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二章 三十話 『凶星に願いを』

「見苦しいぞ。その口さっさと閉じやがれ」


「──僕の妹は、魔獣に食われた」


 ディエスは気づく。ヴェントの言葉には危険が潜む。喋らせてはいけない。ミツキにとっては強い毒となりうる。見据える夢から目を逸らすだけの苦しい劇毒。


「黙れっつってんだろ!!」


「──それを見たお母さんは頭がおかしくなった。お父さんはそれに耐えられず命を絶った」


 堪らず攻撃に出るディエスだったが、怒りに任せたそれをヴェントは容易く避ける。晒した隙。そこに大剣を打ち込もうとするヴェント。


「くそっ! ディエスさん、落ち着いて!!」


 だが剣は見えない何かに弾かれ地面に刺さる。姿を消し機会を窺っていたミレットがやむをえずヴェントの正面に躍り出た。


「──魔獣を殺す。それが騎士団の役割。それが、この傭兵の国(ガルディニア)の役割。でも」


 隊長格を二人前にしてもヴェントの言葉は止まらない。心の奥底に溜めていた濁流は、堰き止める術などもはやない。彼女の心すら削りながら、正面の、英雄を目指す少年に向かって一直線。流星に願いを託す少女のように。淡々と、しかし縋り付くようなか細い音。


「あなたじゃ、叶わない。弱くなる。救えなくなる」


 その隣にいたフィルを睨む。憎悪ではなく、見限るような冷たい眼差し。


「──だから、僕らが変える。救えるように。強くなるように」


 ディエスたちは動けない。迂闊に踏み込めば先ほどのようにカウンターがある。このまま膠着させれば勝ち。だから踏み込む意味がない。だから攻め込むことができない。


 ミツキたちは動けない。邸宅付近にいた騎士の動向がわからないから、警戒を続ける必要がある。それは建前。突きつけられたナイフのような言葉が、彼らの足を止めている。


「──力を貸して。ミツキ。君なら。君たちなら」


 庭園から四人。残っていた騎士が姿を見せる。狙うはミツキの隣。呆然と力なく立ち尽くすフィル。


「──殺して。殺させて。そいつを」


 ミツキ達の通ってきた迂回路から、さらに二人。囲むように姿を見せる。視界にとらえているはずなのに、フィルの体は動かない。突き立てられ続ける否定の針に、彼の心はがんじがらめ。死を受け入れたのか。目を閉じ、頷くように頭を下げた。



「──あなたを俺は否定しない。でも」


 雷撃がミツキの体を中心として放射状に放たれる。魔法というには荒い精度。ほとんど魔力の放出と変わらない現象。ミツキの心中と同じように、形の定まらない無形の雷。


 後続のために待機していた二人を除く四人がそれに飲まれ気を失う。肉の焼け焦げた匂いを間近で浴び、堪らずフィルはしゃがみ込む。


「──あなたを俺は救えない。俺は、それを認められない」


「──そう。簡単に()()()んだ。思ったより、冷酷なんだね。がっかりした……『風蝕』」


 ヴェントの魔力は多くない。それを集め、一つの風にする。起こした風は砂塵を巻き込みディエスとミレットに襲い掛かる。威力は弱い。それも当然。その魔力は持続時間に振られているのだから。


「ミレットォ!」


「わかってます!」


 ディエスもミレットも、巻き起こされた砂嵐に足と視界を奪われる。継続時間も分からない。抜け出すために取ったのは一か八かの策。


「歯ぁ食いしばれよ!!」


 ディエスの溜めた衝撃をミレットに向け放ち、範囲外に飛ばす。風と衝撃にもまれ、骨が軋む音がする。しかし正念場。体を丸めてやり過ごし、なんとか足止めを脱する。


 ミレットが視認したのはヴェントの姿。もう既に、ミツキたちに剣が届く位置。ミツキはいる。戦う意志も残っている。問題は、もう一人。叩きつけられた彼女の声に、戦意を失っているのではと危惧していた、フィル。


「──陛下」


 しかし、そうはならなかった。彼は今も立派に立っている。一度折れかけた意志は、ヒビだらけになってもなお砕けはしない。隣に、同じようにボロボロになっている彼がいるから、同じようにと立ち上がれる。ミツキの存在を添え木にして、幼木は再度根を伸ばす。


