一章 一話 『基礎、基盤、理由』
「っし!」
上段蹴り、当たれば卒倒を免れないそれを躊躇なく相手に打ち込む。乗せたのは信頼。敵意など微塵もない。
しかし打ち込まれた相手はものともせず、それを片手でいなし、接近。垣間見える余裕。ため息混じりに攻勢に出る。
「うおっ! や」
そして両腕で、宙を舞う足を固め、
「べっ!」
くるりと体ごと地面に叩きつけた。
「大振りの技に頼る癖。早く矯正しないと実践に出せませんよ、ミツキさん?」
地面に横たわる少年、ミツキを見下ろしながら語りかける。その言葉は刺々しさの中に心配をはらんでいる。
「先に型から教えてくれないと学習効率悪いんだよぉ。俺そんな器用な方じゃないし」
見下ろす少年、カイに手を貸されながら立ち上がる。土だらけの体を手で払いながら、これから始まる罵声に心を整える。
「はあ……」
「どんな言葉よりもそれが効くわ……」
二人が行っているのは組手。魔獣の跋扈する世界では機会の少ない対人戦。それを意図したものではあるが、ミツキにとっては基礎固めも兼ねている。
「とにかく大振りは気をつけること。さっきみたいに隙ができてやられるんですから。そんなことくらいはわかってるでしょ?」
「魔力使わずに体動かすの久しぶりでどうも感覚が……それに魔法とじゃ勝手が違くて」
「魔法なんて使えなかったでしょ?」
「そうです、見栄張りました、魔弾です」
ミツキがこれまで行ってきた戦闘にはいくつか問題点があった。
一つは魔術戦が主体であったこと。遠距離から無限の魔力を生かして一方的に屠る。そんな戦闘とも言えないような方式をとっていたせいで、戦いというもののノウハウがまるで培われていない。そんなこんなで、せっかくの因果集積も持て余していた。
「しっかり頭に入れて、ちょっと休憩したらすぐ次行きますよ。あなたは数がそのまま力になるんだから、とにかくこなし続けましょう」
二つ、体の動かし方にも問題がある。移動はもっぱら跳躍で補い、身体能力はこれもまた無限光で補う。奇跡を贅沢に使ったせいで、それがない状態では一から鍛え直す以外方法がなかった。
「疲れはするからね? 変な覚え方したらそのまま残るんだよぉ」
三つ、最後は本人の気質の問題。戦い、とりわけ対人を前提としたものへの忌避感。それがどうしても拭えない。
「殺してしまったら、って考えると硬くなって」
本人の言い分はこう。実際に外から見ていたゲルダでも、その違いは見てとれた。
「ミツキくん。霊廟のときとか、もうすこし、こう、ぐんぐんいってなかった? もうちょっと攻めよ?」
ミツキが他者の死に過敏になっているのは、ひとえに自分が死を経験しているということに尽きる。その恐ろしさを知っているから、できない。そんな恐ろしいものを、他人に与える真似などできない。
「今その限界を手探りで学んでるわけだけど……これもし因果集積なかったら果てしないことになってたな」
「今でももう果てしないですけどね……正直、やめた方が良いってのが僕の意見です」
それでもミツキは譲れない。それができることならば。多少の困難程度で今更止まることはできない。
「俺が、三倍四倍頑張ればいいだけだよ」
こともなげに笑うミツキに、二人は心配を向けずにはいられない。
ミツキは協力してもらう以上知ってもらった方がいいと、前世で自分が生きて、そして死ぬまでを二人にも共有してもらった。そこで聞いた最期が、二人の頭にちらつく。
「……やっぱりちょっと、休憩しましょうか」
「……やったぜ」
「!? あ! もしかしてミツキくん!」
しかし、ミツキはすでにその過去を乗り越えている。ほんの少しだけ、サボることを覚え始めた。
「言質とったからなカイ! あばよ!」
こうして、休む口実に使えるほど、彼の精神は穏やかになっている。
「まあ、前より健全かもね」
「でもたぶん……」
「うん、間違いなく」
「「自主練」」
「まったく、バレて無いと思ってるのが」
「ミツキくんの甘いところだねー」
◇
「目の前に、炎が現れる……」
ミツキは空き地にて一人。目を閉じ、右手を前に掲げ、ぶつぶつと呟きながら佇んでいた。日本であれば好奇に晒されただろう姿も、この世界では珍しくない。少し、内容が初歩的なくらいか。
肉体的に限界がある組手に関しては、休憩というものがどうしても必要になる。他方、体力を消費しない魔法の訓練は疲労が残ろうと、魔力がある限りは行える。ミツキは疲労が限界に達し脳が回らなくなる前に、肉体の休息と魔法の訓練とを並行して進めるつもりだった。
腐ってもミツキ。休むことは覚えても、手を抜くという器用なことはできないらしい。
「で、そのイメージを維持しながら、一緒に魔力も……あー! だめだ! 炎が逃げていった!」
