三章 六十話 『ワールドエンド・ダンスフロア』
「氷牙」
「う、お、お!!」
ゲルダが神殿の壁に手を触れると、そこから山のような氷の棘が吹き出す。棘からはさらに棘が生まれ、入口にいたミツキへと瞬く間に到達する。
それを彼はまっすぐ走り抜けることで回避。ゲルダに向かって直進する。
「氷壁」
「っぶねえ!!」
全速力で走る最中に、突如氷の壁が現れた。迫り上がるというのも生ぬるい、出現としか言いようのない現象。慌ててブレーキをかけるも、優しく衝突しその壁の冷たさを肌で感じる。
ゲルダはベルと異なり「古式」しか修めていない。それでもなお「新式」と変わらぬほどの規模で氷を生成できる。それこそが強さの証明であった。彼女はその力によって、今も部屋の中を極寒の空気で満たしている。ミツキが「古式」の炎魔法で周辺環境を整えていなければ、とっくに意識を手放していただろう。反面、氷の生成となると既存の水分を利用する以上、総量において「新式」使いには一歩劣るのが彼女のはずであった。
しかし現在、彼女の行使する魔法の規模はこれまで見てきたそれと比べて遥かに大きい。空気中の水分には限りがあり、近くに水場もない。如何にしてこれほどの魔法を行使できているのか。その答えは、大神殿という場所に隠されていた。
「ここ……やっぱ氷か」
軽く床に触れるミツキ。前に来た際は暖かな環境だったため気づかなかったが、温度が冷たい。この神殿は全て氷で構築されているらしい。それも神が作った、日差しを浴びようと決して解けることのない氷。文字通りの永久凍土である。
それを「古式」で変化させ大規模な攻撃に転用しているというのが、違和感の正体だった。この環境はまさしくゲルダの独壇場。ミツキのいかなる魔法をもってしても、溶かすことのできない不壊の武器。彼女の憎悪を象徴しているようなそれらに、暖かな空気の中でも背筋が凍った。
「もう容赦はしないよ。キミでも、ここでなら絶対に負けない」
ミツキの目的はゲルダへとたどり着くこと。それさえできれば、攻撃を止めて話をすることができる。そのための手段がある。
だがそこに至るまでには断崖が立ち塞がる。氷の壁は砕けるか。氷の棘は防ぎ切れるか。彼女の怒りをことごとく、受け止めることができるのか。
「っこれは!!」
余計なことを考えてしまった。その隙に、天井から数えきれない氷柱が落ちてくる。重力に任せてランダムに落下するそれを、ミツキは爆破の衝撃で受け流す。
「あれ?」
凌ぎきったと思った直後、急な浮遊感に体がさらされる。下を見ると床の形が変化していた。ジャンプ台のように、変化の勢いで宙に放り出されたらしい。
「氷天・箒星」
「うおおおおおっ!!」
地面から生み出した氷の塊。それがミツキへと猛スピードで直進してくる。直撃すればひとたまりもない質量が、逃げようのないミツキを襲う。
「爆! 炎!!」
それを自分の体を吹き飛ばして回避。まるでいつものことと言わんばかりに躊躇いなし。肉体の損傷をただちに治癒し、次の攻撃に備える。
「……武器くらい構えたら?」
「ははっ、心配? 優しいな、ゲルダ」
「──氷花・散染」
「前言撤回!! 厳しいなぁ、おい!!」
ミツキの言葉に顔をしかめ、絶対零度の空気の塊を雨のように降らせるゲルダ。
「練火・弩ぃ!!」
ミツキは炎で応戦。白い冷気は適正温度に戻され、散っていった。
ここまで完全に防戦一方。リベラと戦った時でもこれほどではなかった。フィールドの不利は確かだが、それよりもミツキに攻め気がないのが問題だ。
武器は腰に提げたまま一度も手をかけない。魔法も身を守るために使用するばかりで、まだ一度もゲルダに狙いを定めていない。
「本当に死んじゃうよ? あたしだってキミを殺したくない。でも、どうしてもって言うなら覚悟を決める。だからここにいるの。キミは? 戦う覚悟もないのに、ここに来たんじゃないでしょ?」