 ヴェントと接触するミツキ。大剣をいなし、剣戟が生まれる。同時に襲い掛かるは待機していた二人の騎士。フィルは剣を構える。立ち上がれたが、戦えるかは五分。震える鋒は、されども遠く彼方を向いて、果てなく未来の虹を指す。


 抗う。隣の彼のように。自分などを認めてくれる人に恥じないように。ようやく見えた未来を手放さないで済むように。


 ミレットはあと一歩だけ間に合わない。ミツキはヴェントを振り切れない。


 絶体絶命の窮地の中、フィルが思ったのは、見られるかも分からない国の未来のことだった。




『陛下。その場で停止を』




 その時、フィルの脳内で響く声。低く、厳格な調が反響し、思わず体が硬直する。


 

 声と共に届いたのは、二本の矢。風切り音というには生優しい轟音を伴って、騎士の剣を弾き落とす。


「間に合った──」


 遠く遠方。姿など欠片も見えない彼方から、救いの矢が馳せ来たる。放つ嚆矢。その使い手は、この国における力の頂。彼を除いて引けるもののいない、「過堅弓(かけんきゅう)」を扱う剛の者。



「遅くなりました、殿下。よく頑張られましたね」


 あり得ない速度の矢に並ぶようにして、一人の人間が戦場に届く。それは見る者を魅了する頂上の傑物。世界を穿つ一振りの刃。


「リベ……ラ……」


 天秤は傾く。釣り合っていたはずの分銅は、その一人が現れただけで覆し得ないほどに傾ききった。彼の着く側に勝利あり。彼に歯向かうものに敗北あり。勝負の行く末など、戦う以前に決していた。


「──リベラさん。僕、は」


「言うな、ヴェント」


 到着と同時に、目にも止まらぬ速さで騎士二人の意識を奪う。剣は抜かないまま。徒手空拳ですら最強の域。肉のぶつかる音すら遅れて耳に届く。


 ミツキと対峙していたはずのヴェント。彼女もリベラと向き合う。ミツキは離脱し、ことの行く末をただ見守る。援護をすれば、リベラのパフォーマンスが損なわれる。彼の観察眼が、残酷な力の差を今も変わらず告げている。


「かっ──」


「──少し、休め。苦労をかけて、すまなかった」


 決着は一瞬のことだった。正面に大剣を構えたヴェント。その得物が微かに揺れた瞬間、高速の剣は鞘に収まったままそれを弾き飛ばす。ヴェントも隊長の面目躍如とばかりに素手で戦う構えをとって見せたが、両手の防御をすり抜けるようにしてリベラの拳擊が心臓付近に突き刺さった。


 奇跡(ギフト)の介入する余地のない肉体の活動限界。それを一撃で押し付け、ヴェントは完全に沈黙した。



「──全員、敵兵の確保を。ディエス殿が負傷している。回復魔法が使える者は」


「大丈夫っす。それは、俺が」


 残存戦力はいないはずだが、それに注意しつつ騎士団に命令を下す。


「……良くやってくれた、ミツキ。辛かっただろう」


「まあ……はい。でも、おかげ、って言ったら変だけど、見つかったこともあるので」


 ミツキの表情は暗いまま。しかし、迷ったような様子はない。彼女に突きつけられた大問は、彼の中では答えは出ずとも、既に整理がついている。心配なのは、フィルの方。


「殿下……」


「ありがとう、リベラ。ボクは……私は、大丈夫だ」


 強がるために被っていた王の仮面。それを今は、負けないために被る。否定されても、虚仮にされても、もう逃げない。その覚悟と共に、言葉を正して前を向く。目には既に光が満ちた。その姿に、リベラもミツキも、笑う気など一切起きない。


「わかりました。ですがお疲れでしょう。ここは我々に任せて、本部にてお休みください。ミツキ、引き続き殿下を頼む」


 失ったものは少ないが、擦り減ったものは幾重にも。


 見えたものは微かだが、届く未来は確かに。


 釣り合わない報酬。一握りのそれだけを胸に、少年たちは死地を後にした。

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