魔法。「外套の魔道士」が終ぞ会得できなかった、この世界の根幹をなす技能。その訓練に一人明け暮れていた。
「同時ってなるとどっちかが疎かになる。魔力流すのは完全に体が覚えているのに、何が違うんだ?」
「それは魔力の使い方が違うからだよ、ミツキ君」
「先生! 散歩ですか?」
アダンがミツキにアドバイスをするために近くに寄る。この空き地はアダンの家から5キロは離れており、簡単な散歩コースというには距離がある。
当然アダンはミツキの指導のためにわざわざここへきたのだが、素直に受け取るのが気恥ずかしい。同時に、何を言われるかわからないという恐さから適当なことを言ってみた。だが、相手が悪い。
「そうそう、散歩だよ。キミの声が家まで響くから、わざわざ散歩しにきたところだ」
一を言えば十返ってくる。皮肉の言い合いでは勝てないとわかっていながらも、ミツキは時たまそれを忘れてしまうようだ。
「……それはどうも」
「せっかくキミには因果集積があるんだ。やり方を変えて見ればよかろう」
「やり方? 今やってるの基礎の基礎ですよね?」
「そう。しかし、キミにはまだイメージと魔力の操作、どちらの基盤もできていない。ならば、これらを分解して学ぶ方がかえって効率が良い」
まずは、確実かつ強固なイメージの形を脳に焼き付ける。どんな状態でも引き出せるほどに。その後、魔力でそれを再現する練習に移る。
「なるほど、因果集積なら、一回完璧にイメージできれば」
──忘れない。
「よし。しかしまあよくも非効率な訓練を続けていたものだ。私が来なかったらと思うとぞっとするね?」
「……先生」
アダンは、数々の皮肉がミツキの堪忍袋にでも触れたかと警戒した。しかし切り出されたのは予想外の話題。
「先生は何で俺にここまで良くしてくれるんですか? 友達だから?」
ミツキはこの機会に、気になっていたことを聞くことにした。
アダンがかつて言った、「隠居後、人間関係の無い中できた最初の友人」という言葉。友人のため。確かにそれは分かる。特にミツキには、友人を大切にするという感情が痛いほどよく理解できる。それでもアダンが同じとは限らない。疑問は思考に、思考はイメージに影響を及ぼす。ここでハッキリさせようと言葉にした。
「……まあそれも大きな理由だが……キミには面白く無いかもしれないが、いいかな?」
アダンの言葉は、それが主では無いことを物語る。ミツキは少し残念に感じながらも頷いた。
「自慢では無いがね、私は知識において、この世界で隣に並び立てるものは、それこそ神を除いては存在しないと思っていた」
衝撃。あのアダンから、そんな自慢話が出てくるとは思っておらず、ミツキは呆気に取られる。だが、納得がいくのも事実だ。
自身に備わっていた五つを含めて全部で六つの奇跡。その全てに前例がない。それにも関わらず、アダンはものの数時間でこれらを解析し切り、こともあろうかミツキに理解できるようわかりやすく説明することまでしてみせた。ミツキには、この世界の常識がないにも関わらず。
これほどのことができる者がこの世界に何人もいるだろうか。何も知らないミツキでも、想像することはできなかった。
「私が学院を辞めたのも、それが原因でね。もはや学ぶことなどないように思えたんだ。それからは、世界が何か、色の無いように見えてきて」
──どうでも良くなっていたんだ。
「キミに、出会うまでは」
ミツキが持つ未知。それがどうしようもなく心を躍らせた。学者としての本能が、彼を逃しては、死なせてはいけないと叫び続けていた。ミツキであれば、まだまだ知らない物を見せてくれると、予知のような予感があった。彼はそう語る。
「だからね。本当は、キミに先生と慕ってもらう価値も、友人と言って隣に立つ資格も、ないんだ」
奇跡を失った事実にも、ゲルダとカイを連れてきたことにも、霊廟の怪物の話にも。不謹慎とは理解していながら、抑えきれない感情があった。
「楽しくて仕方なかったんだ。軽蔑しただろう?」
「そうなんですか……そっか」
アダンはミツキに拒絶されることを予想していたが。
「よかった」
そうは、ならなかった。ミツキは、笑って答えた。
「俺、先生に何も返せてないから、自信がなかったんです。こんな自分に、何でよくしてくれるのか。だから、よかった。俺は先生にあげられるものがあったんだ、って」
「……キミは、私には勿体無い友人だ」
話終わると、二人はそれ以上何も言わずに訓練を続け始めた。
二人が魔法を学ぶ音は、夜遅くまで続き。
◇
「で? 言い訳を聞きましょうか、ミツキさん?」
組手の続きをすっかりすっぽかされたカイに、二人まとめてしっかり怒られた。