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二章 二十六話 『境界線』

 十一日目。朝。


「ふわぁー。ねみい……ちょっと夜更かししすぎたかもだ」


 張り切って夜中まで資料の確認に時間を使ったため、疲れが取りきれていないミツキ。いつもよりほんの少しだけ遅く起床する。


「おはよ、ミツキくん。あたしより遅いの珍しいね」


「おはよう、ミツキ。慣れない場所だから眠れなかった?」


 食事の間に居たのはゲルダとフィルの二人。カイは早々に出かけ情報収集のための網を張り巡らせている。ディエスは訓練所が近くなったため張り切っており、一番乗り目指して飛んでいった。


「二人ともおはよ。いやあ、ベッドは良かったけど勉強してたら遅くなってさ」


「ね? 言った通り心配ないでしょ?」


「うん。いっつもこんな感じなんだね、ミツキって。ゲルダさんから色々聞いたよ」


 ミツキが起きてくるまで二人は共通の話題であるミツキのことについて話していた。仰々しいことではなく、日々の生活のような他愛もない話。おかげで、二人はそこそこ打ち解けることができた。


「おいおい、俺の居ないとこで俺の話するとか恥ずかしいじゃん。どんな話してたの?」


「え? ミツキが結構泣き虫ってこととか」


「ゲルダ、ちょっとそれはやめなさい……」


 そして、昨日のうちにミツキの素性についても明かしている。一国の主人に開示するのはリスクもあった。事実カイとディエスは反対していたが、それをミツキが押し切った形になる。


『命預かるのに、隠し事はしたくない』


 なんともミツキらしい理由。こうなっては話を聞かないだろうと二人は諦めた。


 幸運だったのは、フィルの影響力が小さいこと。今の彼が何を言っても国勢に影響はないだろう。無論、ミツキという理外の存在などもってのほか。


「まあリベラさんに明かしてるから今更だと思うんだけどね」


「でも驚いた。ミツキがあの『外套の』……」


「あー……待った。その呼び方はもう恥ずかしいんでナシ」


 フィルの耳まで「外套の魔道士」の名声は届いていたという。改めてその影響力を思い知るミツキ。同時に黒歴史のようにも感じてしまう。リベラという本物を見て、知ってしまったからだ。魔法も使わずにいたあの時の自分を褒め称えるような名前。それを聞くと体が痒くなる。


「じゃああたしも先に行くね。ジェレンさんと打ち合わせしてくる。ミツキくん、フィルくん。行ってきます!」


「行ってらっしゃい、ゲルダさん」


 ゲルダはジェレンの活動に参加する形。実際に動く前にどこまで調査が進んでいるのか、成果について共有し、今後の方針を固めなければならない。いつもより早く家を出る。


 その「行ってきます」に強い反応を示したのがフィル。彼はしばらくこの広い家に一人きりで暮らしていた。家事手伝いや護衛はいるし、人の往来もあっただろう。しかし、家族はいなかった。母親はフィルを産んですぐに亡くなっている。父も失った。一人暮らしはアイリーンと同じだが、彼女にあった家族がフィルにはない。だから久しぶりのその言葉に、嬉々とした表情は隠せない。


「そいえばフィルって、剣術とかできる?」


「あ……う、ん……自信はないけど、少しだけ」


 ミツキは朝、軽く体を動かすことを日課としている。カイがいれば組手をするのだが、あいにく今日は早番。その代わりと言ってはなんだが、フィルがいる。もし剣術ができるのならば稽古の質も上がるだろうと誘うことにした。


「じゃあちょっと相手してよ! 俺も剣術は素人だからさ!」


 普段は短刀を使うミツキ。剣術は不要なのだが、何が起きるか分からない。ディエスのように百般とはいかなくても、広く技能を開拓するのも悪くないと考えた。相手も自信がないとこぼすフィル。ちょうどいい。むしろ、実戦を知っている分ミツキが有利。フィルの護身にもいいだろうと思い是非と誘う。


