一章 二十八話 『玉座、御前、跪いて』
◇
「ミツキさん、お疲れのところ悪いんですが、ちょっといいですか」
一月ほど前、ミツキがまだカイとの組み手に苦戦していた頃の話。いつものようにカイに転がされて地面に仰向けで寝転がるミツキに向けてカイが問うたのは。
「姉さんのこと、どう思ってます?」
「ぶふぉあ!」
予想外の問い。疲れて動けないはずの体を思わず叩き起こす。
「え、いやあ、あの。どうって……きれい、だと思う……よ?」
「きれい? 可愛いとかじゃなくて? あ、いや聞きたいのはそう言うことではないんです。それは姉さんに直接言ってあげてください」
ミツキへの唐突な問いかけ。カイのその真意は。
「姉さん、少し」
「ああ、うん。年齢の割に、幼い、って感じする。ちょっとだけど」
ゲルダは年齢で言えばミツキのひとつ下になる。しかしそれでも現代日本で言えば高校生に相当。十分な教育などを受けていないとしても、流石にその言動は年齢にそぐわない。ミツキもそのように感じていたが、カイが言う以上思い違いではないようだ。
「はい。姉さんには他に兄弟姉妹がいたんですが、環境がやっぱり厳しくて。みんな厳しい毎日を送っていたんです」
「……うん。それはちょっと聞いてる。デリケートな話だろうから突っ込んでは聞けなかったけど」
ゲルダたちの受けていた迫害がどのようなものかはわからないが、生活が厳しかったことは容易に分かる。ゲルダとカイの健康状態があまりに酷かったから。
「そんな日々、姉さんは見てられなかったんでしょうね。性根はミツキさんに近いから。必要以上に、みんなの前で明るく振る舞おうとし始めたんです」
ゲルダの底抜けの明るさ。その奥に隠された過去。彼女は辛い自分を隠すための仮面を被っていた。厳しい環境を離れた今でも。
「その癖が今でも残っていて、人と一緒にいると少しだけ明るく、幼く振る舞うんです。でもずっとは難しい。たまに剥がれそうな時もあるから、ミツキさんだけには知っておいてほしかったんです。そんな時でも動揺しないように」
ミツキにも心当たりがある、ゲルダの仮面の剥がれる瞬間。
魔法の指導をしている時をはじめ、彼女の自信のある魔法に触れる瞬間。少しだけ、彼女が大人びて見えたことがあった。例えば、忘れ難き霊廟での一幕。彼女が危うく命を捨てかねたあの瞬間。
「……無理はしないで、とも言えないな。きっと無意識なんだ。俺が無意識に努力するみたいに」
「はい。あくまで知っておいてほしいだけなので。それに、全部が全部嘘ってこともないんですよ。元々無邪気な女の子ではあるんで」
ならばと安心する。自身の本質から遠ざかるのはあまりに辛い。あの死に方をしたミツキにはそれが分かる。だから今はただ見守ろうと、少しずつ心の溶けていく様子を心に留めてそう決めた。
「あ、このことバレないようにお願いしますね? バレたら多分氷づけでは済まないので」
「それ俺も氷漬けになるやつじゃん!? わかっててやったろ!?」
◇
「氷花・落葉」
ゲルダが唱える。いつもより少し、暗い声色で。そして周囲に現れたのは白く濁った空気の塊。それがいくつか。
ふう、とそれに息を吹きかけると前方に落ちながらゆらゆらと飛んでいく。遅く、避けるのは簡単に思えるそれも、魔獣でひしめく廊下では回避不可能な必殺に変わる。
魔獣の数体に当たると、途端に魔獣の体から氷の花が咲く。魔獣の体から水分を吸い上げた結果。それらは痛みか苦しみか、しばらくうめいた後に動かなくなる。
「できるだけ、死なないでね?」
この魔獣たちは女王の配下。国を守る兵隊の一部。恐らくミツキであれば殺さず制圧するだろう。そう考えてゲルダも可能な限り無力化に尽力する。
「わ。びっくりした」
襲い掛かるはタウロスの群れ。倒れた魔獣の奥から襲い掛かる。
