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残響 『ラストボンド』

 私の生涯は恵まれたものだった。


 幼い頃から優秀と持て囃され、期待される能力を示し続けた。


 曲がったことが嫌いだった。悪というものが苦手だった。そんな私が検察官という職を選んだのは、やはり必然だったように思う。


 多くの人間を悪と断じた。数え切れないほどの他者を罪人と糾弾した。その行為が作業に変わるまで、時間など大してかからなかった。


 恵まれた生だった。友人に恵まれ、妻に恵まれ、子に恵まれ、孫に恵まれた。最期の最期まで人に看取られて、眠るように穏やかな終わりを享受した。


 そのはずなのに、最期まで私の胸中にあったのは。 


 どこか、何か足りないような、欲深いほどの喪失感だった。



    ◇



 次に私が意識を取り戻したのは、日本ではなかった。それどころか、地球では無いようだった。


 魔法。魔獣。そんな摩訶不思議がまかり通る空想のような世界。そこに記憶を保ったまま再度産まれ落ちた。


 この世界でもやはり私は恵まれていた。母も父も、荒唐無稽な私の話に耳を傾けて、理解を示してくれた。それでも自分の子供だと優しく語りかけてくれた。


 だから励んだ。学業も、魔法も。魔法に勉学ほどの才能は無かったが、それでも優秀だと人は言う。


 そして私は再び歳を重ねた。前世と同じように正しいはずのことを重ねた。人を助ける仕事を全うした。


 それでもやはり、心の穴は晩年まで埋まることはなかった。



    ◇



 老いて、老人と言われる歳に近づくと欲が生まれた。何か、出来なかったことをしたい。


 幸い自分には前世の知識がある。これを使い私が出来ることを考えた。


 一つ、思い浮かんだのは法。差別が跋扈するこの世界を、法をもって変えることが出来ないか。そんな欲。今思えば何処か下卑な動機だった。使命感も正義感も無い。これで自分の穴を埋められるのではと、そんなエゴだけが私を動かしていた。



 だが、甘かった。根強い差別。それを覆そうとすれば矛先は必然、私に向かう。難しいだけでなく、危険。それをたった一人の力だけでどうにか出来るなど、思い上がりも甚だしい。諦める寸前。今回も穏やかに死ぬだけ。そう思っていた。



「うううぅぅ……」


 そんな時に、出会った。少女のような。獣のような彼女。それが堅く目を瞑り震えている。


 狩人のような男がいた。声をかけると何処かへ逃げていったから、何か後ろめたいことがあったのだろう。


 彼女の目が開く。怯えたような、怖がっているような。


 私は人生を通して初めてとも言える挫折を味わった直後。だから正直に言うと。


 何か、良いことをして、満足したかった。そんなくだらない思い。


 きっかけはそうだった。だけど何故か、私には彼女が放っておけなかった。うめき声を上げ、震えて縮こまる。憐れみか、優越か。どちらでも説明出来ない感情。


 声をかける。出来るだけ優しく。伝わるように。


 手を差し伸べるが、噛みつかれる。痛み。顔が歪みそうになるが、耐える。


 彼女にどうか伝わるようにと、声にする。すると彼女は口を離し、涙を流して泣き始める。後悔しているのだろう。


 変わりたいと、そう願っているのだろう。


 その姿が私には、とても得難いものに見えて。


 初めて、穴が埋まったような気がした。



    ◇



 それからいくらか彼女と話して、一つ、思いついた。


 二度目の生。それ故に生じた負い目にも似た感情は、私に家族を作ることを避けさせた。それでも寂しいという感情からは逃れられなくて。


 それもあって、彼女が娘になれば。そんな事をふと考えてしまった。


 伝えて、待つ。何度も。何日も。否定の言葉があれば引き下がるつもりだった。言葉も碌に使えない彼女を相手にしているのに、少し卑怯な気もしたが。


 そうして、何度目か。


「お……お、う……さ、ん……」


 彼女が繋いだ音は、言葉と呼ぶには拙いもの。でも、言いたいことは伝わったから。


 必死の言葉に応えられればと、私も精一杯の贈り物。


 少しだけ、意地悪な意味を込めて。それでも沢山の願いを込めて。彼女に名前を贈った。


 「ルナリア」。月の意を込めて。時として狂気の象徴となるそれ。彼女が、自分のしたことを忘れないように。それでも彼女が月のように、暗闇を照らす光となるように。


 そして願わくば、彼女の周りにも月のように、輝く星が集まるように。



    ◇



「お父さま! お帰りなさい!」


 彼女と共に暮らし始めて、私は再び差別を無くすための活動を始めた。理由はいくつかあるが、大きかったのは、私が死んだ後に彼女が暮らす世界が、少しでも良いものであって欲しかったから。


