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Lost End 1 『Lost Soul』

「アダン先生、新聞見ました? 『外套の魔道士、躍動は止まらず』、『灰色の流星、やはり魔獣の群れを鎧袖一触』だって! もうなんか照れちゃうなー」


「全く……あの日の勇ましさはどこへいったのやら……」


 先の大魔獣侵攻からおよそ二週間が経った。二人はなおも変わらず、アダンの家で談笑していた。それが意味するのは、魔獣への勝利。魔性の国(ファタール)の誰もが、死なず。逃げすらもしないで変わらぬ生活を送っている。


 ミツキはあの後、西へ自警団の援護に向かい、ここでも魔獣を一掃してみせた。


 その活躍をきっかけに、魔性の国を中心として、灰色の外套を来た魔道士の話が爆発的に広がっていった。その後も彼は、小規模な魔獣の襲撃を撃退していった。

 そのおかげか、ミツキ、ならぬ「外套の魔道士」の名声は、かつての救世の英雄とどちらが上か、などと比較されるほどに高まっていった。


「まあまあ、いいじゃないですか。俺が頑張って、みんな助かって喜んでくれて。そんでもって平和な時間が続いて。ウィンウィンウィンってやつですよ」


「それにしても多少介入しすぎではないかね? 自警団で対処できるような事態にも出張ってるように思えるが」


 ミツキ生来の手を抜けないという性分に相まって、失われたはずの承認欲求が満たされている。結果、彼の活動はその頻度を大きく増していた。西に魔獣の知らせあれば駆けていき、東に傷ついたものがあれば跳ね飛んでいく。アルバイトのようなものだが働き口を見つけ、住居もアダンの紹介で一軒家を手に入れた現状。それでも最近はもっぱら、「外套の魔道士」としての活動に精を出している。


「先生もしかして寂しいんですか? ここ数日は先生の講義受けれてないですもんねー。明後日はバイト休みもらおうかな。なんてね、冗談ですって」


「それもないわけではないが……少し気になっただけだよ」




「……」


 ふと、その様子を見たミツキは思う。この世界で目覚め、生活のようなことができているのは間違いなくアダンのおかげだ。奇跡(ギフト)について彼が教えてくれていなければ、先の侵攻でミツキが活躍することもなかった。「外套の魔道士」など存在すらしなかったかもしれない。あげく、一人で暮らすには贅沢なほどの家さえもらっている。返しきれないほどの恩が、ほんの数日で溜まってしまった。


 その彼が、どうやら自分と関わる時間がないことを気に病んでいるらしい。勘違ではあるが、ミツキはアダンの心情を推測った。確か彼は友人が少ないとも言っていたはず。なるほどあの性格なら合点がいく。そう思ったミツキは、思い切った行動に出る。


「あー! なんか今日、バイト行くのしんどいなー!」


「?? 何を言ってるのかね、キミらしくもない。まさか、この間の戦闘で頭でも打ったのか?」


「違いますよぅ!! ほんと、ちょっとサボりたくなっただけだから!!」


 なんと大胆にもミツキは、バイトを無断でサボることに決めた。


「ね、先生。ってわけなんで、ちょっとおしゃべりしません? 魔法のこととか、俺まだ全然わかってなくて」


「……はぁ。全く、不器用なくせにそう気を回すものではないよ」


「ははは……バレバレかぁ……」


 もちろん、アダンの寂しさを紛らわせれば、との優しさからきた行動であることはお見通し。それが明後日の方向に出力されたことで、彼も少々戸惑ったようだ。それでも、その優しさを無碍にするわけにもいかない。


 ミツキがアダンのことを恩人と思うように、アダンもまた、彼のことを得難く思っている。世界から消え失せたように思った不可知という可能性。それを彼が再び切り開いてくれるのではないか。打算だとアダンは自嘲するが、本質は親愛に近い。まるで子を持った親のように、その行く末を期待する感情。それこそが、彼を温かくする最初の不可知であった。


