二章 三十七話 『夢は魔法のように』
◇
その男は、生まれながらに体が弱かった。
貴族に生まれたからには騎士を目指すのが常だが、願うことすら叶わないほどの虚弱さ。誰もが、彼の夢を決めつけた。
それでも彼は諦めなかった。剣が振るえなくとも、弓が引けずとも、槍を突き立てられずとも、たった一つだけ出来ることがある。そのたった一つをひたすらに磨き抜いて、彼は騎士の立場に手を届かせた。
そのたった一つが、魔法。彼に唯一許された願いへの道程。
だから彼は今日も究める。魔法を。魔法の可能性を。魔法が開く未来の形を。
そう、彼の願いはたった一つ──
◇
カイは一人、建物の屋根を駆け回る。明らかにラグナは自分を狙っている。下を進めば破壊の余波が行軍に影響を与える。そうならないために、攻撃を上に誘導。魔法を駆使して受け流す。
「っつ……!」
しかし、その矢は音速に届き得る。近づけば近づくほど速度は増して行き、無傷でやり過ごすことが難しくなる。それに加え。
「がっ……!?」
爆発。暴風。果てには、視界を遮るように生まれる樹木の群れ。カイの技術はいずれも繊細なコントロールが要求される。暴風の矢を躱し、魔法の連鎖に気を向けながら居場所を探り指示を出し、剰え攻撃に移るというのはさしものカイでも困難である。
ジェレンが仕掛けた魔法紙の罠が続々と起動し始める。カイのいる場所だけでなく、あちこちで同じ現象が見受けられる。
ラグナは居場所を動かない。本来射手は居場所を気取られないように一射毎に場所を移動するのがセオリーである。しかしラグナは、どうせカイには隠れても無駄と、屋内から彼に狙いを絞って攻撃を続ける。それによりカイは回避に専念しなければならなくなり、強力な狙撃手の参戦を阻害できる。その隙に、人数と地の利を活かして雑兵から片付けるのがラグナの狙い。カイも、すでにそれは気づいている。
しかし避けるのがやっと。近づくことも難しく、凌ぐので手一杯。どうにかして、一瞬でも攻撃を止めなければジリ貧。
だから。
「頼む、上手くいってくれ……」
今の彼はただ祈るしかない。この状況を見越して仕込んだ一つの罠が、どうかラグナに通りますようにと。
◇
ラグナの作戦は概ねうまく進んでいる。部下の騎士も、魔法の余波などで負傷してはいるが、一対二以上で交換できるのだとすれば十分の成果。はなから無傷での圧勝は眼中にない。犠牲を出そうとも、定石に従ってすり潰すことができれば勝ちは揺るがない。やはり、面白みの欠片もない。
それでも彼は期待する。カイが、その弓をもってラグナに人生を示した彼が、リベラを超える何かを示すその瞬間を。
「……おかしいですネ」
「どうされた? 部隊は貴方の命令通りに魔法紙を起動させているはずですが」
ジェレンの罠、その起動方法は多少複雑である。まず、「変換式」により魔法を文字に変換。紙に保存し町中に張り巡らせておく。本来であれば、これを部下の魔力を使って起動する予定であった。だが、ゲルダとの出会いを経て、一つ過程を挟むことに。
それは、別途ジェレンの「魔力」を保存した紙を利用するというもの。これにより、ジェレン自身の魔力で魔法が起動されることになる。すなわち、ゲルダが進言したような、ジェレンがいつでも起動させられる状態に移行されるのだ。こうして、ジェレンは好きなタイミングで魔法を起動し、動かずとも戦況を動かすことが可能になった。
「幾つか、反応のない魔法紙がありマス。誰かうまく扱えていない騎士がいるのデショウか」
「それはあり得ない。この作戦は本来ミレットにぶつけるもの。幾度となく確認は繰り返した。俺の部下であっても、失策を犯すなどありえはしない」
