夏の終わり――スターマイン・エンドロール――
暗闇をさまよう。
どこかへ行こうともがいても進むことはできず、行く宛てもない。
落ちているのか、浮いているのかもわからなかった。
ただただ、暗かった。
欠けているのなら埋めればいい。埋められずとも、その傷跡が道しるべになる。
けれどここは、無だ。
どこへも行けないし、何も生むことができない。
見慣れた、夢も希望もない世界だ。
失望も何も、初めからないものを失うことはできない。
アトの言葉が音楽のように、存在しない頭のなかで鳴った。
――少女の魔法は夢と希望でできている。
「そっか」
輪郭の少女は、ないはずの口を動かした。
その音の響きに感応したように、暗闇のなかにいつか見た映画が流れ始めた。
悪魔の少女とエクソシストの話だ。
よくよく観ると細部が異なっている。
銀髪碧眼の少女は、悪魔ではなく魔女として奉られていた。
エクソシストは、魔法少女だった。雨のように降りそそぐのは聖水入りの爆弾ではなく、救済の光。
村人の夢が叶うなかで、魔女だけは救われなかった。
強い願いを以って魔女と認められていた少女は、夢を見る機能を有していなかった。
託された願いこそが彼女であり、それは少女自身の夢ではなかった。
魔法少女は魔女に名前を問うも、魔女とだけ呼ばれていた彼女に名前はなかった。
「涙のように美しい藍色をしているんだ。瑠依、と名乗るといいよ」
魔法少女は、魔女へ魔法少女になるように告げた。
夢も希望もないはずの少女は、魔法少女になることができた。
そこで映像は途切れた。
答えにたどり着く。
「そうなんだ……皆森さんの夢と、わたしの夢は――」
愚かな自分を殴りつけたくなった。
そのための手がない。
この場所から動き出す足もない。
ただ、自分という存在だけは理解していた。
だから、それだけで十分だった。
そして少女は、星を灯す。
☆ ☆ ☆ ☆
光の閉ざされた世界に、一筋の光が降りる。
そうして影は生まれて、そこから声が鳴り響く。
「世界は失望に包まれた」
透明ゆえに、霧けぶるなかでは輪郭はないも同然だ。
それは、やはり感情のない声音でつぶやいた。
世界の命運も、少女たちの運命も、まるで関心がないように。
「さりとて、そんな世界で――希望を灯すことができるかな?」
☆ ☆ ☆ ☆
「魔法少女……」
魔女は億劫そうに顔を上げた。
霧の向こう、雲を割いて星の光が降りている。
それは錯覚だ。鏡に反射した光が空に立ち昇っているのが、そう映っただけ。
ゆえにこそ、目線は光を下った。
降りしきる雨すら霧に覆われる世界で、一輪の花を見た。
凛と咲き、目を奪う。
土壌は腐れど、いみじくも芽吹く春の花が浮かんでいた。
スカートをふわりと開かせて、真白のドレスをまとう。
「そう、わたしは魔法少女。だから――」
掲げた掌には、ステッキが握られていた。
「魔女、あなたを討つ」
その先端が光り、星屑が放たれる。
天に昇る屑は、ある一点で拡散する。
降り注ぐ流星の雨。
それが雲のことごとくを払った。
魔女は光を見た。
浩々と咲く月は、星なき夜を照らし出す。
魔女の力は、月のない夜にこそ深化をみせる。暗闇のなかでこそ、境界は強く意識されるからだ。
けれど、笑っていた。裂けた口は、それ以外の表情を知らないように笑みを刻み続ける。
魔女が踊るに月夜こそがふさわしい。理屈ではない。魔女はそうして畏れられてきた。
だからこそ、異物ひとつが際立つ。
「空閑遥」
「さっき振りね、皆森さん」
空から降る。
急転直下に。さながら流れ星。
ふわりと茶色い髪をたなびかせ。
怜悧な美しさからは程遠い。
「その顔、かなでじゃない?」
「奏はもういないの」
「そう、それが結論」
〈星〉の魔法少女、空閑遥が降り立った。
「〈失望〉にならなかった?」
「皆森さんは、希望を失う光景がどんなのか知ってる?」
「知るわけがない」
「真っ暗なの」
「そんなのはあたりまえのこと」
「奏の失望は、空虚だった」
魔女の言葉が、とまる。
