二章 二十二話 『ジークリンド家』
「ジークリンド」。騎士の中で、その名に聞き覚えのないものはいない。
当代の長兄、アルバート・ジークリンド。彼が若くして一番隊隊長の座にあることが一つの理由だが、決してそれが全てではない。
古くは千年前。ジークリンドの名を有する傭兵がいた。それは祖王ガルディニアと並んでこの国の礎を築いたとされている。
すなわちこの家系は、建国の傭兵から連なる古の一族。故に、歴史を聞き齧っただけのものであっても、その名に聞き馴染みを覚えるのだ。
彼らは、常に騎士団において重要な位置に付く騎士を輩出してきた。
彼らは、常に国の危機に対して、命を賭して戦ってきた。
その名は広く知られるが、それ以上に。
彼らの功績こそ、騎士たちの知るところであるのは間違いない。
「なんて、よく言われているけれど」
他所からきたミツキたちのために、一度ジークリンド家について話がされた。
ちなみに話したのはアルバート。アイリーンに歯向かったからか、自分達の功績を讃えるような口上を読むように強制された。珍しく顔が赤くなっていたように見える。
「大したものではないの。ご先祖様が凄かったことも、私たちが頑張っていることも、それぞれ別のお話。因果がつながっている訳では無いのよ」
「歴史がすごいんじゃなくて、『その人』がすごい、ってことだね! リィンちゃんも、アルさんも、アイリさんも!」
「あはは、ありがと、ゲルダちゃん。でも、ご先祖に負けないようにっていう気持ちはあるけどね」
ジークリンドの直系は亡き夫ではなくアイリーンの方。古い歴史を背負いながらも子供たちの自由を尊重する彼女のあり方は、歴史ばかりにとらわれまいとするそうした感覚の中で身についたものなのだろう。
「貴族の中には歴史を重んじる家もあるけど、母は違った。私が尊敬できる、数少ない部分ですね」
「……えと、リィンさん?」
アルバートが言葉に乗せた絶妙な嫌味。そこから生じる不和の空気。流石にミツキも感じ取ったのか、リィンに小声で話を聞く。
「あはは……二人はあんまりソリが合わなくて。多分、お兄ちゃんが。お母さんが騎士団辞めたことを自分の責任だって勘違いしてるからだと思うの」
アイリーンが総隊長を退いたのはそう選んだから。その他に選択肢がなかった訳ではない。逃げることもできたのに彼女は家を継ぐことを選んだ。それは決して運命の奴隷などではなく。そうして自分が生まれたことに、アルバートはどこか責任を感じているのだろう。
「私はそれを、『託された』って解釈してる。でも、多分お兄ちゃんは『奪った』って考えてるんだと思う」
「託す」。次代へと、志をつなぐ。歴史そのものに価値を置かずとも、必ず得られる何かはある。それを脈々と繋ぐことに、きっとアイリーンは目を向けたのだ。そう、リィンは笑顔で語る。
ミツキにもゲルダにも、その考えは飲み込みやすいものだった。獣の国で得た経験は、繋ぎ紡ぐことの重要さとして彼らの地肉になっている。
「……今は譲れなくても、きっといつかは。二人とも、間違ってる訳じゃないですもんね」
アルバートの考えも、間違いではないとミツキは言う。彼は責任を背負っているのだと。アイリーンを退かせてまで産まれた自分。ならば、もっと。これも一つの継承に対する考え方。間違いでないのなら、どこかに必ず落とし所がある。今はただそう信じる。
「──ははっ。ミツキ君、ありがと。君は優しいね」
「……また女の人口説いてるの、ミツキくん?」
「ちがっ、え? なんで?」
「さ、お話はここまでにしましょう。せっかくのお料理が冷めちゃうわ」
テーブルの上に広がるのは豪勢な食事。
まずメインとなるのは魚。大きな白身魚が一人一皿。香味野菜と一緒に煮たもの。アクアパッツァといえば分かり易いだろうか。傭兵の国は南に海があるため魚料理も盛ん。新鮮な魚を使っているが、それでも少し臭みが残る。それを和らげようと思考を凝らされた調理法がこれ。緻密な調理法に思えるが、その実作りあげたのはかつての傭兵たち。遠征先でとてもじゃないが食べられないような外道しか釣れなかった時、少しでも食べやすいようにと考案されたもの。
貴族区では、これを始め煮込んだような料理が非常に発達している。これは遠征先での作りやすさが原因。複雑な調理法は傭兵たちの性分には合っていなかったようだ。
「お兄ちゃんもお母さんの料理食べてる時は嬉しそうだったよね」
「……数少ない部分、もう一つありましたね」
「もう!」
別の皿にはスープが。澄み切った薄く黄金色の湖からは、魚介のさまざまな香りが立ち込める。貝類や魚のアラなどを丁寧に処理して煮出したスープは、特別な味付けなどしなくとも、それだけで既に絶品。海水から作られた塩をわずかに加えた程度で食が進む見事な業前。
「え!? これアイリさんが作ったんすか!? 執事の人じゃなくて!? めっちゃうまいっすよ! すげえや!」
