一章 三話 『目まぐるしい日々』
「先生、ストップ」
アダンの問いかけがヒートアップしてきたタイミングで、ミツキが声をかける。アダンは気づいていなかったが、ゲルダの表情が曇っていたことに気づいたからだ。
「あたし……自分が誰かなんて……わかんないよ……それに、役に立てるって思ったのに……ぜんぜんで……」
人々との交流で心を溶かしたゲルダ。しかしそれは、ようやく健全な状態に戻ったというだけのこと。見知らぬ土地で、知っている者はカイ一人。自分の身に起きたことも理解できていない。その心細さは。
「うん、大丈夫。俺も自分のことなんて分からなかったから。ゆっくり探していこう」
自分でも驚くほどに優しい声色。なぜなら、他でもないミツキが知っているから。自分の存在の曖昧さだってそう。この間ようやく自分の核に触れることができた。
「それに、役に立たないなんてことは絶対ないよ。ね、先生?」
「……ああ、そうだとも。ミツキ君の成長を見たまえ。ほんの少し前まで魔法など一切使えなかった彼が、キミの指導が入るや否や、すぐさまこれを使ってみせた。キミの指導力に疑うところなど一つもないよ」
これは慰めではなく本心からの言葉。自分では伝えられなかったニュアンスを噛み砕き、容易にして表現するゲルダの指導力にはアダンも舌を巻いていた。
「だって。教授してた先生が言うんだ。間違いない。だから、これからも俺に魔法のこと教えてくれたら嬉しいんだけど……いいかな?」
目に涙を溜めて下を向いていたゲルダは、その言葉でミツキに向き直ると。
「──うん! ばっちりあたしにまかせて!」
いつもの笑顔で、そう答えた。
◇
翌日。午前。
「姉さん、喜んでましたよ。やっとミツキさんの役に立てるって」
至近距離での拳の応酬。カイは左手で向かいくる拳をいなすと、即座に右で腹部への打撃に移る。
「っと! そんなの! もう! たくさん貰ってるって! 言ってるのに!」
ミツキはそれを左手ではたき落とす。すぐさま続く顎部への拳。顔を逸らしてすんでのところで躱すが、次に来るは下段蹴り。不安定になったバランスを崩すべく繰り出される合理の一撃。これに対してミツキはぐん、と体をそらし宙に浮き躱し、サマーソルトの要領で攻撃に繋げてみる。
「っ! 今のはよかったですね。でも」
しかし蹴りはカイの髪を掠めるばかり。浮いた体は無防備なまま。つまり。
「ぐわー!」
「ふぅ。はい。お疲れ様でした」
隙だらけの体を、中段蹴りで吹き飛ばされたミツキ。
「くそぉ、今回こそはイケるって思ったのに」
「……でも、見違えましたね。もう僕について来れるようになった」
初期と比べ、カイの息が上がっている。攻撃の応酬が続くようになり、カイも思考を巡らせ、工夫しながら戦うことを余儀なくされていたのだ。
「これなら明日から、木製の得物を取り入れても良さそうですね。早めに作っておいて良かった」
「カイ、ほんと器用な。すげえ羨ましい。俺、不器用の塊みたいな人間だから」
「それはどうも。とにかく、後で渡しておきますから、軽く触れるようにはなっておいてくださいよ」
「え? 俺も使うの?」
「当然です。あなたの魔力には限りがあるんだ。節約できるようにしないと簡単に干からびますよ。僕たちより全然魔力少ないんだから」
組手は次のフェーズに移り、武器を用いた攻撃と、そのいなし方を学ぶことになった。想定以上のペース。これなら。
「あと二週間もあれば、実践に出ても良さそうです」
「二週間……じゃあ倍頑張れば一週間で、三倍頑張れば五日くらいで……」
「できるなら、やってみせてくださいね」
にっこりと、満面の笑みでそう答えるカイ。ミツキがそう言うのを見越して、ハードなスケジュールを組んでいる。
苦労の日々、それがまた一段ギアを上げる音がした。
◇
「まずは一つずつ。炎からにしようね。多少大きくなっちゃってもあたしが消せるから。がんばってみて」
午後、ゲルダとの魔法の授業。
「ふー。っし」
集中する。掌から魔力を流すイメージ。これと並行して、眼前に炎が巻き起こる想像。そしてそこに、狂いなく魔力を流す作業。ほんの二、三日訓練しただけではとうてい会得できないはずの複雑作業。
「──うん。すごいや、いい感じ。『新式』の魔法は詳しくないけど、ちゃんと魔力が炎の形作ってるのが見えてきた。そのまま……そこ。維持するんじゃなくて、もう少し広げたほうがいいかも。それだとすぐに消えちゃう」
ミツキの魔法の訓練は変わらずゲルダが担当している。ゲルダは「古式」の魔法しか使えないが、魔力の流し方については「新式」と変わらない。そこで、ゲルダがこれを教え、違和感がある場合にはアダンが新しい知識を補う、と言う形で訓練のピッチを上げてきた。
「よし、よし……! このまま……っ! あー! もう消えた!」
大まかな知識を取得、その後に細部をアップデートしていく。因果集積を最大限生かした学習方法。これによって。
