四章 四話 『今の世界について』
ルーティの事件から一日。彼女は今ミツキ宅で生活している。
彼女に関する情報は何もかも不明。身元がはっきりするまで彼が預かることになった。
「ただいまー」
「おかえり、みっきー!!」
「ミツキな、ルーティ。早く覚えてね」
巡回を終え帰宅したミツキ。彼をルーティが元気よく出迎える。最初こそ警戒していた彼女も、たった一日でご覧の通り。元々明るい性格なのも手伝って打ち解けている。
「精神年齢が近いからかしら? よかったじゃない、ミツキ」
「ベルさん、懐いてくれないからって俺に当たらないでよ」
「当たってません。事実を言っただけですぅ」
一人、ベルを除いて。
初めて邂逅した時の印象がよほどルーティには衝撃だったらしく、まだ少し距離がある。年長でありながら、子供のように拗ねるベルがいた。
「ミツキくん、ご飯できてるけど先に食べる?」
「おう! 腹減ったから食べる! 楽しみだなぁ、久しぶりのゲルダのご飯!!」
ゲルダたち三人は四日ほど滞在することになっている。ベルは一人帰ろうとしていたが、三人の反対を受けて渋々残ることに決めた。
食卓には暖かな食事が並べられている。まず目を引くのは、メインとして据えられた赤いパスタ。ミツキの好物をゲルダ形にアレンジしたものである。そこに魔法の国原産のチーズが荒く削って振りかけられた。パスタの熱で徐々に溶けていく光景に、ミツキも思わず喉が鳴る。
加えて、こちらもメイン級のローストしたジビエの肉。丁寧にスパイスを揉み込んで下処理をしているため、嫌な獣臭は全くと言っていいほどない。芳醇な肉の旨味としっかりとか見応えのある肉質。あしらわれたのは、魔性の国で作られるワインを使ったソース。ほのかな酸味が食欲を増してくれる。
「あ、これカイが獲ってきたやつ?」
「そうです。リードさんのご厚意でたくさんいただけたので」
「……なあ、カイって俺と同い年だったわけだろ? 敬語じゃなくていいんじゃね?」
「お気になさらず。こっちの方が僕には自然体ですから」
「うーん……そういうことなら仕方ないかぁ」
暖かくなり始めた気候に合わせ、スープは冷製のものが添えられた。芋と牛乳を使いビシソワーズ風に仕上げられている。芋の食感がなくなるまで丁寧に裏漉しされたそれは、極めてなめらかな舌触り。疲れていてもすっと喉を通ってくれるだろう。
「そういやベルさんって料理できるんですか?」
「もちろんよ。ただ、ゲルダ様には及びませんが」
「謙遜しなくていいのに。あのお餅みたいなやつ、おいしかったよ」
「あー、アイディールのあれかぁ」
「そればっかりやたら食べさせてくるのは困るんですけどね」
「そんな……カイ様……」
そしてチーズのドレッシングをかけたサラダを置いて食卓は完成する。久しぶりということで、ゲルダも存分に腕を振るった。
「ルーティおいで。ご飯食べられる?」
「うん! ゲルダ姉、おれこんなの初めてみた!! うまそう!」
「ふふ、よかった。いっぱい食べてね」
ルーティはゲルダの膝に飛び乗り、その光景に目を輝かせる。これまでは事後処理でドタバタしていたため出来合いの食べ物ばかりだった分、余計に美味しそうに見えた。
「……ゲルダ様、姉様にそっくり」
「じゃあ、お姉ちゃんよりお母さんって感じかもだ」
「ミツキさんはさぁ……」
幸いゲルダはルーティのことに集中していて聞いていなかった。もし聞こえていたらと想像すると、カイの胃がきりきり痛む。
「それじゃ、手を合わせて……いただきます」
「いただきます!!」
元気なルーティの声が食卓に響き渡る。見よう見まねで手を合わせると、すぐにがっつき始めた。
「わかってたことだけど、相当ハラ減ってたんだなぁ」
リンゴ一つを必死になって盗むほど、彼女の置かれた環境は悪かったらしい。その姿を、かつての二人と重ね合わせるミツキ。そんなゲルダが今や、人の世話をする立場になっている。それを思うと、彼の胸に感動が込み上げてきた。
「うぅ……」
「マジかこの人……辛気臭くなるから食べながら泣かないでくださいよ……」
「……ミツキってこんなだったのね」
