三章 五十四話 『人を思う』
「リリちゃんの……」
ルフェルは予兆もなく複数の「断崖」を発動。リリとルフェルの間には視界を遮る壁が幾重にも重なって生まれた。
「バカぁ!!」
さらにリリの足下、地面から形のある濁流が発生。彼女の小さな体をあっという間に飲み込んでしまう。
「やっぱりルフェル相手に魔法は難しいですね」
しかし彼女は光を炸裂させ、泥に穴を開けて脱出。さらにいくつか光弾を放って「断崖」を数枚破壊した。
ルフェルとリリでは、ルフェルの方が出力も量も上。まともにやりあえば必ずルフェルが勝つ。しかしそうはいかないのが神官同士での戦闘である。効きが悪いとは言っても、認識干渉能力は隙を作り出すのに最適であるからだ。お互いどのタイミングで行使するか。その駆け引きが本来重要になるのだが、この二人は少々事情が異なっている。
ルフェルの奇跡「偶像反転」は自身の容姿に対する認識を反転させる。すなわち、美人であるほど醜悪に。いい香りであれば不快に。あくまで五感の働きが変質するのであって、それに伴う感想は個人の感覚に委ねられる。
通常、ルフェルの容姿は類い稀なものと認識される。故に通常人は、奇跡発動時には彼女の姿を見ていられない。
しかし、リリは事故によって歪んだ認識を持ち、その上でそれを好ましいと称する感性の持ち主である。彼女はルフェルが奇跡を発動しようと、何一つ変わりなく彼女と接することが可能だ。
反対に。
「ぐ、ぅっ……!」
リリの奇跡「神経混雑」による影響を、ルフェルは受け流せない。自分の五感を他者に共有させるこの力は、リリの歪んだ世界を他人に強制する。キーターでミツキが感じたように、強烈な嘔吐感や、長時間晒されれば意識の混濁をも引き起こす。
だからこそ初手で視界を封じた。指定には視覚での認識が不可欠だからである。
それを見越したリリは少しずつ壁を削り奇跡を通した。一度通れば後はそのまま。格闘ゲームにおけるハメ技のようにずるずると守りは崩され沈んでいく。
「おあぁあああああああああ!!」
「っと」
それをルフェルは、目から血を流しながらも受け入れた。どうにか我を保ち、闇魔法による黒雲でリセットする。
さらには彼女を中心に、円形範囲で砂が沈んでいく。蟻地獄を模した攻撃は、リリの行動を制限した。
「これはまずいですね」
光魔法は補助に攻撃にと優れるが、実体を持たないため土魔法や鉄魔法に弱い。彼女はルフェルが闇魔法を使った瞬間に光で照らすべきだったが、その剣幕に尻込みしてしまったため後手を踏んだ。
「じゃあ……ほいっと」
逃れるために、リリは光弾を足元にぶつける。その衝撃で蟻地獄の範囲からは逃れたが、案の定片足が折れてしまった。
その痛みすら快楽に変えて、彼女は再び立ち上がる。
「なんで……なんでアイツなの……!?」
仕切り直しとなった状況で、黒雲に身を隠しながらルフェルが問う。
「私の方が……リリちゃんのことを知ってる……ずっと見てきて……私の方がずっとリリちゃんのことが好きなのに!!」
奇跡を暴発させて以降、人の感情を信じられなくなった彼女。謝り、慰める人々を意にも介さずじっと部屋に一人引きこもっていた。そんな最中、その噂を聞きつけたミラが神官を遣わせた。それこそがリリ。彼女が遠ざけようとしても、それをキレイだと言って笑ってくれた人。彼女にとっての、運命。
「なんで私じゃダメなの……!! 私だって……私だって……!!」
その実、彼女は世界の変化に言うほど執着はしていない。幸福の形が変わったとしても自分がリリに抱く好意は決して変わらないと信じているからだ。彼女の憤りは、ただ一つ。
得体の知れない、突然現れた少年に、最愛の人が奪われること。それだけが、決して認められない。
「ルフェル。あなたは、わたしの認識、こわいでしょ?」
「そんな……そんなことない……!!」
「いいんです。それが、きっと普通なのです。わたしもルフェルのことは好き。だから、無理して頑張ってるのが見ていられないのです」
当然のようにルフェルは知っている。リリが肯定者を求めていたことも、誰一人見つからず心を痛めていたことも。だからなんでもない風を装って、彼女の認識を受け止めてきた。
当然のようにリリは知っている。ルフェルが無理をしていることも。彼女の感性がこれから先も、自分の認識を認めないのだということも。
お互いがお互いを思うが故に、避けられないすれ違い。
「無理なんて……してない……! だって……だってぇ……」
ついに泣き出してしまったルフェル。姿を見せない彼女は、出会った時のように閉じこもっている。
「いいんですよ。わたしはもう救われたのです。ルフェルも、しあわせになって欲しいのです。わたしのことなんて、忘れて」
大切だからこそ別れる。相入れない幸福をもつ二人は、一緒にいても辛いだけ。心を抉る別れになるだろうが、リリは一つ報われた。だから耐えることも──
「……分からずや! がんこもの!! 当たり前だよ! あんなの、苦しいよ、見ててしんどいよ! それでも……それでも私は……」
