一章 十四話 『女王ルナリア』
「あれが」
リベラの視線の先。そこに、「それ」は居た。
金色の眼光。紫の長髪。装飾のついたドレスだが、決して過度に華美なものではない。長い旅を見据えたような、動きやすさの意識されたもの。
一眼でそれとわかるほどに、彼女が放つ空気は荘厳だった。
そんな彼女が、通りを埋め尽くすほどの魔獣の群れに囲まれて近づいてくる。
人々の様子が変わる。午前中に見た活気とはまるで正反対。この世の終わりのような、そんな重く沈んだ雰囲気。ここが観光客の集まる街だとは誰も信じられないほどに。
「どうかしら、最近、魔獣が活発になっていたけれど。今は、落ち着いているでしょう?」
声をかける。その先に居たのは年端もいかない兎の耳を持つ少年。なぜそんな子供に訊ねるのか、誰も意味を理解できない。
「うん! 最近は人も少なかったけど、忙しくなってよかったって、お母ちゃんが!」
その言葉に、隣にいた母親と思しき女性の獣人が顔を青くする。そして咄嗟にその子の口を手で覆い、叫ぶ。
「こら! 女王陛下になんて口を! すみません、すみません。後でちゃんと言い聞かせますので!」
瞬間、女王の雰囲気が変わった。何がどうしてそうなったのか、彼女は。
「分を弁えなさい。あなたが、私の会話に口を挟むなど、誰の許可を得て」
怒り。いや、憤りか。自らの会話を無視し入り込んできた彼女に対する感情はそれに加えて──
「ひ──」
腕が上がる。振り下ろされることは決してないが、誰もがその者の身を案じる。固唾を飲んで、身じろぎもせずに。
「すみません! ちょっと聞きたいんですけどー!」
上がる声。その国のものなら、決して危険はないと知っていても不可能な恐怖体験。
声を上げるはミツキ。この世界の常識に疎い彼。しかし王という存在の威厳は痛いほどに知っている彼。それでも、彼は自分を止められない。呆然とする仲間たちを尻目に。
「誰かしら。あなた、どこかの王族?」
「えーと。観光客です。ちょっと気になったことがあって。大丈夫ですか?」
ミツキが動き、女王の眼前に向かう。その母親の身を案じて──ではない。
「女王さまが会話のできる人だってわかったので、少しお話がしたくて」
「──ふうん。いいわ。少しお話し、しましょう?」
「──」
その場でもはや呼吸ができているのは、三人だけのようだった。
怖いもの知らずのミツキ。意外にもその申し出を受ける女王ルナリア。そして、隠れて二人を見る影。ここにはいない誰か。
「ミツキ! 何を!」
それから一拍置いて、重圧に押されることなく声を上げるリベラ。しかしミツキはそれを手で制止する。
「──竜種。これで、分かってもらいたいです」
向こう見ず。しかし考えなしではなかった。周りの人間が理解できないように、当事者でなければ判断できないだけの言の葉、それを選ぶ。
「──さあ、知らないわ。だって意味ないもの」
対するルナリアも、それに応えるように最低限。だが、これで通じる。
「──そう、ですか。分かりました。信じます。ありがとうございました」
「ええ、勇敢なあなた。もう二度と、出会うことはないでしょう」
こうして、女王ルナリアは、結局ミツキを一瞥もせずに去っていった。
◇
「おばか! ミツキくんのおおばか! せっかくの機会だったのに!」
「あれで上手くやったつもりですか? 向いてない腹芸する暇があったら息潜めて見てればよかったのに」
「少年、勇敢と無謀はまるで違う。それでは英雄など夢のまた夢だ」
「ミツキ、流石にこれは団長殿に報告させてもらう。オレも監視しなければいけない立場なのでな」
「……すみません、みんな。でも」
声が出てしまった。自分を抑えられなかった。なぜなら。
「今まで、短い時間だけどこの国を見て来て、少しだけど歴史に触れて。俺なりに考えたんです。女王さまが本当に黒幕なのかって」
「それで、あの言葉信じるんですか?」
「意味がない」。その言葉の意味はおそらく、「自分では操れない」とのもの。事前の話と異なる、明らかな虚偽。それをミツキは信じるのか、それほどにバカな人間なのか。カイはそんなことを思ったが。
「いや、それはまだ」
あくまで、本人がどう言うか、それがわかっただけ。でも。
「全部が全部悪い人ってことは、ないと思った」
「理由は?」
「子供。あの子と会話してる時、多分怒ってなかった」
兎の獣人、その子供。彼と話している間の女王の声色がなんとなく優しいような、安心したようなものに思えた。そんな不確かな感覚。
「多分って……はあ……まあいいです。あくまでここの目的は女王の雰囲気を探ること。最低限、それはこなせました」
あまりに漠然とした、感覚に頼った感想。カイは呆れるが、それでもミツキがまだ女王を疑っていることに安堵する。
「じゃあ」
「でもおかげさまで、謁見は難しくなりましたよね? あなた、遠回しに『もう会いたくない』って言われたんですから。せめて、やることを共有してくれればリベラさんが声を上げることもなかった。それなら、まだやりようはあったんです」
それとこれとは話が別とばかりに詰め寄る。カイの行動はミツキのことをあまり知らないリベラが強い反感を抱かないようにするもの。かといってパフォーマンスではなく、本心から。
「うっ、それは……ごめんなさい」
「ちょっとよろしいかしら、そこのみなさま」
背後から声。先からミツキたちを見ていた人物が声をかける。
純黒の長髪。黒く、吸い込まれるような瞳。豊満な身体を質素なドレスが包む。一眼で名家の出とわかる風貌。決してあの女王にも引けを取ることはない美しい外見。
「失礼、あなたは?」
それに気づいていたリベラが、誰より先に反応を見せる。
腰元の剣に手をかけながら。
「私はディアーナ。しがない貴族の一人娘ですわ」
「一体何の用で?」
訝しむのはカイ。警戒はしていた。しかし、予想外の事態のためにそれが緩んでいたことを自覚する。一体どこから、どこまで、自分たちの話が聞かれていたのか。相手の出方からそれを探る。
「王都、いえ。女王の城まで、私ならみなさまを案内して差し上げられますの。どうかしら? 良い提案ではなくて?」
「貴女に何も得がない。無償の施しは美徳だが、流石に相手の警戒を解くには不審すぎる。お引き取りを」
あまりに出来すぎた提案。そして、こちらの目的を見通したような発言。手放しで信頼するには怪しすぎた。
「あら? 私まだ何も言ってませんわ。貴方たちに協力して欲しいこと」
「──勿体ぶるな女狐。本題はなんだ」
アテナが催促する。常人なら発狂してもおかしくない強い語気。人の身で放つ竜の威光。
そんな竜種の威圧にも平然とした態度で、その女、ディアーナと名乗る彼女は答える──それまでに蓄えていた、たおやかな笑みを消して。
「──あの女王の本質を暴きたい。もし、それが邪ならば」
鈴の音のような声が、鋭さを増す。覚悟のないものが聞けば、切り裂かれかねない力強さ。
「引き摺り下ろしたいの、私自らの手で」
──素敵でしょう?
そう言ってディアーナは、ミツキに左手を差し伸べた。




