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≪魔女の夜≫

 月が空に輝いている。

 手を伸ばせば届きそうな高さだ。

 しかし少女は、地上を見下ろしていた。

 街を一望できるビルの屋上から、営みの光をその目に映す。

 その一切を、海溝のように深い藍色の瞳が飲み込んでいく。


「ぜんぶ、いつかは失くなる」


 少女は、手にしたビニールの包装を乱雑に破いて、金魚の飴細工を口に放り込んだ。

 砕く。歯で。そうして少女の体は描き変わっていく。

 その様に立ち会う少女がひとり。


「おまえもつまんねえな」


 夜の冷え冷えとした空気に火を放つような赤色。

 砕けた鏡を携えた莉彩が、立っていた。


「おまえらの救いは、だれかのためでも、自分のためでもない。ただあるだけの救いだ。未来を悲観して、訪れてもいない悲劇に立ち向かっている。そんな生き方は美しくねえよ」

「どうでもいい」


 銀鈴のように澄み渡る声がした。口と思われる部分から、あるいは、それ以外に人間としての名残りは見受けられないと言うべきか。

 血しぶきのように体の内側から噴き出した飴が、瑠依の体表を包み上げていた。水ぶくれに似た凹凸が、銀色の外皮を埋め尽くしている。

 その輪郭は、御伽噺から魔女の姿を切り取ったよう。つまりは、〈銀〉の魔法少女としてのコスチュームに酷似していた。

 醜悪な笑みを浮かべる、三日月のように裂けた口だけが意思を描く。

 それが魔に狂った女の姿なのだと、だれもが唾棄するだろう。そう見まがうように模造された表情だ。

 空想から切り抜いたように型を取られた飴人形。

 それは、だれが見ても嫌悪を覚え、迫害するべきであると忌避する外敵。

 悪意を体現し、表現し、具現した存在。

 魔女が、そこにはいた。


「〈銀色の魔女〉の名は酔狂じゃないってか」


 莉彩は不敵に笑う。


「図体ばっかりでかくなって……いったい何をする気だよ」

「人は夢を見るから、期待するから苦しむ。希望は必要ない。それを失わせることが、人類に贈る救済だ」

「てめえの尺度の救いは求めてねえんだよ」

「瑠依の命がある。まだかなでの夢は叶っていないということ。だから、それを叶えるだけ」

(たち)がわりぃ。けど、そうか――」


 莉彩の表情から笑みが消える。

 敵を認めて、にらみつける。


「おまえが魔女か」


 不倶戴天の敵を見つけたとばかりに、莉彩は牙をむいた。

 ステッキを振るう。


「救おうとしてる相手の顔を見ないなら、せめて自分の姿くらい鏡で見ろ」


 破片が寄り合い、ひび割れた鏡を作り出す。

 そこに魔女が映り込んで――、


「無駄だよ、鏡に映した像を現実と描き変える〈鏡〉の魔法少女」


 ふざけたかたちの雲が空に蓋をしていた。そこから降る雨が鏡面を濡らす。

 バラバラに千切れるはずの魔女の姿が変わらない。


「ちっ、魔法も健在だわな」


 コスチュームからあふれる燐光に包まれながら、莉彩は鏡を見据える。

 鏡面からひび割れが消えていた。

 すべてを拒絶する銀色の魔法が、莉彩の鏡を本来の姿に戻していた。

 そうなれば、正しく映し取ることしかできない。

 だから――それは見間違いではない。

 地上を映す鏡。そこに、立ちすくす人々が映る。

 その数だけ、どろりとした飴に包まれていく様子を魔法少女の瞳は捉える。

 まるで揺籃だと、莉彩は思った。

 人々を包むのは失望だ。

 その認識は、光ひとつない暗闇に落とされた。

 もの言わず、ただ息するだけの存在になり果てる。

 断末魔すらなく、星を見失うように希望が失われる。

 希望と失望の境界(ヘクセ)の錠は開かれた。

 〈銀色の魔女〉、皆森瑠依が招く夢。

 ゆえにこの〈世界〉の名は、≪魔女の夜(ヘクセンナハト)≫。

 それが瑠依の目指す楽土。

 その光景に莉彩はため息を吐く。


「美しくねえな」


 莉彩の頭上で鏡が回転する。

 そこに映し出された魔女の姿が、別の鏡像へ転々と変わっていく。

 閉ざされた視界が晴れて、ふわりとなびく黒い髪を見た瞬間に。

 水にぬれた和紙の向こうに、だれかを薄ぼんやりと見る光景に。

 視線を一身に集めながら、ぽっかり空いた席を見つめる風景に。

 その先は――爛れた飴に濡れて見えなかった。

 莉彩は、くだらないと言いたげに吐き捨てる。


「美しさは主観だ。だから、どうにでも歪められる」

「生憎、目はない」

「見ようとしないだけだろ。だったら、目の前には正しさだけがある。正しさは残酷だよ」


 一枚だった鏡が手品のように三枚に増える。


「それは事実でしかないからな。ひとつしか提示されない選択肢で埋まるだけ。真実なんて、花丸の答えで構成されていない」

