二章 三十一話 『エンディングノート』
◇
「父上……ボクは、『しっぱいさく』なんだって……母上も、ボクのせいで死んじゃったって」
十二年前。フィルがまだ幼い頃。ようやく、自分に向けられる失望が理解できるようになった頃。
「──フィル。それは違う」
彼は失意の中にいた。王家という国の頂点にありながら、何もかも持たされずに生まれてしまった。
剣の才能は僅かばかり。いつも大人しく、弱々しく。訓練でも積極性を見せることはできなかった。
「お前は、私の誇りだよ。お前の良さは、分かる者にしか分からない。それが、どれほど輝かしいものなのかも、わかる人はとても少ない。それだけなんだよ」
彼の母は体が弱く、病も重なってしまったためにフィルを産んですぐに命を落とした。そのことが、悪評に拍車をかけたのは言うまでもない。
戦えない。争えない。抗えない。国を率いる者としては、致命的なまでの欠点。闘争心の欠如が甚だしい。それも全て、この生まれが原因と言っても過言ではないだろう。
自分なんかが戦ってはいけない。これ以上奪うことになってはいけない。罷り間違って、人を傷つけてはいけない。
「父上……でもボクは、王様にはなれない……父上みたいに、強い人にはなれないよ……」
彼の父、先代の王は騎士として戦場に立つこともあった。アイリーンが総隊長を退いてから、騎士団を率いていたのは実質彼。それが彼の人気を、そして皮肉にもフィルへの不満を、後押しする結果となるとは、人生は斯くも因果なものか。
「私のようになる必要はないんだ、フィル。私とお前は違う。人と人は、違う。親子であっても、兄弟であっても」
そんな苦境にあってもフィルが優しくあれたのは、先王の言葉があったから。血となり肉となり、身体中をめぐる血となって、いつの間にか当たり前になっていた忘れごと。
「──お前だけがなれる、そんな王になりなさい。誰にも真似できないような、フィルという名の王に」
人は、違う。一見冷たいようだが、その奥にあるのは可能性の肯定。
人の数ある可能性を認め、誰もがそれを花開かせることができるのだという信頼。
誰よりも人を愛し、人のために生きた王は、フィルの運命を支え続ける。
「そうだ。お前に合わせたい者がいる。きっと、いい出会いになるだろう。お互いにとってな」
同時に、もう一人の運命を支え続けた。
「失礼致します。陛下。ただいま参上いたしました」
「ああ、入ってくれ。固い挨拶は無しで良い。紹介する。こちらが私の息子、フィル」
フィルと違い、何もかも奪われた形で生まれてきて、何かを手に入れようと必死に足掻く男。
戦うことで、穴を埋めようと、居場所を守ろうとする姿。フィルにはそれが新鮮で、どこか、美しく見えた。
「そしてフィル。彼が、将来この国の騎士団を率いるだろう男」
戦うことは醜くない。抗うことは間違ってない。争いも、人が違うことの証左。
その出会いを機に、フィルは抗うことになる。何もできないと思っていた自分でも、何かできることがあるはずだと。人々に関わっては、人知れず力を貸し続けた。
「リベラだ。二人とも、兄弟だと思って仲良くするといい」
彼の人生を彩ったのは、消えまいと戦う虹のような男との出会い。
忘れかけていた、今に至る因果の始まり。
◇
十四日目。朝。
「……この、夢」
激しい戦闘の跡が残る王家の邸宅。戦闘後の疲れた体を癒すには不適格だとして、フィルはアイリーンの住む家に一時的に預けられた。フィルはなかなか眠りにつけなかったが、それは枕が変わったせいではない。整理しなければいけないことが山積みで、目を閉じることが出来なかった。
「おはようございます、アイリーンさん」
「おはようございます、陛下。昨日は……あまり、お休みになれていませんね。申し訳ありません、気の利いた準備一つできず」
「いえ、少し考えごとをしていたので。それでも眠れたのは、あなたが良くしてくれたおかげですから」
二児の母であるアイリーンは、フィルの不調を見逃さなかった。それを自分の不出来だと謝るが、当然そのようなことはない。フィルも即座にそれを否定する。