ミレット。その直接戦闘能力に関しては、騎士団隊長の中でも下から数えた方が早い。しかし、姿を見せず、逃げに徹した場合ミレットは難敵に化ける。もし彼が自由に動けた場合、最悪結界の時間切れまでフィルを庇い逃げ切られる恐れがある。そうして他国に亡命し、応援を呼ばれればゲームオーバー。いくらリベラが強いと言っても、残りの騎士団や他国の戦力を相手にするにはまだ足りない。だから徹底的に封じる予定だった。そのために立てた作戦。考えた奇跡の応用。
相手は違えど、その練度に抜かりはない。ならばなぜ。どうして魔法の起動に異変があるのか。
「──アア、ナルホド。アナタでしたか」
「? 一体……!?」
「伝令! 仕掛けていた罠、全て封じられました!!」
「馬鹿な!! それほどの魔法技じゅ、つ──」
騎士にはいない。ジェレンの魔法を封じ込めるような力を持った魔道士は、騎士団には一人としていない。
だがラグナは怠った。カイに執着してしまった。前提においてしまった。それが、それらが、必ず共にあるという固定観念に囚われていた。
たった一人。ジェレンを脅かす才能を、一人では居られぬと軽視した。
「──やはり、これも運命なのですかネェ」
「──ゲルダか!!」
雪の女王が、戦場を一人かき乱す。
◇
数分前。
「よし。ジェレンさん、やっぱり自分の魔力で動かしてる。起動に一回自分を経由してるから」
ゲルダは待機状態の魔法紙を一つ手に取る。起動を一つも恐れることなく、落ち葉を拾うように平気な仕草。
「……うん。辿れた。魔力の痕跡は……よし。カイ、聞こえてる?」
誰もいないはずの空間に向かい呟くゲルダ。彼女は今、遠く離れたはずのカイに向けて言葉を放つ。それでも届くのは、天耳通を機能させているから。
ゲルダはカイからの返事を待たない。必要がない。なぜなら、聞こえているかは魔力の流れで汲み取れるから。
「そっち、あたしじゃ処理できないから気をつけてね。南西に密集して四つ、炎三、風一。北に二つ、炎と木、これも近い。それと──」
カイに向けて罠の位置を伝えながら、手元、拾った瓦礫に魔法を込める。
「──以上。頑張ってね。それと、騎士のみんなはこれ持って。危険なのは──」
ゲルダの周囲、分散する前の騎士部隊が指示を仰ぐ。彼女が教えているのはやはり罠の位置。それもかなり詳細に把握できている。それには、彼女の能力と罠の性質が関係している。
ゲルダは魔力や魔法の感知が非常に得意。幼い頃から様々な魔法に触れ続けてきたからこそ身に付いたもの。ただし術者まで辿ろうと思えば、発動直前のものに限られる。魔法紙に込められた魔法だけでは、流石に感知は及ばない。
その不可能を可能にしたのが、皮肉にも洗練したジェレンの多段式起動法である。発動直前で維持するこの方法ならば、ゲルダは間違いなく感知できる。そこから魔力の流れを辿り、ジェレンへと、そして、張り巡らせた魔法の罠全てへと繋がる。こうして彼女は、戦場に眠る危険を全て手中に収めた。
「──これで全部。危ないと思ったら、その瓦礫をぶつけて。そしたら起動は封じられるから。じゃあ、みんなお願い」
「君は? 我々と向かうのか、それともカイに合流するのか」
今回、二手に分かれた行動を進言したのは驚くことにカイである。普段はゲルダを一人にさせまいとする彼だが、思い切った策に出た。それを可能にしたのは、ゲルダの成長だけでない。彼自身が、一人でも戦える自信を確とその身に刻んだから。
「ううん。あたしは」
だから彼女もそれに応える。信頼と、成長の姿を背中に背負い。
