3.バルコニーで朝食を
「どうぞ」
コトンと目の前に置かれたティーカップには黄金の液体が注がれていた。白磁の器によく映えるそれは、甘酸っぱい香りを放っている。
待ちきれないようにカップに手を伸ばしたセシリアは、顔に近づけしばらく匂いを堪能した後、ゆっくりと口に含んだ。
「おいしいわ。…これ、あなた特製のアップルティーかしら?」
「さようでございます」
「…懐かしいわ。昔、よく作ってくれていたものね」
幼い頃、よくあの悪夢を見ていた。あまりの恐怖に泣きじゃくり、眠れないと騒いだ時、クラウスはこのお手製のアップルティーを淹れてくれたのだ。
「これを飲むと不思議とよく眠れたのよね。昔はよく怖い夢を見ていたから助かったわ」
「私にできることはこれくらいしかございませんから。このようなものでセシリア様のお心が安らぐのであれば、何度だってお淹れいたします」
クラウスはどこまでも優秀な執事だ。いつだって主人を想って動いてくれる。
「本日の朝食はフィアレル地方で作られたチーズをのせたパンケーキです」
「美味しそうね。フェアレルのチーズは濃厚でパンケーキとよく合うのよね」
黄金色のパンケーキに程よくとろけたチーズ。その美しい見た目は空腹のセシリアの食欲をそそった。
「さ、クラウスも早く座って。冷めないうちにいただきましょ」
「はい」
クラウスとは時折、こうして食事を共にすることがある。初めは恐れ多いからと断られたのだが、話し相手が欲しいのだと説得したところ、こうして食事に付き合ってくれるようになった。
穏やかな風を肌に感じながら、用意された朝食に手を伸ばす。美しい庭園を眺めながら食べる朝食は最高だ。
「春とはいえ、朝はまだ少し肌寒いわよね。でも、空気は澄んでいるし、日差しが心地よくて好きだわ。それに庭園の花も満開で一段と華やかよね」
「毎日庭師のエリックが手塩にかけて世話をした甲斐がありますね。今朝も彼に会いましたが、何やら新しい花を入手したようで意気込んでおりました」
「それは楽しみね。より一層屋敷の庭が華やかになるわ」
「ええ、そうですね」
ふと、普段は手袋に覆われていて見てないクラウスの手がセシリアの目に入った。日にさらされることが少ない彼の手は雪のように白い。しかし、左手には大きな傷跡があった。
「…傷、残ってしまったわね」
セシリアの言葉にクラウスはパンケーキを切る手を止めた。視線を自身の手に移し口を開く。
「…ああ、これですか。傷は癒えておりますので問題ありません」
まったく気にしていないという顔でそう述べるクラウス。相変わらずの無頓着ぶりにセシリアの眉が下がる。
「でも、跡が残ってしまったわ。せっかくの美しい手なのに」
「お嬢様の綺麗な肌に傷が残るよりも何倍もましです。それに、これは名誉の負傷ですから。私は気にしておりません。…それとも、お嬢様はこの傷跡がご不快ですか?」
思ってもない言葉にセシリアは慌てて首を横に振る。
「そんなことないわ。私にとってその傷は貴方の忠義の証だもの。傷も含めてあの日の出来事は私にとって特別なの」
セシリアの脳裏に当時の思い出がよぎった。