美女がスラム街を歩いて「うひょ~!」「見ろよ女だぜ……」「たまんねえな!」などと言われる話
自分の町へ帰る途中、ルミアは選択を迫られていた。
スラム街を突っ切るか、それとも迂回するか。
迂回すれば間違いなく日は沈んでしまい、そうなると、夜行性のモンスターに襲われる可能性が非常に高くなる。
かといってスラム街を突っ切ればどうなるか……。
ルミアは金髪の美女である。うぬぼれてはいないが自覚ぐらいはしている。こんな自分がスラム街を歩けば、それこそ飢えた肉食獣の群れに肉を放り込むような事態になることは想像に難くない。
いずれにせよ地獄――ならば相手はモンスターよりも人間の方がまだマシだろう。
「行くしかない……!」
半ば諦めを伴った悲壮な決断とともに、ルミアはスラム街に足を踏み入れた。
***
スラム街に入ると、ルミアは空気そのものが入れ替わったのではないかという錯覚を味わった。
廃屋が立ち並び、鼻をつく不潔な臭いが漂い、そしてやはり大勢のアウトローたちがたむろしていた。
彼らはルミアを一目見るなり下卑た笑みを浮かべる。
「ひっ……!」
立ちすくむルミア。
しかし、ここを突破しなければ自分の町に帰れない。
どうか私に興味を持たないで。ルミアは祈るような気持ちで、前へ歩を進めた。
「ぐへへへ……」
「見ろよ、女だぜ!」
「たまんねえな!」
下劣な声が聞こえる。
祈りは届かなかった。
ルミアはもはや諦めた。ああもう好きにするがいいわ、という気分で歩き続ける。
ところが、そのまま彼らの前を歩けてしまった。
「あ、あら……?」
どうやら無事やり過ごせたらしい。
しかし、すぐさま次のアウトロー集団に出くわす。
彼らもやはりルミアをいやらしい目で凝視している。
「うひょ~!」
「いい尻してやがる……」
「襲いてぇなぁ!」
先ほどの連中よりも過激な台詞が飛んでくる。
男とはなんと野蛮で下賤な生き物なのだろうか。ルミアは覚悟を決めた。
しかし、いつまでもたっても彼らは近づいてこない。
「俺、ああいう女が好みなんだよなぁ……」
「ヨダレが出てくるぜ……」
「ヒヒヒ……もう我慢できねえ!」
言葉は物騒なのだが、全く近づいてくる気配がない。
ルミアはまたしても無事通りすぎることができた。
しかし、ルミアは今までのアウトローなど前座に過ぎなかったことを思い知る。
凶悪な人相の男が、ナイフを持って待ち構えていた。
ペットを可愛がるかのように刃を舌で舐めている。
「ひいい……っ!」
恐怖で動けなくなるルミア。
「ククク……」
ナイフ男はルミアに向けて不敵な笑みを放ちながら、ナイフをペロペロ舐めている。
ルミアは自分の運命を悟った。
ナイフ男はまもなく自分に襲いかかってくるだろう。散々弄ばれ、最後にはナイフで命を――
目をつぶるルミア。今までの人生が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。
ところが――
「ククク……」
ナイフ男はなかなか襲ってこない。
「え……?」
「ククク……」
まだナイフを舐めている。
「あのー……」
「ククク……」
話しかけてみるも、ナイフ舐めをやめようとしない。
「先へ進みますね」
「ククク……」
ナイフ男はずっとナイフを舐めており、ルミアには一切危害を加えなかった。
さらにスラムを進むルミア。
今度は眼帯をつけたアウトローが現れる。
しかも――
「おいおい、お嬢ちゃん。ここがどこだか分かってんのか? 国からも見放された無法地帯だぜ?」
「!」
初めてスラム住民から明確に話しかけられた。
「てめえみたいな美女がこんなスラムを歩くなんざ……まさに『飛んで火に入る夏の虫』ってところだなぁ!」
ここでルミアは自分が罠にかかったことに気づく。
もうだいぶスラム街の奥深くまで入り込んでしまった。今までならば逃げたり叫んだりすれば助かる可能性もゼロではなかったが、これだけスラム内に入ってしまうともう助けは期待できない。
「ヒャーッハッハッハッハッハ!」
眼帯男の大笑いに、絶望するルミア。
彼女はまんまと蟻地獄にハマってしまったのだ。
「ハーッハッハッハッハッハ!」
まだ笑っている。
「ハーッハッハッハッハッハ!」
笑っているだけでルミアに何かしてくる様子はない。
「ハーッハッハッハッハッハ!」
よほど自分の『飛んで火に入る夏の虫』というたとえがツボに入ったのか、笑いが止まりそうもない。
ルミアは眼帯男を無視して進むことにした。
「シカトすんな!」などと怒られることもなかった。
それからも、スラムの男どもはルミアを汚らわしい目で眺めては下劣な声をかける。
「おいおい、女が歩いてるぜ!」
「ヒューヒュー!」
「くぅ~、可愛いぜぇ……」
「あの格好、襲ってくれって言ってるようなもんじゃねえか!」
「興奮してきたぜぇ……」
「胸でけえ! さわりてえ!」
しかし、言葉とは裏腹に特に何もしてこないので、ルミアは無事通り過ぎることができた。
そろそろスラムを抜けられる頃かしら、とルミアは歩き続ける。
巨漢が現れた。
顔面には鋭い両目と禍々しいタトゥー。
明らかに今までのアウトローとは別格の雰囲気。ルミアはこの男こそスラム街のボスだと直感した。
発情した猛獣を思わせる攻撃的な笑みを見せるボス。
「まさか、こんな美女がスラムを歩いているとはな……」
震えが止まらない。今のルミアは蛇に睨まれた蛙も同然だった。
「てめえにスラムについてちょいと教えてやろう……」
ついにスラムの“教え”を受けてしまうのね、と身をよじるルミア。
「このスラムは舗装なんかされてねえから、てめえみたいなハイヒールじゃ歩きにくいだろう。転ばねえようにせいぜい気をつけな」
これだけ言うと、ボスはどこかに行ってしまった。
この後もルミアは全く危険に遭うことなく、指一本触れられることなく、スラム街を出ることができた。
ルミアの選択は正解だったといえる。
しかし、彼女の中に何か釈然としないものが残っているのも事実だった。
***
もやもやを抱えたまま、自分の町にたどり着いたルミア。
スラム街とは違い、道路は整っており、建物も清潔だ。
無事に安全な場所に帰って来られたのに、ルミアの心は不満で一杯だった。その不満の正体がなんなのか、自分でもよく分からない。
そんなルミアに、見るからにベタなナンパ男といった風貌のチャラい若者が話しかけてきた。
「へい彼女、俺とお茶しない?」
「!」
若者は無遠慮にルミアとの距離を詰めてくる。
しかも馴れ馴れしく肩に手をかけてくる。
こんな非常識なチャラ男に対し、ルミアは――
「お茶するわ!!!」
「え!?」
ルミアはまるで「あんたのような男を待ってたのよ」という態度で若者の手を引っ張る。
「お茶するんでしょ!? さ、行くわよ!」
「は、はいっ!」
ルミアに引きずられる若者。もちろんこの夜はお茶だけでは済まなかった。
後にルミアはこの若者と結婚し、一男一女に恵まれ、幸せな家庭を築いたという。
おわり
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