「大将を落としてくるね」
見据えるは、二人の難敵。自分とカイ。それぞれが対峙すべき因縁の相手。
◇
『作戦の変更だ。罠の起動はこれ以上狙うな。ゲルダに警戒。多少やられてもかまわん。多人数で早急に落とせ』
「──これは、流石に旗色が悪いですネェ」
封じられる前の魔法でいくらか戦力を削れたとはいえど、最大火力、ゲルダが参戦すればこちらの戦力が削られることも必至。良くて五分五分。最悪、たった一人に蹂躙されることも考えなくてはならない。
「まだだ。ジェレン殿はカイへの攻撃に尽力を。俺は一時的にカイ狙いを止めます。まずはゲルダを落とさなければ」
そう言うとラグナはカイに送っていた「電令」を止め、ゲルダに意識を向けようと振り返る。
「──これは、どういうつもりですか」
その隙に、一人、ラグナに向けて照準を合わせるものがいた。それは。
「ジェレン殿」
「ここが引き時でしょう? これ以上は死人が出かねない。早く兵を引かせてくだサイ、ラグナ隊長」
ジェレンが、ラグナに向けて魔法紙を一枚、人差し指と中指で挟んで突きつける。
ラグナもまた、弓を引き絞りジェレンの頭部に狙いを定めた。
「裏切るつもりか。いや、そうか。貴方は」
思えばおかしい現象だった。罠はジェレンの思うように動かせる。仲間を巻き込まずともより適切なタイミングを計れたはず。それでも彼は、ラグナの部下ごと戦闘不能にすることを選んでいた。
「初めから、裏切るつもりだったのか、ジェレン」
「それは違いますネ。二週間前までは、ワタシも貴方たちと心中するつもりでした。だけど」
『世界を書き換える感じ』
「彼女が、ワタシに教えてくれた。思い出させてくれた。魔法はもっと、夢のあるものだ。それならば」
「おしゃべりは終わりだ。この状況で貴方が生き残る可能性は無い。どちらにせよ、もう貴方に果たせる役目はない」
ラグナは指を離す。その行為に一切の躊躇いはなく。先ほどまで仲間と捉えていた、ジェレンであっても容赦などしない。
死は確実に、彼の運命に狙いを定めていた。
「氷天」
声は高らかに。沈む空気は憂いを帯びる。
世界に満ちた大気の全てが、与えられた温度にひどく震える音がする。
「隕星」
氷が集う。騎士の隊長、その二人が集う屋城の上に、大気中の水分が形を作る。
それはさながら星のようで。模られた氷の惑星は、一切の生を一瞬にぶつける。
隕ちるは超新星。砕くは泡沫の夢。ラグナが抱き、ジェレンが醒めた、世界を変える野望の果て。
「──!! おおおおおおおおおお!!」
気づいたラグナはジェレンを蹴り壁面へとぶつけると、番た弓を放つ。
一撃では砕けない。星は、たかが音ひとつに揺るぎはしない。
続く矢。その全てが弾かれる。屋根はすでに倒壊し、瓦礫の雨が体を打つ。それでも、逃れられないラグナには、矢を射続けるほか手段はない。十か二十か、はたまたそれ以上か。指がちぎれることも厭わずに、ラグナは弓を射続ける。
「は……はぁ……はぁ……はぁ……」
目の前。全ての矢を打ち果たし、万事休すの手前で、その星はにわかに崩れ去った。
ラグナは全ての矢を、氷星の一点だけに当て続けた。その結果、見事に砕け散り氷の礫が雨と降る。休むことなく弓を弾き続けたラグナの指は、赤黒い血にべったりと塗れて震えていた。
『天駆風』
されど止まない魔法の嵐。矢の雨は止んだ。魔法の渦は凪いだ。ならば彼が自由になる。
吹き荒ぶ風は大気を揺らす。世界に残すは二筋の軌跡。星には決して届かなくともその風は。
『神足通』
風を超え、音を超え、やがて光の速さに至る──!!
