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三章 五十二話 『見る』

    ◇



「なんだ……あの城……は……!」


 深夜。人は皆深い眠りにつく。一日の疲れを癒すために、あらゆる例外なく睡眠は必要になる。


「そうか! 神殿、思い出した! 神殿だ!! なぜ忘れて……!」


 そのルールが適用されるのは通常、生物全般に対してである。だが、この世界には常識を覆す生命体が複数存在する。


 一つは魔獣。奴らは人間に死を与えるべく、休むことなく世界を闊歩する。自らの命をすり減らしてでも、母たる神に与えられた命令を全うする哀しき生命体。


「あの息子の言葉……そうか、あれはそういう……だが」


 そしてもう一つ。魔獣と同じく魔力で構成された体を持ち、休息という当たり前を鼻で笑う規格外がいる。


「ちっ! せめて私だけでも、『裏』に……」


「アテナ様? どうなさったんですか?」


 それこそが彼女、竜の体から人の身にやつしたアテナである。


 彼女には、神が直々に認識の蓋をした。この国に貼られた結界と同じく、忘れさせるのではなくあくまで思い出せなくなるだけのもの。ミツキへの認識阻害とは別個に、ミラは彼女の知識を遮った。


 知識の蓋は通常開くことはない。アダンのことを思い出せばわかるだろう。彼も、かつては親しんだ魔法の国の技術を再現できず解説できない。


 ──しかし、知っているということは分かる。アテナは、神殿について己が知識を総動員し違和感を察知。上空に現れた大神殿を資格に基づいて視認し、全てを理解した。


 神の存在。自身にかけられた能力の概要。彼女がやろうとしていること。これから、何が必要なのか。


 彼女でもなければ、神と同等に張り合える一千年の知識をもつ彼女でなければ、この結論には至らなかっただろう。ミラは侮った。竜という三柱の神が創り上げた生命は、己の掌に留まったまま変わらないと。可能性を制限し続けた彼女だからこそ陥った、最初の慢心。


 彼女が人間の埒外にいるからこそ読みきれなかった、計画への叛意。アテナには、神の敷こうとする世界の形を認めることができない。


「ああ、お前か騎士の王」


「あんまりその呼び方慣れないんですけど……」


 そこに一人、援軍が現れる。眠れず起きてきたフィルが、彼女の様子を訝しむ。この世界で、異変に気づく可能性が残されているのは三人だけ。アテナ以外は、ルーファス。そして当然、神学者であり資格を備えたリオン。


 ルーファスは数ヶ月前から妙なことを口走り、今も数日顔を見せていない。リオンは普段通りフィールドワークで留守にしている。ノヴェルに懇願されたのを気にしているのか、「裏」には行かずティファレトあたりで活動している様子だ。


 連絡手段はあれど、時間が悪い。今連絡したところで反応があるかも不明。なので藁にもすがる思いで、フィルへと言葉をかける。ダメでもともと。神殿も見えていない彼に、無駄かもしれない勧誘を。神を相手に、たった一人では分が悪い。


「ちょうどいい。説明は後だ、ついてこい。説明したところで、わからんのだろうがな」


「? もう、夜で……いえ、わかりました。ボクも何か、胸が騒ぐんです……うまく、説明できないけど」


 詳しい説明などなしに、どれだけの人間は人の言葉に従えるだろうか。フィルは、それができる数少ない人間だった。無論、誰に対してでもではない。アテナというこの国を共に旅した相手。傭兵の国で、窮地を救ってくれた一人。


 ぽっかりと空いた空白に、いつも寄り添っている人。


「場所は遠い。一度ケセドを経由する。行くぞ」


 こうして二人はケセドへと向かう。ミツキと出会う一時間ほど前のこと。



    ◇



「ノヴェル教授!! 夜分遅くに失礼します!! 教授!!」


「ひゃっ!? なになに!? ちょ、こんな時間になんですか……ルーファス君……?」



 その数刻後、ルーファスはコクマーへと到着する。己が仕事を完遂するために、必要なものをかき集めに。



「ルーファス。どうした、騒がしいぞ。姿を見せないと思えば、こんな不躾な」


 父親であるギルベルト。彼は厳粛な人間である。仮の住まいであってもコクマーの人間に失礼がないようにと、さまざまな手伝いを買って出ていた。総理という肩書きがあるのにも関わらず、彼は人を慮るためにはそれすら脱ぎ捨てられる。