「欠けている。夢を失くすってそういうことだと思っていた。違ったんだ。からっぽになるんだ、夢があった場所が。けど、わたしたちは――わたしと皆森さんは違った」
遥が瑠依の無表情に既視感を覚えるのは当然だった。
だってそれは、毎日鏡で見る自分の顔なのだから。
「わたしたちには、叶えたい夢なんてない。希望なんて持ってないんだ」
「けれど! 空閑遥は魔法を使える。魔法少女のはず!」
「だから、簡単な話なんだよ」
どうして気づけなかったのだろう、と遥はまぶたを閉じた。
「わたしは、わたしたちは同じ夢を見ていた」
「瑠依は夢を見ない。見ることは、できない」
「違うんだ。わたしたちの夢は……夢がないからこそ、この目で見ていたんだ」
ゆっくりと、遥はまぶたを開けた。
その目がここではない景色を映すことは、なくても。
今、目の前にある景色は見れる。
「わたしたちは――奏という女の子に、夢を見ていたんだ」
ともすれば、天音奏という少女を想い、命を投げ打つほどに。
「わたしたちは救われたんだ。奏の夢に。だから、あの子の夢がわたしたちの夢になった」
それが奏の夢だったからこそ信じることができた。
差し伸べられた手に、夢のない伽藍の心が満たされた。
それは、憧れとも理解ともほど遠い、目が眩んでしまった在り方だった。
「だったらなんで、瑠依は希望を失っていない!」
「夢を叶えようとしているからだよ」
「何を言って……」
「奏の夢の続きを、皆森さんが描いているんだ」
だから、と遥は告げる。
「皆森さん夢は、まだ始まったばかりだ。希望を失うのは、これからだ」
「望むから失う。このことは変わらない」
「それが手を伸ばさない理由にはならない。遠くたって夢は見えているんだ。手を伸ばせば届くかもしれない。そこから目をそらすなんてできないはずなんだ」
「届かずに傷だけが残るとしても、それを肯定すると?」
「夢は叶えるものだもの」
「酷い話。耳が腐り落ちそう。夢は最初から見ないほうがいいに決まっている。希望を知らずに、現実だけを積み重ねていけば、痛みなく生きられる」
「そうやって生きた先には、何も残らないよ」
「それでも人は生きていける。夢がない世界でも生きていける。瑠依はそれを知った。だから、それこそが救いだと信じる」
「そう、信じるんだね。じゃあ、しかたないよね。だってわたしたち、魔法少女だもの」
「瑠依は最初から魔女。……けれど、そう……もらった命に報いるために、魔法少女になった」
平行線だ。同じ思いを根底に抱えながら、その意志は決して交わることがない。
口火は切られた。
「だからわたしは希望を灯す。それが奏に報いると信じて」
魔法少女は駆け出して。
「だから瑠依は失望を贈る。それがかなでの目指した救済へ繋がると信じて」
魔女は泰然と構える。
遥はステッキを振り抜いた。従えた星屑が撃ち出される。
瑠依の全身を苦痛が駆け回った。希望の光は魔女の天敵だ。
しかし、痛みこそが命を担保する。
飴の混じった五月雨を、悲鳴のように放つ。
べたついた雨は星を包み込む、ことができない。
星の輝きに雨水が爆ぜる。
どんな思いを突き通すか。
遥の覚悟を見誤っていたと、瑠依は高波を起こす。
遥はステッキを横に薙ぐ。
星屑のアーチが刃のようになって波を切り裂く。
魔法同士の衝突で霧が起こる。
そのひと粒ひと粒に遥は星屑をあてがった。
星の光に包まれる。
瑠依の全身が焼けつくような痛みを訴えた。
そのなかで、針を思わせるひときわ鋭い痛み。
眩んだ感覚器はなお、魔法少女の足跡を追う。
居場所を読まれようと構わず、遥はステッキを振りかざした。
背後を狙った星屑へ、魔女は失望とともに魔法を侵食させる。
踊るように魔法が巡る。
ねじれ、ゆがみ、砕け散り。
煌めき、奪いあい、花ひらく。
魔法の残滓が霧けぶり、月の光は霞む。
あるいはそれは、本物の魔女が空を飛び交う御伽話の一幕。
幻想が現実を食らい尽くすかのような光景が広がっていく。
魔女が怨嗟の叫びをあげた。
空気が揺れるたび彼女の全身を、焼けた針で貫くような苦痛が襲う。
魔女の感覚器が、あまねくから迫る魔法の気配を感知する。
