三章 六十四話 『Sheriruth』
◇
数時間前。ルーファスと二人きりでいた時のこと。
「……ミツキ君。もう一回聞きたいんだけど」
ミツキから話を聞いた彼は、違和感を抱いていた。
「本当にミラ様のお力は、認識干渉、なんだね?」
「え? まあ、はい。十中八九ですけど、そうっすね」
ミラの力と、伝承に伝えられる想魔の神たる彼女の力との間には、
「……妙、だね」
「?」
「ミラ様は、人に魔法を授けた神様のはず……そこから間違っているのか、それとも……」
大きな隔たりがあると。
「違います? 俺にはよくわかんないんすけど?」
「そうだね……言語化すると難しいんだけど……」
ルーファスの感じた違和は感覚的なもの。自分でも整理するためにミツキでもわかるように伝えてみる。
「認識って、事実とか現実に対して使う言葉だろう? 対する魔法は、想像の具現だ。その二つが、うまく結びつかないんだ」
現実にあるものを見る、聞く、感じることが認識。対して想像は、そこに無いものを頭の中で思い描く作業。この二つは正反対の性質を有するように思える。前者を操作する神威を持つミラが、後者の具現である魔法の創始者であることに、ルーファスはとめどない疑問を感じていた。
「うーん……言われてみれば、そう……かも?」
「ピンと来てないね……うーん……まあ些細なことだし、僕が気にしすぎてるだけかもしれない」
「いやいや、気になったならとことん考えましょ! 俺らはもう後がないっすし、何が切り札になるかわかんないっすよ!」
これから神に挑もうとする以上、準備は万全にしておきたい。どんなカードでも、使えるのならば拾っておくに越したことはないだろう。ミツキはそう言って、ルーファスの考えに頭を貸す。
「そうっすねぇ……現実の世界に想像を実現するのと、人の認識に好きなものを見せるの、似てる気はするんだけどなぁ……」
「──待った。今、何て言った?」
「え? 似てる気はする?」
「その前! 認識のことを、何て?」
「え……せかいって、言いました、けど……?」
リリをはじめ、認識干渉系の力を持つものは、しきりにそう口にしていた。ミラもそのうちの一人。それに釣られて、ミツキも同じように口にする。
それを、ルーファスは拾い上げた。
「世界……認識を変える……魔法……いや、まさか……そんなことができるとすれば、勝ち目なんて……」
認識という世界を変える力。世界に魔法という非現実を落とし込む力。前者が後者の礎としてあるというのならば、その答えは──
神が目を離した瞬間。今だからこそたどり着ける答えがある。ルーファスだからこそ見つけられた本質がある。ともすれば、この状況までがマリアルののぞむ幸運だったのやもしれない。
これが実を結ぶのは、まだ少し先のこと。
◇
「なんなのよ、キミはぁ!!」
効かないとわかった上で、なおもミラはミツキに向け、認識干渉を行使し続ける。
「ぐおっ……効かない……けど……」
しかし、彼女の力が全く意味がなくなったかと言えばそうではない。ミツキが干渉を跳ね除けるメカニズムは、無効化とは異なるからだ。
彼は因果集積によって既存の認識を完全に記憶している。対して、彼女に押し付けられた、与えられた認識はその効果の対象外。つまり、消すことができる認識。
干渉を受けたとしても確固たる記憶を基準に上書きし、デフォルトの状態に回復させる。改変・再生をほとんど同時に繰り返すことで神威を跳ね除けている。再生されるまでの時間はコンマ数秒にも満たないほど迅速。だが。
「ふざけないでよ!!」
「うっお!?」
その一瞬が、神と戦うにあたっては著しい隙へと変貌する。
ほんの少しのめまい。そのうちにミツキへと放たれた魔法の数は数十にも及ぶ。認識を回復した途端に視界を覆い尽くすほどの魔法を確認。回避までに時間を使えない彼は、残った魔力球を使いどうにか風穴を開け突破する。
影響はそれだけではない。
「『神域の』……っ!?」
「なんで!! どうして!! どうしてあなたは拒むの!!」
魔法の発動タイミングと合わせて神威が襲い掛かる。すると想像が途切れ魔法は不発に終わる。これが何よりも致命的。万が一迎撃の際に不発させられたなら、避けようのない魔法を一身で受け止めなくてはならなくなる。現状はカウンター時にしか食らっていないが、それもいつまで続くか。
