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スターリィシネマ・ダイアローグ  作者: 綾埼空
Fairymirror Festival
17/50

割れた鏡

 住宅街から駅へと向かっていくと、まばらに並ぶコンビニが区切りになって、一気に景色が変わった。

 商業施設の集まるビル群や、クリニックビルが背比べをするように軒を連ねている。

 都心からいくらか離れた駅だからこそ、いわゆる生活圏として人口が密集しており、交通網に頼らなくても経済活動が完結するようになっていた。

 その一角で遥は足を止める。建物を見上げた。快晴。少女はうわの空。

 脳内をめぐるのは、妖精を思わせる化身と戦った日のこと。

 あの夜に、瑠依が口にした言葉が血管に詰まったように思考を奪う。


『たぶん彼女、アトが見えてない』


 その意味の、正確なところはわからない。

 ただ――、と思い出すのは、アトと出会ったときのこと。


「ねえ、アト」


 人いきれ、その足音に混ぜ込むように遥は言葉を紡いだ。建物の影のなかにいた。

 ふよふよと、透明な猫が浮かび上がる。透過する体躯の証明として、だれの目にも映らない。

 魔法少女になってしまうほどの夢を抱え込んだ心でしか、アトの姿は見えない。


「莉彩のこと?」


 猫の無機質な声に頷く。


「予兆はあったよ」

「そうなの?」

「ぼくの声が届いていない……まるで猫のようにしか扱われていないことがあった。遥も、知ってるはずさ」


 思い出す。≪魔女の夜≫が明けて、登校する日だ。莉彩と会い、そこでアトの言葉に取り合わないのを目の当たりにした。

 それは、当たりの強い彼女なりの軽口めいた冗談で、いつものやりとりの一環だと流していた。


「かたちから想像する通りの言動を当て嵌める。思い込み。まさしく錯覚だ」


 その思い込みを世界に押しつける――鏡のなかに映した姿に現実を描き変える魔法を使うはずの莉彩が、錯覚に飲み込まれている。

 もちろん、認識に偏りのない人間はいない。どこかで勘違いもする。莉彩の使う鏡の魔法に対する考察だって、答え合わせをしたわけではない。ただの所見で、差異はあるはずだ。

 でも、と遥は思う。


真実(ゆめ)を見ようとしているはずの莉彩が、それを見れてない……」


 彼女にとって夢は見るものだ。空を飛ぶ魔法(わけ)を教えられたとき、そう言われたのを憶えている。

 疑いようのない真実としてそこにあるもの。その場所を目指す自分たちこそ希望だと、莉彩は語った。

 アトが見えていない。夢を見失った少女は、いったい何を目指すのか。

 それは希望を失っているのと遜色がないのではないか。

 褪せた赤色を幻視したのを思い返す。消え入りそうな姿に、約束を取り付けた。

 それが今日という日に結びついた。

 だから、向き合わなければいけない。夜ごとに目を逸らして眠りについたからこそ、朝はやってきた。


「自分が使っているはずの錯覚(まほう)に、莉彩は飲み込まれている」

「その意味を、きみは知ってるね?」


 遥は頷くことをしない。だが、首を横にも振らなかった。知識があるわけではない。その公理を理解しているのではなく、事実として認識をしていた。

 受け入れがたくも、否定はできない。

 魔法少女の夢の末路。星に手を伸ばすのではなく、星を手にするため空を飛んだお伽噺の結末。

 その翼は、いつかやぶれるためにある。

 その墜落を、こう呼んだ。


「〈失望(ボイド)〉」

「魔法そのものになり果てる。それは〈失望〉と言って差し支えないだろう」

「夢を失い希望を見失って、自分自身を()くして――その心だけが残る。夢を描いた魔法だけの存在になる」


 由来ではなく、存在として。

 〈失望〉がそのようなものだと、認識をしていた。


「でも、そうなる前に〈失貌〉するんじゃないの?」


 記憶に浮かぶのは、花火の光をも呑み込む忘れることのできない真っ黒。そしてそれだけが、遥の見た〈失貌〉だった。


「そうだね。顔を……自分自身を失う。その自己否定によって少女は〈失望〉になる」

「だったら、莉彩はまだ魔法少女だよね」

「ねえ、遥」


 アトの声はいつだって無機質で、だからときに、冷えたナイフの刃を見せられた時のように臓腑を縮こませる。


「きみが見る莉彩の顔は、本当に彼女なのかな?」




 ☆ ☆ ☆ ☆




 割れた鏡の夢を見る。

 初めて鏡が割れたのはいつだったか。額が切れて、血が流れている。

 そうだ。なんてことのない諍いだ。

 放課後に連れ込まれた男子トイレ――だれも寄りつかないような、足跡のない清潔さが潔癖に映る、棟の端の端。文化系の部活動の談笑が壁一枚隔てて異世界のように遠く感じる、廊下のうす暗い梅雨の頃。