ベルの記憶には、気丈に戦う彼の姿しか残っていない。一皮剥けばただの少年だということを思い知らされる。同時に、自分のした所業がひどく残酷なものに思えて苦しくなった。
と、さまざまな思いを抱えて団欒の時間を過ごしている時。
「おうおう、美味そうなもん食ってんじゃねえかよ! アタシも味見させてくんねえか?」
爽やかな風が吹くような、威勢のいい声が流れ込んでくる。長い金髪のワイルドな女性が、無断で扉を開け入り込んできた。
「シルヴィアさん! どうしました? なんか事件でも」
「バァカ、定期報告忘れてんじゃねえよ。こっち集合でよかったぜ、ったく」
傭兵の国二番隊隊長、シルヴィア。彼女が訪れたのは、報告のため。
「失礼するよ、っと……おいおいゲルダ。アンタいつの間に子持ちになったんだい?」
「違う違う。この子はルーティって言ってね、うーん……みなしご、かな? ルーティ、この人はシルヴィアさん。こんな見た目だけど良い人だから、怖がらなくて大丈夫だよ」
「あ……うん。初めまして! おれ、ルーティ! よろしく、シルヴィア姉ちゃん!」
「いいね! 良い挨拶だ! こっちもよろしくね、ルーティ!!」
ルーティへにっと笑いかけながら、シルヴィアの興味はゲルダへ向けられている。半年以上前、自分に怯えてミツキの影に隠れていた少女の姿を。
「──ほーん。まあ半年も会わなけりゃ、変わるのも当然、か。男子じゃなくとも三日会わざれば、だねぇ」
成長し、立派な大人となった彼女の姿を、感慨深そうに見つめていた。
「で? そっちの嬢ちゃんは?」
「……」
同時に、新顔への警戒を続ける。目に映る情報を頼りに、敵対した場合の立ち回りを脳内でシミュレートしていく。
「……ごきげんよう、シルヴィアさん。私はベル。二人の後見人をしております」
「ふーん……キナ臭い能力してんねぇ、アンタ」
「──」
「おっとごめんよ! アタシの悪いクセだねぇ。考えたことがつい口に出ちまう。ってわけだからさ、奇跡使っても口は閉じられないぜ、お嬢さん?」
ミツキと初めて出会った時のように、シルヴィアは他人の能力を一眼で暴く。その挑発じみた口ぶりに、ベルは思わず手をかざした。
「あー、もう! シルヴィアさんそういうとこ良くないっすよ! ベルさんも手ぇ下ろして! 全く……おっとりしてるように見えて気が短いんだから……」
「ワリぃワリぃ! あんなじっと見つめられちまったんだ。声の一つくらい出ちまっても仕方ないってもんさ!」
「ったく……それで、どんな感じなんすか、そっち」
半年前から、連携を謳っている三国は国内の情勢について定期的に連絡を交わすようになった。犯罪率の上昇幅や国内の警備が十分かどうか。それらが対魔獣にどれほど影響を与えているか、などである。それに応じて、戦力の分配を決めようというのが目的。
「ウチは相変わらずさね。犯罪も少ないし、人手もまだマシ。あの一件があったおかげかねえ、みんな大人しくて拍子抜けだよ」
「……そういや言ってたな、ミラさん」
犯罪率の急上昇は、抑え込んでいた悪意や暴力性が急激に解き放たれたのが原因である。傭兵の国はミラがリベラを扇動したことで、それらが幾分か発散された。そのため魔性の国や魔法の国と比較しても犯罪率の上昇は非常に緩やかである。
「ただ竜宮はちょいとマズイかもねぇ。変わらず人員を送ってるけど、その要求が増してる。どうやら、ウチみたいには行ってないらしい」
「そうっすか……」
「そういや、女王サマはどしたんだい? まだ姿見てねえけど」
「奴なら来ないぞ。猫の手……いや、竜の鱗も借りたい様子だ」
開け放されていた扉から、更なる訪問者が現れた。
「あ、アテナちゃん!!」
「やあ、久しぶりだな、ゲルダ。それと、弟も」
カイは彼女の呼びかけに返事をしない。それどころか顔も向けず食事を続けている。
「おい、弟? ……どうした弟、耳でも悪くしたのか? 弟?」
「……」
「…………カイ」
「はい、なんでしょう? ああ、アテナさん。すみません気づかなくて。お久しぶりです」
「こいつ……ゲルダに精神年齢でも吸われたのか?」
ゲルダのケアに気を使わなくて良くなったからか、カイは頑なに弟扱いを拒んでいる。これでは返って逆効果ではないか。その場にいた全員が同じことを思っていた。