加えて、基礎スペックの差がここにきて露呈する。錯乱したようなミラは、魔法の制限を一つ取り払った。魔法は雨を超え嵐となり、ミツキの反撃を飲み込む勢いで攻勢に出ている。もはや死んでもお構いなし。恐ろしいほどの暴が、たった一人の人間に向けられていた。
「完全な世界!! みんなが幸せになる世界!!」
ミラは憤る。彼女の神威を乗り越えたこととも、魔法を受けて今も健在であることとも別の話。
「受け入れなさい。それ以外に、あなたにできる償いはありません」
「っ……怖ぇな、ミラさん」
それほどの力を持つ彼が、人を慮ることのできる優しい彼が、自分を否定し続けることに全霊で怒りをぶつける。
「第八の罪禍、拒絶。受け入れよ。最後の慈悲を受け入れよ」
無感情に見える彼女の仮面の裏には、理解者となり得たはずの彼に向ける失望が渦巻いている。
「拒む者は地に還れ。絶やす者は塵と消えよ」
英雄になりたいとそう宣ったのは誰か。「みんな」を救いたいなどと吐いたのは虚言だったのか。
「──だから。あなたももう、諦めなさい」
「……ことわり、ます」
「……どうして? キミはだって」
雰囲気に綻びが生まれる。魔法の渦は一度凪いだ。純粋に疑問なのだ。彼女にとって、この答えは一千年かけてたどり着いたもの。根絶やしにしたいほど失望した人間にすら手を差し伸べる苦渋の決断。否定されるなど、考えてもいなかった。
それがまさか、この少年に。
「──幸せになんて、なれなかったじゃない」
ことごとく運命に裏切られ、幸福の全てから見放されたミツキに拒まれるなど、想像だにしない話だった。彼の目の前に吊り下げられた幸福が、どれほど甘美か。その人生で味わっている彼に。
「キミはできることを一生懸命にやってた。あの世界で、これ以上ないほど頑張って頑張って、それでも何一つ報われなかったじゃない。そんなキミがなんで、幸せを拒もうとするの。キミが一番わかってるはずでしょう」
応報は不完全だ。それがこの世界でも変わらないことは、ミツキもリベラとの問答で痛いほど自覚した。もしくはそれすら、彼女の叫びが込められていたのかもしれない。彼女の創り上げる世界には、そんな不完全はあり得ない。万人が必ず幸福を享受できる。確かに今の幸福はなくなるが、そんなこと覚えてもいないだろう。惜しいとも思わないだろう。
「何がそこまで不満なの。この国の人間を皆殺しにするって話? わかったよ、そこまで言うならやめる。ゲルダにもカイにも、仕方ないって私が言っておく。そもそも、私がもっと早くに根絶やしにすればよかった話だもんね。私の責任ってことで、諦めてあげるよ」
ミラも薄々わかっていた。家族を殺した責任を、極限まで薄まった血縁に求めるなど八つ当たりもいいところだと、自覚していた。だから手放すことはできる。ミツキもそれで納得すると思っていた。
「どう? それなら」
「いえ、俺はそれでも、あなたを止めます」
「……そう。じゃあ、キミも一緒に暮らそうよ。どうせ操作できないし、キミには改変の影響はないからさ」
ミラは内心彼に失望していた。多くの人間と同じように、自分だけの幸福に固執しているのだと。他人は犠牲になってもいいから、自分は幸せになりたいと。そう願う輩と変わりないのだと。
だが生憎と彼の認識は壊せない。それなら取り込んでしまおうと考えた。甘い汁を求めて人がすり寄ってくる様を、彼女はよく知っている。神官という組織を通じてありありと見せつけられてきた。
「……」
「はぁ、頑固だね。わかった、私の負け。世界に掛けたキミに関する認識阻害も解きましょう。キミは改変後の世界でも好きに生きていいよ。それでいいんでしょ?」
ミラは交渉などせずとも、ミツキを屍に変えて理想を実現できる。それをしないのは、やはり彼女を蝕んだ悪意と同じになりたくないからだろう。だからできるだけ、対話を通じて決着をつけることを願う。
「それならキミは今まで通り生きられる。変わるのが嫌なら、それで」
「ダメですよ、ミラさん。それじゃダメなんだ」