「あったりまえ……! いろんな人に背中押してもらって、覚悟決めてここにいる……!」
「なら」
「でもその覚悟は」
ミツキがここに来たのは、ゲルダと向き合うのは、決して戦うためではない。
「キミと、話をするためのものだ。絶対に、武器は向けない」
「……あたし、ルナちゃんみたいに優しくないよ」
ゲルダの本心を聞くため。今ミツキの戦う理由はそれだけだ。ミラのことはその後。話を聞くために、死んでも死ねない。
「死んじゃっても、知らないんだから!!」
上下左右から氷の槍が伸びてくる。爆発で反らせないほど太い槍を、ミツキは身をかがめて逃げ切る。逃げた先には「氷花」の雨霰。雪のようなそれらを炎の刀で振り払う。
猛攻を凌ぐ中でも、ミツキは一つ突破口に気がつく。それは、攻撃の圧が弱いと言うこと。
全域が攻撃範囲であるならば、最初のように足場を崩すなり足元から包み込むなりして無力化すればおしまいのはずだ。それをしない理由は簡単だろう。神殿の形が変わるほどの大規模な操作は、神殿自体が耐えられないのだ。だから攻撃にはきっと隙が生まれる。
しかしそれがわかっても、見つからない攻撃の隙間。巧みに魔法を操って、彼女は反撃の芽を潰し回っている。ゲルダだってこの数ヶ月、修羅場を潜り続けてきた。生半可な能力で突ける隙など持ち合わせていない。
「迅雷!!」
「っ! ……やっと、攻撃したね」
武器は向けないと言ったが魔法を向けないとは言っていない。だが苦し紛れに放った雷は、ゲルダが生成した小さな壁に阻まれる。
「……え?」
壁で視界が遮られた一瞬のうちに、ミツキの姿が彼女の視界からいなくなる。玉座への道は彼女が封じている。この部屋にいないならば、進む道は彼の来た道しかない。
「逃げた……はず、ない。ミツキくんは逃げない」
彼の習性は痛いほど良く知っている。話をすると言ったら、必ずそれを成し遂げるまで止まらない。どれだけ傷つこうが、彼は逃げることだけは絶対にしない。必ず後悔が残る選択肢は、死んでも取らない。
「……光」
あるとすれば、光魔法による姿の隠蔽。カイの「漏尽通」を参考にした、光の屈折を利用する透明化の魔法。
「ミツキくんは『古式』も使える……可能性はある……なら」
どこにいるかわからない。だが彼は虎視眈々と隙を窺っている。少なくとも、この部屋の中で。
ならば簡単だ。全域を覆うほどの魔法で隠れる余裕をなくせばいい。氷では足りなくとも、彼女の最大魔法であれば十分可能だ。
魔力が部屋中に満ちる。それはおもむろに形を作り始め、想像を現実に映す準備を整える。
「──人の認識は凍り果てる」
しかして、空間は絶対零度の果てに届く。
彼女がたった一言放つうちに、ただでさえ凍てついていた部屋の中は、踏み入れただけで凍りつくほどの氷獄へと変化する。どこにいるかわからないとしても関係ない。全てが攻撃範囲であるならば姿が見えなくとも意味はない。ミツキの気温操作程度では、この魔法を凌ぐことはできない。
「──なん、で」
できないはずだ。だから姿が見えないのは何かの間違い。間違いなく魔法を使った以上、彼の意識は保たれているわけがない。
「どこ!? どこに……」
彼女は見誤った。絶対的に有利な盤面。魔法の行使に不便はなく、この環境だけに限ればミツキとも比較にならない。魔法さえ、行使できれば。
魔法は行使できた。その先入感こそが間違い。彼女の魔法は、発動することなく不発に終わった。
「あり得ない!! だって魔力は無くなって……」
魔力は消費された。だが、想像は現実に現れない。
ゲルダは知らないが、ルーファスは似たような魔法を使ってみせた。だがそれも、発動そのものは許している。今回ミツキが使ったのはそれとは全く別個の技術。異次元と言い換えても良いほどの、誰も予想だにしない業。