それはときに、予見すら超えた予知の域に達した。
魔法少女の魔法が放たれるよりも前に、感知する。
銀色の魔法が、希望のことごとくを拒絶した。
ゆえにこそ魔女。
かつて悪と裁かれた、失望の結晶。
夢と希望に満ちた世界を〈空〉に還す呪いだ。
魔女の魔法が呪詛のごとく遥をなめまわす。
純白のコスチュームが黒く染まり、直りが遅い。
むき出しとなった肌に魔法を食らえば、問答無用に〈失貌〉することを遥は身をもって体験していた。
底なく落ちていく無間地獄に、人の心は耐えられない。
それが希望を失って生きるということだ。
だからこそ、魔法少女は抗う。
「夢も希望も失うことが救いなんて……絶対にない……」
星屑がでたらめな軌道を描く。
軌跡が魔法の残滓を焼いていく。霧の向こうに隠れた現実が顔をのぞかせた。
雨粒と星屑が衝突する。
相克し、消滅した。
手数は同等。だがそれは、雨粒だけに限った話だ。
〈銀色の魔女〉の魔法は、もっとも純粋で、よどんでいるから。
物心の境界に立つ幼子のように、言葉にできないわがままを押しつける。
アスファルトの地面が盛大に爆発する。
その内側から膨大な量の水が噴き出した。
たとえ避けたとしても雨となり逃げ場なく降り注ぐ。
遥は、地面を蹴り上げて足元へステッキを振るった。
銀色の水に星屑が溶けていく。
それを推進力に換えて、遥は空へと飛んだ。
大瀑布はほのかに光を灯しながら、雲を抜け、成層圏にふれる。
星屑に塗り替えられた水は凍りつき、飴細工のつららが地上のあまねくに降り注いだ。
瑠依の全身に突き刺さる。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
瑠依の悲鳴は遠く。
遥は、彼方から此方へさかさまに落ちていく。
雲を抜け、光を見た。
瑠依の影響により、人の営みの多くは影を潜めた。
明かりの点いている家屋はあれど、そのいくつが無事だろうか。
それでも。
つららは希望の光を灯して、飴の揺籃を貫いた。
失望から再起した心が飴をやぶって、元の姿を取り戻していく。
魔法少女や魔女など知らない、けれど夢や希望とは無縁ではいられない人たち。
遥や瑠依、莉彩、奏とも何も変わらない。
寝起きして、ご飯を食べて、日々を過ごす。
あたりまえ。
きっとそんなあたりまえは、簡単に崩れ去る儚いものなのだ。
たとえ世界が希望に満ちたとしても、尊ばれるべきものであることに変わりはない。
「あたりまえの日々を、失くしたくはないよ」
地面が近い。
頭から接地する直前に体の上下がひっくり返って、やわらかに地面へ足をつけた。
瑠依へ向かい直る。かたちこそ保っているものの、飴の体は傷だらけだ。欠損部分を補うべく溶けた飴が垂れるも、残光として焼きついた星がそれを阻害していた。
顔は半分崩れ落ちている。飴で閉ざしていたのだろう、白濁が残る黒目と視線が交わった。
「ねえ、皆森さん。言葉は……そこに込めた思いは、伝わらないんだ」
「なら、どうして瑠依の邪魔をする」
「言葉を、わたしが届けたいって思ったからだよ」
「そう、それが理由」
「だって、聞いてもらえなきゃ、そもそも言葉だって届かないんだ。そこに込めた思いまで伝わるなんて、信じられるはずがない」
「ならわかるはず。こんな問答に意義はない」
「そうだね。皆森さんは、わたしの言葉なんて聞いてはくれない」
「諦めて」
「諦めないよ。伝えるために歌ってるんじゃない。届けたいからわたしは歌うんだ」
「耳障り。そんなもの欲しくない」
「それでも、欲しいときのために歌うよ。そこに希望はあるんだって。今のあなたに届かなくても、いつかそれを聞いたあなたが、信じられるように」
星の光はいつだって過去のものだけど。
だからこそ、届くのだ。
それを求める瞬間に。
「そんな希望論も、いつかは失われる」
「そうでもないさ」
その声は、赤色をしていた。
驚愕に背中を押されて遥は振り返る。
「なんで」
ルージュのドレスを身にまとった、貴き魔法少女。
追従する砕けた鏡にくすまぬ美貌を映した莉彩が、そこには立っていた。
彼女は楽しげに鼻を鳴らした。