 故に、彼は否定しない。たった数日の出会いの中で得た大切な友人。その誘いであれば。


「では、茶でも淹れてくるとしようか。今日は長くなりそうだからね」


「お! 先生のお茶久しぶりかもだ!」


「覚悟しておくといい。私の講義は、難しいで評判だったんだよ?」


 ──後で、彼の働き先へ謝罪せねばならんな。


 アダンは心の中で思いつつ、これから始まるひと時に心躍らせた。



    ◇



 これを以て世界は正道を外れる。二度と戻ることのない分岐点。この世界から、失ってはならないものが失われる。


 ──二度と、世界は救われない。



    ◇



 (おご)っていたのか。見えていなかったのか。


「──」


 声が出ない。短い時間で何度も経験したと思っていたそれが、全部生ぬるいものだったと思い知らされる。


 息すらできない。体は硬直し、目を離すことは一秒たりともできない。


 三つ首の獅子。小さな村ほどもあろうかという空間を、その一体だけで大半を占めている。だがその巨躯も相貌も、二人を磔にした本質ではなかった。


「■■■■──!!」


 ──強すぎる。カイから見てこの獅子は、どう足掻いても勝つことができない相手。だったら逃げるか? 無理だろう。あっという間に追いつかれてくびり殺されるだけだ。


「──イ」


 だが自分が囮になれば? せめてゲルダだけでも逃して──


「──カイ!!」

「!!」


 獅子はすでに動き始めていた。冷静さを手放したカイは、ゲルダが呼びかけるまでそのことに気づけない。


「氷牙!!」


 その動きを阻もうと、ゲルダは氷の棘を生み出しぶつける。しかし体表に当たったそれらは、にわかに崩れ去って散った。


 細く、触れたことさえ曖昧な攻撃。それをもって獅子の眼はゲルダに向く。か弱く小さな少女こそが、この場で自分を脅かす存在に違いないと。


「っ!」

「やめろ!! こっちだ化け物!!」


 カイの放つ風は、まるで豆鉄砲のように蹴散らされ霧散する。ゲルダも必死で氷を放つ。生命を止めようと、周囲の温度に干渉し世界の果てを思わせる気温へと手を伸ばす。


「ふ……はぁ……」


「──ぁ」


 しかし彼女は何かに気づくと、大きく出力を落とした。危険を感じ取ってしまった。このまま攻撃を続ければ、同じ空間にいるカイが真っ先にダメになると。ただでさえ衰弱した彼では、あっという間に永遠の眠りについてしまう。


 逡巡。硬直。一瞬の停滞。


 獅子はあっという間にゲルダを押さえつけ、牙を光らせる。天敵とは言うまい。可能性を冷静に潰すその姿は、怪物と称するにはあまりに理性的であった。


「このバケモノ! 離れてよ!」


「──■■■■!」


「ゲルダぁ!! 離れろ! やめろよ!!」


 聞き入れるはずもない懇願。獣に人間の言葉が通じるはずもない。一刻の猶予もない状況。カイは、極限まで引き伸ばされた一瞬で思考する。


『初めまして! これからよろしくね!』


 地獄から救い出してくれた最愛の人。その人が託してくれた少女が危ない。


 この場で優先することは何か。それはゲルダの命ただ一つ。


 魔力は二人とも残っていない。そもそもあの怪物を殺すのに、自分の出力では全く足りない。


 いる。薪がいる。あんな怪物意にも介さずに、一息で殺せるだけの火力が欲しい。


 ある。近くにある。胸の奥底に、熱いほど鼓動する魔力の塊。


 これっぽっちも惜しくはない。大切なひとの大切なもののために終われる。それはあそこで名前もないまま死んでいるより、ずっと幸福なことだろう。


 ただ、一つ贅沢を言うのならば──


「──母さん」


 ──もう一度、あなたに会いたかった。


「────神風」


「カイ!! ダメぇぇぇぇぇぇ!!」



 暴風。一人の人間が一生をかけても辿り着かない領域。自然ですら、幾千年かけようとこの空気の厚みには届かない。


 ゲルダの叫びは短く響き、そのまま風の中へ飲み込まれる。周辺にあったすべての空気が、意思を持ったかのように揺れ始める。


 雑多だった暴風に規則が生まれる。理路整然と流れ出した風は、徐々に加速し渦をなす。数多の異なる空気が、それぞれ最適な動きを選択する。その様はまさに、彼の魂を写すかのように。


