序章 四話 『幸福の兆しと短慮の責任』
「アダン先生、新聞見ました? 『外套の魔道士、躍動は止まらず』、『灰色の流星、やはり魔獣の群れを鎧袖一触』だって! もうなんか照れちゃうなー」
「全く……あの日の勇ましさはどこへいったのやら……」
先の大魔獣侵攻からおよそ二週間が経った。二人はなおも変わらず、アダンの家で談笑していた。それが意味するのは、魔獣への勝利。魔性の国の誰もが、死なず。逃げすらもしないで変わらぬ生活を送っている。
ミツキはあの後、西へ自警団の援護に向かい、ここでも魔獣を一掃してみせた。
その活躍をきっかけに、魔性の国を中心として、灰色の外套を来た魔道士の話が爆発的に広がっていった。その後も彼は、小規模な魔獣の襲撃を撃退していった。
そのおかげか、ミツキ、ならぬ「外套の魔道士」の名声は、かつての救世の英雄とどちらが上か、などと比較されるほどに高まっていった。
「まあまあ、いいじゃないですか。俺が頑張って、みんな助かって喜んでくれて。そんでもって平和な時間が続いて。ウィンウィンウィンってやつですよ」
「それにしても多少介入しすぎではないかね? 自警団で対処できるような事態にも出張ってるように思えるが」
ミツキ生来の手を抜けないという性分に相まって、失われたはずの承認欲求が満たされている。結果、彼の活動はその頻度を大きく増していた。西に魔獣の知らせあれば駆けていき、東に傷ついたものがあれば跳ね飛んでいく。アルバイトのようなものだが働き口を見つけ、住居もアダンの紹介で一軒家を手に入れた現状。それでも最近はもっぱら、「外套の魔道士」としての活動に精を出している。
「先生もしかして寂しいんですか? ここ数日は先生の講義受けれてないですもんねー。明後日はバイト休みもらおうかな。なんてね、冗談ですって」
「それもないわけではないが……少し気になっただけだよ」
ちなみに、ミツキからアダンへの呼称が先生へと変わったのは四日目のことだった。身の回りの世話や常識、魔法の概要など、アダンが多岐にわたって彼の面倒を見ていると自然にこうなっていた。
当初は「友人にしては距離を感じる」などと言ってやめるよう言っていたアダンだったが、
「先生は俺にたくさんのこと教えてくれるんで、この世界で先生って言ったら先生のことなんで」
と彼が言うと、それ以上何も言わず受け入れるようになった。どうやら、嬉しかったらしい。表情には出さないが、外を出歩くよりも彼と語らう時間が増えていた。
「まあ最近魔獣の問題も少なくなってきてますし、明日からしばらくはのんびりできると思うんで。魔法のこととかまだちゃんとわかってないし、早く教わりたいんですけどねー」
彼の活躍は、単に目の前の問題を解決するにとどまらなかった。連日の魔獣討伐は人の間だけでなく、魔獣の間にも広まり、影響を与えた。
具体的には、ミツキが活動し始めてからとそれ以前とを比べると、魔獣が姿を見せる事件がなんと百分の一にまで低下している。得体の知れない、だが確かに強力な存在。下手をすれば人間以上に鮮烈な印象を与えたとも言える。それらの本能はしばらくの活動抑制を選択したのだ。
「……やっぱり、人の役に立てるって気持ちいいですね、先生」
ミツキは思案する。かつての人生。一生懸命であったが、他人を顧みる余裕なんてなかったように思える。いつも「自分」が納得できるように生きてきた。それ自体が間違っていたとは思わないが、その時から自分に何か特別な才能があれば、何か変わっていたのかもしれない。そんなことをポツリと思い浮かべる。
「助長はしているが、やはりキミは変わらんね。人のいい少年だ」
だからこそ、とアダンは続ける。危惧していることがあった。彼が善人だからこそ。彼が、後悔を抱えているからこそ。そして何より、彼の標榜する哲学が、何か得体の知れないものに思えたから、アダンは彼の行く末を案じる。
「一人で無理をしすぎないことだ。この国にも防衛機構はある。個々人も最低限身を守る術を身につけているのだよ。キミが一人で全て守ることなどする必要はないし、そもそもできない。たまには休み、人任せにしてみることだ。」
──いつか足下をすくわれるかもしれんぞ?
