通りになった。

 遥はその光景に、ぼうっと吐息を漏らした。


「これが、魔法なんだね……」

「少女の魔法は夢と希望でできている。そのどちらかが欠ければ、魔法は不完全なものとなる」


 〈星〉の魔法少女、と。

 アトは言った。その無機質な声で。

 欠けた星の魔法を描いた、遥へと。


「きみの夢は、どこにあるんだい?」

「……夢。わたしの、夢は……」


 じりじりと、夏の暑さを思い出して脳細胞が焦げていく。

 水あめのように絡みつく、うだるような暑さの屋上で。

 花火の音に混ぜた、奏の言葉を思い出す。


「わたしは、まだ奏に言えてない言葉がある……それを伝えるために、あの子を探すんだ」

「そうなんだね」


 それは退屈な物語を横目にするような、まるっきり興味のない声音だった。

 くわぁぁ、と大口を開けてあくびをするアト。舌先をしまい損ねている。


「魔法少女が夢を失ったらどうなるのか。その結末を知ってもなお、天音奏との再会を望むんだね」


 アトの瞳は揺らがず透明で、何を映しているのか窺えない。

 そしてそれは、遥も同じだった。表情筋をぴたりと動かさず、瞳孔の開いた瞳で夜の底を見つめた。


「わたしは探しているんだよ? 奏は、どこかにいるに決まってるじゃない」

「信じ抜けば、その夢は叶うよ。きみは魔法少女なんだから」

「夢じゃなくて、事実だよ」


 言っていて、思考がまとまらないと感じていた。頭がゆで上がってしまったかのようだ。

 だからだろう。

 その声が、夜を燃やしたのだと錯覚したのは。


「なんだよ、いるじゃねえか」


 赤色だった。

 路地の底まで照らす月を背負ってなお、その色は鮮烈に目を焼く。

 血より高貴で、炎より静やか。口紅(ルージュ)のような、扇情的な赤。

 髪も瞳も、裂けるようにして笑う唇も、そして、コスチュームすら赤い。


「魔法少女をあらかた救済して姿を消した。そう聞いてたんだけどよ」


 赤色の少女は喉を震わせて、花の蜜がごとき艶やかな声で吐き捨てた。

 彼女は、一歩ずつ近づく。白くすらりと伸びた脚のやわ肌を冒すように、黒い編み込みのタイツが這いまわっている。


「こんなとこじゃ〈世界(ステージ)〉も展開できねえ化身くらいしか討てねえだろ。どういった風の吹き回しだ?」


 距離を詰める赤色に遥は、まばたきを忘れ、呼吸を奪われる。

 その少女は、ステッキを握っていた。先端の球体は、ふたつに割れている。平行に浮くそれは、白と赤の色に分かれていた。


「なんとか言えよ。(かお)を忘れたなんざ言わせねえぞ」


 水を向けられて、とっさに息が漏れた。

 カラカラの喉をどうにか震わせる。


「知らないわよ。わたしには関係ないよ」

「〈失貌(しつぼう)〉する前に救っちまうなんて芸当、おまえしかできないだろ」


 つまらない冗談を言うな、と。

 怪訝を通り越し、怒りで美貌をゆがませながら彼女は言った。


「そん、なの」

「ウダウダとうっさいなぁ。いつもの薄気味悪い笑みはどうしたよ」


 赤色の少女が一歩踏み出す。その足元にはりんごが。群がる命ごと踏み抜くように、ステッキを振りかざした。


「描き変えてやるよ」


 その軌跡が空間をめくりあげるようにして、白色のきらめきが押し寄せた。


「……っ」


 遥の全身に鳥肌が立った。それに飲まれるのはまずい、と頭のなかで警鐘が鳴り響く。

 ステッキを眼前に構え、きらめきの濁流へ振るう。

 星屑が流れていく。

 きらめきにふれた星屑は、白い結晶となってこぼれ落ちた。

 それはまるで雪化粧。否、地面にふれて砕けるその様に比喩はいらない。


「これ、お化粧……っ」


 もののあり方を塗り変える、錯覚を生み出す輝き。

 魔法と魔法の衝突。

 その結果を、ふたりともわかっていた。

 星屑はひと粒残らず化粧され、遥はきらめきに飲み込まれる。

 そうして濁流は過ぎ去り――遥は何事もなく立ち尽くしていた。


「魔法少女は魔法少女を傷つけられない。そんなことは知ってるだろう、莉彩(りさ)