「それがお前の顔か」
「何度か見たじゃない」
「魔法少女としては初めてだ」
「鏡に映えない顔でしょう?」
「手放しに美しいとは言わないが、いい顔だ」
「……ありがとう」
褒められると思っていなかった。遥にとって自分の容姿はそう誇るものではない。
「けど、ひとつ言わせてもらえば」
莉彩はステッキを振るった。
パウダー状の光が遥の頬を撫でた。
割れた鏡が眼前に躍り出る。
いびつな像でもわかるほどの変化があった。
「そばかす……」
「悪いわけじゃねえ。綺麗だよ。ただな――ありのままで戦う必要はねえ。目いっぱい脚色して、おまえが持つ美しさって輝きを磨くんだ」
莉彩にはいつも、光が集まって見えていた。
事実はその逆で、彼女が光を集めているのだと遥は知った。
「それがきっとお前を守ってくれる。自分を救ってやれるのは、自分だよ」
おまじないのようなやさしい声色に混じって、打てども響かぬ強固な信念を感じた。
「それなら、莉彩は失望しなかったんだね」
「あたしはそう簡単に希望を失わねえからな……まあ、種と仕掛けについちゃそこの魔女さんが知ってる」
「鏡の中の世界。正しく像を結べば、正しく映る。それを現実に映し出した」
「そういうこった」
「わからない。けれど、それはとっても魔法ね」
「わかってるじゃねえか、遥」
花丸だ、と満足そうに莉彩は笑う。
細まった目を、遥は可愛らしいと感じた。
「んで、ネタを知ってるのにどうして鏡をそのままにした。今のおまえの魔法なら、あたしの魔法を消し去ることだってできたはずだ」
「それは瑠依の救済とは違う」
「救うってか。気に食わねえ。気に食わねえが、実際にはこうだ。おまえのほうが正しい。今はな」
「覆らない。希望を抱けば、やがてだれもが失望に至る」
「美しいものは損なわれないものさ」
「希望は醜い」
「そう言ってやるなよ。希望を認めてやれなきゃ、おまえの夢をだれが信じてやれるんだ?」
「信じる必要はない。瑠依が証明して見せる。尽きぬ希望は存在しないと」
瑠依は、その体躯を浮き上がらせて、空の彼方へと飛び立った。
その光景に、莉彩は感心したように口笛を吹いた。
「魔女が空を飛ぶなんて、とんだ御伽噺だ」
「皆森さんも魔法少女だよ」
遥も上空を望む。
姿が霞んでいく。
あるいは、星のように遠く。
だけど、届かないとは欠片ほども思ってなかった。
「魔法少女は空を飛べる……だって、夢を追うための翼がいるから――それが冒涜だとしても、翼を奪わせたりはしない」
「言い切るねぇ。ずいぶんとセンチメンタルだが、緊張してるのか?」
「まさか」
遥は笑った。
指先は震えていて、体は芯から冷たい。
それでも、空閑遥は空を見る。
「この日々は、空閑遥の希望は、魔法少女の夢は何にもやぶらせない」
たとえそれが同じ魔法少女だとしても、夢を否定させたりなんてしない。
そんな思いを胸に、決然と叫ぶ。
「魔法少女はやぶれない!」
叶わぬ夢がやぶれるためにあるのだとしても。
〈星〉の魔法少女は、歌い続ける。
希望はここにあると。
「んで、どうするんだ?」
「皆森さんの心に希望を届けるよ」
「そもそもおまえの言う心ってなんだよ」
「心が何か、なんて考えなくていいんだよ。だってさわれないし、目に見えないもの」
「じゃあ、心はどこにもねえのか?」
「あるよ。この世界に夢も希望もあるように……魔法少女がいるように、心はあるんだ」
遥は自分自身をかき分けるようにして、言葉を紡いでいく。
世界に響く音が本物だと信じて。
「心っていうのは可能性だよ。喜んだり悲しんだり。夢を見たり希望を信じたり。そうやって、なんにだってなれるわたしたちを、心って呼ぶんだ」
だからひとは、なりたい姿になっていける。
魔法がなくたって、自分を描き変えられる。
そんな遥の答えに、莉彩は目を見開いた。その瞳の赤が爛々とする。
「けどよ、まだ足りねえ。その心にどう届けるんだ、〈星〉の魔法少女」