「いい感じだよ、ミツキくん! 次はもうちょっと中にこめる魔力増やしてみようね。大丈夫、破裂してもあたしが何とかするから。こわくないよ」
ミツキの魔法技術は飛躍的に向上していた。その速度は、組手のそれを大きく凌駕するほどに。それもこれも、この世界における魔法が、ミツキの因果集積と非常に相性が良かったことが理由である。
「イメージが定着すれば、どんどん伸びるの実感できる……この感覚、すげぇ斬新」
想像は簡単に定着し、魔法の基盤になる。多くの魔法使いが苦心するこの過程を、ミツキは一段飛ばしどころか、十段飛ばしで駆け上がる。
「人の魔法を見るか、実物を見て焼き付けるか。普通の人はそうやって覚えるんだけど、ミツキくんは自分の頭で完結できる。これなら、一週間くらいで戦えるようにはなるんじゃないかな」
「やっぱり、この奇跡の意味はわかりやすいな。いろんなことに役立つけど、その一番が、順応。この世界を知らない俺でも、すぐに生きていけるように」
奇跡が与えられた意図。応報によってランダムに振り分けられるシステム上、あり得ない想定が頭をよぎる。
「それなら、神さまは俺の記憶が消えるのも見越して? いや、そもそも……やめた! 変なこと考え始めると抜けなくなる!」
「そうそう。魔法って言うのは想像力だから。どんな時でも頭は回るようにしないとだめ! だよ?」
魔法の講義は、カイが夜に帰ってくるまで続いた。
そして。
◇
「武器ばかりに気を取られないこと! それを囮にした攻撃が一番危険ですよ!」
「わかってる! わかってるけど! ちょっと怖え!」
「早く慣れる! そのまま定着すると戦えなくなる! そのための模造武器なんですよ! 何回も殴られて、さっさと慣れる!」
「痛えのも怖えって! くそぉ!」
◇
日々は。
「今日は光の魔法を学んでいきましょう」
「はい先生、光って見えないから想像しづらくて。何かいい方法ないです?」
「簡単なのはお日さまだね。お日さまの光って、見えないはずなのに見えるでしょ? あれを元に自分なりの光を想像していくの。『古式』だと、それで光が『ある』って自覚して、魔力で曲げるんだ」
「なるほど──あ! だから炎と雷を先にやったのか!」
「ミツキくん、ひゃくてん! どっちも光を伴うから、延長線上で考えられるよね?」
◇
目まぐるしく。
「魔法の国の特徴は、独自に発展した魔導科学だけではない。特筆すべきは、その基盤となる市場形態だ。あの国ほど自由に商売できる国はない。ただ一つの制約を除いてね」
「独自に発展してるってことは、そこで完結してるってこととは違うんですか? それなら魔性の国の魔鉱石いらなくないです?」
「そうとも限らない。魔鉱石の市場価値、魔導科学の拡張可能性。そして何より他国、とりわけ鉄の国への牽制。簡単な理由だけでもこれだけ上げられる」
「……」
「ミツキ君」
「大丈夫。大丈夫です。続き、お願いします」
◇
過ぎて行った。
「右! それから足! ナイフ! は囮で! 顎ぉ!」
「っ! くそっ!」
模造のナイフを持つカイの右腕を固め。
「しゃあ! 一本とったぞ!」
くるりと一回転させ地面に叩きつける。
「訓練始めてから一月。それで僕に土をつけるなんて。誇っていいですよ、ミツキさん」
ミツキが差し出した手を取り立ち上がると、悔しそうに、それでも嬉しそうに、カイはそう言った。
「やっと、だけどな。カイの癖を全部頭に入れて、そのこと隠して、やっと一本。次は多分通じない」
「十分です。それがわかってるなら、なおさら。じゃあ明日、外で魔獣との戦闘訓練に移り」
「やあ、二人とも。精が出る。おや? 珍しくカイ君が土だらけではないか? と言うことは……ちょうどいいタイミングだったかな?」
含みを持たせた言い方。いつものアダンのそれに、ミツキは身構える。何か良からぬことを企んでいるのは間違いなさそうだ。
「いい知らせを二つ。一つ。私から君へのプレゼントだ。魔鉱石で鍛えられた短刀。カイ君の戦い方を見ている君にはこれが合っていると考えた。それと」
アダンが取り出したのは短い刀。ナイフのような刃渡り。そして。
「頼まれていたもの、用意できたよ。なかなか作ってもらうのに苦心したが」
取り出したのは、小さな六面体。各面がさらに九つずつ区画分けされている。さながら、変形しないルービックキューブのような。
「うお! まじすか! ダメ元だったのに、ありがとう先生! このお礼は」
どちらも非常に貴重で、値の張る代物。今のミツキでは払うことのできないはずのそれを。
「うん。頼むよ」
──私の、知らないものを見せてくれ。
アダンはそう言って、渡してきた。
「ああ、それと」
アダンが続ける。本題は、これから。
「──明日、自警団の即戦力試験がある。私が団長に話を通しておいた──受けて来たまえ。これが二つ目だ」
目まぐるしい日々。その成果が、結実する時が来た。