「──舐めるなあああ!!」
ゲルダがこじ開けた天井。それを目掛けて神速の暴風が来たる。その場、満身創痍で立つラグナは、余力全てを振り絞り、全身に魔力を漲らせて攻撃を受ける態勢になる。
それが着弾するまで瞬くほどの猶予も無い。一瞬の思考を巡らせて、ラグナは勝利の糸口を手繰る。放たれたのはただの矢。風で加速させただけのそれであれば、腕と魔力を使い頭と心臓だけ重点的に守れば凌ぎ切れる。ゲルダの魔法はこもっていないはず。なぜならあれは、速度に違いがある。
『って、思ってません?』
「!! まさ──」
この戦い、カイの張り巡らせた謀略の糸、その始点は初めの一矢にすでにあった。カイは意図的に早い矢と遅い矢を織り交ぜ、ラグナに見せつけた。遅い矢からのみ氷の魔法が発生したことで、速度の差が氷の有無を見分ける印だと認識させた。ラグナは極限の状況で、正しさすら無いその情報を縋るように引き摺り出した。
なぜなら彼は知り得ないから。飛竜の群れ、死の大群に対してカイが放った、あの凍風を知らないのだから──
「がああああああ!!!!」
着弾した矢、その鏃が宿すのは氷の魔法。一つはラグナ。一つは壁に体を打ち付けて座り込んでいるジェレンに。それぞれの足元で砕け、魔法が解き放たれる。
地脈から水を吸い上げ、氷を形成。二人の体を確と捕らえる氷の檻が完成した。
「ジェレンさん……」
まばらに群がる騎士を凍止め、屋内へと侵入してきたゲルダは、ゆっくりとジェレンの下へと歩いていく。
「フフ、完敗ですネ、ゲルダさん。ドウゾ、煮るなり焼くなり」
「どうして、部下の人をあたしたちに味方させたの?」
ゲルダは気づいていた。ジェレンが、裏切りと全うとの間で揺らいでいたことを。それに気づいたのは、ラグナの攻撃が届いた初め。部隊員の一人が、回復魔法を使った時。
「あの人、魔法部隊の人でしょ? どうして?」
「……最初は、裏切るつもりなどなかったのデスよ。リベラさんの語る世界、ワタシにはそれが」
ミツキたちが傭兵の国を訪れる前。ジェレンは確かにリベラに付き従うつもりだった。それは彼が、ジェレンの心をくすぐったから。彼の、騎士になった始まりの気持ちを思い出させたから。
「──より多く、救える道だと思ったのです」
彼が目指す世界の果て。そこには多くの人間が報われる世界があった。ジェレンはそれに、魅せられてしまったのだろう。彼が魔法に縋ってでも騎士になりたかった理由が
──弱い自分でも、人を助けたいという思いだったのだから。
「……だけど違いました。ゲルダさん、アナタが思い出させてくれた」
「……あたし?」
「ええ。魔法は──世界を変えるものなのだと」
ゲルダは言った。魔法とは、世界の書き換えであると。それがジェレンにとっては転換点だった。
──そうだ、魔法はいつだって、不可能を可能にするためにあったのではないか。今の世界だって、今のまま変えてみせることが出来るのではないか。魔法とは、あきれるくらいにキレイなものだったではないか。
そんな運命の出会いが、リベラの語る薄ら暗い運命なんかよりも鮮烈で、幸福なものだったから。
「犠牲を出さず、みんなが救われる夢物語。そんなものを実現できるから魔法、なのでしょう?」
「──うん。そうかも、しれないね」
だから彼は、抗う決断をしたのだろう。
「行ってください。ワタシはここでなすべきことをします。アナタは、助けたい人がいるのでしょう?」
「……分かった。信じるね。じゃあ、また」
敵だったはずのジェレンを見逃し、ゲルダは宿敵と言葉を交えるカイの下へと歩き出した。
「ざまあないですね、ラグナさん」
氷づけのラグナを前に、カイは一言吐き捨てる。
「順風満帆? 全部うまくいった? はっ。聞いて呆れる。貴方は、ただ挑まなかっただけでしょう?」
「……」
ラグナは否定ができない。彼は常に挑んできた。それと同時に、諦めていたのだ。出来ないものは、出来ない。できる範囲で、できる限りを。それはミツキと違って、自分の限界に見切りをつけて、変わろうと思うこともできず。だから眩しかった。ディエスが、カイが、ゲルダが、そして、ミツキが。皆一様に進んでいく姿が、見ていられないほどに輝かしかった。
──自分の進む未来が、仄暗いものだと否定されているようだった。
「見ててください。あの人が、限界を超えるところを」
カイはラグナから武器を奪いながら続ける。自分でも信じきれなかった彼の勝利を、確かなものと信じながら。
「世界は、つまらなくなんかない。僕にそう教えてくれた人が、きっと貴方にも魅せてくれる」
「──やはり、君は」
続く言葉を待たずして、カイはゲルダを乗せて去っていく。一条の風を身に纏い、たった一人の勝利を願って。
そんな彼の後ろ姿に、沈みゆく意識の中ラグナは、失くしたはずだった自分の可能性を見た気がした。