「星は歌う。それは願いの歌なんだ。幾千、幾万と星はある。だから唯一の特別になんてなれないと知っていて、それでもあなたが幸せでありますようにって――だから、わたしも歌い続ける。声が枯れるまで……声が枯れても、そこに希望はあるんだって思いっきり歌い続けるんだ」
「それは、ああ! 最っ高だ!!」
「なら、手伝ってくれる?」
「任せておけ」
「行ってくる」
ふたりはこぶしをぶつけ合った。
それに共鳴して、空が震えた。
見上げるふたりの視線は一点で交わる。
遥は空から、その場所にいる瑠依から目をそらさなかった。
月が胎動する。
暗き空のなか、それは産声を上げる。太陽からの光を反射する月の輝きが陰り、その表側が反転した。
星の末路が描き出される。
それは、すべてを拒絶する〈空〉の魔法。
光すら逃れることはできず、あまねくを包み込む、全天を飲み干す虚空。
例外はない。等しく万物は事象の地平の染みとなる。
魔法少女であろうと一様に。
認識がひしゃげた。重力はひずんで、時間の流れがたわむ。
万物が空へと落ちていくという矛盾。地面は気球みたくふわふわと浮き上がって、風景はカレンダーを破くようにめくれ上がっていく。
残るのは真っ暗闇だ。そこには何もない。空洞ですらない。ただただ、何もないが満ちていた。
――空閑遥は、希望を灯す〈星〉の魔法少女だ。
夢はかたちがない。だからこそゆがんだりはしない。
希望を宿すかぎり、失われることはない。
ふわり、と遥は浮かび上がる。
重力の重さなんて感じない。引力の強さなんて関係ない。
どんな隔たりも超えて、その先までまっすぐ飛んでいける気がした。
すべてを落とす空へ、遥は飛んだ。
あるいは、光の速さで。
白色の尾を引いて空を駆け上がる。
空気を焦がしてまたたく間に上へ上へ。
理屈を凌駕する魔法少女は、瞬く間に大気圏を抜けて、宙へと飛び込む。
そんな少女を待ち受けているのは――希望すら包み込む魔女の檻。
「ぁ」
〈星〉の魔法少女は、だからこそ逃れられない。
光の速さ程度では、暗闇が奪い取る速度を超えられない。
「みなも、り……さん!」
自らを飲み込む暗闇の向こうに銀色の光を見た気がした。
手を伸ばす。
そんな往生際の悪い手も、包み込まれる。
その手に重なる温度はない。
遥の姿が掻き消える。それは、観測不能な事象の地平にまで落ちたことを意味していた。
希望の消えた宙に一切の光はなく。
万物は全天において消失した。
「これで瑠依の夢は叶った。――終わったんだ、かなで」
魔女はなんの感慨もなさそうな声を出した。音は響かない。
一面は、何もない暗闇。
こんなのは〈失貌〉に値しない、夢と希望がないだけの見知った現実だ。
目を閉ざせば、生まれたときから続いた日々が続いていく。
同じなら、おしまいだと思った。
ゴールテープを切ったその場所が奈落で、変わらぬ風景のなかを落ちていく。
だから、永遠ではない。エンドロールが終わり、照明が点くまでの一瞬の間が永劫続いたとしても、それを永遠とは呼ばないだろう。
変わらないのなら、続いていない。
「瑠依にとってかなでとの日々は、永遠だった。あの日々を永遠にするために、他のぜんぶを終わらせた」
奏に与えられた目隠しのない世界こそが、眩しいほどに輝く楽しい日々だった。
その光は一瞬で過ぎ去っていく。
光の名前を瑠依は知らない。
そして、何もない暗闇に目を閉ざして――、
「それじゃあ、星は見えないよ」
痛みを伴う声がした。震えるものなんてないのに、神経がささくれだった。
何もない暗闇には、何かが生まれ出る空間は存在しないはずだ。
輝く星があった。
魔法少女が伸ばした手を思い出す。そこから最後の星が残されたのだろう。
まるで、希望は失くならないと言うように。
「質が悪い」
怨嗟を煮詰めた声で、魔女は呪いを吐き出した。
ジャムのようにどろどろの魔法が、最後の希望を塗りつぶす。
そうして星は――爆発した。
星が砕け、星屑が何もない暗闇に光を灯していく。
その光は瞬く間に広がっていく。
星の光は彼方遠くまで、たとえ那由多の時を刻もうとも。
世界の最果てにまで届く。
光の過ぎ去った箇所では、空に飲み込まれる前の風景が戻っていた。
きらきらと残滓のような星屑を残して。
