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序章 二話 『覚醒するは神造の箱庭』

「あ、れ……」


 失ったはずの意識。遠のいていったはずの体。そして、自らとどめを刺したはずの魂。それが全て自分の中にある。彼は死んだはずの自分が、間違いなく生きているのだと実感した。


「天国……じゃないよな……」


 戻ったばかりの視覚を使い周囲を観察する。自分の体はあの時のまま。服は白のシャツとスラックスのようなパンツ。顔を触った感覚から、変わりない姿だと確認できた。


 次いで、周囲の観測に移行する。見回すと、自分がいたはずのコンクリートで舗装された風景はない。現代日本では珍しくなった舗装されていない土の道。木組の家。自分が暮らしていた環境とは、人間が生活していることを除いて共通点のない異世界。それにただただ困惑していると、突然声をかけられた。


「きみ、さっきからぼーっとしてるけど大丈夫? 顔色も悪いし、どこか調子でも悪いんじゃない?」


 中年の男性が心配したような声色で話しかけてくる。ミツキはどう説明したものかと逡巡していたが、うまい説明を思い浮かべることもできない。噛み砕けない状況を、ただ自分の理解したまま相手に告げる。


「えっと、信じられないかもしれないんですけど、死んだはずなのになぜだか生きていて。しかも自分の知らないところにいたといいますか……」


 藁にもすがる思いで自分の状況を言葉にしたが、いくらなんでも荒唐無稽な話すぎる。声に出して改めてそう思ったが、相手の反応は意外なものだった。


「なるほど、前世の記憶が戻ったみたいなことか。それに加えてこれまでの記憶も無くした、とか? そりゃ参ったな。俺なんかじゃお手上げだ」


 自分でも理解の及ばない事態。それを自分のことのように紐解く男。ミツキがあっけに取られていると、横から青年が声をかけてきた。


「それだと自分の奇跡(ギフト)のこともわからないですよね。この辺りに調べてくれる施設ってありましたっけ? 」


「最近魔法の国(マギアマルクト)の大学教授が来たろ? 引退して趣味の調査しに来たっていう学者先生。その人が大通りの端にいるはず。確か本格的な機材持ってたって、引っ越し手伝ったやつが言ってたな」


 知らない事物の数々。質問のために口を開こうと思う度に新しい言葉が脳に刻まれる。そのままミツキが何も口を挟めずにいる間に、あれよあれよとやることが決まっていく。


「きみ、お金は……うん、持ってなさそうだね。じゃあこれ、診断にいるだろうし、これからも何かと入り用だろうから。ちょっと多めに取っておいて」


 中年の男は呆然とするミツキの手をとり、いくらかの紙幣と硬貨を握らせた。


「じゃあ僕は先生のところまで送って行きますね」


「え? いや、あの、流石に申し訳……」


「まあまあ、親切は受け取っておいてよ。神様もそう言ってるし、何より()()()()()()()()()()()


「それってどういう……?」


 情報量に圧倒されうまく質問もできない。青年に後のことを任せて、親切な中年男性は手を振り去っていった。



    ◇



「お邪魔します……」


「ああ、話は聞いてるよ。キミが記憶喪失で、かつ()()()()を起こしてる子だね……見た目にはあまり分からないな。本当に前世、しかも異なる文明の国での記憶があるんだね?」


 用途のわからない機械や道具に囲まれた男が語りかける。眼鏡を外し、読んでいた紙面──おそらく新聞であろう──をたたむと、ミツキに視線を向ける。


 ──リンカーンみたい、ナイスミドルってやつだ。ミツキからの第一印象は良好であった。髭を蓄えているが、きれいに切り揃えられており清潔感を損なっていない。頭髪には白髪が多少見えるものの、整髪料を用いてきちんと整えられている。