受け入れてほしい。そう願ったのは他でもないリリ自身。それなのに、その彼女がどうしても諦めていた。
「……知りたいよ……リリちゃんの……好きな人の好きなものを……好きに、なりたいよ……」
「ルフェル……」
人に、最も大切な人に受け入れてもらうこと。リリは自分で、可能性を拒絶してしまっていた。人は変わらないのだと、決めつけていた。
幸福は異なり、時としてぶつかり合う。だが、妥協点を見つけて、折り合いをつけることはできるはずだ。
「ごめんね、ルフェル。わたし、ばかだった」
幸福は、こんなに近くにあったのに。ずいぶん、遠回りをしてしまったらしい。
「リリ……ちゃ」
「ごめんね」
顔を見せたルフェルを、閃光弾と奇跡の併用で昏睡させた。
だったらなおさら、今の世界は捨てられない。
こうして新しい幸せを見つけることも、できなくなるんだから。
「お願いしますね、お兄さん」
肉体の疲労は彼女もピーク。きっかけになった彼へ、聞こえないエールを送り眠る。
砂に流された彼女たちは、寄り添って、仲睦まじく。
◇
「お、らぁ!!」
「っ……!」
バール・ドレークとフルグス・デウスの戦闘は激化する。デウスが生成する星を矢継ぎ早に破壊していくドレーク。フルグスの認識干渉をかわすべく、気を引き続けながら動き回るバール。戦闘は終始、二人が優勢に進んでいた。
理由は二人の所持する「神の遺物」にある。その名も「天道」。空間という知覚も認識もできない存在を、触り踏み締めることを可能にする靴である。
それを利用して、空と地上を縦横無尽に移動。星魔法の直撃を避け続ける。さらには、星の存在する空間を固定し衝撃を加えることで、内部にとどまった星へと逃れられないダメージを与えることができている。元来、容易には破壊されないはずの星が、生成と同時に崩壊する光景は圧巻と言うほかない。
「ちぃっ! 何してるんだデウス!! こんな奴らさっさと」
「あらぁ? お姉ちゃんがいないと何もできないのかしらぁん? 可愛いわねぇ」
「──この女男が。心を……っ!?」
「甘ぇんだ、よ!!」
「心理解錠」をバールに放とうとしたが、ドレークに横槍を入れられ失敗する。軽く蹴飛ばされるが、転がった先でデウスの星に助けられた。
「ろくに戦えやしねえんだ。とっとと降伏しとけ、バカ」
「誰が……馬鹿だ……お前にだけは言われたくないね……!」
フルグスに戦闘能力は皆無である。荒事はもっぱらデウスに任せ、自分は指示するでもなく後方で眺める。鉄魔法を使えるが、ろくに鍛えてこなかった。
そんなフルグスが神官に抜擢された理由はただ一つ。その奇跡が非常に有用だったからに他ならない。他人の過去を暴き、パーソナリティを認識する。使い方によっては本人ですら忘れた過去を呼び起こさせ、重要な情報を引き出すことも可能だ。
しかし、フルグスという男に至っては、そうはならない。
「……ねぇ。アナタなんでミラ様の世界を受け入れてるのぉ?」
「決まってるじゃないですか! みんな幸せになるんですよ? これ、否定するなんてどうかしてますって!」
嘲るように笑うフルグス。デウスという圧倒的な個を後ろ盾に、彼はいつも嗤う。
「ウソだな。てめえに、他人のこと考える脳みそなんてねえだろ」
「ほんと品性がないなあ、ドレーク君は。故郷に置いてきたんですか?」
他人の知られたくない過去を暴き、望まない記憶を肴にする。それだけのために、彼は貴重な奇跡を惜しげもなく使う。運命のいたずらか、彼にだけは持たせてはいけなかった力。機械的に振り分けられる奇跡のシステムが起こした、数少ないバグの一つ。
「どうせ今の自分がいなくなるなら、最後に精一杯、不幸を喰らう。世界を望まないアタシたちを邪魔して、最後にお腹いっぱいになろうって算段でしょう? ほんと、性根から腐り切ってるわね」
「他人の不幸は蜜の味」。この世界では無くなって久しい言葉がある。フルグスの性質を端的に述べるのに、これほど適した言葉はないだろう。
人の不幸を望む。他人の苦痛こそ快楽。彼にとって他人は全て、自分が楽しむための消費物にすぎない。
ミラですら匙を投げた、生まれながらの邪悪。それこそが、フルグスという男である。
「分かった気になられるのって、気色悪いですね。よりによって、気色悪い女男のあなたに」
「──おい、姐さんバカにすんのも大概にしとけよ」
バールにとっては慣れた挑発。過去に散々味わった。だがドレークにはそうではない。信頼する相棒をコケにされて黙っていることはできない。
流れ出る星も意に介さず、真っ直ぐフルグスを狙って空を走る。
「ふひっ」
「! ドレーク! 待ちなさい!!」
フルグスの、狙い通りに。
「心を──」
開けてはならない箱がある。ドレークは孤児であり、アイディールで面倒を見られていた一人。ベルから聞いた話を考えれば、彼にとってフルグスの奇跡は致命傷になりうる。
理屈は後からついてきた。自分にだって、見られたくない過去はある。それを押しても、守りたいと思ったから。
「危ない!!」
「姐さん、なんで!?」
「──開け」
フルグスの照準が捉えたのは、空から飛翔したバールであった。