第7章第1話 『波紋』
第7章第1話『波紋』
■ 2015年8月30日 10時30分 ■
■ 留萌地方隊幹部室(北海道留萌市) ■
懲戒処分を言い渡されてから2週間少しが経とうとしている。
東口総監と野々宮司令の口添えの甲斐あって、寺井崎以外の処分はなかった。
それ自体は自分から申出たことだから不満はない。
しかし、そのことに納得がいかない者もいるわけで・・・
「なぜ私は処分されないのでしょうか!!」
処分発表がなされた翌日、幹部室に乗り込んできた水下の言葉だ。
「水下は処分されたかったのか?」
水下の目には、寺井崎だけが生贄にされたように見えていたのかもしれない。
「艦の戦闘指揮は私の責任です!艦長だけ処分されるのは納得できません・・・」
興奮状態の水下をひとまず椅子に座らせ、珈琲を目の前に置く。
自身も珈琲を一口含み、ゆっくりとした口調で話し始める。
「水下の言い分もわからないわけではない」
「では・・・」
「水下は砲雷長として必要な助言をし、従わなかった責任は当然私に帰結するだろう」
それに・・・と寺井崎は続け、
「責任を取らない上官なら必要ない。部下に責任を押し付ける艦長を信頼できるのか?」
水下は首を大きく横に振る。
「そういうことだ。水下が気に病むことはないし、船務長にも伝えておいてくれ。
まぁ、あいつはそんなことを気にするやつではないがな」
落ち着いてきたのか、水下は目の前に置かれた珈琲を飲み始めた。
「取り乱して申し訳ありませんでした。艦長が戻られるまで、艦はお任せください!」
「うん、よろしく頼むよ」
それからというもの・・・。
「艦長お疲れ様です!」と水下が来たり、
「これ差し入れです。艦長甘いもの好きでしたよねー!」と石山が訪ねて来たり。
日替わりで誰かが来てくれるようになって、もちろん嬉しくないわけがない。
部下に慕われて喜ばない上官がどこにいるのか・・・いるなら会ってみたい。
おかげで、停職期間中も退屈を持てあますことはなさそうだ。
寺井崎もこれ幸いと、普段はなかなか出来ない勉強に手を付けられている。
ひとりで黙々とこなす習慣は、防大時代に着実に養っていたことが功を奏し、
理論も確実に身に付いてきている・・・ようである。
《やくも》を始めとする日本が保有する“イージス艦”の果たす役割は大きい。
特に、四方を海に囲まれている日本では殊更に重要度が増している。
海洋進出を企てる某国、実効支配を強める某国、核で世界に存在を示そうとする某国。
その矢面に立つのは、現場で活動する自衛官や海上保安官に他ならない。
現に、領海侵犯や領空侵犯の事案が後を絶たず、対応に苦慮している。
現場の軽はずみな言動が、思わぬ国際問題へ発展する可能性も十分考えられる。
そうした時代的背景を踏まえても、海保の対応能力には限界がある。
少し前まで「有事」は空想の絵空事でしかなかったが、現代は具体性をはらむ。
寺井崎たちは、こうした事態から隊員たち、そして日本を守らなければならないのだ。
勉強に一段落をつけ、珈琲を入れるため給湯スペースへ向かう。
お湯を注ぐと、室内に珈琲がほのかに香り立つ。
珈琲を手に席に戻ると、また机に向かい始める。
寺井崎の部屋の明かりは、明け方近くまで消えることはなかった。
■ 2015年9月1日 16時30分 ■
■ やくも 艦橋 ■
「水下―!ちょっと時間いいか?」
艦橋にいた水下に声を掛けたのは、石山だ。
艦橋から右舷の見張り台へ出ると、まだ日差しが照り続けている。
「あんたが呼び出すってことは・・・またお金のこと?」
「またって・・・水下にお金頼ったことないじゃん!?」
「嘘ばっかり。防大時代に何度貸してあげたと思ってるのよ」
「ちょっと・・・防大時代はなしでしょ!?」
漫才のような会話をひとしきりして、石山が神妙な顔になる。
「ところで、一宮副長の異動だけど・・・水下はどう思う?」
「どうって・・・なにかあるの?」
一宮は、先の戦闘で負傷した谷三佐の後任として異動してきた。
「うん、もう異動って・・・なぁ」
「けど、後任は谷三佐が戻ってくる予定なんでしょ?」
そう、後任として谷三佐が復職予定なのだ。
「でも、石山くんが気になるってことは、なにかあるんでしょ」
「どうやろ。自分の勘が当たったことないけど・・・嫌な感じがするな」
「嫌な感じ?」
「まぁ、なんや。当らんに越したことはないけど、用心しといて」
そう言い残すと、艦橋の方へ戻って行ってしまった。
1人残された水下は、眼前に見える留萌の街を臨みながら、大きく深呼吸する。
頭の中から余計な雑念が消えていくようで、水下はこの深呼吸が好きだ。
決まって5回深呼吸をすると、水下も艦橋へ戻って行った。
■ 2015年9月1日 23時30分 ■
■ 都内某所 ■
路側に停まる1台の乗用車。
ハザードを焚いていても、この車に注意を寄せる人はいない。
一日の終わりを告げる頃、家路を急ぐ多くの車が行き交っている。
乗用車の後部座席で2人の影が揺れるが、気に留める人などいない。
「計画は順調なのだろうな」
1人が重苦しい空気を破るように、その口を開いた。
「はい。滞りなく、現在のところ順調に進行しています」
「今度は期待していいのだろうな。」
「ご安心ください。寺井崎は排除しましたし、内部についても・・・」
「それならいいが。同じ失態は、自分の命を縮める結果になるぞ」
「承知しております」
そう言うと軽く頭を下げ、車から1人降りる。
頭を下げ続け、車が見えなくなった頃に顔をあげる。
「もう・・・あとには退けないんだ」
口にした言葉だけが虚空を漂っていった。
久しぶりの投稿になります。
続きを期待されたいた方が居られるのかわかりませんが、
長らく更新できませでして、本当にすみませんでした。
社会人1年目を駆け抜けている間は、なかなか自分の時間を持つことが難しかったですが、
最近になって落ち着いてきましたので、また更新していこうかと思います。
この7章が最後の章になろうかと考えておりますが、
この5年あまりの執筆にふさわしい作品になれば・・・いいなーと思っていますが。
どうなるか私にもわかりません(笑)
自分の思うままに、納得できる作品に仕上がればと思いますので、
これからも応援いただけると、とてもうれしいです。