 渦は一点へと集まる。生まれるは小さな竜巻の種。何人も触れることができない、不可能の領域。風とは名ばかりの「無」がそこにあった。


 薄く長く、そして鋭く。風の種は姿を変える。凶獣の外皮は硬く厚い。それを一息で貫くだけの、研ぎ澄まされた矢。己にとって最も親しい武器が、風の流れによって再現される。


 流れる風は静かに、しかし颯のように駆け抜けた。風を越え光を越え、たどり着いた「無」の境地。その矢の前に、時間の概念すら意味をなさない。それほどまでに速く。それほどまでに強い。


 頭を撃ち抜かれた獅子はしばらくカイを見て、その後に霧散する。今際の際で獅子が省みたのは、その少年が携える覚悟の重さを侮ったことだった。


「──よかった。ゲルダが、無事で」


「カイ!! 待って! 行かないでぇ!!」


 獅子が倒れるのを見送ると、カイも同じように倒れ伏せる。駆け寄ってくるゲルダは彼を抱き起こし、意識を失わないよう呼びかけ続ける。


「いや……いやぁ!! カイもいなくなるなんてダメ!! だってもう、とうさんも、みんな、も……?」


「ゲル……ダ……お願い……母さんに……大好きだった、って……」


 ゲルダは、カイを失うショックから記憶の扉を開く。フラッシュバックする光景と目の前の光景とが点滅する中で、正気を無くさないよう必死に頭を抱える。


 途端、人一人を抱えていたはずの片腕から重さが失われ始めた。


「あ……ああ……うあ……」


「ゲルダ……どこに、行ったの……寒い……寒いよ、母さん……お母、さん……」


 カイの体は、砕けた魂では繋ぎ止めることができない。魔力に還り、空へ昇っていく。幻想的な、童話のような最期の瞬間。しかしカイの認識は寒さと恐怖、後悔と懺悔ばかりが満たしている。当然だろう。魂という希望さえ焼き尽くした彼の心を、いったい誰が救うというのだろうか。


 光になっていく。その最中でも体は震え続け、怯えたように丸くなっていく。


「ごめんなさい……ごめん……僕なんて、初めから……」


 彼の魂は消える。砕いて塵になったそれは輪廻の輪から外れ、二度と回帰する可能性を失った。彼はこれから先の世界を、何一つ知ることがないまま消えていく。知る可能性の全てを失って死んでいく。


 彼女の瞼には焼き付いていく。失うことができないほど強く押し付けられた喪失の光景。自身の短慮が、虚弱が、逃避が、何より愚鈍が招いた地獄絵図。その責任からは逃れられない。彼女が心から笑うことは、この先永劫あり得ない。


「ごめん……ごめん……カイ……あたしが……あたしの、せいで……」


「助けて、母さん……母、さん……? そこに、いる、の……?」


 こと切れるまさにその瞬間、カイが目にしたのは母の幻覚。彼女の居場所など知る由もなく、彼女もまた、まだ二人を見つけられていない。だから、それはただの偶然だった。


 奇跡的な、悪魔的な、あるべきではなかった偶然。


「カイ……カイ……?」


 腕から消えてなくなった体を無視して、残った温かさだけ感じ続ける。ゲルダは腕の中を見ていない。見ていたのは、彼が最期まで見ていた方向。指を差し、手を伸ばし続けた先。


「そっちに、いるんだね。待ってて。すぐ、持っていくから」


 温もりが消えないように。早く会いに行こう。


「一緒に行こ」


 腕を撫でて、彼女は立ち上がる。見据える先は遥か彼方。



 ──北東。神の座す場所。



    ◇



「先生! どうなってんすか、これ!?」


「私もわからん! 何が、どう転べばそうなる……!?」


 数日後、朝を迎えたばかりの魔性の国へ号外が飛び込んできた。


 否、魔性の国だけではない。獣の国(アニマ)も、傭兵の国(ガルディニア)も、鉄の国(ブロットラーグ)も。世情から隔絶されている竜宮でさえ、その知らせに震え慄いた。


「──魔法の国(マギアマルクト)……壊滅……!? あり得んだろう……想魔神は何をしているんだ……!!」


 前日の夜まで、魔法の国は健在だった。商人はこぞって手腕を振るい、研究者たちは日夜新しい理論の解明のために身を粉にして働く。この世界で最広の国でありながら、最も安定した国とも言われる場所。それこそが魔法の国だったはずだ。