その星屑と星屑を結ぶ軌跡が瑠依の目に映った。
星屑を道しるべにして、彼女は飛んできた。
まっすぐな道のりじゃない。それでも迷わずに。
希望を灯す〈星〉の魔法少女が、宙に降り立った。
「空閑、遥……」
「追いついたよ、皆森さん」
星屑が震えて、声が届く。
広く広大な宇宙の片隅で、この場所だけは音が響いた。
巨大な月の光すら受け入れる深淵のような景色のなか。
純白のコスチュームが異彩を放っている。輪郭は明瞭で、彼我の距離は明らかだった。
呼吸は必要ない。肌に霜もおりなかった。
「希望は失くなったはず」
瑠依の言葉に、遥はステッキを握る手と逆の手のひらを見せた。
きらきらと光る星が浮かび上がる。
光を奪う空であろうと輝いた、手のなかの希望。
「〈鏡〉の……星の光を反射させて手のなかに閉じ込めていた」
「まさか爆発するとは思わなかったけど……だから、迷わずまっすぐに飛んで来れたよ」
遥が見上げる先で、瑠依の体はぼろぼろと崩れては消え去っていた。
宇宙空間に耐えきれないわけではない。
「星の光を浴びただけなのに再生できない」
恨めしげにつぶやく瑠依に、遥は強く視線を向けた。
「夢を諦めて、希望を失ったって……また希望は抱ける。もう一度、夢を見上げることができるんだ」
「本当に厄介。諦めさせてくれない。未練に浸らせてもくれない……そんな生き方は眩しすぎて、目がつぶれる」
「そうであっても光差すほうに向かわなきゃ……諦めて、失望した場所にいたままじゃ、あたりまえの日々すら失っちゃう。底なく落っこち続けて、幸せを失っちゃうんだ」
「かなでのいない日々を幸せと感じろと?」
「だって皆森さんの人生だもの。それが奏から与えられたものだとしても、その日々のなかで戦って、奏を尊んで、悲しんだ心は皆森さんだけのものなんだ」
「瑠依だけの……」
言い淀む瑠依へ、遥は食い気味に「だから!」と叫んだ。
「生きてほしい!」
「生きることに瑠依は意義を見出せない。理由なく生きるなんて無駄なだけ」
「それでも生きてほしいんだ。夢がなくても、あなたが生きているだけで救われる人がいるから」
「何を、言ってる」
「希望論だ。そして、夢のような話だよ」
「そんな夢物語は叶わない」
「叶うよ。夢は、叶うんだ」
「眩しすぎる。だれもかれも、そんな夢を見て生きられるほど強くない。夢と希望でできた魔法少女は、やっぱり間違い」
「この言葉が綺麗なだけの嘘だったとしても……わたしは、この思いを信じるよ」
とっくに答えはあった。
見えていたはずのそれから目を背けていた。見えないふりをして、奥底に閉じ込めていた。
感情は、言葉にする端から嘘になっていくように感じたから。
でも遥は、言葉を届けると決めた。
「わたしは〈星〉の魔法少女だから、願いを聞くよ。夢がなくてもいい。希望が見えなくても構わない。わたしが聞き届ける。……叶えることはできないけれど、その思いを応援したいって思うんだ」
どんな暗闇のなかでも輝きを失わなければ、それはやがて星になる。
「そのために、わたしは手を伸ばすよ」
遥はまっすぐに瑠依を見つめて告げた。
「届かせるよ、皆森さんに。望まれていなくたって、伸ばした手をもう離したりはしない」
届けたかっただれかへは届かない言葉。
言葉はどんなに思いを込めても、叫んでも彼方へ届きはしない。
けれど、此方には届く。遥はもう手遅れなどにはさせたくなかった。
その輝きに瑠依はたじろぐ。
「そ、れでも瑠依は、かなでが失望した姿が離れない。あんなものが夢と希望の末路なら……」
その先は語るべくもない。
語るべくもないが、瑠依は言い切らなかった。
夢なんて見ないほうがいいと、言葉として届けることを迷った。
望んだ未来を、彼女自身が信じられずにいた。
その事実を振り切るように、瑠依はどろどろに煮詰まった感情を吐き出す。
「かなでをあんな姿にした空閑遥を許せない」
「だったらさ、手を伸ばしてよ、皆森瑠依」
怨嗟を向けられても、瞳の星は揺らがない。
「その手に、わたしは手を伸ばすよ」
遥がステッキを振りかぶるのと、瑠依が浮かび上がるのは同時だった。