 なんて言われたのか。具体的には思い出せない。ただいくつかの排斥を感じた。言われ慣れていて、かたちが認識できなかった。

 いつもと違ったのは、そこに生臭い息を感じたこと。汚物を扱うように距離をとられているのに、鼻先を臭気が覆う。

 その源泉を嗅ぎ分けて彼らの顔を見る。だれもかれも記号的で個体の判別はできない。まぶたはおしなべて不快をかたどっている。規格の揃った量産品のようで、コンビニのおにぎりよりも見慣れていた。

 なのに、その奥に嵌まる瞳が、いつもと違って感じられた。

 見切り品シールが貼られた魚の目玉のように濁っている。そこから、夏場の排水溝のような臭いがする。

 ああ、それは――……だ。白くて、濁っていて、生臭くて。知っている。

 夜が明けなければいいと願った。ただ母の愛玩に従って、鏡の前で物言わぬ人形になれ果てたかった。

 朝起きて、不愉快な感覚を下腹部に感じる。

 その正体が、今、目の前にあった。


「――っ」


 押し込められた壁際からどうにか脱するため床を蹴る。檻のように囲う彼らから逃げ出そうと全体重をぶつけた。

 意表を突けたおかげか人垣にひびが入る。結束の弱い隙間から上体が泳ぎ出た。

 だが、そこまでだった。

 脚が掴まれて、それ以上進めなくなる。網のなかでじたばたと抗う魚を想起させる動きで暴れまわった。片足に風を感じる。つま先の赤い上履きが脱げた。

 声は出なかった。全身に力が入らない。筋肉という筋肉にねばついた液体でも沁み込んでいるのか、力を込めるほどに弛緩していく。

 呼吸すら不自由になり、喉仏を締める苦しさをほどくには何をすればいいのかすらわからない。自分がどうしているのかすら認識できていなかった。

 唐突だった。

 鏡に姉/姉とされるもの/だれかの顔が映って見えた。

 透明な肌に淡く乗った色が幻想的で、降雪に沈んだ都会の静寂を思わせる。男性的な骨格を削って見せるメイクは、丸みを帯びると言うより薄く削がれた氷の冷ややかさを錯覚させた。両性的で、蠱惑的。蠢動する内臓のように艶めかしくて、見てはいけないものをさらけ出しているかのよう。

 その禁を犯し、ふれてみたいと願うは(さが)だろう。

 性欲、なのだろう。

 鏡に映る姿に自分がなんなのかを知った。

 そうした対象になり果てているのだと、思い知った。

 自分に向けられている性欲が、どうしようもなくおぞましい。

 顔が見えなくなる。

 音がした。壊れる音がした。

 それは鏡の割れる音か、額が割れた音か、それとも――砕け散ったのは、かたちあるものなのか。

 そのあとのことはよく憶えていない。ただ大人に囲まれて、その腫れ物を扱うまなざしに日常を取り戻す。鏡の割れた音が、異世界の住人にも届いたのだろう。

 もうろうとする意識のなか、どうすればいいのか判断がつかない。だれも指示をくれなかった。

 帰らなきゃ、と思った。意外とすんなり立ち上がれた。

 鏡が割れていた。自分の姿を見る。

 額から流れた血が、唇を染め上げている。

 あかく、赤く。

 舌先でそれを伸ばす。味なんて、とっくに感じられないのがふつうだった。だからうわさに聞く鉄の香りなんてしないけれど。

 ひび割れた鏡面に映る顔はゆがんで、ひずんで、ばらばらだった。

 赤の鮮烈さだけが視界に焼きついた。

 そうなりたいと、生まれて初めて思った。

 なり果てるなら、あんな姿がいい。

 ならなきゃいけないものになりきれないと知ったのに、愚かにもそう望む。

 具体的でなく茫漠として、まるでお伽噺に憧れる寝処の夢だ。

 そんな日のことだった。

 鏡が作る影から、無機質な声がしたのは。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 目を覚ます。最悪の寝覚めだった。記憶にこびりつく夢の内容に莉彩は舌を打った。