 それが恐るべきことに、たった一夜で地図から姿を消した。どの国も気づかないうちに、ひっそりと。


「攻め落とされたんすか!? この世界で!?」


「いや……あの国に対抗できる軍備など、鉄の国であっても備えてはいない……それに、軍が動いたのなら他の国が、とりわけ魔性の国が気づかないわけがない……!」


 鉄の国は確かに、高い技術力を有する国。しかし軍という単位だけで見れば必ずしも強くはない。何より隣国である鉄の国の動向を、魔性の国の住民が見逃すはずがなかった。


「じゃあ……じゃあ魔獣だ!! この前みたいに、大群で」


「キミもわかっているだろう……キミの、『外套の魔道士』の活動で魔獣は沈静化している。あの国の軍備を掻い潜るほどの動きは不可能だ」


 魔獣は今なお続くミツキの活動によってほとんど休眠状態に入っている。その線は薄い。


「……もしかして、俺、みたいな奴が……?」


「……可能性はある……というよりも非常に高い……この世界で国一つ滅ぼすほどの悪意を持つなど、それくらいしか考えられん……」


「……なら、俺が!」


 同郷の人間が凶行に走っている可能性。それが議題に上がった瞬間、ミツキは部屋の外へ走り出す。


 責任感。戦いへの渇望。そのいずれとも違う、「やらなければいけない」との強迫観念を抱えて。


「待て、ミツキ君! 一人で行ってはならん!!」


「なんでっすか!! もう魔法だって使える! 『空』の魔力があったら、そんなやつ」


「行くなとは言わん! 恐らくキミでなければ立ち向かうこともできん……だから協力者を集うんだ! この状況なら、国の要人だってキミの話を聞くだろう。他ならぬ、『外套の魔道士』の話なら!」


 彼の名はすでに世界へ轟いている。今迫っているのは世界的な危機だ。そこに駆けつけた英雄の再来と謳われる魔道士。話くらいはできるはず。


「はい!! 行ってきます!!」


 アドバイスを受けたミツキは、「跳躍」で世界を駆け抜ける。アダンは自分にできることを探るため、家の中に眠っていたさまざまな機械を取り出し始めた。


 ──その口角が微かに上がっていることなど、自分自身でさえ気づかずに。



    ◇



 鉄の筒が森のように立ち並ぶ光景。それから煙が立ち上る有り様は、撃った後の鉄砲を想起させる。


 広大な棚田のような地盤に、さまざまな家が並んでいる。活気らしい活気はないが、いずれからも鉄を打つような音が響き渡る。その音は無骨で面白味には欠けるものの、聞く人次第ではロックのようにも聞こえるのだろう。