しかし、彼女は本質が見えていない。なぜミツキがそれほど頑なに拒むのか。彼女の描く世界に、どんな不都合があるというのか。
「俺だけ元のままじゃだめだ。みんなが変わってしまったら、意味がないんです」
「なんで……私の何が不満なの!? キミがそれほど守らなきゃいけないもの、今の世界のどこにあるのよ!?」
彼は、欲しいもののために戦っているのではない。
「今の平和は私が創った偽物!! それが惜しいって言うなら、それこそ改変を受け入れた方がいい!!」
彼は何も、他人や世界のために戦っているのでもない。
「教えてよ!! どうしてキミは、勝ち目のない戦いに挑めるの!? 何がそこまで、キミを動かして」
「今」
ミツキは今、自分のために戦っている。
「俺は──今を失いたくない。失わせるわけには、いかない」
「今……? 何よ、それ……どういう、こと……」
ミツキは、努力に裏切られ続けた。「今できることを一生懸命にこなし続ける。そうしていればきっと、どれだけ今報われなかろうと最期にはいい人生だったと笑えるはず」、この言葉も最後には自ら吐き捨てて、全ての「今」からそっぽを向かれた。
──それでも彼は、「今」を希う。「今」を生きることを願う。
「あなたが幸福を与えてくれる。確かに、幸せだと思います。でも、そこには自分で選ぶ『今』がない。人が当たり前に積み重ねる『今』が、消えてなくなってしまうんだ」
ミラの力に満たされれば、得られる認識も彼女によって選別されたものとなる。彼ら彼女らが、本当は得るはずだった「今」も、どこか遠くに消えてしまう。それが彼には、どうしても認められなかった。
「……キミがそこまで、今に執着する理由は何? 奇跡をもらったから? 報われたから? それとも、前を向けたから?」
「今」でこそ彼は救われている。ミラは、それが理由だと思った。
「違います。違うんですよ、ミラさん」
ミツキが抗う理由は別だ。むしろ、前世にこそその理由がある。
「報われなかったし、苦しかった。努力なんてしたくなかったし、さっさと死んで終わりにしたかった。過去には後悔ばっかり残して、俺の未来には暗闇しかなかった」
ミツキは、努力に裏切られ続けた人生だった。勉強には人一倍の時間がいるし、スポーツだってそう。そうして続けた努力のせいで、命を落とす結末になった。何一つ、成し遂げたことはなかった。
そんな人生を、彼は認めることができた。認められて、ようやく気がついた。
「──でも、積み重ねてきた『今』には、何一つ後悔はない。一生懸命生きて、それが間違ってなかったって認めてもらえた」
彼の歩んできた道のりは、間違いなんかではなかった。その全てが積み重なって、今の彼を形作る。
「あなたを認めたら、それが否定されちゃうんです。『今』を否定する世界を認めたら、それこそ俺の人生には何一つ意味がなかったことになる。ようやく見つかった自分の価値を、また手放すことになる」
ミラの作る世界に、正しい「今」は存在しない。人は制限された認識の中で、与えられた偽りの今だけ積み重ねることになる。
救われる人間も多いだろう。今よりよほど多くの人間が幸福を享受できるだろう。
その多数すら踏み躙って、彼は世界を取り戻そうとしている。
「だから、俺はあなたを認められない。他でもない、自分のために」
──自分のため。ただひたすらにそれだけが、今彼を突き動かす。
自分勝手で自己満足。彼のなりたいと願った、英雄からはかけ離れた動機。
「……わかってるの、キミ。そんなことして、どれだけの人に恨まれるか」
「わかってます……とは、言い切れないかな。覚悟はしてるけど、どれほどかは正直わかんないっす。でも、みんなに認識されないのは経験できたんで、それよりはマシかな、って」
彼の行いは多数に石を投げられる。人を救うこととは比べ物にならない愚行かもしれない。
「ごめんなさい、ミラさん。あなたがどんな思いでここまできたか、ちょっとはわかるつもりです。でも、俺はもう二度と、自分を諦めることはできないから」
英雄を志した彼は、世界の幸福に牙を剥く。自分という全ての土台を守るために。「今」という、彼にとっての輝きを消させないために。
彼が神に抗う理由は、そんな、ちっぽけなものだった。それが何よりも大切だと、胸を張って戦っていた。