 彼女と過ごす時間はあまり多くは無かったけれど、かけがえのないものだったと胸を張れる。


 彼女がいたから私は前に進めた。彼女が、罪を背負って抗うから、他の人間もそうあれると信じられた。彼女が、人では無いのに優しくあれるから、人同士もそうなれると思い続けられた。


 照れ臭くて、恥ずかしくて、ちゃんと伝えられなかったけど、偉業と讃えられることを成せたのは、間違いなくあなたのおかげだった。



    ◇



 街が生まれ、国が生まれた。法が作られ、形としての平等は成った。でも、本当に平らとなるのは、ずっとずっと先のことだと分かっていた。


 それでも挫けることはない。なすべき事はまだまだある。


 未来のために、私は罪を犯した人の更生を願うようになっていった。前世では欠けていたように思う感情。これを得たのも、彼女のおかげ。彼女が変われたのならば、きっと。私の心の穴は、もうすっかり埋まっていた。


 きっと私が憎んだのは、悪人ではなく悪そのもので。きっと私が願ったのは、悪人が、悪でなくなること。裁かれることなんて望んでいなかった。彼らが、必ず変われるのだと信じたかったから。


 だからもう、私に穴など空いていないのだろう。それもこれも、彼女がその生で魅せてくれたから。ありがとうでは足りないくらい。だからただひたすらに願う。これからもどうか、幸せでありますようにと。


 そんな私を尻目に彼女は少しずつお転婆になっていく。周りの人が彼女を認め始めたのがよほど嬉しかったのだろう。そんな姿が嬉しくて、私はそれを叱らないでおいた。



    ◇



 寿命が近づくのを感じる。前世で感じた死の気配。それがもう目の前まで来ているようだ。


 やり残したことは沢山ある。でも、街の名前は残せた。彼女に、伝わらないだろう言葉も残せた。彼女には沢山の友人も出来た。


 これから沢山の別れを見るだろう。心が折れそうになることもあるだろう。そんな時に、彼女が立ち上がれるように願いを込めて。いつか伝えようと思っていたことがある。



 それでも別れは唐突で。魔獣。それが襲撃してきたと聞くと、彼女は一目散に飛び出していった。


 心配はない。彼女は強い。


 それでも気づけばその後を追っていた。理屈ではない。止められなかった。


 結果的には良かったと思う。彼女の背後。狙う魔獣を魔法で撃退する。何の役にも立たないと思っていた拙い魔法が、彼女を救ったことを喜んだ、その直後。


 

「お父さま! お父さま!!」


 久しぶりに見た彼女の泣き顔が私に向けられたものだったことに、罪深くも幸福を感じてしまった。


 同時に心が痛む。伝え切れなかった。彼女を一人にしてしまう。どうか、どうか、良い人に巡り会えますように。あなたに伝えてくれる誰かがいますように。


 ラストボンド。最後の絆。僕が生涯で得た中で、一番最後のかけがえのない絆。


 続く絆。きみが生きていく中で、どれも決して消えないようにと願いを込めて。



 ああ、でも、願わくば。



 僕ときみの絆が。



 きみの最後まで。



 どうか、きみの中で続きますように。



 そう願うのは、神様、強欲でしょうか。



 最期が迫る。思いは尽きない。後悔は山のように。



 それでも幸福だったと胸を張る。きみと過ごした日々は、確かに幸福だった。




「ありがとう」



 「Dear My Daughter」。伝わらないはずの言葉。伝わらないと分かって残した言葉。卑怯な私は最期にそれを口ずさむ。




 愛するきみに伝え切れない感謝を込めて。大切なきみに伝わらない思いを乗せて。



 最後の憂いは言葉と共に。誰にも伝わらないまま溶けて消える。それで良い。ぼくの心は穴などなく。すっかり、しっかり満たされた。


 だからもう願うものなど何もないから。


 きみが幸福であること以外、何一つとしてないのだから。


 最期まで、見えない眼はきみの未来を見ているようで。




 こうして僕は、二度目の眠りについた。

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