ミツキはどうやって、ゲルダの魔法を防いだのか。答えにたどり着ける者は少ないだろう。なぜならそれは──
「──そうか、キミは」
──ミツキにだけ許された特権なのだから。
「『万色融合』!!」
魔法の発動を誘発。全域に魔力を行き届かせる必要のある状況を作り出し、遠くからでも干渉できる形に。彼女の呼名と同時に、ミツキはその奇跡を行使した。
湖で使ったように、二人の力を束ねる能力。袂を分かった二人を、繋ぎ止めるような。
同時に姿を現したミツキ。魔法を使った直後のゲルダ。その隙を見逃さずに駆け抜ける。片腕に、束ねた力を押しとどめて。
「っっ!! 来ないでぇっ!!」
氷が細かい棘になって、ミツキの行手を遮っていく。しかし今更その程度では止まらない。無数の切り傷もそのままに、ミツキはゲルダへと近づいていく。
「来るな……来るなよぉっ!!」
壁が生まれる。でも大丈夫。高さの限界はわかってる。生まれた直後にてっぺんを踏んで、乗り越えてまた彼女に近づく。
「ぐぅっ!?」
地面から斜めに伸びた氷の棒。それがミツキを弾き飛ばした。また距離ができる。
ゲルダは拒む。ミツキが近づいてくることを、これ以上傷ついてしまうことを。
ミツキは望む。ゲルダに近づくことを。今よりも深く、彼女のことを知りたいと。
「はぁ……はぁ……もう、終わりにしようよ……これで、もう……」
「っ!?」
ミツキの立っていた周辺の氷。それが一度にとけて小さな池のように変化する。ミツキはその中心に落ち、身体中が水に塗れる。
「もう……いいから……」
「まだ、ま、だ……」
再度、逆再生したみたいに水が氷へと戻っていく。中心にいたミツキは巻き込まれ、抵抗する術もなく氷に囚われる。
「ふぅ……ふー……もう、いいんだよ、ミツキくん。キミももう、幸せになっていいんだから……」
ゲルダはミツキのほとんど全てを見てきた。全て持っていた頃も、全てなくなった瞬間も。
どちらも、彼は恵まれているなんて言えないほど苦しんでいた。霊廟で助けてくれた瞬間だって、命からがらで勝利をもぎ取っている。その報酬だってもらえないで、持っていた才能を根こそぎ奪われた。前世で苦しんで苦しんで、やっと手にした応報だったのに、自分のせいで失った。そのことが彼女の心にはずっと刺さったまま抜けないでいる。
──だから彼にこそ次の世界はふさわしいんだ。
どんなに苦しい思いを抱えていても、絶対に幸せになれる世界。もう頑張らなくても、ミラが平和を与えてくれる世界。改変後の世界は、ミツキ以上に必要な人間がいないように思っていた。
「お願い……もう、忘れてよ……あたしたちのことなんか、忘れて幸せになってよ……」
そこに自分達はいない。彼の認識に残れば、思い出してしまうから。せっかくの幸せが、なくなってしまうから。
それが彼女の思い。だけど彼女は知らない。
「なんで……なんでなの……」
「決まってんだろ、そんなの」
彼が立ち続ける理由。どうして彼が、傷ついても誰かを助けようとするのか。その本当の理由を、彼の心の中を、彼女はまだ知らない。
「……どう、して」
それは、いかなる意味を込めた問いか。なぜ今立ち上がれるのか、だろうか。それとも、なぜ自分を諦めないでいるのかという意味か。もしくはそのいずれもか。
「ゲルダが、助けてくれた」
右手をかざし、ミツキは立ち上がる。そこに光はもう無い。「万色融合」で保持していた魔力を使って、体を凍り付かせる冷気を押しとどめていたからだ。
「助けてくれた」。それはいずれの問いに答えたものか。彼は伝えるべき思いを抱えて、再び彼女と目を合わせる。
「そっか。そういえば、ゲルダは水も使えたんだったな。こんなこともできるなんて、俺は知らなかった」
ゲルダの目から滝のように涙が流れている。立ち上がる彼を憂い、助けてくれたと言う彼に震える。
「あははっ! 泣き虫泣き虫って人に言うけど、ゲルダの方が俺よりよく泣いてんじゃん」