「それに、ミラさんだって本当はわかってるんでしょ?」
「──やめて」
「だってあなたはゲルダたちを」
「やめなさい」
そんな彼を通して、彼女もまた自分を省みる。
自分の一番大事なもの。決して譲れない屋台骨。ミツキがそのために戦うように、ミラもまた同じ。
「わかりました。あなたが私と相容れないように、私もあなたを認めることはできません」
二人の幸福は相容れない。
「私は、くだらない『今』よりもっと、ずっと綺麗な『未来』が欲しい」
ミラは今を犠牲にしても、幸福な未来を求め続ける。彼女もまた「今」に裏切られてきた存在。たどり着いた結論は異なるが、この二人は互いを理解できる。
ゆえに、相容れないということも理解できる。
「あなたと私は、どっちにしろこうなる運命だったんでしょう。もう、手加減はしません。あなたの全てを消し去って、私は私の願いを叶える」
そう言うと徐に立ち上がるミラ。彼女は覚悟を決めた。ミツキを、全身全霊で叩き潰す覚悟を。
「──認識限界観測。想像補強完遂」
神威。その力は魔法と似ている。認識をどのように変えるのか想像することで、彼女の力は現実となる。
「全能の鍵は幸福を紡ぐ。世界を変えるは我が神威」
彼女がこの力を開花させた時、不完全なそれを十全とするために詠唱を行なっていた。しかしそれも、神としての認識が盤石となってからは使うことがなくなった。
遠く過去に捨て去った、もはや不要となったはずの詠唱。それを今、再び告げる。
「──人の認識、世界の果て」
「──そう、なんだ。ゲルダ、キミは……」
認識という、人間の世界。その限界を取り払う力。彼女が得た、世界を変える神の全能。この世界で三番目に生まれた、神たる資格の具現。紡ぐ言の葉に込められた思いの丈は今ここに。
「人が有する無限をもって、不可能はここに完成した。万人に等しく幸福を。ありえざる世界を結ぶべく、この身の全てを捧げ願った」
不要なはずの詠唱。それを束ねる意味。ミツキは雰囲気で感じ取る。
「──やがてたどり着く未来のために。我が身は今、神座に至る」
──必ず、倒す。
彼女はミツキを、今生最大の敵と見定めた。
故に告げる。彼女の神威、その真名を。誰にも告げず胸に秘めた、己の野望を示す名を。
「──『完全無欠の幸福論』」
それこそが彼女の神威。不可能な虚構と見定めながら、強欲にも追い求め続けた理想の形。彼女の描く、未来を彩る幸福論。
意味のないはずの詠唱を終え、彼女はついに、想像という刃を鞘から解き放つ。
「消えなさい」
ミツキを光が包む。最初の邂逅で感じた、転移の予感。
「っ!? させるかっ!!」
放たれたのは空間魔法。隔たれた場所と場所をつなげて、移動させる秘術。「天道」にも注ぎ込まれた、現在神にしか行使できない魔法が開幕を告げる。
彼女はその力で、ミツキを遥か上空に飛ばそうと試みた。面と向かって戦う必要はない。神の掌は、この程度で無為と化す愚者に向けるほど安くはない。
だが、今彼女の目の前にいるのは紛れもない英雄の卵。今なお意識を保ち、彼女へと眼差しを向けることこそ何よりの証左。開戦の狼煙程度で息の根が止まるなど、それこそ愚かしい想像である。
ミツキはその魔法が形になる前に「万色融合」で処理。反対に利用し、
「『神槍』!」
ミラの後ろへと転移。「跳躍」で培った経験を活かし、流れるように攻撃をつなげる。
「灼焔魔法」
「!!」
「炎獄」
「神槍」は、彼女の放った炎に焼かれて消えた。これもまた、ただの炎魔法にあらず。赤すら焼き尽くすような真紅のその色が、レベルの違いを物語る。
その名も「灼焔魔法」。炎魔法よりもさらに強固な火力を有する魔法。その威力は、魔法という無形の存在すらたちまち焼き尽くしてしまうほど。しかし、それほどの力は人が持つには巨大すぎた。
灼焔の魔力は、魔法にならずとも熱を帯び続ける。その熱は体内にあっても常に所有者の体を蝕み続けた。リベラが患っていた症状を、この魔力を有する人間は、出力機能の如何に関わらず背負うこととなる。結果歴代の所有者は幼くして例外なく命を落とした。
