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スターリィシネマ・ダイアローグ  作者: 綾埼空
Fairymirror Festival
18/50

メイクアップ・ユアセルフ

 約束の時間通りに現れた莉彩の顔を見て、遥は平静を装えているか不安になった。


「んだよ、変な顔して」

「んえ!?」

「いつも通りってことだよ。今さら驚くことか?」

「そ、そですか」


 取り繕えているようで胸を撫で下ろす。それはそうとひどいと思った。


「んじゃあ、さっさと済ませるか」

「お手柔らかに……」


 莉彩に先導されて、ひさしにしていたビルに入っていく。先ほどから若者の往来が目立っていた。いわゆるファッションビルなのだろう。

 エントランスを通ると、甘い匂いがわずかに漂っていた。香料のわざとらさしが鼻にまとわりつく。香水の匂いだった。

 休日で賑わっているものの、肩をすぼめて歩くほどではない。けれど気分は縮こまっていた。みな似たような年代だろうに、その服はどこで見つけてくるんだ。生きている世界が違うのか。眼球は同じのはずなのに、同じ世界を見ているとは思えない。とりあえず寒くないように重ね着してきた自分が場違いに感じられた。暖房が効いてやや暑い。

 足下を見ながら、遥はだれの靴も踏まないように歩いていく。脳天に衝撃を感じた。


「す、すみませ……」


 だれかにぶつかってしまったと顔をあげて、赤色を見た。目が辟易するように細められている。


「へにょへにょ歩いてると置いてくぞ」

「……あい」


 道しるべに似る鮮烈な色を頼りに遥は歩いていく。深紅のファッションに今さら目が行く。圧倒的存在感だ。靴音を鳴らすたびに人波が分かれていると錯覚する――いいや、勘違いではない。

 足音に目をやって、そうして少女たちは莉彩の姿を見る。その美貌を瞳に映して、眼差しに憧憬を宿した。

 理想がそうであるように、赤色の少女は遠巻きに眺められる。近づくことが困難であった。それは各々の思い込みでありながら、しかし、莉彩という美の正体だ。

 高嶺で見る蜃気楼の花。決して届かぬ幻想のごとき美しさが、人々に混ざると際立つ。

 ふれれば届いた。感触があった。決して見失わない色をしている。けれど、本当の彼女に向き合えているのか。

 疑念が遥のなかで渦巻く。霧の立ち込める山中で遠く見つけた花を摘む困難を思う。

 そうして遥の前には、いつの間にか数多の化粧品が並べられていた。


「……おまえ、絶対話聞いてなかっただろ」


 まるで不倶戴天の敵を見つけたように――それは雲で覆われた夜で星を探す鋭い目つきで――莉彩が吐き捨てる。


「き、聞いてた、よ?」


 嘘はついていない。聞き流していたのが事実だ。基本的なメイクのやり方を説明していてくれたわけだが、さすがに女子高生なので基礎知識として情報は仕入れていた。抑圧と開放の境界に立つ女子高生は日々成長をしていかなければいけない。あまり化粧品を顔に乗せすぎると怒られるのに、脚色しなければくすんで見える。実践は甘いのでこうして相談に至ったのだが。

 遥たちがいるのは、いかにも未成年が足を伸ばす甘やか(ロリポップ)なメイク用品店だ。安価でひとしきり揃えられるわけだが、高校生ともなると低すぎて回るのに苦労する鉄棒のような難易度だ。