「わたしは、夢と希望に満ちた日々を守りたいって思ったんだ」
ステッキに巡る星が軌跡を描く。そこに並ぶのは星屑ではない。思いは欠けることなく、星になった。
「皆森さんのことを、応援させてほしい」
瞳に光が灯るほどの輝きが、宙で爆ぜる。
直撃を避けてなお、瑠依はべったり貼りついた外皮が剥離する感覚に苛まれた。
痛みで意識を失って、さらなる痛みで意識を取り戻す。その繰り返しの狭間で、瑠依は呪いの言葉をこぼした。
「そんな綺麗ごと、夢と希望を持っているから言えることだ」
「わたしは、希望を灯す〈星〉の魔法少女だからね。それでもさ、わたしにはやっぱり叶えたい夢はないんだよ」
「応援すると言った」
「わたしにできるのは、だれかの夢に希望を抱くだけ。だれかが夢を見てくれるから、わたしはそんなあなたに夢を見れるんだよ」
「そんなの、空閑遥が思っているだけ。瑠依からはちゃんと夢があるように見える。耳障りがいいだけの世迷言だ」
「届かないよね。だからさ、見せるよ」
遥は、開いた手のひらを瑠依にいっそう伸ばした。
「そこに希望はあるんだって、あなたが見つけてよ」
そこにあるのは、鏡の欠片が反射で閉じ込めた星の光。
――だったら、今も散らばる星屑はなんだ。
違った。散らばる星屑こそが手のなかに閉じ込めた星だった。
手のひらにあるのは、遥が新たに取り出した光。
瑠依は、目を背けた。その輝きを奪うことが、彼女を魔女たらしめていたから。
しかし、見てしまった。目に映った。認めてしまう。
その光に心が照らされることを。
それを輝かせているのは、自分自身であることを。
「いちばんぼーしみーつけた」
歌うように遥は言った。
飴の外皮がやぶれる。
光が踊って、魔法少女のコスチュームが瑠依を包んだ。
「どうして……星は輝いて見える」
「皆森さんが見つけたからだよ」
それは、いつかに手放した星。瑠依が撃ち出して、名前を失った夏の終わり。
だからこう呼んだ。
希望、と。
「瑠依が見つけた……初めて、見た」
「じゃあさ、おいで」
ステッキを消して遥は手招きをした。
瑠依はそれに従うことこそ拒んだけれど。
星の光に引き寄せられて、ゆるやかに遊泳した。
ふたりは星を囲う。
「どう?」
「きれい」
深海のような瞳が星の光を反射して輝いて見えた。
「さわってみなよ」
「え、いや……だめ」
「どうして?」
「だって、さわったら……失くなる」
「失くならないよ」
「なんでわかる?」
「だって、これは皆森さんが見つけた希望だから」
「わからない」
「希望はいつか失われる。なら最初から望まなければいい……それって、希望が失われるのが嫌だって思わなくちゃ望まないでしょ?」
「わからない。わからない、けれど……かなでがいなくなっていやだった」
「そうだね」
遥は薄く笑った。
天音奏に生きていてほしかった。同じ思いを抱えていたはずなのに、こうもすれ違った。
それは叶わない。――ふたりとも望みはしなかったのだ。
奏は一度、死を選んだ。結果として死に損なったけれど、それが彼女の望みだと知っているから。
生きたいと望まなければ、叶わないし、叶えられない。
置いていかれたふたりにできるのは、生き続けることだけ。
生きてほしいと思ったのだから、死ぬことはできない。
生きてほしいと思うだれかを、知ってしまったから。
生きてほしいと望むだれかを、知っているから。
それは呪いのように、ふたりの心の深く深くに突き刺さっていた。
生まれたばかりの命を抱えるようにそっと、瑠依が星を包む。
指の隙間から光が漏れて、輝き続ける。
尽きることのない輝きに、
「瑠依、泣いてるの……?」
「はるかだって」
ふたりの頬を温かなしずくがつたう。
楽しかったのかもしれない。
怒っていたのかもしれない。
悲しかったのかもしれない。
嬉しかったのかもしれない。
彼女たちは、自分自身の感情がわからないままに笑いあった。
泣きながら、笑いあった。
遥も、瑠依の手を包むようにして星にふれた。
輝きはさらに強く、光り輝いたように見えた。