「──! うる、さい……!」
気づかなかったそれを雑に拭って、強い眼差しを作る。魔法は控える。無限の魔力相手に調子に乗りすぎたこれまでを反省。先ほどの攻防で一気に消費してしまった。最小限にとどめるように意識する。
「悪い夢を見るんだ」
手を止めたのを理解し、ミツキはゲルダに語りかける。
「泣いちゃうくらい恐い夢。恥ずかしいけど、ゲルダも知ってたんだろ?」
ぴくりとゲルダの手が反応する。少なくない朝のこと、目を腫らして起きてくる彼を見ていた。懐かしい日々は寸分違わず、録画みたく思い浮かべることができる。思い起こされたそれについ浸ってしまった。動揺を誘う言葉に抗えない。
「それを助けてくれたのもキミだ。俺はいつも、キミに助けられて生きてる」
助けてくれたはずの人が、助けてくれたと礼を言う。奇天烈な状況に、ゲルダはついぞ声をあげてしまう。
「違う……違う!! 助けてくれたのはミツキくん!! あたしは、助けてくれた命に何も報いれてない!! だからぁっ!!」
昂る感情に乗せられるように、またひとつギアが上がる。減ってしまった魔力のことはお構いなしに、ゲルダは室内全ての氷を操るように魔力を流す。
氷の棘はミツキの頬を切った。槍は彼の肩を貫いて、弾丸は腹を強く殴りつける。鏡のような氷は、まばらな赤のせいでもう何も映らない。
冷気の塊は彼の指を凍えさせ、小さな星のような氷塊は左肩を砕いて消えた。
頭を掠める生きた触手のような氷も、波打つような地面もお構いなし。ミツキは震える体を精一杯に進めて近づく。
「はぁー……はぁー……」
「止まって……死んじゃう……死んじゃうからぁ……」
床に生えた氷のいばらが、ぼろぼろの靴を貫いて足裏を傷つける。血の色で赤くなった氷は、彼の腹を抉ってさらに真っ赤になっていく。
壁は無い。作ればあっという間に歩みが止まるのに、彼女はもう作ることができない。想像ができない。彼との間に、壁なんて。
「やっぱり……ゲルダはそうなんだ……あの日、何も知らなかったあの日から……何も、変わんない……」
開かれた道。小細工はなし。生身ひとつでゆっくりゆっくり進んでいく。ゲルダの攻撃がゆっくりゆっくり和らいでいく。
棘は足で砕けるくらい弱く小さくなった。槍は刺さることもないほどか細く、弾丸はまるで雪玉みたいに柔らかい。
冷気の塊は彼を避けていく。降っていた氷塊もとっくに止んでしまった。
触手のような氷も波打つような地面も、彼女の足下で力なくのたうつだけ。彼女の心と同じように、揺らいでしまって形にならない。
ミツキはゲルダに近づくことだけ考えていた。近づいてしまえば、「万色融合」で魔法の発動を阻害できるからだ。
だけどどうやって近づくかなど、全く、これっぽっちも考えていなかった。彼はただゲルダを、諦めずに進むことしかできなかった。
拒絶されても構わない。策がなくとも知ったことではない。一人泣き喚く彼女を探し求めて、今、彼はここにいる。
「もう……少し……」
痛みは感じない。冷たい空気も無視できる。震え出した体は気合いでどうにか押さえつける。
「いや……いやだよ、もう……」
流れる血は地面に。その様はまるでレッドカーペット。おぞましい光景のはずなのに、輝かしい未来へ誘うような美しさが見える。
「俺……の……」
手を伸ばせば触れそうな場所に、とうとう彼はたどり着く。
「俺……たちの……」
長い時間、探し求めていた。その到達点。
「かち……だ……」
ぼろぼろの体は、そこまで辿り着かずに倒れてしまう。そんな彼が最後に感じたのは。
掠めた指が触れた、細い指の温かさだけだった。
「ん……うあっ!?」
「あ、起きた。生きてたんだね、よかった」
失った意識を取り戻し、ミツキは全力で体を起こす。頭痛が止まないけれど、そんなこと言っている場合ではない。
「い……いま……」