 アトの声に意識を引き上げられる。

 茫漠とした視界で、焼きつくように収まるものがあった。りんごだ。

 靴底が外へと逸れていた。莉彩と呼ばれた少女は、その体をわずかに傾かせていた。

 足を引き戻し、姿勢を整える。彼女は苛立たしさを隠そうとしない、火のような声音で返した。


「黙ってろよ。おまえが語る理屈も道理も、あたしが描き変えてやるよ。そのための魔法だろうが」


 魔法といえば、と莉彩と呼ばれた赤の魔法少女は、遥を見咎めた。


「なんだその魔法? そんなちんけな星屑を生み出すなんて……」


 つぶやいて、何かに気づいたように顔をゆがめた。

 それは、潔癖と信じていたものの、醜悪な一面を見てしまったかのような表情であった。


「ああ――その口か、おまえ。見えて……いや、見るまでもなかったよ」


 そういやあいつは紫色だったな、と舌を打つ。


「魔法少女になっちまうほどの夢と希望を持ったやつは、この街じゃあいつが手をつけていたと思ってたが――不愉快なのに変わりはねえな」


 莉彩は一歩、強く踏み込んだ。それが連続する。

 そんな乱雑な動きでも華があった。思わず目を奪われる。

 遥の視線を嫌うように、莉彩は舌を打った。


「のろまな新人だ。ちゃんと教育してやれよ、アト」


 遥の眼前に莉彩のステッキが突きつけられる。

 白のきらめきが薄い円形をかたどる。注視をすると、割れた鏡が集っていた。


「魔法少女は魔法少女を傷つけられない。じゃあ、魔法少女は、どうして夢を失う?」


 破片が集まれば、いびつな鏡面が出来上がる。

 そこに映ったのは、


「え……?」


 見慣れた自分の顔、なんかではなく。


「その夢が叶わないと、てめえが認めるからだよ」


 見間違いかと思った。ただそれは、笑っていないからで。

 見誤るはずがない。


「このままじゃ本当の貌を失うぞ。なあ、なりそこない」


 凍った花弁を思わせる容貌だ。

 ふれれば(たちま)ちかたちは壊れて、指先に凍傷を刻む危うさを想起させる。

 そんな彼女の周りには、人があふれていた。

 いつもいたずらっぽく笑っていた。それは太陽のような溌剌さとは真逆の、月の明かりを思わせるものだった。

 その寄り添うようなあたたかさに、人は眠るような安心感を覚えていた。

 そんな、天音奏の顔が、鏡のなかにあった。


「どうし、て……?」

「おまえ、〈救済〉のを探すために魔法少女になったんだろ?」


 姿を消したって話は本当か、と莉彩は鼻で笑って。


「少女の魔法は夢と希望でできている。ならよ、どうしたいか、どうなりたいのか……おまえのことを、おまえは知ってやれてるか?」


 言い聞かせるように莉彩は言う。


「コスチュームは、なりたいものを写し取る。ずいぶんなやつに憧れたもんだな」


 鏡は真実を突きつける。

 目を背けていた現実が、遥の胸のうちを鋭く穿った。

 夏の陽気に蒸された草の、むせ返るような匂いを思い出す。


「……わたしは、奏になれないって知ってる」


 なのに彼女の姿をかたどったということは、


「そっか……もう、奏はいないんだ……」


 わかっていた。知らないふりをして、誤魔化していただけだ。

 未練があったから。それを刻むように奏の顔を張りつけた。


「自分の夢も知らないままうろつかれても苛つくだけなんだよ。落ちるなら、今ここで終わらせてやるよ」


 その言葉に従って胸に空いた穴へ身を投じたら、どれだけ心地よいか。

 おなかのあたりから広がる虚脱感に身を任せ――、


「かなでに何してる」


 銀の音が、降る。

 鈴の音より冷ややかに。

 波の音よりも穏やかに。

 声が、魔法とともに降り注いだ。

 銀色の雨が地面にふれる。あらゆる不純を溶かすように、白煙を上げる。


「〈救済〉の犬っころが……!」


 自らを狙いすました豪雨に莉彩は舌を打った。

 傷はない。魔法少女は魔法少女を傷つけられない。

 だが不思議なことに、コスチュームのあちらこちらに穴が開いていた。修復の燐光が舞っている。破損と修復の拮抗は、危うい天秤の上でなり立っているように思えた。少しでも修復が遅れたならば皮膚が溶けるなんて空想が浮かぶ。