 もっともその印象とは裏腹に、年老いたようにも、まだ老年期に差し掛かっていないようにも見える。漂っているのは不思議な雰囲気。掴みどころがない、とはこのことだろう。


 彼がした質問の字面は、ミツキの発言が事実であるのかと詰問するものにも思える。しかしただ純粋な興味から出た言葉であるのは間違いない。その語気は非常に柔らかいものだったからだ。


「はい……と言っても自分でも何が何だか分かっていなくて……」


 ミツキは部屋の中心に鎮座する男へとゆっくり近づいていく。部屋には物が多いが、几帳面に並べられているため歩くのに苦労はない。それでも散らかっていることは否定できない。足の踏み場はあるものの、座るスペースまではない。どうやって寝食をこなしているのか不思議に思えた。


「そうだろうね。キミのような事例はこの世界でも例を見ない。近年鉄の国(ブロットラーグ)で、かの有名な黒衣の王が前世返りを側近にしたという噂は聞いたが、キミと違って記憶の喪失は無いようだからね」


 雑貨の山から迷うことなく物資を集め、テキパキと準備を進めながら話を続ける。この散らかりの中にも、彼なりのルールがあるのだろうか。

 そう考えている間にも、次々とミツキの体に機材が取り付けられていく。用途不明の機材に対し、彼は緊張を隠せないでいた。痛みは無かったが病院を思い出し身構えてしまう。


「そ、そうなんですね……あ、えっと、お、じゃなくて僕は、あー、ミツキって言います」


 生まれ変わった自分。今の名前があるのかもしれないが、いかんせん記憶がない。この世界でどのように名乗ればいいか迷ったが、とりあえず慣れ親しんだ名前を告げることにした。いない家族との繋がり。その象徴たる苗字は除いて、ミツキと。


「緊張する必要はないよ、ミツキ君。キミが受ける検査に痛みはないし、私はそう大層なものではない。最近隠居した身で人間関係に乏しくてね。年の離れた友人のように思ってくれると嬉しいよ。おっと、自己紹介がまだだったね。私の名前はアダン・ヒュード。気軽にアダンと呼んでくれたまえ」


 その男、アダンは厳かな雰囲気とは裏腹に気さくに笑いかける。厳格に見えた姿がその所作で緩んだ。そのおかげか、ミツキは落ち着きを取り戻す。心に余裕が生まれた彼は、自分の中にある疑問を一つ一つ口に出してみることに。


「アダンさん、この世界にもいろいろな国があるみたいですけど、ここってどんなとこなんですか? 小さな村って感じですけど」


 他にも聞くべきことはあるのだが、頭に浮かんだ順番に紐解くことに決めた。最初に浮かんだのは土地のこと。最初に見た光景が強く頭に焼き付いていたからだ。


 目に映った風景は、日本で言うなら片田舎のそれと似通っている。木で組み上げられた門のようなものも、ここに来るまでに遠目でだが確認できた。機械化が進んでおらず、剥き出しの自然が共存する光景。面積も小さくどこか辺境の村だろう。彼はそう思っている。


「村……か。確かにここは決して大きくはない。それでも他国にとっても無視できない要地だ。現代魔導科学において重要な要素、()()()。その埋蔵量が他の土地とは一線を画している。故に多くの国がここを巡って──」


「?? すんません……まだちょっとわかんないこと多くて……」


「おっと、すまない。現役時代の悪いクセだね。ついつい講義のように話してしまう」


 未知の事物、それが奔流のようにミツキの耳に流れ込む。ミツキの表情に疑問の色が広がりきったタイミングでアダンは一息入れる。


「キミの疑問に端的に答えるならば──ここは国だ」


「はぁ、国……国!? この、ちっちゃな土地が、国なんですか!?」


「そうだとも。この世界で最も小さく、しかし最も恐れられている国。魔性の国(ファタール)、それがキミの今いる国だよ」


 彼が死ぬ前に住んでいた街にも満たない小さな集落は、国の名を冠する存在。周辺に集まる国がこぞって土地に手を伸ばす、人を惹きつけてやまない魔性の小国。それこそ、彼の最初に認識した土地の正体であった。驚きのあまり、ミツキは何度も確認をする。