ゲルダの身体能力は決して高くはない。魔力で補ってもミツキにすら及ばない。
それでも。
「よ、っと。うん。動ける」
身のこなし自体は非常に軽快。向かいくるタウロスの内一体にジャンプし飛び乗る。そして。
「凍蕩」
その背に手を当てて呟く。するとタウロスは一瞬ぶるりと震えてから横たわる。
ゲルダが行ったのは体温の操作。魔獣といえど生物。死造神に生命の形を与えられたが故の弱点。極度の低体温により昏倒する。
ふわり、ふわり。二度、タウロスの背を飛びながら。二度その意識を奪う。
その間にも、氷の花、その種を蒔き続ける。数多の魔獣が床に転がる。
まるで踊るように。舞踏会で見せたステップを踏んで。
「ふう。あとはあなただけ?」
あれほどいた魔獣はその数を減らし、残るはもう一体だけ。
ゲルダの眼前、その戦い、否、戦いともいえぬ舞踏を見て気持ちを昂らせる一匹。
「暑そうだね?」
恐らく猿をモチーフにした魔獣。違うのは、体毛の代わりに炎を全身に纏っていること。
炎魔。女王の使役する魔獣の中でも上位の戦力を誇る一体。
それが走る。両手両足を用いまっすぐに。
直前、手を伸ばすが。
「熱いね。飾りじゃないんだ」
ゲルダは横にくるりと回りかわしつつ、その体に手を触れる。燃え盛る体毛に触れても問題がないのはその魔法の効果。手の周辺を冷気で覆っていたため一瞬の接触であれば熱を遮断できる。それでも、魔法による体温低下を起こすには時間が必要。そして氷の種もその体毛に阻まれる。万事休すか。
炎魔はゲルダに接近。その状態を維持。両手を交互に使いながら体を焼かんと動く。
ゲルダは回避に専念。腕の動きを見極めながら、ぎりぎりを見極めて躱し続ける。余裕を持たないのは、相手にこちらが困窮していると感じさせたいから。そのまま攻撃の手を緩めずに、気づかないでいてほしいから。
どれほどの時間が経っただろうか。
それは気付き始める。
自分の体が、
震え始めていることに。
「ふふ。震えてる。大丈夫?」
ゲルダが顔を近づけ笑う。熱を放つ自分に、熱さなど意にも介さずに。
そして気づく。周辺の違和感。
自分が熱を発し続けているのに。
魔獣の氷、それが一つとして溶けていないことに。
「氷の玉座。世界の果て」
目の前の少女が呟く。幕が落ちる。この演目に終わりが来る。
それは気づく。これを戦いと思っていたのは自分だけだということに。自分も、彼女にとっては数多の魔獣と変わらないということに。
「人の認識は凍り果てる」
この世界にはない言葉。魔獣はその音節を理解できない。行使される大魔法。世界の理を塗り替える神威の如く。
そして、世界は氷に変わる。
ゲルダが放った魔法。その正体は実に単純。自身の周囲にある大気。その温度を低下させる。ただそれだけ。
しかしその規模が違う。彼女は、氷の魔力を持ち低体温下でも生存できる自身を基準に、それでも長期間の活動が難しいほどの温度に周囲を変化させた。それはおよそ、絶対零度と遜色ないほどのもの。
炎を帯びていると言っても、そこには体温がある。活動できる限界がある。ならばその限界まで環境を変えてしまえばいいだけ。
そんな埒外の魔法を、踊りながら片手間で行使してみせる。
「おしまい。楽しかったよ、お猿さん」
うずくまって動きを止めた炎魔。それはまるで跪くように。
屈んで声をかけるゲルダ。それはまるで玉座に着く女王のように。
「あーあ。ドレス、少し汚れちゃった。気に入ってたのに」
無邪気に。弾むように。ステップを踏むゲルダ。それは年齢相応の少しだけ大人びた振る舞いで。
きっと微笑ましい日々の一幕。
周りにある、悍ましい氷像さえなければ。
「ミツキくん、待ってるかな。大丈夫だろうな。あ、カイ。ちょっと苦戦してる? でも大丈夫だろうな」
その中心を軽快に進む。
彼女の城ではないにも関わらず。
その女王より、彼女は女王らしく見えた。