「はるかあったかい」。
「瑠依もあったかいよ。わたしたち……生きてるんだ」
宇宙に命はふたつ。
呼吸はなくとも、確かに息をしていた。
「だから帰ろう」
「どうやって帰る?」
「地球に落ちていけばだいじょうぶでしょ」
「魔法少女は空を飛ぶもの。落ちるのは領分じゃない」
「魔法少女だって落ちるよ。それでも上を向いていれば――」
遥は包んだ瑠依の手を頭上に掲げた。
「希望が見えるんだ」
指の一本一本をやさしくほどいていく。
瑠依は戸惑いを隠せず、返す力はあまりに弱かった。
「はるか?」
「花火を上げよう」
簡単に手は開いて、そのなかの星が浮かび上がる。
どんどんと遠のいて、月の横へ並んでいく。
大きな光に包まれても、その輝きを見失わなかった。
その星に、遥はステッキを向けた。
「夏を終わらせるんだ」
「やっぱり、星も失くなる」
「永遠にするのは、わたしたちだよ」
「どういう意味」
「光は星になって、だれかに届く日がくるんだ。願いを託されるのか、夢への灯火になるかは、わからないけれど」
「……希望的観測だ」
「それでもわたしは信じてる。そうして思いが繋がっていくって」
ひとつの夢が失われた。
けれど、なかったことになったわけではない。
同じ夢を叶えようとする少女がいた。
その夢から新しい未来へ走り出す少女がいた。
「奏に夢見たわたしたちが信じた星が、そうしてだれかの希望になれば、奏の夢は永遠なんだ」
「ああ――」
どこか、晴れやかな声音が聞こえて。
星へ向けられるステッキが、もうひとつ。
「生きることは……かなでを忘れていくことだって思っていた」
「わたしだって忘れたくないよ」
ステッキとステッキを重ねる。
ふたりの魔法が放たれた。
混じり合っった魔法は銀色の星となり、夏の終わりに向かって流れる。
接触したふたつの星は砕けて、開花する。その衝撃で遥と瑠依は、地球へと吹き飛ばされた。
離れないように手を重ねる。向き合って、互いが互いの向こうに光の色を見た。
にじむ視界で見る、月のような色が目に焼き付く。
その光は、月の裏側にだって届いただろう。
尾を伸ばす残光を目で追いかける。その終着地など知れないほどに、長く長く伸びていく。
大気圏へと突入する。コスチュームが燃えては花弁のように散っていく。
雲間を抜けて、舞い散る燐光を頼りに視界を確保した。
「海の上」
「疲れたからもう寝たいんだけど」
「いい子は寝る時間」
秋の夜は長い。水平線に日はまだ見えなかった。
「じゃあ寝ちゃおっか」
「溺れる」
「莉彩が見つけてくれるよ」
「〈鏡〉のが?」
「彼女も魔法少女だから。わたしたちを落としたままにはしないよ」
「それは夢と希望?」
「あるって信じてるから」
遠く、ふたりは光を見た。
星はなく、月は彼方、太陽は眠る夜に。
それは営みの明かりだった。
失望などなかったように、世界はあたりまえの光を取り戻していた。
「はるか、瑠依は魔法少女として生きていく。それが贖罪になる?」
風の音が騒がしいなか、瑠依の声音は何かを試すようであった。
「過ぎ去ったものは変えられないよ。一度背負った荷を下ろすのは、やっぱり違うと思う。だから、ほかのだれが許しても、わたしだけは許さない」
その言葉が瑠依に届いたのか、変わらぬ表情からは伝わってこない。
それでもよかった。
伝わらないよりも、伝えられないことのほうが、心を締め付けるから。
「明日、待ち合わせをしようよ」
「待ち合わせ?」
「学校のさ。生きるんだから、高校生もやっていこうよ」
「……生きるって、たいへんだ」
「だから、約束をしよう。明日もちゃんと会おうってさ」
「約束があるなら、そう……すこしはまし。わかった。最初に会った道で、待ち合わせ」
そう言って、瑠依は目を閉じた。
遥も瞼を下ろす。
彼女たちの夢は自らの中にない――だから、眠りについたふたりの変身は解けた。
≪魔女の夜≫は、終わりを迎える。
小夜に残るは、少女と少女。ふたりが交わした約束だけ。
だから、明日が訪れるのは奇跡なんかではなく。
夜が終われば朝が来る。
あたりまえの日々だ。