 見渡せば小学生こそ少ないものの、中学生らしき少女が目立つ。自分よりきらめいて見えるので閉口するほかない。

 当然、莉彩は浮いて見えた。自分はどうだろう。テーブルに備え付けられた丸鏡を見てもわからない。

 ふたりは椅子に座っていた。机を挟んで対面に。清算待ちのテーブルだが、商品整理のために一時的に借りている。

 台の上には化粧下地にファンデーションやリップ、アイライナーなどと化粧品が並ぶ。カラフルなデザインを目にして、遥は喉の奥を引きつらせた。


「その、もうちょっと……おとなしめ感じでいいんじゃない?」

「それじゃあ生活だろ。なんでわざわざファンシーな店に来たと思ってんだ。揃えるだけならドラックストアでいいだろ」


 莉彩がひとつひとつを取り出して持参していたらしいポーチに詰めていく。黒の無地だ。袋は無用と断っていた。


「いつもと違うことをすれば趣味だ。どっちかわからねえなら、極端なほうがいいんだよ」

「むぅ……」と遥は押し黙る。


 言葉を届けるため――まず声を聞いてもらうために、見目を整える。

 自身の平凡さを悲観するのではなく、もっと輝ける星になれるように努力したい。

 それが遥が粧しこむ理由で、そこに望みはあれど自己承認の感情はない。

 自分自身に魅力を感じてもらうのが目的ではなく、そうして言葉を聞き届けてもらうための手段だ。

 実益のためのメイクだが、それが生活に根づくものか趣味として世界を拡張するのかの判断がついていないのは事実だった。


「よし、じゃあ行くか」


 外箱を遥に押しつけて、莉彩が立ち上がる。受け取った外装をかばんにつめ込みながらその後に続く。行儀のよくない客だっただろうに女性の店員が愛想よく見送ってくれて、遥は足を速めて赤い少女を追い越した。


「どこ行くのかわかってんのか?」


 歩を緩める。どこで何をすればいいのか皆目見当がつかなかった。


「どこに……何をしに行くの……?」

「化粧教えろって話だろ。レンタルスペース借りてるから、そこで使い方教えてやるよ」


 エスカレーターを下ってエントランスから出ていき、べつのビルへ移動する。

 年齢層がガラッと変わる。服装はさまざまだが、大人の姿が多い。休日の百貨店だ。賑わいを見せていて、隙間を譲ってもらいながらどうにか進んだ。エレベーターは待機列で渋滞をしていたので、長蛇の一部となってエスカレーターに乗り込む。

 階が上がるにつれてひとの数が減っていき、エスカレーターの上りが途切れるころには呼吸に十分な隙間ができていた。

 メンタルクリニックや調剤薬局が観葉植物で結ばれる閑散とした空間は、ソールが床に噛むきゅっと鳴る音をやけに響かせる。窓はなく、落ち着いた色の照明が室内を照らしていた。空調の低い音に気づけば耳の奥で静かに響く。

 その一角。看板もない自動ドアを莉彩は逡巡なく通り抜ける。遥はおどおどしながら続いた。

 受付のひとはおらず、赤色の少女は携帯端末を取り出して扉の並びを見定める。そのひとつの前で立ち止まり、端末を操作すると鍵が開いた。

 莉彩は自室のような気楽さで扉を開け、靴を脱いで部屋にあがる。ブーツであった。

 招かれることはないが、決して振り返ることのない背中が有無を言わせない。遥はスニーカーを脱いで、後ろ手に扉を閉めた。オートで鍵がかかる。

 入室を感知してか自動で電気が点いた。室内は、想像するひとり暮らしのようであった。家電の類はないので生活の気配はないが、ソファーやテーブルなど、くつろぐための空間だけが切り取られて配置されている。そんなふうに遥は感じた。

 小さいながらも化粧台(ドレッサー)があった。ホイップクリームに似た純白で、どこぞのファンタジーを取り出した甘いデザインだ。おもちゃのようで実用性は疑わしかったものの、内装を映す曇りのない鏡面に真実を見つける。それを威圧に感じた。その重さは、これから行うことへの精神的負担だろう。