「……わかったよお……少しだけだからね」


 乗り気でないフィルをなんとか口説き落として、内庭の訓練場で手合わせ。その結果は。




「はあ、まじ……かよ……これ」


「ふう、はぁ……ありがとうございました」


 十本中、七本。


「何が『自信はない』だよ!! ばりばりに戦えるんじゃんか!!」


 フィルが勝ち越すという結果。心のどこかで手加減しなければ、などと思っていたミツキは顔から火が出るような思い。


「うう……ご、ごめん……ボク今までずっとリベラとしかやったことなかったから、自分の実力とか分かんなくて……」


「いや、マジで怒ってるわけじゃないけどよ? 少し意外だったから。あと安心。これなら連れ回しても問題なさそうな。ああ、リベラさんもそれ分かってたのか」


 実戦を経ずに戦える強さ。それも納得の「リベラ直伝」という理由が。手合わせの中で薄々気付いていたことではあったが。


 フィルの剣術。それが非常にリベラと似ている。あれほど極まった剣ではないが、素人ならばリベラのそれと同じように感じるだろう。十分な技術がフィルには備わっていた。


 同時にリベラがミツキの護衛付きとはいえ自由な行動を許したことにも合点がいく。最低限身を守る術がある。仮に襲われたとしても、戦闘訓練など経ていない平民ならば五人までは対処できるだろうとミツキは解釈した。


 彼の自信の無さは、リベラという頂点を強さの境界線に設定しているが故のこと。他方、その意識を切り替えたとて、彼の性質は変わらない。


「一応出かける時は剣持っていこうな」


「うん。あんまり好きじゃないけど、仕方ないよね」


 フィルが訓練の類に乗り気ではないことには事情がある。それは「優しさ」。「甘さ」や「臆病さ」とも言い換えられるそれが、ミツキの比ではない。剣をミツキに叩きつけた時、その表情は自分が攻撃を受けた時よりも苦々しいものだった。ミツキがとった三本中一本は、そこから来る手加減によるもの。流石に失礼だと思ったのか、それ以降は全力だったのだが。



    ◇



 午前中は騎士団の訓練所でいつも通り訓練。基礎練に至っては身分を偽り見学していたフィルも参加。各隊長以外の隊員にはバレないようにうまく振る舞っていた。フィルも力を入れなければ国王らしい振る舞いができない。それが上手いこと身分詐称をサポートする結果となる。


 そして訓練は終了し、午後。いつものように平民区十番街に向かうミツキとそれについていくフィル。



「聞けよ! 今の王がやったことは」


「!!」


 駅を出てしばらくすると、先日と同じような光景。何かビラのようなものを配りながら大声で訴えかける男の姿。


「……ふぅ……はぁ……は、ぁ」


 その声を聞くや否や、苦しそうに胸を抑えるフィル。呼吸は浅く、荒く。うまく酸素を取り込めないのか、それとも直面した事実に血が凍ってしまったのか。顔色は見る見るうちに青くなり、立っているのもやっとのような状態に。


「フィル、深呼吸。大丈夫だから」


「はぁ……う、ん……はあ、はぁ」


 その背中を手で支え、倒れないようにと声をかけるミツキ。少しして呼吸が戻ると、フィルから離れないまま告げる。


「そこの人。騎士団です。迷惑行為、これ以上続けるなら」


「! もう来やがったのか、くそ!」


 それを聞くと、男は人混みの薄い方へと走る。昨日の犯人と違い逃亡を図るが、ミツキはフィルから離れられない。やむをえず。


「……迅雷」


「ぎゃっ」


 小さく鳴き声を上げながら男は倒れ、気を失う。ずいぶん手加減はしたのだが、それでも刺激は強かったらしい。これからも頻発するだろうから早く加減を覚えなければと考えている内に、当直の騎士が騒ぎを聞きつけやってくる。


「何事ですか、何か事件が……ミツキくん。これは」


「大体昨日と同じ状況です。逃げようとしたんで、電撃を。怪我人はいません。連行しましょう」


 あくまで冷静に状況を報告する。昨日との変わり様に当直の騎士は驚いた様子だが、提げていた手錠を男にはめると駐屯所の一時留置所へと運んでいった。


「フィル、大丈夫? 動けそうか?」


「うん、だいじょうぶ。行こう」


 まだ顔は青いが呼吸は戻っている。人混みに居続けるのも心配だったので駐屯所へと向かうことに。少しふらつくフィルの様子を見かねて肩をかそうとするが、止める。必死で進もうとしている。必死で受け止めようとしている。手を貸すばかりが優しさではないように思えて、ミツキはフィルの横にぴったり並んで歩き出した。