 それこそが鉄の国。この世界でも有数の工業国家である。


「すみません、国王陛下に会いたい……じゃなくて、謁見したいんですが」


「失礼。顔を見せてもらえるだろうか。陛下は今お忙しくお会いできるかはわからないが、そのままだと話を通すこともままならない」


 ミツキはその最上部に訪れていた。そこには建造物が一つだけ。一つの街ほどあろうかという敷地面積いっぱいを使われて建てられた(くろがね)の城。


 門扉の前で、ミツキは守衛二人に足を止められていた。


「緊急事態だからこそ、です。『外套の魔道士』。その名前でどうか」


「──そうですか、あなたが……いや、本人か私どもに判別はできません。危険がある以上、通すわけには」


「構わん。オレが話す。貴様らは下がっていろ」


 渋る守衛の後ろから、人影が二つ現れる。一人は金髪長身でラフな格好をした女性。もう一人は、黒のロングコートで全身を包んだ、黒髪長髪の男。


「──突然の訪問、失礼しました。キリアス・ブロットラーグ陛下とお見受けします。自分はミ……『外套の魔道士』、です。申し訳ありませんが、今はそれでお願いします」


「前置きはいい。さっさと本題に入れ。大方の予想はついているが」


 尊大な言動。王という肩書きに見合うその雰囲気。この男こそ「黒衣の王」の通り名で知られる鉄の国の国王。


「……『魔法の国』陥落……その犯人討伐のための協力を」


「だろうと思った。ならば答えは決まっている──」


 非常に話がスムーズ。ミツキも、ボロが出る前に切り上げられて内心助かっている。だが、


「──断る。オレたちはオレたちで、すでに準備は進めているところだ。用が済んだなら帰れ。オレから貴様に話すことはない」


 突きつけられたのは、取り付く島もないほど、簡潔な拒絶の言葉。


「なっ!!」


「ボス!? なに言うてんの!? この状況で、断るとか意味が」


「口を慎め愚か者……まあいい。ここまで足を運んだ駄賃だ、忠告はしてやる。早く次に行けよ? 間に合わなくなっても知らん」


 そう言って男は戻っていく。大層面を食らった様子の女性も、ミツキに軽く手を振った後で小走りで追いかけていった。


「っざ、けんなよ……なんて野郎だ……くそ」


 あまりにもぞんざいな態度に、流石のミツキも悪態を吐き捨ててから、次の目的地へと飛んでいった。



 城内へ戻っていった二人。その突飛な行動に女性、アカリは堪忍袋の尾が切れた。


「なにしてんねんボス! アンタ、『外套の魔道士』に会ってみたいゆうてたやんか!!」


「会ってどうするかまでは言っていない。一眼見ればわかる。あれは──」


 確かに彼は強力な力を有している。特別な目などなくともわかるほどに洗練されてきている様子だ。だが、人間として肝心なものがない。あの男には、


「──空っぽだ。奴にはなに一つ、『自分』を形成するものがない。あんなものに背中を預けるなど、オレには恐ろしくてできん」


「──さいでっか」


 それ以上アカリは追求しなかった。この男が一度決めたことを曲げないと言うのもあるが、一番は違う。


 彼の人を見る目を信頼しているからだ。彼がダメだと判断したなら、文句を言ってもそれに従う。


 ──その上、あろうことか彼は「恐ろしい」と形容した。不遜にも神にさえ唾を吐くこの男が。それなら、あれは人ですらないのだろう。



    ◇



 次にミツキが向かったのは獣の国。距離にすれば傭兵の国の方が近いのだが、こちらを優先した。


 理由は、魔法の国との距離。この二カ国は隣接するように並んでいるため、先に向かい安全を確認する方が先決と考えた。


 フェアウェルからデスパレート、ナレッジを通りラストボンドへ辿り着く。最後の結界を開けるためにはショートカットができない。ルールに則って、その戸を叩く。


 結界をくぐった先、物々しい雰囲気の城がある。玄関にはやはり守衛が。それ以外の街に警備隊はなかったのだが、やはり王都は特別らしい。


「何者だ! 今、王城は開かれていない! 帰りなさい!」


「女王さまに伝えてください。『外套の魔道士』から、魔法の国での出来事について相談が」


「……そうか。わかった」


 自分の名乗りだけでこの反応。この国の守衛はずいぶん素直だ。ミツキはそう思ったが、


「ならば女王陛下から言伝がある。『お断りします』、とのことだ……すまないが、お引き取り願おう」


「は……!? なんで、俺……自分は、まだ何も!!」


 突きつけられたのは、協力を拒む言葉。それも、ミツキが言葉を放つ前に。


「私たちにも、陛下の真意は図りかねる……ご足労いただいて申し訳ない。それでは」


 ミツキなら押し通り女王から真意を聞くこともできるだろう。しかしそれでは犠牲が出る。ミツキには、それを許容することができない。


 それで自分が責められるのが、怖い。


「じゃあ、俺からも女王に伝言……『最低だ』って」


 手を貸そうとしない相手が二人連続。苛立ちを言葉に変えて、彼はまた次の場所へ向かう。



 その姿を玉座から伺っていたものが二人。


「よろしかったのですか……女王陛下」


 金色の眼光。紫の長髪。装飾のついたドレス。険しい顔のままのその女性は、高貴な身分にあることが見ただけで理解できる。


 それでも、その隣にいた女性は別格だった。


(まつりごと)に口を挟むこと、私は許可しておりませんわよ? 口を慎みなさい、影武者の分際で」


 黒の長髪。漆黒の眼。吸い込まれそうな美しさと共に、全てを憂うような仄暗さが見え隠れする。儚い印象でありながら、人は彼女から死を連想するだろう。それほどの威圧感が、体から漏れ出していた。