ほんの脅し文句のつもりだったが、その言葉にミツキは恐怖する。最期のあの日、自分がどんな状態だったか思い出した。否、忘れていたわけではない。忘れられるはずもない光景をしばらく思い返していなかったのは、その身に宿る奇跡ゆえのこと。どこか別の人間のような、そんな感覚を抱いてしまっていたから。
必死に努力して、その努力に裏切られる。それを思い出して気を抜ければいいのだが、さらに気を張ってしまうのがミツキの性分。器用にコントロールなどできない。
「……ですね。こんな時だからこそ気を引き締めないと」
「だからキミはそういうところが……いや、これは私も悪かった。キミの前世のことを知りながら脅すような言葉を選んでしまうとは、まだ未熟だな」
ミツキはアダンにかつての自分、その始まりから終わりまでを教えている。アダンも興味を抱いていたし、ミツキも一度吐き出したいと思っていたからだ。その経験を通して、ミツキは一度、前世に折り合いをつけることに成功した。涙は流れなかった。後悔はもう無いと思えるようになった。
それも全て。
──幸せ。
それがあるからだということを、幸福なミツキはまだ自覚していない。
◇
昼過ぎ、仕事の時間が近づき、アダンの家での談笑を切り上げて家路についていたミツキは、ある会話を耳にする。
「聞いたか? 北西にある霊廟、あそこに小さい子供二人が入っていくの巡回中の自警団のやつが見たんだってよ」
「本当か? あんな所に子供が二人きりで? 行けないだろ、魔獣が少なくなってるって言っても」
「だと思うし、そいつも見間違いだと思って帰ったらしいんだわ。実際ちょっと目を離したらいなくなってたらしいし」
「だろ? でもまあ後味は悪いよな……もし、万が一だぞ?」
──死体が見つかったりでもしたら。
「まあ大丈夫だろ。何たって俺たちには」
「『外套の魔道士』がついてるからな!」
そう言って笑う声を聞くや否や、彼は走り出す。本来人を助けることに躊躇いのない住民たち。それがこぞって他人に行動を期待するのは、きっと「外套の魔道士」が暴れすぎたせいだ。
──これは、俺がやらなきゃだ。
だから、責任を胸に。僅かに疼く痛みを抱えて。彼は再び、危険の渦中へと飛び込んでいく。
◇
「霊廟ってのは確か……あった」
魔性の国から北西におよそ百五十キロ。そこに「霊廟」はある。正式には死造神の墓所と呼ばれる建造物である。
その外観は「神殿」と表現するのが適切だろう。土で組み上げられたそれは、土とは思えないほどに強固に見える。その一部に小さく空いた暗闇が入り口。燦々と太陽が照らす外からも先が見えない。
「英雄はこれを作って外に被害が出ないように戦ったとか何とか、だったっけ。魔法ってやっぱりすげえなあ。早く使えるようにならないとだ」
小さな野球ドームほどの大きさだが、一人の人間が一息で作り出したという。その伝説にミツキは自分の無力を自覚する。未だにミツキが使えるのは、魔力をそのまま飛ばす「魔弾」と呼ばれる基礎技術だけである。
常人であればただの獣を追い払う程度にしか使えない児戯。しかし無限を有する彼であれば、時間さえかければ魔獣の群れすら一蹴する「魔砲」と化す。彼にとっては、それで十二分であった。
「よし、行こう」
何が眠るかわからない、危険地帯。ミツキは昼間、アダンから受けた助言を忘れることなく、その中へと入っていった。
薄暗く湿った建物の中、ミツキは外から差し込む薄明かりを頼りに奥へ奥へと進んでいく。土で造られた建物は、そうとは思えないほどに整っている。まるでコンクリートで固められたような空間。足を踏み出しても土が舞うことはなく、壁面に手を当てても崩れるそぶりは一つもない。