そんな彼とは対照的に、彼女へと熱い視線を向ける人物が一人。
「なんだこの嬢ちゃん。誰彼構わず喧嘩売ってんじゃねえか。見た目に似合わずだいぶキレてんな。そういうの嫌いじゃねえぜ?」
「そういうわけではありません……この……人とは少し、因縁があるので」
ベルはアテナと戦い、そして負けた。もし自分が勝っていれば。もし彼女に阻まれていなければ。そんな思いを込めてアテナを睨む。
「なんだ、気にしていたのか? 構わん、許す。あんなもの、ありふれたいざこざだろう、小娘よ」
「……そうかしら? 世界の命運をかけていたのではなくて? ねえ、ミツキ?」
「ベルちゃん」
あの日の話題をミツキに振る。その行為をゲルダは即座に咎めた。彼はすでに痛いほど背負っていることを彼女は知っている。重く沈んだような雰囲気が食卓を漂う。ルーティは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「……失礼しました、ゲルダ様。ミツキも、ごめんなさいね」
ベルも自覚はある。素直に謝罪をし、ミツキも片手を上げて心配ないとフォローする。
ゲルダも少々殺気立ってしまったことを反省。心配していたルーティの頭を優しく撫でる。
「ごめんね、ルーティ。怖がらせちゃった。あ、そうだ。あの人はアテナちゃん。仲良くしてあげてね」
「うん。よろしく、アテナ姉」
それからおざなりになっていたアテナの紹介をする。人間の姿に竜の鱗を宿すルーティ。それと竜の姿から人間の姿に変わった彼女はどこか似通っている。彼女の存在は、ルーティを知るきっかけになる。そう考えてゲルダは二人の間に接点をつなぐ。
「……しばらく見んうちに、またずいぶん厄介ごとを抱え込んだな、少年」
「見てわかります? さっすが」
その因果を彼女は一眼で感じ取ったらしい。次々と事件が舞い込むミツキのことを心配半分で見る。彼自身が苦とも思ってなさそうな態度だったのが気に入らないのか、ため息を一つ吐いた。
「ああ。だがひとまずその話は後にしよう。まずは報告から」
健啖家であるアテナ。食事には目がないはずだ。それも今日はゲルダが気合を入れて作っている。そんな彼女が目の前の食事に目を向けず話を優先している。仕事で戻ってきたのだから当然なのだが、その当然が恐ろしく不気味に見えた。
「やばい事件……とか」
「いや、ない。犯罪率も一定の数値で停止した。拍子抜けなほど大人しいとも。危惧していたような事態も起こっていないし、これから起こるようにも見えん」
「よかった……デスパレートも大丈夫か……」
ミツキが危惧していたのはデスパレートの崩壊である。あの街は犯罪者更生のためにと創られた場所。故に犯罪増加の弊害が起きるのではないかと思っていた。
しかし実のところそれは逆だった。デスパレートの住民は奮起した記憶が強く焼き付いている。今更彼らが悪意に飲まれることもない。さらに魔獣に頼らない自治まで備わっているため、自浄作用が完成している。それ以外の街の方が危険なくらいだった。
「小競り合いは別としても、死傷者が出るほどのことは未確認。魔獣の目もあるからだろうな、下手なことはできんさ」
魔獣への恐ろしさは共通認識。それが警備として目を輝かせている限り安泰だろうと彼女は言う。
「……だったら、問題はどこですか? 聞く限り、円滑に回っているようですが」
「良い質問だ弟……そんな顔をするな、クセだから仕方あるまい」
「……ケセドでは普通に呼んでたくせに」
「……お前、起きてたのか……人が悪いぞ……」
ケセドではカイが気絶していると思っていたアテナ。あの時に出てしまった咄嗟の反応を彼に指摘され、珍しく動揺する。頬が彼女の髪のように紅潮した。
「ごほん……その通り。問題は別にある。私がわざわざ出向いたのと関係があるのだが」
彼女は何事もなかったかのように話を戻す。冗談を交えることができるのは、それが差し迫ったものではないからだ。しかし、確実に獣の国を蝕むだろう問題。だからこそ彼女は伝えに来た。
彼女が伝えに来たのだ。
「近頃、女王の様子がおかしい。悪意を制御できていないらしい」
世界の変化ゆえか、彼女は魔獣としての本能を取り戻しつつあった。