 壁際に寄せたベッドから起き上がる。赤い髪が後ろに流れていく。床冷えする気候になってきたが、構わず素足を乗せた。

 もとは無地のフローリングには、色の飛沫(しぶき)が残っている。油絵具の跡が乾いてまだらを描いていた。

 ほかにクローゼットくらいしか家具のない部屋の端々を、カンバスや油絵具の缶が埋め尽くす。ぽっかり空いた中央に、イーゼルと描きかけのカンバスが置かれていた。

 べつに絵を専攻していたわけではない。特段、興味もなかった。

 ただなんとなく、言葉にならない衝動を抱える夜に色を走らせると、ランナーズハイのように高揚した。その感覚が離しがたくて、名もない作品が増えていった。

 具体的なモチーフはない。抽象画とくくるには技法も何もなく、ただただ嵐の過ぎた海岸のように混然とした様相をカンバスに示していた。

 最近は、筆を執る日が増えていた。中毒の予兆に似て、日の間隔がどんどん狭くなり、ここひと月は毎日だった。

 何が胸を焦がしているのか。何にこんなにも焦っているのか。

 天音奏の消息が追えなくなった日から、正体不明の感情が莉彩を急かしていた。

 まるで日付の過ぎた映画のチケットに気づいたように。

 もう手遅れになってしまった。そんな焦燥感が、莉彩を炙る。


「……はぁ」


 気づいたら筆を握っていて、嘆息する。

 指の間に馴染む筆は、手放すとき甘いしびれに似た別れがたい感情を想起させる。指が失われてしまう不自由を感じながら、どうにかイーゼルに乗せ直す。

 扉を開け、廊下を渡る。生活臭のない、モデルルームのように埃ひとつない木板を踏みしめて、階下に降りていく。

 洗面台で身を整える。鏡はないので確認はできないが、どうせ何も変わらない。

 腹の虫が食事を求める。もう昼が近かった。リビングへ向かう。

 テーブルの上には朝食が並んでいた。


「おはよう」


 キッチンから母の声がした。今日も今日とて機嫌がいい。


「莉彩は今日も綺麗ね」


 少女は応えない。ただ並んだ食事を胃に詰めていく。対話に意味はないと知っていた。

 母の言葉は勝手に進行していった。聞き流すのには慣れて、その意味は鼓膜を震わせない。

 流しに食器を置くついでに、その澄み切った瞳を窺った。風景を反射する虹彩は、しかし莉彩の姿だけを映さない。

 母は、彼女の見たい〈莉彩〉の姿を見ている。

 見たいものが――なりたい姿が鏡には映る。母はおまじないのように言った。なりたい姿が映るように自分を変えろ、と。

 だが、鏡に合わせる必要はない。鏡が理想を映せばいい。

 そうして幸福がかたち作られるのなら、それは魔法だ。

 だから描き変えた。

 それで莉彩の夢は叶った。

 いつかに無機質な問いがあった。『その先は? 夢を叶えたその先の夢は、どうするんだい、莉彩?』

『そんなもん、どこにもねえよ』そう答えた。生涯を賭けて追い求めるはずの夢は魔法であっさりと叶ってしまって、あとはもう〈失望〉になれ果てるしかない。

 少女の魔法は夢と希望でできている。

 夢がなく、だから希望は持てない。

 そもそも、少女ではないのだが。

 なのに、莉彩は魔法少女だった。


「落ちねえのは……約束が、あるからか……」


 壁掛けの時計を見た。そろそろ出れば待たせずに済むだろう。早くに準備していたら知らない。殊勝な心構えというやつだが、求めるのは酷だ。必要もない。


「縁が切れたら、希望が途切れるんだろうな」


 都合のいい奇跡には、現実的な清算がお似合いだ。

 なんて夢のない話だろう。

 夢を描く魔法少女の末路としてはお似合いで、まったくどうして、


「なんて受け入れるほどお行儀がよかったら、魔法少女になんてなってねえよ」


 いつからか姿を見ない猫に向けて――あるいは、それより深い場所に存在する運命に向けて、莉彩は吐き捨てた。

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