その所有者すら焼き焦がす魔力のため、過去幾千もの使い手が若くして命を散らしていった失われた秘術こそがこの魔法。彼女はそれすら、ノーリスクで放ってみせる。人間の限界など、当然とばかりに踏み躙る。
光を焼いた炎はそのままミツキへと、光と見紛うほどの速さで辿り着き、
「『黎明の火』!!」
彼の放った炎と衝突、一瞬の鍔迫り合いを引き起こしたのち、食い破って進む。だがすでにそこにはミツキはいない。拮抗した一瞬で回避した。再度二人の間に距離が空く。
「星魔法」
魔法の嵐は止まない。否、もはや嵐すら生ぬるい。彼女が放つ魔法は全て、規格外の代物。現代にカケラも残らない秘術を始めとした権能の数々。太古の恐竜すら滅ぼし尽くした流星群と等しき力は、ただの人間には受けきれない。
続いて見えるは十つの星々。それが一点へと収束する。当然、形のある星は重なることなくぶつかり合いすり減るが、それを代価に新たな世界が生まれる。
「天生」
突如、ミツキの胸が震える。全てが終わりへと向かうような、漠然とした予感に体が包まれる。
すると、世界が弾けた。星の重なった一点から、神殿の全てを焼き尽くすような爆発が生じる。だが壁は壊れず溶けない。爆発は壁で反響し、部屋中を暴れ回る。その空間にある生命を全て殺し尽くし、世界をリセットするかの如く。死と生を同時に司るような、矛盾がここに顕現する。
「づぁっ!!」
死の具現が通り過ぎた後でも、命を繋ぐ存在は二つ。一つはやはりミラ。神にはその爆発すらも水面が揺らいだのと変わりなく。
もう一人は、驚くことにミツキ。彼は手持ちの魔力球を矢継ぎ早に消費し、爆発をかろうじてやり過ごした。それでもダメージは残っており、顔には痛々しい火傷の跡が。しばらく残ったあと、ゆっくりと消えていった。
「体に火傷が回るのを避けましたね。懸命」
全身に火傷が回れば、回復も間に合わず死に絶える。それを防ぐために彼は体へ向かう爆発を重点的に処理した。顔へのダメージは、脳が溶けない程度まで軽減できればいい。苦痛や痛みだけで彼が止まることはない。そんなものは周知の話だ。
全て砕けたはずの星は、再び十揃って回り始める。もう一度あの爆発を受ければただでは済まない。ミツキは出鼻を挫くために魔法を放つ。
「『神域の雷』!!」
「それ、いつまで続きます?」
魔力球を二つ使い放たれた雷の爪は、星を三つ砕いて消えた。
「あなたに、勝つまで!!」
「愚鈍。そういう話ではない」
星は一つずつ彼に向かって放たれる。爆発は全て揃わなければ成り立たず、星の追加は全て消えるまで不可能。純粋な暴力だけ襲い掛かる状況に、ミツキはほっと胸を撫で下ろす。
「残りは、いくつかしら?」
空に向け手をかざしたミラ。同時に、全身に鳥肌が立つのをミツキは感じる。とっさに神の力が注がれた先、上空を見るが何もない。
あり得ない。確かに存在しているはずだ。何もないという事実こそが、何よりも恐ろしい。
「降天」
「マジか……!」
そこにあったのは、ただの空。室内であるのに、圧縮された空が生まれていた。
「空」について、ミツキは魔力しか体験していない。リベラも自分も、それを魔法へと変化させていなかった。
理由は簡単。想像ができないのだ。不可視の魔力。空という漠然巨大とした存在。それを己の想像の範囲で操るなど、まさに想像すらできない。
神はそれすら容易と示す。今上空には圧縮された空が。ゆっくりとミツキ目掛けて落ちてきている。不可視ながら膨大な質量。気圧の塊であるそれに触れて無事で済むべくもない。
魔法になった以上、「万色融合」で防ぐことも不可能。万事休すか。
「なら!!」
神の技術に対抗できる手段はない。ならばその力は神すら脅かすはず。そう考えた彼は、彼女のいる玉座へと一目散に走り出す。
「面白い。たどり着けると思って?」
星が炎を、灼熱を纏う。近づくだけで焼け付くしそうな炎を浴びながら、襲い掛かる星を捌くことを強いられる。
「っ!! 『神槍』!! 『神域の雷』!!」
自分でもいくつ放ったかわからないほど。魔力球を湯水の如く散財する。限りがあることなど頭から外し、躊躇なく強大な魔法を連射していく。そうしなければ、次の瞬きは訪れない。先のことではなく、「今」生き残ることを重視する。
「遅い。あくびが出そう」