「大丈夫。十分くらいしか寝てないよ。もう少し休んでたほうがいいから、ほら」
ふらふらと力なく立ち上がった体を、ゲルダの細い腕が寝かしつける。再び彼女の腿の上に頭が置かれた。氷の上なのに温かく柔らかくて、気を抜いたら眠ってしまいそうになる。
「ぅ……ゲル、ダ……?」
「……あたしの負け。これ以上何をしても、キミは止まらないみたいだから。そもそも意地の張り合いで、キミに勝てるわけなかったよね。ばかだなぁ、あたしも」
彼女の眼差しは諦めた人間のものとは思えないほど優しい。ミツキのことを、じっと慈しんでいる。
「……体が休めれたら行って。かあさん、もうすぐ終わらせるよ」
世界の改変まであと幾許もない。たくさんの人間から託されたミツキは、休んでる暇もない。
それなのに。
「なあ、ゲルダ」
彼が望んでいたのは。
「──話を、しよう」
大切な彼女との、話だけだった。
「──この……ばか……もう、敵だっていうのに……なんで……」
「は、は……俺が、きたのは……そのため……だから……」
息も絶え絶えに、彼は望む。ゲルダとの対話を。ぎこちなく体を起こして座る。彼は彼女と、ようやく向き合えた。
「なあ、ゲルダ──」
ミツキが聞きたかったことはただひとつ。嘘だろうと真実だろうと、彼女の口から聞きたかった。
「──キミがしたいことを、教えてほしい」
ミツキは勝った。ぼろぼろでゲルダに支えられないといけない状況だけど、確かに勝った。その報酬として、彼は言葉を望む。そこには嘘があるかもしれないけれど、彼は確かめたいと願った。
「……前も、言ったよ。キミなら覚えてるでしょ。とうさんたちを殺した奴らが憎い。その血を引いてるこの国の人が憎い。かあさんとカイ、残った三人だけで幸せになりたい。これが、あたしの本心だよ。キミとは絶対に分かり合えない、あたしの夢」
彼女の答えは変わらない。幸せになりたい。人が当たり前に思う感情を、彼女は夢として抱えている。そのためには世界が変わらないといけない。気に入らない人間を消し去らないといけない。彼女の知るミツキとは、どうしたって相容れない。
「そっか。わかった」
「確かにキミはあたしに勝ったけど、まだかあさんがいる。キミでも勝てない。だからあたしの夢は叶う。キミは──」
「いいよ」
「え……?」
彼の知るゲルダとは相容れない。だから、一度崩して受け入れる。彼女の願いを真実だとして、再びその形を心の中に構成した。
すると見えてきた。ミツキがしたいこと。
「俺は、キミを手伝うよ。みんなには悪いけど、キミの夢を叶えたい」
「なに……言って……だって、それは……」
そのゲルダを手伝うということはすなわち、殺戮に手を貸すということと同じ。彼の関わってきた人も、例外なく殺し尽くすことを意味する。
「うん、わかってる。その手伝いをさせてほしい。俺は、キミの夢を」
「っっふざけないで!! キミは、ミツキくんはそんなことできない! そんなこと言わない!! バカみたいに優しいキミが! 誰かを殺してもいいなんて、絶対に!!」
その言葉に、ゲルダはたまらず激昂する。人を救えるような英雄になりたいと言う少年が、自分の願いをよしとするはずがない。
「気休めなんていらない!! あたしはそんな言葉に騙されない!! いくらキミでも、これ以上は許さないから!!」
騙すための甘言。引き止めるための芝居。そんなところだと彼女は思う。結局は彼もそんな人間か。その場凌ぎの口八丁で、人をたぶらかすような──
「違うよ。俺は本気で、キミの力になりたいんだ」
「うそ……うそだよ……だって、だってキミは……」
──そんな、器用なことができる人間だっただろうか。
嘘はつけるし策も練れる。でも自分の一番大切なところを偽って、おくびにも出さないでいられるような、そんな人間だっただろうか。
「なん、で……なんでそんなの……だめだよ……キミはそんなこと、しちゃだめなのに……」