内部は灯りこそ少ないが、整備されていることもあって進みやすい。例えるならば、迷路というよりは駅の地下のような形状だろうか。装飾こそなく無骨な印象ではあるが、建築物としての体裁は備えている。
しばしば分かれ道が現れ始める。二人の子供がいたという痕跡は傍目からは確認できないが、ミツキに迷いはない。さもこの先にいるかの如く道を選び歩を進める。それも当然だろう。彼は、常人には見えないものが見えている。
彼が宿す無限の魔力、これを最大限に活かす方法が身体機能の強化だ。魔力は外に出すと途端にその安定性を欠き霧散していく。しかし、生体の内にある限りではその消費は緩やかである。
ミツキはこの特性を生かし、無限の魔力を自身の肉体の隅々に供給し続けている。これにより、五感の精度は跳ね上がり、見えないはずの痕跡を認識する。
「真っ直ぐ進んでるわけじゃない。途中途中に物陰で足を止めてる……ってことは──!」
暗がりから気配。灯りが届かない死角から巨大な蝙蝠のような魔獣が現れ、群れになって襲い掛かる。戦闘になるが、僅かな痕跡にも目を配るために跳躍の奇跡は使わない。
代わりに、ここに辿り着くまで右腕に溜め続けた魔力の一部を解放。一息の間にそれを制圧し意にも介さず進んでいく。
「一応警戒しといて良かった。魔獣のコロニーになってる。なおさら急がないと」
二人が魔獣の目を盗みながら進んでいるのならば、このまま最短を進むことで容易に追いつくことはできる。しかし、何か引っかかる。果たして警戒していると言っても、魔獣の跋扈する屋内。それを子供二人が一切見つからずに進んでいけるだろうか。それに。
「少なすぎる」
先ほどから迎え撃つ魔獣。その数が想定していたものよりもはるかに少ない。
外の魔獣は彼、すなわち「外套の魔道士」の活躍によってその数を減らしている。それでも、魔獣の数は本来莫大なものだ。ほんの数日にわたる活動で、目に見えてその数が減るなどということはない。ならば、なぜ侵攻が、目撃情報が著しく減少しているのか。
答えは当然、「隠れているから」と絞られる。そして、魔獣が息を潜められるような地は限られる。その一つがこの霊廟であり、距離があるにも関わらず自警団が念入りに巡回を重ねていた理由。
だからこそ、その数に疑問が浮かぶ。魔獣といえど獣。なわばり争いがあり、一ヶ所に過剰な数が集まることはない。ならば容量が大きいこの霊廟に、もっと数がいて然るべきである。それでも現状ミツキが対処しているのは、使用した魔力を簡単にチャージし直せる程度の数。
「考えられるパターンはいくつかあるけど……ここに来たっていう二人が倒したか」
思考を整理するために口に出す。前世でもよくやっていた癖。
その通りなら心配は無くなるが、なぜこんな場所にいるのかについては疑問が残る。彼には放っておく選択肢はない。
「他の誰か、第三者が後から来たか」
それが善人であるという保証はない。やはり、放置はできない。
「それとも、魔獣がたまたま少なかったかだけど……これは楽観がすぎるよな」
思索に耽り、魔獣を迎え撃つ。そうしながら進んでいくと気づく。痕跡が霊廟の奥、目の前に現れた光を拒絶する階段の底へと進んでいることに。
より深く、暗い。飲み込まれれば帰って来られない。そうとまで錯覚させる深い闇が、ミツキを誘うように現れる。
「──■■■■■■!」
「! ……悩んでる余裕はないっぽいな」
視線の奥、暗がりの先から魔獣の咆哮が聞こえた。ミツキは左の掌に魔力を集めながら、階段の先へと飛び込んだ。
◇