 二日連続の騒ぎ。そのせいもあってか、今日の人通りは非常に少なく、ミツキに相談にくる人の数も同様に減少、どころか全くのゼロだった。


「ミツキくん、交代の時間だ。今日もお疲れ様。明日も頼むよ」


「っす。つってもあんま仕事なかったすけどね。お疲れです。んじゃ、お先に失礼します」


 夕方。訓練を終え交代に来た騎士。それと入れ替わりでミツキたちは帰路に着く。めぼしい情報も得られないまま。今日の収穫は、また一人騒ぎを起こすものが出たということと。


「ごめん、ね。ミツキ」


 フィルが、辛い現実を知ってしまったということ。情報としては知っていたはず。その時点でずいぶんと心を痛めていたはず。


 そこに、塩を塗りたくるような出来事。目の前で見て、フィルの傷ついた心は膿み切ってしまった。


「なんでフィルが謝んだよ。何もしてないっしょ。ああ、朝の稽古の話? あれなら、うん、許してやろう」


「違うよ。ボクが、ボクのせいで、みんなが」


 未熟なせいで、善良なはずの人間が事件を起こす。それが耐えられない。自分が責められるだけなら耐えられる。だけど、人を歪めてしまうことは、どうしても許容しきれない。


「……ちょっと待ってて。すぐ戻るから!」


 自己嫌悪の渦に嵌ったフィルを一人残してどこかに向かう。今のフィルに必要なのは慰めではない。自分がしてもらったことを思い出す。そこから、自分にできそうなことを引き摺り出す。



「お待たせ。これ」


 数分後。戻ってきたミツキが手に持っていたのは、小さな紙袋いっぱいに入った焼き菓子。ベビーカステラのようなもの。


「え……? これ、って」


「前相談に来た人が言っててさ。食べてみたかったから。一人分には多いからちょっと手伝ってよ」


 そう言いながらフィルに差し出す。食欲はなかったが、甘い香りが湯気に乗って漂いだす。ミツキも美味しそうに食べているので、それにつられて一つ手に取り、口に入れる。


「……おいしい」


「だろ? ──それ、フィルが助けた店の新作だって」


「……あ」


 フィルはミツキと出会う前から度々無断で平民区へと足を運んでいた。そこで彼がしていたのは。


「俺だってそうだ。フィルに、道案内されて、助けてもらった」


 自身の奇跡(ギフト)困跡(シグナル)」、それを生かした人助け。ミツキの下に駆けつけた時もそうだった。


 自身の無力を知っていた。自身の無能を認めていた。だから、フィルは。


「自分に『できること』、精一杯やってたんだろ。それで、助かった人がもう二人もだ」


 「できる限り」、抗った。多くはない。偉業でもない。フィルがしてきたのは些細で微量の力添えだけ。


 しかし、救われた人間がいる。彼が、成し遂げたという事実がある。


「今はまだ、王さまとして全然かもだけど」


 事実として存在する無力の壁。ぼかすことなく伝える。それでも、価値があるのだと。


「救った人に、救われた人に。認めてくれた人に」


「──うん。そうだね」


 謙遜は尊ぶべき行為。卑下することも、間違いではないだろう。


 だが、いきすぎたそれは、時として愚弄になる。彼を、彼らを、認めてくれた人間に対する冒涜になる。


「ありがと、ミツキ。ボク、胸を張ってみるよ」


 ならばとフィルは胸を張る。無力が人を苛むけれど、救えた人間に恥じないように。


 だからとミツキも前を向く。失敗を重ねても、認めてくれる人に顔向けできるように。


「──よし! ミツキ、それちょうだい!」


「? いいよ、まだまだあるし」


 フィルはミツキから菓子の入った袋を受け取ると。


「──え?」


 全て、口に放り込み、あっという間に食べ切った。


「えぇぇ……」


「元気出たね! 明日も頑張ろ!!」


 まだ二つしか食べてなかったのに、とミツキは思うが、フィルの表情を見てまあいいかと納得させる。


 フィルにとって、今日からの日々が良いものになるかの境界線(デッドライン)。なんとか乗り切ったことに達成感を覚えながら。

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