「あら、ありがとう。せっかくお礼にってお呼びしたんだもの。腕を振るわなくちゃ失礼でしょ?」
その他、大皿には野菜の盛り合わせ。焼きたてのパンや、色とりどりのフルーツも。これをアイリーン一人が用意したと言うのだからその技量は押して図るべしである。
「アイリさん! 後で作り方教えて!」
「ええ、もちろん。せっかくだからリィンも聞いておく?」
「そうだね。お兄ちゃんみたいに器用じゃないからおさらいしとく」
味に関しても語るべくもない。大人数とはいえ、ものの見事に皿が空となった訳だから。文句を言っていたアルバートも、食事の間は心底幸せそうに口を動かしていた。
◇
「アイリさん。リィンさんとアルさんも。今日はご馳走様でした。楽しかったっす」
「こちらこそ。いつもは寂しい食事だけど、今日は賑やかで楽しかったわ」
「……では、私もこの辺りで」
「ええ? お兄ちゃん泊まっていかないの?」
そそくさとミツキたちのそばへ向かうアルバート。理由は明瞭。家族と久しく会話していなかったから。
「あれ? もしかしてアルさん照れてる?」
その通り、照れていたのだ。過剰な皮肉もそれが原因。しかし唐突にもゲルダの無垢な一撃が刺さり、アルバートはたまらず顔を背けた。
「──アルバート」
アイリーンは凛と言葉を発する。怒気はない。次に会えるのはいつになるか。だから言わなければならない、そう思っただけ。
「いつでも帰ってきなさい。ここはまだ、あなたの家なのだから」
「──はい。母さん」
長いようで短い団欒の時。それがわだかまりを溶かしてしまうことはない。
短いようで長い家族の時間。でも初めから、わだかまりなどなかったとしたら。それは。
「仕事がまだ残っているので──行ってきます」
少しだけ空いた溝を埋めるのには、ちょうどいい時間だったのかもしれない。
「ミツキ君。この後、少しいいですか?」
ジークリンド家を出て少し歩いた後、突然アルバートがミツキを何処かへと誘った。
「じゃあ先帰ってるね。あんまり遅くなっちゃだめだよ?」
特に断る理由もなく、ゲルダも了承したため付き合うことに。向かった先は。
「ここは……訓練所?」
小さな訓練所。騎士団の訓練所と比べ敷地面積は遥かに狭く、ただ的や芝地が無造作に広がっているだけ。空き地のようにも見える。
「はい。騎士団に所属する前、師匠、リベラとよくここで腕を競いました。初めは勝ち星もあったのですが、いつの間にか全く勝てなくなりまして」
リベラはアルバートがもの心つく前からアイリーンと親交があった。それもあって、二人は幼い頃からよく訓練を共にしていたのだ。
「え? でも、確かリベラさんは」
「平民。その通りです。ですが……」
その先が語られるまでに、数十秒ほどの間があった。勿体ぶったのではない。ここにきて迷ったのだ。果たして自分が、リベラの素性を明かして良いのかと。
だが目の前にいるのは彼が信頼した相手。騎士団に勧誘までした存在。それならば、と口を開く。
「捨て子、だったようです」
「──そっか、それであんなこと」
『……なるほど、そういうもの、なんだな』
思い出したのはフェアウェルでの一幕。家族の話になった際に彼が示した反応。それと。
『……少なくとも、オレは知らなかった。ただオレの知識には偏りがある。自信はないが』
「桃太郎」の話題になった時の反応。違和感のあったそれらが線で繋がる。
「この国の出身ですら無いらしいです。だからやむを得ず平民の身分に。ずっと騎士団が面倒を見ていたみたいですが」
「……アルさん。何で俺にそのこと」
ミツキからすれば理由がわからない。このタイミング。アルバートの何がそうさせたのか。
そしてアルバートにも定かではない。感情のまま、思いのまま、伝えなければと動いてしまった。今までは何かに心を動かされることなどなかったのに。
あれだけ負け続けたリベラに対してさえ、一度たりとも悔しさも羨みも感じなかったのに。何故か。
ミツキを、導かなければ。そう思って止まらなかった。
「ミツキ君。師匠は君をずいぶん信頼している。もし良ければ、ですが」
彼は今迷いの中にいる。戸惑いの渦中にある。初めて突きつけられた「承認」の証。それにうまく応えられないでいる。それがアルバートには分かってしまう。
「──あの人を、支えてあげてください。君には、それが出来る」
だから言葉をかける。ミツキが欲しい言葉を。人を助けたいと願う彼だからこそ、糧にできる言葉を。選んで、伝える。
「──」
返事はないまま。ミツキはまだそれに応えられない。
「さ。帰りましょう。遅くなるとゲルダさんに私も怒られてしまう」
それでいい。今はまだそのままでいい。年端もいかない少年。決断するのに時間がかかるのは当然のこと。迷いも逡巡も彼らの権利。存分に使い生きれば良い。アルバートはそう思いながらミツキの少し前を歩く。
口の中に残る微かな味。それを思い出して、顔を綻ばせながら夜空をゆっくりと歩いた。
月が微かに顔を覗かせる、朧月夜のことだった。