「マジか……バチカンでもこんな小さくなかったハズ……ここ、走ったら端から端まで一時間もかからなくないですか!?」


 モニターを注視しているためミツキからその表情は見えないが、アダンはその反応を面白がっているようだ。くつくつと弾んだ笑い声が聞こえる。


「さすがにそこまで小さくは無いが……キミが私の生徒だったなら、おそらく講義のノリが違っただろうな。実に理想的な反応をしてくれる」


 前世では体験できなかった新鮮な驚きに、彼は目を見開く。薄かった生まれ変わりへの実感が少し強くなった。


 前世。来世。生まれ変わり。まさにそれを意識したタイミング。思い出したのは、覚醒して第一に覚えた違和感について。


「なんか聞いてる限りヤバい国みたいなんですけど、皆さんやたら親切ですよね。アダンさんにしてもそうですし、ここにくる前、意味わからないこと言ってる俺にお金までくれた人もいたし。お国柄、ってやつですか?」


 仮に日本で同じことがあったとして、何人が同じような親切を与えてくれるだろうか。比較的危険の薄い日本であっても、ほとんどの人間は与太話だと無視するはず。善性の強いミツキでさえ、金銭を与えることまではできないだろう。


 だからこそ、国の性質に起因しているのだと予想した。この小国には、人を善に導く歴史があるのではないかと。


「いや、それはこの世界のシステムに起因する共通事項だよ。多少の例外はあれど、基本的にはどの国でも変わらないはずだ。なぜなら神が……神はわかるかい?」


 しかし、その予想は外れることになる。驚くことに、この世界の人間は皆同じように親切を施すのだとアダンは断言する。


 彼の問いにミツキは頷きで答えた。確認を取ったのはミツキが不思議な顔をしたからだろうが、その表情のわけは別のところにある。


 機械に造詣が深くなるほど、人は神秘の存在を忘れていく。それが道理だと思っていた。だから軽快に機械を操るアダンの姿から、神という神秘的な言葉が出たのが、どことなく不思議だったのだ。


「続けよう。神によってこの世界は運営されている。現存する神は五柱」


 ──曰く、人を生み出したという創人神。

   

 ──曰く、万象を織り成したという創象神。

   

 ──曰く、魔法を創り与えたという想魔神。


 ──曰く、魔獣を産み落としたという死造神。


 ──曰く、奇跡を形にしたという奇贈神。


「これらの神が今の世界の基盤を作ったのだ」


 作り話ではなく、事実だと断言する。アダンは神の存在を概念ではなく実在として認識している。現代日本では馴染みのない考え方にミツキは多少の困惑をしたが、疑問は依然山積している。今は質問を続けるために頭を切り替えた。


「最初の四……人? 柱? は、なんとなく何したかわかるんですけど、最後の神さまだけよく分かんないですね」


「そうか、ならちょうどいい。先にしたキミの質問に関わるのが、他でもないその奇贈神マリアルだ」


 軽快に話、というよりもはや講義なのだが、これが進むのがよほど気持ちいいらしい。アダンの声は隠し切れないほどに弾んでいた。


「質問があれば言ってくれたまえよ。彼女はこの世界にある魂が、輪廻転生を繰り返すことを見つけ出した。魂の……そうだな、『強度』とでも言うべきそれが、前世での行いに応じて上下することを突き止めた。そして、既存の輪廻のシステムを利用して新しいルールを足した結果、人々は自らの魂を強固にしようと善行に努めるようになったのだ」


 ミツキは聞き入っていた。自分がついていけなかった会話、ここにきた理由、人々の善意への違和感、さまざまなことが線で繋がるのを感じ取る。

 なぜ彼らが自分をここへ導いたのか。その答え。


「そのルールこそが奇跡(ギフト)。今、キミが測っているものの正体だよ」


 神が与えたのは応報のカタチ。本来保障されないはずの努力、その報いが誰しもに与えられた世界。自分がそんな世界にいることに、他でもないミツキは感情を走らせずにはいられない。