暗闇が深くなる。掌に集めた魔力の灯りがなければ、前に進むこともできない。深くなる闇と反比例するように、魔獣の数は急激に減少していった。
通常、魔獣は闇を好むが、ここにはもはやミツキを除いて生命は存在しないように思われた。その矛盾する事実が、余計に事態の異質さを際立たせる。上にも下にもいないならば、それなら。
「来ない方が良かったか……?」
などと言いつつ、その歩みは止まらない。万が一にも危険が残るならば、自分に助けられる範囲で助ける。染み付いたその思考に、ミツキは抗わず進む。
進んだ先、やがて眼前に現れる扉。同時に、今まで聞こえなかった音がその先から聞こえることに気づく。
「──の──! 離──!」
「──■■■■!」
「──ダ──ろ! やめ──」
二人と一頭。絶え間なく続く咆哮と震動。獣の振るう暴力の痕跡が体に響く。
同時に、声でわかる程に幼い二人が暴力に抗う、その音が脳に、魂に響く。
「──っ」
子供の正体が何か。この霊廟がどのような存在か。もはやそんなことはどうでもいい。放っておくことなどできない。逃げ帰ることなどあり得ない。
扉を開ける。閉じ込められていた冷気が解き放たれ、ミツキの肌を逆立たせた。内に閉じ込められていた灯りが、扉という枷を解かれて広がり彼の網膜をくすぐる。
肌で感じられる異質な空気。その中で、目の前の怪物を差し置いて視界にとらえたものがあった。それは雪のように白い髪の少女。彼女を、怪物が前足で押さえつけている光景。その奥には、弓に矢をつがえる水色の髪の少年。どちらの髪もぼさぼさと長く伸び整っていない。ボロボロの服を着たその二人は、ミツキには兄妹のように見えた。
三つの存在が、コンサートホールほどもある地下の領域で争う姿。否、争うとはいえぬ蹂躙の景色。
怪物は獅子とも虎ともつかぬ魔獣。しかし見てとれるほどの異常さがあった。首は三つ、まるで神話に現れるケルベロスの如き相貌。広い空間を一体で埋めてしまうほどの巨躯。何よりも、数多の魔獣を屠ってきたミツキでさえ背筋が凍るほどの、圧倒的な強さ。戦わずともわかるそれに一度、ミツキは身震いをし、一拍。
「──ふっ!」
跳ぶ。その獅子の足下へ。着地と同時に右腕に溜めていた魔力の半分を解放し、その足を消し飛ばさんと試みる。それでも獅子は身じろぐばかり。その体は依然健在。しかし第一目的、すなわち少女を救出することには成功する。彼女を抱えて、一度距離を取った。
「かってえな、こいつ!」
「……え? 誰!? ……来ないで! 近づくな! 離れて!」
突然現れたミツキに対し困惑する少女。その拒絶の態度に、彼は少なからずショックを受ける。いくら助けられたと言えど、見ず知らずの人間に気を許すことは少ない。わかってはいるのだが、拒絶は流石に心にくる。
信頼を植え付けようかと構えるが、躊躇う。その能力への忌避感、そして少女のあまりにも必死の形相。何か訳がある。幸い勝手をされても庇える範囲。一言だけ告げて獅子へと向き直る。
「下がって、ここは任せて」
できれば逃げてもらいたいが、二人とも怪我をしている様子。空間跳躍は自身しか対象に取れない。単純な跳躍も入り組んだ霊廟では効果を発揮しない。二人を抱えて逃げ切ることは難しい。よしんば逃げきれるとしても、その巨体が霊廟を駆け回ることで起こる二次災害が懸念。
右手に魔力を再度充填しながら、ミツキは心の中でそう理由をつける。しかし、そのどれもが後付けだ。
「勝てるか、どうか」
逃げ切れないと、本能が叫ぶ。助けられないと、魂が吼える。
だから、戦う。
獅子が見据える。ミツキが構える。そして、両者ほとんど同時に、動く。
誰の記憶にも残らない、神話の戦いが始まる。