だが不調ばかりではない。力の抜けた様子だが、そこには確かに王族としての気品がある。最近まで無駄に力の入っていたフィルだったが、ここにきて一気に王らしくなった。修羅場をくぐったからではない。少し、大事なことを思い出したから。彼なりの、力の入れ方を試してみたようだ。
「おはよ、フィル。調子良さそうじゃん」
「おはよ、ミツキ。そっちも元気そうじゃん」
それが分かるのは、似た経験をしたミツキだけだったのか。それとも。
「おはようございます、殿下。少しお時間よろしいですか?」
ずっと近くで見守ってきた、リベラにも分かっていたのか。それは定かではない。
◇
「今回の事件、黒幕を捕まえることは出来ましたが、これで収束とはならないでしょう」
用意されていた朝食を摂り、場所を移す。そこは一昼夜費やし元に戻された王家の邸宅。その玉座にて今回の総括がなされる。
「師匠の言う通り、平民の間で広まった噂や悪評の類が収まるには時間がかかります。しばらくは、外を出歩かれない方がよろしいかと」
黒幕がいなくなったことで悪評の火を煽る人間は消えた。だが、平民の間にはそれが今も燻ったまま燃え尽きないでいる。もしフィルが隙を見せれば、再度あっという間に同じことが起きるだろう。その危険がなくなるまで、フィルは息を潜めて執務に励む。窮屈だろうが、やむを得ない。
「そうだね。細かいことは、二人に任せることになる。悪いけど頑張ってほしい。私もできるだけ早く挑戦したいことがあるんだ」
「──強く、なられましたね、殿下」
「お任せください。可能な限り陛下が国民の前に姿を表せるよう尽力いたします」
一皮剥けたフィルの様子に言葉の出ないリベラ。嬉しさよりも、困惑や、少しの寂しさが優っているように見えた。
「そして、ミツキ。カイ。ゲルダ。三人にも、改めてお礼を」
そう言うとフィルは玉座から立ち上がり、頭を下げる。
「うん。どういたしまして。でも、王様がそんな簡単に頭下げていいのか? ふっかけられるぞ?」
「ミツキくん、照れてないでちゃんと応えなきゃだよ」
改めて礼を口にされると照れ臭くなる。ミツキはカイやアダンのように少し捻くれたことを言って躱そうとするが、ゲルダに逃げ道を塞がれてしまった。真正面から向き合うには、成長したフィルは少し眩しくて、目を合わせることが出来ない。
気持ちをリセットするために、一度目を閉じて今回のことを思い返す。出会いや収穫に思いを馳せ、自分の成長を実感する。すると、大きく見えたはずのフィルが、自分と同じ目線にあるように感じて、小さく笑ってみた。
「こちらこそ、ありがとう」
前に差し出さなかったままの右手。今度はそのままフィルに向ける。
フィルも同じように、右手でそれに応え、固く握る。
「「これからも、よろしく」」
示し合わせたように重なった言葉。目的は果たされたにも関わらず、微笑みの中交わした言葉には、別れの意味など含まれてはいなかった。
◇
十五日目。事件の解決とミツキたちの見送りも兼ねて、王家の邸宅にて小さな祝賀会が催された。世相もあって人数は絞り、ミツキたちとフィルを除けば騎士団の隊長たちのみ。ほんの細やかな食事会だった。
「寂しくなるなあ、ミツキぃ。せっかく仲良くなれたってのによぉ」
「うわ、ミレット飲み過ぎ! 酒臭いからくっつくなよお!」
翌日早朝にミツキたちは魔性の国へと帰る。これが最後の団欒になるかも知れないとミレットは思っていたのだが。
「なんだ、お前まだ言ってなかったのかよ」
「あはは、タイミング見つかんなくって」
「何よ何よ? 二人して何隠してんのよ?」
ミツキたちは帰る。それは事実。だが、あくまで一時帰国。すなわち。
「一週間くらいでまた戻ってくるよ。決めたから」
「!! ミツキ、それは、本当か!?」
その言葉に食いついたのはミレットではなくリベラ。珍しく声が上ずり、感情を隠しきれない様子。
「ミツキくん、一番大事な人に言ってないんじゃん。だめだよ?」
「報連相、でしたっけ? 僕に言っておいてそれはないのでは?」