「ぐおぉっ!?」
そこへドンピシャのタイミングで放たれる神威。めまいのような暗闇が一秒未満で現れ去った。
「しまっ──」
「万事休す、かしら?」
開けた視界には、眼前に迫った三つ星。上からは肌で感じられるほど迫った空が。上下左右どこを向いても、彼の生存を保証する場所はない。
「ぬあああああああ!!」
進まなければ押しつぶされる。そのはずの状況で、彼は一度後ろに下がる。それによって、三つ星は彼のいた場所でかち合い崩壊。濃い熱が残るそこ目掛けて、無理やりスライディングで潜り抜ける。
「はぁ……はぁ……」
ミツキの予想通り、ミラの玉座までは空の魔法も落ちてこない。全身に負荷を受けたが、今も息ができることを確認する。
紙一重で命を繋いだ彼は、忘れてしまう。自分が今、どこに座しているのかを。
「不敬。そこは神の座でしょう?」
「がっ!?」
肩で息をしていた彼を、不可視の力が弾き飛ばす。まるで玉座が、神以外の到来を拒んだかの如く。ピンポン玉のように軽く吹き飛ばされ、再び彼は入口近くまで戻された。必死に走った距離も、これで全て無意味に変わる。
「なん、つう、魔法だよ……」
「征力魔法。力そのものを操る魔法」
「なんでもありか……!! くっそ……っ!!」
話の最中でも、容赦なく襲い掛かる魔法の数々。
地面にクレーターが生じた。濁流が現れた。飲み込まれると、その中には鋭いガラスのかけらがいくつも。体は裂かれ、呼吸は僅かに。それでも必死に炎を放って身を守る。
濁流が収まると、ミラが三人に増えている。二人がミツキに向け肉弾戦を仕掛けてきた。だが一体一体が本気のルナリアと同等の力。捌くことなど論外だろう。ボロ雑巾のように殴られ蹴られる。
「ごふっ……吼靂……!!」
しかし所詮は分身。全身から雷を放つと、それに飲まれて消えた。
魔法が今一度止まる。魔力の粒子が舞うその先から、慈悲のこもった声が聞こえてきた。
「第九の罪禍、愚鈍。ここまで来て立ち向かおうとするその姿。現実を見ないその愚かさ。償うことを許しましょう。贖うことも認めましょう。ここで諦めれば、あなたが未来に生きることを許可します。選ぶといい。未来に生きるか。今、ここで死ぬか」
わかりきったことだとしても、彼女は問う。生かすことを諦めたくはない。人間の悪性を否定し続ける限り、彼女は問うことをやめられない。
「くそ……まだまだぁ……」
返ってきたのはやはり、想定したのと寸分違わぬ答え。残念でならないのに、微笑んでしまうほど愚直。ミラは、その姿を認めることにした。殺すことこそが最大の譲歩だと、ようやく気づく。
「でしょうね。あなたなら、死ぬまでは止まらない。だから徹底的に」
ミツキが目を離した隙に、十つ星は一点へ収束する。予感。再び命が危ぶまれる、魂より発せられるアラート。
「もう、魔力球もないんでしょう? おしまいです。キミの勇姿、私は決して忘れないと誓いましょう」
魔力球がなければ星を一つ砕くことさえできない。防ぐ術は残っていない。この瞬間、ミツキの敗北は決定事項となった。
「キミを失うことを残念に思います。運が良ければ、次の世界で会いましょう」
星は重なった。空間は、世界は、これをもって変革される。それを象徴するような、宇宙を生み出す爆発が迫る。
魔力球はもう無い。ミツキには、この滅びを凌ぐ手段は残されていない。
希望は、奇跡は、ここには無い。
「天生」
ここには、無い。
「『神域の雷』」
重なった星は、一息で消失する。それらを砕いた正体は、消えることなくミラへとその爪を伸ばす。
が、彼女の眼前で消失。ミラは瞬き一つしない。起きた現実を、相対する少年を、直視し続ける。
「──どうして、キミは」
ミラはわからない。ミツキがどうして、ここまでの出力を放てるのか。
ミラは知らない。この外で何が起きているのか。
ミラは気づかない。彼が、彼らが。
「──そうか、それでここまで……!」
「やっと……来た……!!」
彼女の力、その本質を看破し利用していたことに。
世界の認識は、この二人へと注がれる。願い、希望、思いのかけら。全てが束なって、ついに彼は世界を変えた。
ミツキは今、神に比肩する。
世界中の人間が、名も知らぬ彼をそう認識した。