 やりたいことがやらなければいけないことに変わると、なぜこんなにも気が重くなるのか。

 暖房が効いてる室内で上着は呼吸を詰まらせる。かばんと一緒に壁にかけた。


「気を張りすぎだよ」


 莉彩は化粧台のうえにポーチを置いていた。赤い瞳が鏡越しに遥を捉える。


「化粧なんて結局二択だもんな。自分を高めるか、自分を否定するか。それはどうしたいかって望みを叶えるための選択肢だ」


 どうしたいか、どうなりたいか。莉彩は魔法少女としてそう唱えてきた。

 自らを描き変える。その点において化粧は魔法と類似する。


「なんで選択するのか。それさえ間違わなきゃ、おまえはなりたい姿になれるよ」


 今の自分をもっと輝かせるため。今の自分を塗りつぶして別人になるため。どちらも自分が基軸である。ならば、自分とは何か。

 理由こそが自分だ。粧しつける理由。遥はどうして輝きたいと思ったのか。


「ちゃんと、言葉を届けられるひとになれるのかな……」

「信じろよ。迷いが顔ににじむぜ」


 莉彩の言葉に頷き、遥はドレッサーに近づいた。迷い込むようにして椅子に座る。

 背もたれに手をかけた莉彩が、鏡を見つめていた。


「化粧はおまえを殺す手段なんかじゃねえ。生きて叶えるための方法だ」


 促されてポーチを開く。化粧や水乳液などのスキンケアは事前に済ませてある。時間が空いているのでどのくらい意味があるのかはわからないが。莉彩には伝えていた。省略されたということは、多少意味はあるのだろう。

 化粧下地を手に取る。出す量を測りかねた。


「パール粒ほどってよく言うだろ。それくらいでいいよ。おまえは乾燥肌だからな。とりあえずそれ使っておけ」


 莉彩の指示に従って顔に点々とクリームを置き、引き延ばしていく。カンバスのように肌が白くなる。毛穴が埋められてつるりとした肌にそばかすだけが目立つ。


「いちおうコンシーラーは買ったけれど……どうする?」

「……莉彩はどう思う?」

「前に答えたつもりだぜ」


 鏡に映し出された魔法少女としての顔を思い出す。そばかすを粧かした莉彩は、その存在を否定したわけではなかった。

 素顔で戦う必要はない。化粧した姿は偽物ではなく自分自身(アバター)だ。どう世界に働きかけたいか。

 遥は鏡のなかのそばかすを指差した。


「わたしは……べつに、これがコンプレックスだったりするわけじゃないんだ」

「おまえが、自分自身にも興味なかっただけだろ」

「まあね」


 そうだ。執着はひとつだけ。ほかのあまねくに関心がなかった。

 けれど、そこから始まった。飛び出した遥は、世界を知ろうとしていた。


「これが自分だって知ってる。それを肯定したいとか、否定したいとかはないんだ。あるがままでいいって思う」

「贅沢な話だな」

「……わからないけど……きっと、そうなんだね」


 脳裏によみがえるのは、秋に鳴り響く蝉の声。飲み込まれそうな青の下で無惨に引きちぎれていた抜け殻。

 〈失貌〉は――自己否定は、あんな醜悪な姿に魔法少女を変える。

 自分を見失わないことは、それだけで幸福だ。

 自分を知っていこうとしたばかりの遥には、まだ理解の及ばない感覚であった。その空虚を体感してもなお、自分事になるには遠い。


「わたしは、完璧になりたい」

「完璧ね……どうせ、おまえが考えてるのは、〈救済〉のやつの顔だろ」

「アイドルとして、あんなに輝いて見えたからね」

「顔で売れてたわけじゃねえだろうけどな、あいつは……魔法と、そんなことを願っちまう思想がひとを引き寄せていたんだろ」

「でも、かわいいのは事実だよ。それが魅力じゃなかったなんてない」

「完璧な顔の正体って知ってるか?」


 ため息でもつくような莉彩の言葉に遥は首をかしげる。


「ないことだよ。首から上がないことが、完璧な顔なんだ」

「……ないと、美しいとも醜いとも思われないから?」

「完璧は存在しないことだからだよ」

「存在しない、じゃなくて?」

「どうして完璧になりたいのか考えればわかるだろ」


 赤い瞳が肉体を溶かす炎に見えた。彼女を前にすれば、本性だけしか残らない。


「欠点が、雑音になって言葉が届かなくなるから」

「だれかの欠点はだれかの美点だ。見るひとによって価値基準が違う以上、その判別に完璧性は宿らない。だれにどう見られたいか。それだけだ。けど、存在しないことはノイズにはならねえ」