「いやあ、フィルに言って満足してたんで……言い訳の言葉もありません」
リベラから受けていたスカウト。密かにその答えを出していた。認めてくれた彼に、恩を返したい。進んでいく彼の、支えとなりたい。そう思うミツキが選んだ答え。
「傭兵の国、ここの騎士団でゲルダとカイ共々お世話になります。返事、遅くなってすみません……この約束、生きてますよね?」
「──」
騎士団として、彼は傭兵の国に居着くことを決めた。魔性の国の人々と離れるのは寂しいが、一生会えなくなる訳ではない。帰ろうと思えば帰れるだろう。今回の帰省は別れの挨拶と、世話になった人への恩返しが目的。
「あ、あれ?」
「あーあ。ミツキくんがちゃんと連絡しないから」
だが、返事が返ってこない。リベラはポカンとしたまま固まっている。流石にこのミスはやらかしたと思うミツキ。どう謝罪しようかと頭を回らす。
「──な」
ぽつり。騒がしい室内にリベラが言葉をこぼす。思わず皆が押し黙った。騎士団総隊長の、見たことのない表情が見れたから。
「──嬉しいなぁ。本当に、本当に、嬉しいよ。ミツキ」
泣き笑い。喜びのあまり涙を零していた。
「ふっ。隊員にはとても見せられんな。俺たちだけで良かった」
「ですね。師匠、相当ミツキ君を気に入っていたようなので」
「早速手続きをしなければな! すまないが、オレはここで」
「だめだよ、リベラ。今日くらいは仕事忘れて。まだ時間はあるんだから。ね、ミツキ」
環境が変わる。世界が変わる。それはミツキだけでなく、この国全体にとって。
「うん。これから、末永くお世話になります!」
新しい風が、一体何をもたらすのだろうか。その場にいた全員が、新たな世界を楽しみにしていた。
「お疲れ、フィル。リベラさんやっと落ち着いた?」
「うん。ほんと、ミツキのせいだよ? せっかくの気分転換の会なのに、すぐ仕事しようとして」
会場の隅。窓の付近で夜風にあたる二人。少人数にも関わらず、ミツキの宣言から会場の熱気は急上昇していた。
あのあとしばらく、すぐにミツキたちの入隊手続きに本部へと戻ろうとするリベラを止める時間が続いた。今ではなんとか治まったが、小康状態といったところ。ミレットが見張っているが、彼のテンションも少しおかしくなっているので、頼りになるかは怪しい。
「気分転換、か。フィルは、どう? 気分転換になった?」
ミツキは率直に尋ねる。今回の事件でフィルが心に負った傷は大きい。癒えはしなくとも、せめて心休まっていればと思わずにはいられない。
「ふふっ。ムリムリ。そんな簡単に忘れられたらこんな大事になってないよ?」
心の傷を笑って肯定するフィルの姿には、痛々しさがない。自嘲するような発言にも棘がなく、初めて出会った時よりも清々しい表情に見える。
「そっか。そうだわな」
「ミツキ。ボク決めたんだ」
父を失い、ぼろぼろに痛めつけられて、それでも彼が笑えたのは、掴んだものがあったから。彼なりの答え。人々が放つ、「お前でいいのか」という無言の問いに対する自答。
「ボクは、まだ何も出来ないから。みんなに手伝って貰おうと思う。前にミツキ言ってたでしょ? みんな、『できること』をやってるって。それを少しずつ貸してもらうんだ。政治にも、国の運営にも。身分なんて関係なく、みんなから」
「──すげえ。すげえよフィル!」
フィルが語るのは国の形。ミツキは当たり前と知っていた政治の在り方。だが、たどり着くには歴史があった。一朝一夕では出せない回答。それに、フィルは届いてみせた。そのことにミツキは感嘆せずにいられない。
「へへ。まだ考えただけだけど。みんなが協力してくれるかわかんないし。でも、そうやったら、きっとヴェントも安心できる『強い国』にできる気がする。ううん。ボクが死ぬまでに、そうしてみせる。キミとどっちが早いか、勝負だね、ミツキ」
「──ああ、負けねえよ、フィル」
突きつけられた問いに答えを出せたフィル。それを少し羨ましく思いながら、彼とひとつ約束をする。
死ぬまでにやらなければいけないことを、確と胸に刻んだ夜のこと。
ミツキの目に、まだ、月は見えない。