 遥のそんな懸念より早く、莉彩は身に染みた反射でステッキを振るった。

 鏡の破片をひさしにしながら、後退する。

 遥の目の前から、奏の顔が失われた。

 そして、


「やっと見つけた……かなで」


 銀色をした魔女が、彼女の前に降り立った。

 ふわり、と。

 肩口まで伸びた銀髪が揺れる。

 頭の上に小さなハットが、枝で休むリスのようにちょこんと乗っていた。

 曇りガラスに似た不透明な色の布地が、鎖のように肌に食らいついている。スカートがくるぶしを覆うほどに長い。まるで修道服(ドレス)だ。

 それは、御伽噺から切り抜いたような魔女の似姿。けれど手には、ステッキを持っていた。

 先端に浮かぶ球体は、月のような光を灯す。その周りに凹凸のある銀色の環が架かっている。

 そうして彼女が魔女ではなく、魔法少女であると理解する。

 銀の少女は振り返らず、ステッキを躍らせる。

 すかさず莉彩も魔法を謳わせた。

 万物のあり方を美麗に錯覚させる化粧台の鏡と、万物の形象を溶かす銀色の雨の攻防。

 互いが互いを食らい合う相克は、この世で最も尊いものが砕け散る様に似ていた。

 美麗で、残酷で、儚い。

 散りゆく魔法の残滓は、海洋で舞う雪を思わせた。

 その終わりは突如――莉彩がしびれを切らすことで幕を閉じる。


「おまえとやってもキリがねえんだよ」


 ステッキをひときわ大きく振り上げた。

 蛍光塗料をぶちまけたような明かりが目を覆う。

 パウダー状の光が瀑布となって路地に迫っていた。化粧道具をひっくり返したがごとき惨状が広がっていく。

 まさに光が降り注ぐその最中、莉彩は退屈そうな表情を浮かべた。


「〈銀〉の、いいこと教えてやるよ」


 銀色の少女は、聞く耳を持たずにステッキを振りかざす。雨が束ねられていく。

 赤色の少女は、そのがら空きな懐にナイフのような言葉を突き立てた。


「そいつは顔を真似ただけの別人だよ」

「……え」


 一拍の動揺ともに指先が震える。魔法は揺らがない。

 その様子を認めた莉彩は、くだらないと言いたげに鼻を鳴らした。


「相変わらず、〈銀色の魔女〉の名に遜色はねえな」


 莉彩の姿が光に包まれた。

 銀の少女がわずかに遥へ視線を向ける。銀色の髪越しに見えた藍の瞳は、海溝のように深く、引き込まれるように遥はステッキを取りこぼしそうになった。

 言葉を交わす、暇はない。

 ふたりの眼前、うねりを以てパウダーが切迫する。

 『銀色の魔女』と呼ばれた少女は、遥から視線を切って、ステッキを振り下ろした。

 雨の束がかざされる。魔法は矛盾を描き、傘の形状を模った。

 パウダーは水を吸って、光を失っていく。ひとつひとつが地面に落ちて煙を上げた。

 その連鎖が音のない爆発を生んだ。

 残煙の向こうに赤い影はなかった。


「よく見てやれよ、お互いにさ」


 糾弾するような声が高いところから聞こえた。

 空だ。

 魔法少女は、空を飛ぶものだ。

 視線を上げるころには、赤色は夜空の彼方へ消えていた。

 一直線に飛んでいくその姿を望洋と見送った遥は、呼吸を思い出したように大きく息を吐いた。

 数分に満たない時間だった。

 嵐のようなひと時だった。


「すごい……」


 率直な心の声が漏れた。

 顔のことや奏のことを忘れたわけではない。

 それでも、宝石箱を覗き込む幼子のように少女は目を輝かせた。

 美しいものへの素直な憧れが、暗がりに落ちかけた彼女の心を照らしていた。

 ただ、宝石へふれることはできない。


「かなで、じゃないの?」


 宝石の隙間から、あまりに空虚な瞳が覗き返す。

 どこまでも透明で、底がない。そんな藍色。

 うっかりと落っこちてしまいそうな眼に捉えられ、遥は息を飲んだ。


「あなた、奏を知っているの?」


 問いかけ、返答は、

「っ!?」


 ステッキを向けられる。

 虚を突かれた遥は、星屑で応じようとステッキを振りかぶるも――遅い。

 雨のひとしずくが、遥の耳たぶを焼き切った。

 痛みはなかった。水滴の通り過ぎた箇所を指先で撫でても傷はなかった。

 それでも、頭のなかでは、じゅわ、と肉の焼ける音が反響していた。

 遅れて冷や汗が噴き出る。


「コスチュームは全身を覆っている。だから今のは、脅し」


 バクバクと心臓の高鳴りが耳にうるさい。

 ひと言でも口を開けば心臓が飛び出てしまいそうだった。


「はぐらかさないでほしい。瑠依(るい)は魔法少女だけど魔女だから……魔法少女を傷つけられる」


 その言葉の意味するところを、遥がわかるはずもない。

 ただ、体感としてその言葉が本当であると判断はできた。