「『最低』……ね。言ってくれますわね。なにも知らない、理想主義の偽善者ごときが」


 彼女は怒りを感じている。力を思うままにふるい、何処へだろうと向かっていく「外套の魔道士」。それが実現しようとしている子供じみた理想論に反吐が出る。


 全員を救う。手当たり次第。救うべき相手がいなくなるまで限りなく。


 もちろん考えたこともある。だが、それは()()()だ。魔獣を操る力を持っていても、数は高が知れている。範囲だって獣の国を覆うくらいのもの。全てなど不可能。選び、切り捨てなくてはならない。


 だから彼女は選んだ。


「さっそく国民へのパフォーマンスに移ります。あなたには国民への外出制限を宣言していただくので、そのつもりで」


「かしこまりました……あなたはそこで、高みの見物、ですね……」


 聞こえないように呟いた言葉を、女王は聴こえていながら無視をする。それでいい。嫌われようと、悪役と思われようと、彼女は一人、この玉座で守り続ける。


 せめてこの国の民だけは、と。



    ◇



「なるほど、君が『外套の魔道士』……想像よりも若いな」


「すみません、これでも噂通りには戦えるつもりです。どうか、力を貸してくれませんか……」


 ミツキは続いて傭兵の国に向かった。そこではスムーズに話が進んでいる。と言うのも、騎士団はすでに出撃準備を整えていたからだ。


「ああ、もちろん。むしろこちらからお願いしたい。我々に手を貸してくれ、『外套の魔道士』どの」


「──はい! お願いします!!」


ここに、騎士団長リベラと「外套の魔道士」との間で連携が締結された。


「さっそくですけど、俺は先に行って様子見てきます! これでも逃げ足には自信があるんで、じゃあまた後で!!」


「これは……! 驚いたな、空間移動か……! ……だが、実際目の当たりにすると──」


 目の前から消えたミツキ。それを思い、リベラは団員に聞こえないよう呟く。


「──いささか、眩しいものだ。才能に溢れているというのは」


 奇跡もなく、魔法も使えない。剣術だって、才能だけなら上はたくさんいる。その中でも世界最強の座に登ったリベラ。彼は消えていった魔道士と出会い、その座が脅かされる未来を見た。


 執着はなくなったはずだった。それが最近になって、妬み嫉みが止まらなくなっている。いずれ敵対することも視野に入れながら、彼は隣に立つだろうその男を引き込んだ。


 全ては、より良い世界のために。



    ◇



「くっそ……なんなんだよこれ……さっみぃ……!」


 傭兵の国から最速で駆け抜けるミツキ。彼は数時間で世界を巡り、あっという間に魔法の国へ辿り着いた。協力を約束できたのは一カ国だけになってしまったが、それで十二分。あの国の頭目は世界で最強の剣士。それと自分が合わさればなにも怖いことはない。ミツキはそう信じている。


 駆け抜けるのは魔法の国の平原。例年であれば温暖な気候に包まれるその場所を、震えるほどの冷気が包み込んでいる。


「──誰だ!!」


 平原のど真ん中、たった一人だけが佇んでいる。


 長い髪は白く、透き通るような美しさ。華奢な体はやはり真っ白で、立っているのが不思議なほどか細い少女。ガラス細工のように、力をいれて抱き止めれば粉々になりそうな在り方が見える。


 その瞳がミツキを映した。青い瞳。紺碧、それも深海のように澱み切った青色が見える。それに映っているはずのミツキの姿さえ、誰も確認できないほど深く昏い。


「キミこそ、だれ? この国の人?」


 少女の周りには砕けた氷が飛び散っている。砕けた断面からは、ところどころ赤色が流れ出している。


 それをミツキは、人であると認識した。


「……まさか、君が……?」


「はぁ……やっと終わったと思ったのに……そっとしておいてよ……ねえ、カイ……ようやく、三人で遊べるのに……」


 彼女は右手にはめた緑の手袋を撫でながら、恍惚とした表情で話す。やはり、その瞳に、認識(せかい)に、ミツキはいない。


「……なんのためにこんなことを……君はいったい、なにがしたいんだよ!!」


 なぜこれほど憤っているのか。ミツキ本人ですらわからない。わからないから止められない。止められないから、


「──うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさい!! 今更、なに!! 今更来て、なんなの!! 助けてくれなかったくせに!! 来るんなら、もっと早く来てよぉ!!」