 彼は死ぬまでの生を思い出す。


 努力の実りは悪く、最期まで裏切られ続けたはずの人生。最期で裏切ってしまったはずの人生。


 終わってしまった命だと理解した。もう二度と、会うことのできない人々を思い出す。


 混乱に飲み込まれ失ってしまった実感が、ぼんやりと輪郭を帯びてくるのを感じる。友人を失った。居場所を失い、家族を失った。


 熱い感情が込み上げてくる。それと同じくらい、彼の心を蝕む感情があった。


 ──それは不安と諦念。一度享受した終わりの際に、否定し尽くした人生への暗い感情。

 

 ミツキがそんな感情に向き合い始めたのとほとんど同時に、アダンは口を(つぐ)み、機械の操作に集中し始めた。沈黙が感情と向き合うことを強制する。


 悲哀が走る。苦痛が蘇る。絶望が胸に纏わりつき、不安と諦めが脳裏を支配する。


 応報のシステム、奇跡の贈与。仮にそんなものがあるとしても、果たして自分はそれを受け取るに足るものだっただろうか。彼は自問を続ける。


 どれだけ頑張っても、結局何も得られなかった。そんな人生を通して、彼は報われることを諦めてしまっていた。


 だから今回も期待はしない。自分はこの世界の異物だから、ルールは真っ当に機能しない。人を見てばかりの人生だったから、魂は奇跡(それ)を受け取るに値しない。そんな負の感情ばかりが渦巻く。


 期待はしない。できない。



    ◇



 二時間近く経過したタイミングで、アダンは口を開き始める。


「この世界において、ほとんどの人々はその身に奇跡を一つ宿して生まれる」


 自問を繰り返していたミツキは、急に話が再開したことに驚く。彼は自分の表情の変化を見抜き、気を遣って言葉を控えていたのだと思っていた。そのため、慰めの言葉ではなく、先にした奇跡の話を再開するとは思ってもみなかった。


 アダンはそんな彼の様子を気にも留めず、話を続ける。その思考は、ただ一つの異常に支配されていた。


「もっとも、何事にも例外はあるものだ。一切の奇跡を貰い受けることもできずに生まれ落ちるものも、少数であるが存在している。彼らには悪いが、前世の業を背負わされたのだろうね」


 ミツキの心がざわつく。この世界でも、何も得られない人間はいる。


 ──ああ、またか。また、そうなるのか。


「他方で奇跡を二つ以上有するものもいる。同様に数は少ないがね。記録上最大の数は、かつて人間に憤怒した死造神ダアトを退けたという英雄。彼が所持していたと伝えられる四つであり、今現在に至るまで、これを超える数字は観測されていない」


 ミツキは半ば呆然と言葉を受け入れる。すでにその心は報いを諦めてしまっていた。報いを受け入れてしまっていた。


「また奇跡の種類についても千差万別だ。しかし、長年の研究、事例の蓄積、人の止まぬ好奇心。これらが功を奏して、奇跡は全て既存のデータから説明できるようになった。おかげで、人は幼い時分から己の奇跡との向き合い方を知り、研鑽し、将来に役立てることができている。この点、キミは少し不幸と言えるだろうな」


 話が結論に近づく。宣告が迫る。

 耳を塞ぎたくなるのを堪え、ミツキはただひたすらにその時を待つ。


「そして、キミの診断結果だが」


 アダンの口が開く。ミツキの心臓は、もはや外からでも分かるほどに早鐘を打っていた。





「キミの有する奇跡は六つ。そのいずれも、既存のデータでは説明出来ない未知のものだ」


 下された宣告は、彼の予想を大きく裏切る。まさに奇跡のような応報が、彼の体に宿っていた。

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