「なんでかなでの顔をしている?」


 ねめつけられ、言い淀むことすら致命と悟る。

 呼吸をする余裕もなく、遥は口が動くままに言葉を発した。


「わたしは奏が生きてるって信じられてないから」

「なんで、生きていないって言えるの?」

「だって奏はあの日、屋上で」


 脳細胞が焦げつくように、じりじりとその日を思い出す。

 花火に混ぜて散ってしまえばいいと、そう願った言葉。


「『私じゃだれも救えない』って言って、〈失貌〉したから。それは、奏が夢を、諦めたってことだから」


 蝉の声を幻聴する。

 決して遠くない夏の日が、那由他の向こう側にあるように思えた。

 届かない過去。過ぎ去ってしまった、過ち。

 きっと気づいていたはずなのだ。

 自室のベッドで目覚めたあの日。

 朝陽に透けた猫から〈失貌〉の話を聞いたときに。

 空閑遥は、天音奏がこの世から失われたと認めていた。

 それでも、魔法少女として叶えたい夢が残ってるとしたら。

 ――本当に、と鎌首もたげる疑問から目を背けて。


「だからわたしは、みんなを救おうとしていた奏がだれかの希望を奪う前に、奏の夢を終わらせる」

「かなでがもういないみたいに言わないで!」


 願うような声が、銀色の少女から発せられた。

 ひざを折って乞うような、だれかに認めてもらえなければ今にも崩れ落ちそうな、悲痛な叫び。


「かなでは瑠依を救ってくれた。すべてを救う。そんなかなでが夢を諦めるなんて、ない!」


 ちくり、と遥の心が痛んだ。

 無垢な子供にサンタクロースはいないと告げるような罪悪感。

 駄々をこねる子供をはたいてしまったような後味の悪さに襲われる。

 遥へ、震える手が向けられる。

 それは、悲しみか、怒りゆえか。

 瞳は変わらず底知れない。表情にも変化はない。


「消えて、ニセモノ」


 涙の代わりに驟雨が降り注ぐ。

 重たく垂れる銀色の滴に対して、遥はステッキを振りかざした。

 その先端から星屑が放たれ、流星雨のごとき勢いで空に向かって降る。

 怒涛の雨へと食らいつき、揮発する。

 けぶる星雨が、雲がかかるように月を覆い隠していく。途端、雨の勢いが増した。


「雨は雲から降るものだからね。瑠依の得意なカンバスさ」


 透明ゆえに軽いアトの言葉より速く、雨が遥の耳を穿った。

 魔法の光が舞って傷は消える。

 それでも、星屑より多い雨の滴が、着実のコスチュームを破っていく。

 すべてが破られたらどうなるのか。鼓膜を焼く音こそ雄弁だ。


「でも……こんなとこで……負けるわけにはいかないの」

「ひとつアドバイスをあげよう。月が見えれば状況は変わるよ」


 その真意を吟味している余裕はない。

 遥はステッキを回した。それに合わせて、星屑は銀色の雨を巻き込んで上へ上へと昇っていく。

 耳朶を叩く雨の音は遠い。消える間もなく舞う燐光の隙間から、一意に空を望む。

 銀色に輝く嵐の先端が雲を貫いた。

 月の光が露わになる。それと同時に、まるで水を通すホースが踏みつけられたように、雨の勢いが弱まった。

 理屈を問うより先に、遥はステッキを持つ手をさらに高く掲げる。

 嵐が月にふれようと背を伸ばしていく。

 そのまま彼方の空へとたどり着く――ことはなく、見えない壁でもあるように停滞した。

 一瞬の静寂。

 遥と銀色の少女は、共に空を仰ぎ見た。

 ふたつの瞳の色を、銀色の爆発が染め上げた。

 藍の瞳が不意の出来事に閉じる。

 月の光で目を眩ませていた遥は、かすかに視界を保つことができた。

 わずかに生まれた隙を縫って、つま先から地面を蹴り上げる。

 ビルから飛び降りたときの浮遊感を思い出す。

 空へと吸い込まれるように遥の体は浮き上がった。

 ひょいひょいとアトが腕をたどって、肩上に収まる。


「逃げるんだね」

「そりゃそうよ。勝てないもの」


 魔法に絶対的な出力差があることは歴然だ。

 どうするか、どうしたいか。

 夢を叶えようとする思いの違い。


「ねえ、アト……あの子は奏が生きているって、心の底から信じられているんだね」

「そうだね」


 逡巡のない答えだ。もし聞かれる立場なら、遥だってそう返答する。

 それだけの実直さを見せつけられた。

 それは、目をそらしたくなるほどの眩しさだ。


「羨ましいなぁ」


 行動の指針を決めても目指す場所はわからない。

 そんな在り方を示すように、遥はふらふらと浮くばかりで、空を駆けることができなかった。

 建物と建物をつたって、どうにか路地裏から離れるのであった。

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