 呼応するように、少女の熱も増していく。止められないまま燃え上がる。


 周辺の気温が急激に減少する。少女の周りに冷気が渦巻き、冷えた空気が周囲を回り続ける。


「氷と……風、か……!」


「カイ……ねえ、カイ……お姉ちゃんを助けて……ねえ、この人、あたしたちをいじめる奴を……」


 彼女の足下から氷の波が放たれる。周囲へと、三百六十度全てを覆い尽くす波状攻撃。氷の上には風が乗る。彼に、逃げ場はない。


「──みんな、殺して」


「はあああああ!!」


 無いはずの逃げ場を、それでもミツキは作り出す。魔力を混ぜ合わせ「空」を創り、魔法なら全て消し去る──


「ぐっ!?」


 ──ことができない。なぜかその少女の作り出した氷も風も、「空」で覆うことができない。


 それも当然、彼女が使うのは「古式」。現象が起こる過程にのみ魔力が介在する。すなわち魔力を消す「空」でも、結果として生じる氷も風も消し去ることができない。


 ミツキの体に穴が開く。傷ができる。この世界でもしかすれば初めてのダメージに、脳が焦げ付くほどの衝撃を受ける。


「ぐぅぅぅぅ!!」


「……ばかみたい。そんなので戦うつもりだったの?」


 だが、苦痛であれば慣れている。傷口を魔力で焼いて止血する。その鬼気迫った雰囲気に、思わず少女も想像を止める。


「君のやったことを知ってて……見逃すことなんてできない、から……!! 俺には……力と責任がある……!!」


「……そう。つまらない人。あなたには、()()()()()()()()()なんて無いんだね。かわいそう、死んでた方がマシだよ。だから、死ね」


 再び世界は憂いを帯びる。ことここに及んでしまったことを嘆くかの如く。空気は重く、冷たく、深く深く沈んでいく。


人の認識は凍り果てる(ワールド・エンド)


「……く」


 冷気が、世界を満たす。



    ◇



「はぁ……はぁ……はぁ……」


「ふ……ふふ……ふふふふ……あっはははははははは!!」


「もう……もう諦めろよ!!」


 彼らを中心に、気温は生物の生存圏を大きく下回っている。細胞すら活動を止めるはずの環境で、二人はまだ抗い続ける。


 ミツキはその後暫くして、「空」で魔法を阻害できない理由をタイミングまたは範囲と判断。周辺全て覆うほどの「空」の魔力で充満させた。結果、少女は魔法を放てず、


「君が……勝てるはず無いんだ!!」


 終始、彼が圧倒していた。


 少女は魔法が使えない理由を知らない。だから幾度も放とうとして失敗し、そのたびに体を彼の魔法で貫かれた。


 最初は雷。次は土。その次は炎で、挙句は光。回復はできているらしいが、もうぼろぼろで立っていることすらままならない。


「降参してくれ……!! 頼むから、ここで、もう……!!」


「はぁー……もう、ここまで、かなぁ、カイ? この人、心まで動かせるみたいだから。怖いね。それは、イヤだね」


 ミツキは、その奇跡全てを利用して戦った。魔力を惜しげもなく放ち、瞬間移動を繰り返す。魔法の色を混ぜ合わせ、空を創り覆い尽くす。彼女が歯を食いしばった瞬間を利用して、闘争心を失わせようとも試みた。


「かあさん……かあ、さん……あとは、お願い、ね……? きっと、きっと……」


 それでも彼女は折れない。その理由は単純だ。彼女にはもう、折れるだけの芯がない。彼女は亡霊だ。何もなくなったはずの心を、かつて思っていたはずの感情で無理やり動かす。その結果が今。戦わないでいいはずだった少年と戦い、負けた。


 彼女にはもう何もない。母の目指す世界も、彼の差し伸べる手もどうでもいい。もう、どうだっていい。


 だったらその命はせめて母の願いのために。その障害となるだろう彼を封じるために。


 母の本心を知らない少女は、その決断が間違っていることを知り得ない。


「── 人の認識は凍り果て、(ワールド・エンド)


