序章 幕間 『苦労人は今日も行く』
「思いの外、高い買い物になったものだ」
ほんの気まぐれで訪れた霊廟。そこに自分の求める神の痕跡があると踏んでいた。しかし得たのは特殊な奇跡一つ。失ったのは、情報を得る機会と、些細な、しかし彼にとっては何より尊重すべき、矜持。
長い黒髪、それを襟足あたりでくくる。黒のコートに身を包んだ男は思案する。
「……引き返さなくてもよかったのではないか?」
その場の雰囲気に押され外に出たが、よくよく考えれば深部へと進んでも良かったはず。そこで調べ物さえ見つけていれば足し引き0にはなっていたのではなかろうか。それにも関わらず出てしまったのは気遣いではなく。
「……うっかり、していた」
「何してんですか、ボス?」
「貴様か。どこで何をしていた? オレは大変だったのだが」
「アホ! こっちのセリフやわ、ポンコツ陛下! 会議抜けだしたアンタの尻拭いにどんだけ頭下げた思ってんねん!」
肩までかかる金髪を靡かせ、一人の長身の女が声を荒げる。それもそのはず。ここにいる男は五国調停会議を途中で抜け出し、あろうことか観光に臨んでいたという。男の傍若無人な振る舞いにはさすがに慣れてきたが、各国の要人がいる場となれば話が別である。
「ほんきで胃に穴ぁ空くか思ったわ……あの王女様エライ怖かった……」
「あれの妄言など無視していればいい。所詮は狭い国に君臨し続ける老害だ。何を真面目に相手をしている。愚か者」
「〜〜〜〜!!!!」
傍若無人、唯我独尊、傍若無人。傍迷惑が服を着て歩いているような男に激しく怒るが。
「まあ落ち着け」
「──は? なんこれキモチワルっ!」
「なかなか良いものだろう。収穫だ。国力の増強に利用できる。軍の総合訓練に参加するぞ。予定を組んでおけ」
男は手に入れたばかりの奇跡を使い女を諌める。珍しく子供のように笑う男に毒気が削がれてしまった。
「珍しいですね、ボスがそんな楽しそうなん」
「? 楽しいことなどあるか。大変だったと言っただろう」
──だが、まあ。
「悪くないものは、見れた。醜いものも見たがな」
「ふうん……そりゃ結構で」
尻拭いに回されている間、男は良い思いをしていたらしい。つい腹を立て嫌味を込めた返答をするが、男はそれに気づかず話を進める。
「お前が来ているなら車もあるだろう。どこだ」
「あっち置いてますよ。……一応聞くけど誰が運転するか分かってますよね?」
「当然だ。お前以外にいるとでも? 記憶の混濁でも起きたか? まあそれも仕方ないが」
「ねぎらいの言葉とかあってもいいんちゃいますぅ? ねぇ?」
「……ごくろう?」
「思てたんとちゃう!!」
◇
男と女は車の近くまで歩く。十分ほど歩くと女は思い出したように小さく笑い、話を切り出す。
「そういえば、あれ、『外套の魔道士』やっけ? 会えました? 気になってましたよね?」
「──ああ。期待していたほどのことはない。オレの計画、その即戦力とするには何もかも足らん。はずれだ」
苦虫を噛み潰したような顔。その表情に女は「面倒なことになるか?」と危惧したが、男はそこで表情を変える。
「だが」
期待するような、どこか遠くを見るような、そんな笑み。
「期待は、できる。いずれまた、オレの前に立ち塞がる時が来る」
「? ようわからんけど、よかったです」
そうこうしているうちに車が視界に映る。男の好む黒色の車体。緑の広がる場所では、よく目立つ。ちぐはぐな二つは、確かにこの世界で共存していた。
「あれか……流石に時間を使いすぎたな。急ぐぞ」
「はいはーい。あ、そうやボス」
「? なん……っ!」
急なぬかるみ、のち体が沈む。草場に隠れていたが、小さな沼地がそこにあった。
「そこ、ちょっと黄色いから、気ぃつけて……って言おう思てたんですけど。こらまあド派手に沈みましたなぁ!!」
「……覚えておけよ」
仕返しと言わんばかりにけたけたと笑う女。彼女に手を引かれ沼地から這い出る泥だらけの男。
二人は車に乗り込む。八人は乗れる大型のそれにたった二人。運転席と助手席だけを使い贅沢に走らせる予定。魔道資源を用い動かすこの世界の車は、彼女が前世いた世界のそれと比べ遥かに高い馬力を有する。目的地はここから東、遥か遠くだが、半日もかからずに着くだろう。
「暇だ」
「乗ったばっかりですけど!?」
「いつものやつ、聞かせてくれ」
この時だけ、少し、ほんの少しだけ、しおらしくなる。男には想像もできない世界が見えるから。それが、今の窮屈な世界よりも、ちょっとだけ美しく、楽しそうに見えるから。
「あー、じゃああれにしましょ。飛行機」
「先月に聞いただろう馬鹿もの。すでに制作に着手している」
「相変わらずやなぁ……じゃあ……」
未知の話を聞きながら、男の脳裏には一つ。ある男の名前が浮かんでいた。
「ミツキ……か」
「? 誰ですそれ? ! 浮気や! いやん!」
「調子に乗るな、変質者め。先に手を動かせ」
「話しろ言うたの自分ですやん……まあええか。いつも通りで安心や」
あの男はまだ足りない。失ったからではなく、手に入れていないからでもない。
──見つけられていないだけ。
それさえ気づけば、きっと、劇的に成長する。そんな確信があった。
「ほんなら帰りましょか、我らが鉄の国に」
エンジンをかけ、車が走り出す。
──黒衣の王、キリアス・ブロットラーグ。
──前世返り、アカリ・イチジョウ。
二人を乗せて、遠く遠くと駆けていく。
「……いや待て……やっぱり戻ってよかったんじゃないか……? よし、戻れ」
「アホ! はよ帰らなウチがどやされるんです!」
鉄の国を支える二人は、誰にも知られぬ野望を秘めて。いつもの調子で駆けて行った。