──違う。そんな人間なら、こんなに苦しんで生きていない。あんなに辛い生き方を選んでない。
──全部、本気で言ってるんだ。
「あたし……キミにそんなこと言ってもらえるような人間じゃない……キミからもらってばっかりで、なにも返せてないのに……どうして……?」
命を救われた。救ってくれた彼の力になりたいと思った。心の底から、そう思っていた。
だけど思い出した過去は、彼への想いを覆い隠す。返さなければならない恩を放棄して、彼女は彼の下を去った。
裏切った。こともあろうか、一番裏切ってはいけない人を。
それなのに彼は、彼女を助けたいと言う。ここまで拒まれて否定されて、それでもまだ手を差し伸べる。ようやく見つかった自分の夢すら捨て置いて、彼は彼女に寄り添おうとする。その理由が、彼女にはわからない。
「あの時……救ってもらった命に釣り合うようなもの……なに一つ返せてないのに……」
「違うよ。俺はもう、返せないくらいのものをもらってる。あの日にもう、もらってるんだ」
わからない。彼の口から言われても、彼女にはなに一つ心当たりがない。
霊廟に逃げ込んだのも自分のせいだ。怪物を目覚めさせたのも自分のせい。助けにきた彼を拒んだことも、助けようとした彼が傷ついたことも。
奇跡を失ったのも自分を庇ったから。やっと少しずつ繋がりができたのに、一人ぼっちにさせたのも自分が何も言わずに逃げたせい。
奪ったばっかり。あげられた記憶なんてこれっぽっちもない──
「──助けて、くれたんだ」
──彼女の、心の中には。
見つからないのも仕方ないことだ。その輝きは、彼の心の中にしかないのだから。
「──あの日、全部無くして死のうとしてた俺のこと、キミは、命懸けで助けてくれた」
ミツキの心の中には、その輝きが消えずに残っている。奇跡なんてなかろうと、一生、もしかしたら来世までずっと、消えないと断言できる記憶。
「あんなの……あんなの何の意味もなかった!! あたしが何もしなくっても、あの人はキミのこと殺したりなんてしなかった!! あたしは、キミを助けてなんかない!!」
言葉にされても、ゲルダはまだわからない。黒衣の王が手を下そうとしたその時のこと。初めから黒衣の王はミツキを殺す気などなかった。ただ試していただけだ。ゲルダが庇おうと庇うまいと、ミツキの命に微細な揺らぎすらありえなかった。
そう思う彼女はまだ、救われた彼の心の内を知らないでいる。
「意味はあった、あったんだよ。キミがあの光を見せてくれなかったら、俺はきっと立ち上がれなかった。今もまだ、憎しみに囚われていたと思う。キミがいたから俺は、人を救おうと思ったんだ」
「わかんない……わかんないよ……だって、それは先生が教えたことで……ミツキくんが、元から持ってた夢で……」
彼女がわからないのは、彼の心の中を知らないから。彼がどのように感じ、どのように生きてきて、そしてあの日に、どう思ったのか知らないから。
彼女だけではない。彼の姿を見てきた者は皆、彼の本質をまだ知らない。
「じゃあ、聞いてくれないか? ゲルダのことばっかり覗いといて、自分のこと隠すのはちょっと罪悪感あったんだ」
彼は巧みに隠してきた。ミツキは決して、暗い感情を持たないような聖人ではない。そんなものには程遠い、ただのどこにでもいる少年だった。
「恥ずかしいところも、ダメなところも。カッコ悪いところも悪いところも。良いところばっかり見てくれたキミを、失望させるかもしれないけど」
ゲルダも、きっとこの世界の誰も、本当の彼を見つけていない。そんな彼がたどった人生。彼が、感じた人生。
「──キミには、俺のことを知ってほしい」
これは一人の少年が失い、手に入れ、そして再び失うまでの話。その果てに、彼の心が救われる話。
これより語るは、ある少年のものがたり。語られなかった、一人称。