「それはもう知って──」


 だから、




「──我が魂は砕け消える(ロストソウル)




 彼女は魂さえ捨て去って、目の前の少年を、殺し滅ぼし消し去ろうとする。


 くべられた魂に見合った冷気が彼を襲う。冷気ではなく、まさしく世界の終わり。その名に恥じない環境の変化。


「おおおおおおおお!!」


 ミツキが無限の魔力を持たなければ、そのまま永遠の氷像に成り果てていただろう。


 しかし彼は次世代の英雄。炎魔法の連打によって冷気を抑える。風魔法も併用し冷気を受け流す。土魔法で地熱を持ち出し、水魔法で冷気を奪う。そうして彼は。


「はぁ……だから……言ったんだ……!!」


 生き残った。


「君が……勝てるはずないって!!」


 彼女の亡骸を残して。


 彼女もまた、カイと同じように魂の全てを燃やし尽くした。どうでも良くなってしまったのだ。生きる目的など()い。これから幸福が待っているとしても、彼女の脳裏にある絶望は振り払えないと理解してしまった。


 だから全て終わりにした。終わりにしたかった。


 少女の体は、白い魔力の粒子になって消えていく。逆回しの降雪は、世界を覆っていた暗雲を消していく。


 同時に、世界に通っていた檻のような糸が、解けてあるがままに還っていく。世界から絶対だったはずの一つが、唐突に失われた。


 少女のことを、ミツキは何も知らない。ここで初めて出会い。敵として最後まで相対した。


「なんで……だよ……」


 同情すべき事情は何も知らない。彼女は恐らく、この国の全てを殺し尽くした殺人犯だ。救えなかったとしても仕方ない。彼女に生きる意味を示せなかったとしても責められはしない。なのに、


「なんで……くそ……なんで……」


 ミツキの目から、滝のように流れる涙は止まらなかった。



    ◇



 これこそがこの世界の顛末。ほんの一つの間違いだけで、全てが間違ったありえざる可能性の一つ。



 神は肉親の死とともにその存在を諦めた。


 女王はとこしえに、救いたいと願った人間の可能性を知らない。


 最強は主君と世界とを比べた己を思い出し、やがてその姿を消す。


 黒き彼も、その出会いなくして己の野望を叶えられない。


 幼き少年の魂は消えた。少女の願いは荼毘にふし、幸福を願った少年の魂は、永劫救われないまま削れていく。




 故に、魂の消失(ロストソウル)




 唯一残された少年の未来も、一つとして報われることはない。


 強迫観念から進み続けた先、彼が思い出すのは消えた彼女の姿。


 彼にはない。綺麗と思えるほどの経験も、認識を入れ替えるような出会いも。


 彼の終着に待ち受けるのは、自ら命を捨てる再演の時。それは、遅かれ早かれ。




 斯くしてこの世界は終焉する。望む未来には辿り着かず、望まれた結末には二度と進まない。


 失われた魂は、回帰しない。この道に進んだ以上、振り返る可能性はありえない。



 意識が遠のく。世界が遠のく。


 この未来を描かないために、世界はまた彼を望む。






≪分岐地点≫ 序章 六話 『幸福の兆しと短慮の責任』


≪分岐条件1≫ アダンの好感度が一定以上


≪分岐条件2≫ 条件1を満たした場合に出現する選択肢、「アダンと会話を続ける」を選択



 自分の中では、この作品はミツキが正解ルートを辿ったものだと考えています。

 可能性としては山ほどバッドエンドがあって、例えばリベラ戦などは避ける方向一つ違うだけで簡単に死ぬこともあり得ました。


 しかしそれとは別に、単にミツキが死亡する以上の影響が神造世界に残るエンディングも存在しています。それが『Lost End』シリーズ。今回書いたのは序章にて起こりうるエンディングです。


 私が想定しているのは各章に一つずつです。どこで分岐するのか。どのような条件か。どう世界が変わるのか。考えてみるのも面白いかもしれません。


 さて、次回からは四章に入ります。恐らくまた不定期の投稿となってしまい迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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