 くだらないと言いたげな口調で莉彩は言い重ねた。


「完璧なんて追い求めても、いつか貌を失くすだけだぜ」

「だれに届けたいのか……それを考えろってことだね」

「だれにどう届けたいのかを考えるべきってことだな」


 その言葉で雑念は解けた。答えは最初から決まっていたけれど、それは正答を見て解答欄を埋める行為でしかなかった。

 遥の理由が舌を湿らせた。


「そばかすは、隠すよ」


 コンシーラーを手に取る。


「わたしは、わたしを届けたいわけじゃない。わたしは、希望を失ったひとに手を差し伸べたいから――どこにでもある、ありふれた存在になりたい」

「……個性を消して、理想を作るのか」


 莉彩の長い指が遥の手に巻きつく。朝露に濡れた花弁に似た離れがたい感触がした。「開けろよ」耳元で声がする。キャップをひねってリキッドが筆先に乗っているのを確かめる。肌よりわずかに暗い色に見えた。

 ブラシを持つ指に莉彩の指が重ねられる。力が加えられて、遥は肉体のコントロールを手放した。


「こう、リキッドを置いてな」


 鏡の向こうの自分が操り人形のように見えた。頬のそばかすをイエローが覆っていく。やわらかなテクスチャーだ。

 手が離れる。雨上がりの温度がわずかに残った。赤い爪がポーチを探る。黒い棒を掲げた。


「で、ブラシで伸ばすんだ」


 先端の丸い筆が遥の頬を撫でていった。そばかすが覆い隠される。

 パウダーを重ね、アイメイクを施す。アイブロウで一気に印象が変わり驚く。輪郭にコントラストを生むと顔つきが別人に思えた。

 淡い色のリップを唇に置く。馴染ませる動きで声を作った。


「ねえ、莉彩」


 鏡越し、動作を見つめる赤い少女を見据える。


「莉彩って、ほんとうに莉彩なの?」

「……何を考えてるのか……詳しく聞く気はねえけどよ」


 距離よりも遠いところから――鏡の向こうから言葉が聞こえてくる。


「あたしはあたしだよ。それ以外になる気がねえ」

「化粧は……莉彩にとっての化粧は、そのための方法?」

「そうだよ。この顔は、あたしの顔だ」


 その答えに、遥は振り返ることをしない。鏡に真実が映っていると信じた。


「もし自分を見失いそうになったときは、手を伸ばしてね。わたしはそこに、絶対にいるから」

「ずいぶんな自信だな……ま、それに見合うだけの顔はしてるよ」


 莉彩の言う通り、鏡のなかの自分は引っかかり(、、、、、)が消えていた。透明感と表現してしまえばありきたりだけれど、まるで逃げ水のごとく目の前に見えているのにつかめない、摩擦のない顔をしていた。

 それは赤の少女に感じたことでもあった。鮮烈な色をしているのに、ゆらめく炎の残像を追う行為がそうであるように、手に跡を残さない。

 美というのはそういうものなのか。近づけば近づくほど、だれの手にもふれられない、摩擦のない存在となるのか。

 遥自身はそれでよかった。彼女は伸ばした手を取ってもらうために美に卑近した。言葉が他者との摩擦になる。けれど、莉彩は――、


「さて、時間もぴったしだ。さすがあたしだな。出る準備しろ、遥」

「あの……お金は……?」

「んな無粋なこと考えるな。プレゼントだよ。受け取っとけ」

「いやさすがに……お菓子じゃないんだから」

「女の子は砂糖と化粧でできてるんだよ。似たようなもんさ」


 でも、と言い返す遥の脳天に莉彩が手刀を振り下ろした。はんぺんの角にぶつけるよりダメージが入る。


「な、なにするの!?」

「うだうだ言ってるからだよ」


 振り返った先、赤い少女は甘すぎるものでも噛んだ顔をしていた。何か聞き馴染みのない、べったべたの言葉が口に出されると期待して、遥の口角があがる。

 それを目にしてさらに顔をしかめる莉彩だったが、いくらかの逡巡を見せたあと、慣れない言語を喋るように言った。


「あたしだって魔法少女なんだ。希望が生まれるなら、それを喜びたいんだよ」


 それが聞ければ、今は十分だと遥は思った。

 メイク用品をポーチにしまって、荷物を手にする。

 扉を出て、外への道を進んでいく。並んで歩くことに遠慮はない。

 描いた顔は髪の色を変えた日に似てどこか気恥ずかしかったけれど、それを自分だと誇るのは自然とできた。

 自動ドアを抜け、ビルから離れる。

 冬の空は透き通る青だった。

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