「なんの話」

「夢のない話だよ。つまりは、おまえらが押しつけていた救済の話だ」

「かなでの夢は正しかったと」

「そいつを聞いたらおしまいだろ」


 瑠依は言葉を詰まらせた。

 夢は、だれかに認められるものじゃない。

 自分自身が叶えるものだ。


「荒唐無稽で現実味がない、とんだ絵空事が夢ってもんだろ。だから描く価値がある。現実的なご意見は、正しいだけでなんも面白くねえ」


 莉彩の魔法は三面鏡となってふたりを囲う。

 瑠依の背中越しの莉彩を映す。

 莉彩の背中越しの瑠依を映す。

 鏡の少女と銀の魔女を映す。


「どうせ夢がないんだ。夢の世界に付き合え」


 合わせ鏡で連なった彼女たちの姿がひとつに合わさっていく。

 それこそが現実であると示すように。

 鏡面前のふたりは姿を消した。

 彼女らの主観は、鏡の中に落ちていた。


「鏡の国へようこそ」


 莉彩はつまらなそうにつぶやいた。

 鏡の中は、先ほどまで目にしていた光景と相違ない。

 異なる点があるとすれば、一切の活動が止まっていることだろう。

 雨の落下も、飴人形の増殖も。


「鏡の奥行……」

「サービスだ。せめて楽しんで行けよ」


 その言葉を引き金に、魔女の体がバラバラにはじけ飛んだ。

 意識をたぐって瑠依は頭を飴で覆った。それは四方八方に砕けた。

 欠損した部位から水飴が伸び、収集される。全身に通していた魔法によるものだ。継ぎ合わせの接着面を銀色の魔法がさらって痕跡が消える。

 魔女はローブを羽織るように自らの姿を飴で隠した。

 その外装が断裂する。

 隙間から雨が撃ち出される。飴玉と雫の混じった驟雨が莉彩を襲った。

 赤色の少女はステッキを振るい、割れ鏡を放った。

 正面に迫る弾幕を映し込み、その姿を塗り替える。

 水は粉飴のように霧散した。粘度の高い水蒸気が空気中にべったりと漂う。


「さっさとくたばれ、魔女が!」


 莉彩の叫びに動じることなく、瑠依は津波を吐き出す。

 すべてを飲み込む高波は、縦横に裂けた。

 水たまりサイズまで分割された水を圧縮し、上下からから莉彩へ撃ち込む。

 それを予期していたように、鏡が莉彩を囲う。

 二の舞を演ずるように霧となる。

 空気中に貼りついた飴の煙が濃く立ち込めて、視界を奪った。

 鏡から落ちない水滴を認めて、莉彩は舌を打つ。


「埒が明かないと言ったが、リソースが違けりゃお手上げか」

「鏡でできたこの世界も、曇ってしまえば何も映せない」


 停止していた風景が、コマ落ちしたように動き出す。

 莉彩は手を上げる代わりに、鏡の中の世界から瑠依を解放した。

 霧も同様に吐き出して、一帯が白く染まる。

 莉彩は仰向けに倒れ込んで、ぽつりとこぼした。


「星が歌う(そら)じゃ、どんな音楽が鳴っているんだろうな」

「宇宙では、音は響かない」

「どうしてだよ」

「空気がないから」

「ない、ね……そうだな、ないなら、どんな美しい歌も届きはしないか」

「希望は抱かないほうがいい。望むから、失う」


 魔女の手が伸びる。

 魔法少女は、その手を掴み取った。


「失うのが怖くて、夢が叶えられるかよ」


 コスチュームが破れ、体の内側から噴き出た飴が表皮を包み上げる。

 世界を染め上げる唯一無二の赤色も、今やありふれた既製品(レディメイド)となった。


「だれもかれも、そんなに強くない。その存在が間違いだ、魔法少女」


 静寂が世界を包む。呼吸は途絶え、音はどこからも聞こえない。

 魔女は、ビルから飛び降りた。

 花が落ちるように。あるいは、花が種を落とすように。

 空には月も星も見えない。ただただ、地上に失望の花が咲き誇こる。

 雨を連れだって魔女は地上に落ちた。

 〈銀色の魔女〉を止める魔法少女はいない。

 〈救済〉の魔法少女によって、多くの魔法少女は夢を叶えた。

 奏が何を思いそんなことを繰り返していたのか。

 瑠依には、推察すらできない。

 ただ、それが奏の最後に選んだ行動であるなら、その夢を叶えたいと思った。


「瑠依を邪魔する存在はいない。だからかなで、待ってて。かなでが目指した場所に、あともう少しでたどり着けるから」


 たとえそれが、永劫に落ち続ける苦痛を味わわせるものであっても。

 一度目指した光が失われてしまう苦痛に勝るものはないから。

 穢れを知らぬ銀色の魔女は、そうして希望を腐らせる。

 果たされぬ夢が集積する花園が開いていく。


「その先には何もないよ」


 それでも希望は、そこに残っていた。

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