 夜。急な来訪。女性が寝ている場所に押し入り、あろうことか騒ぎ立てる。彼にとって、見過ごすことができる狼藉ではない。


「父さん……わからないと思う。無理だってわかってる……でも……でも!!」


 会いたくはなかった。彼に迷惑をかけ、心配をかけ、あげく見放される。この二ヶ月だけでもずいぶん勝手をした。ミツキを探すために仕事も放り出して駆けてきた。よく思われていないのは当然だろう。ルーファスは、ギルベルトの評判すら貶めている。


「信じてほしい……僕のことを、信じて、助けてくれないか……」


「……」


 ルーファスはおとなしい子供だった。自信はなさげで、ぬいぐるみを好むインドアな少年。そんな彼のためにと、ギルベルトは慣れない裁縫を学び、手に傷を作りながら人形を作った。

 特別な何かがあったわけじゃない。ルーファスに、眩い光が見えたこともない。彼が、息子を気にかけていたのはひとえに。



「言ってみなさい。私にできることであれば、任せて進むといい。信じるさ──息子のことなら、当然だろう」



 自分の息子だったから。理由なんて、他に何もいらない。彼にとって、心棒する神よりも優先すべき存在だった。


 おとなしい子だった。そんな彼が、必死になって何かを成そうというのだろう。それならば親として、背中を押すこと以外何が必要だろうか。


 眩いほどの光が見える。奇跡があるからじゃない。そう、彼自身の目で認識した。



 ──ああ、神よ、この世界はなんと。



「──父さん……うん。頼みたいのは……」



 ──なんと、素晴らしいのだろうか。



 その思いは神に届くか。子を思う親の心は、神も人も違わない。



 しかし神は、この光景を見ない。



    ◇



「はっ……はぁっ……」


 己が役割を果たしたルーファス。だが、まだできることは残っている。


 跳躍による補助を乗せ、魔法の国を西へ東へ駆け巡る。息は上がり足はもつれそうになっても、まだ魔力は残っている。空間跳躍を温存したことで万全ではないが戦闘にも耐えうるコンディション。ミツキの援護へと、最後の気力を振り絞る。


 ルーファスは気づいていないが、神殿は上空に。すなわち彼に預けられた奇跡が最大の効果を発揮する場面。ミツキと合流し返還して、ようやく彼の役目は終わる。



「はぁ……はあ……」


 一度立ち止まり息を整える。ケセドは近い。迷いの結界を突破できるかは運次第だが、今の自分ならできる気がする。


 ミツキに勇気をもらい、父に信じてもらえた。たくさんの人の思いがかかる今なら、どんなことでもできそうで。


「……よしっ!」


 再び跳ぶ。足に力を込め、希望に向かって──





「水弾」



 着地地点に、寸分違わない水の弾丸が落ちる。ぎりぎりで方向転換が間に合い、難を逃れたルーファス。



「──こんな、時に」



 彼は己の不運を嘆く。ここにきてとうとう、うまく回っていた幸運のツケが回ってきたのだと。



「借り物の力にはしゃぎ回り、身を粉にして駆けずり回る。なんとも無様な姿だな、ルーファス」



 その男はルーファスを見つける。神が目を逸らした彼を、このタイミングで。



「──ロイド」


 洗礼名ロット。旧名、ロイド・ヘイン。純白のローブを身に纏いながらも、焼け付くような自我に目が奪われる男。ルーファと旧知の彼が、最後の最後で彼を阻む。なんと、因果なことか。


「お前のやりそうなことは予想できた。以前見たその力、神から聞いていたものと相違ない。それならば、どのような経路で立ち回るかなど簡単に予測できる」


「そんなの、君にしかできないだろ……」


 これまでルーファスの前に立ちはだかり続けた彼という壁。一度たりとも越えることはできなかった。己の全てをかけて努力を重ね、その上幸運にも恵まれた自分でも、手の届かない存在だった。羨望は当然なれど、それを上回るほどの憧憬に身を焦がす。幾度となく、心折れそうになった終生の好敵手。ルーファスが、ひそかにそう思っていた彼。


 本来なら勝負になる相手ではない。あらゆる分野においてロットはルーファスの上を行く。こと魔法においては特筆してである。そこに、神から与えられた杖の補助が加わった。万が一にも勝てる見込みはない。


「……退いてくれ」

「断る」


 勝てないならば、逃げるか。否、それはあり得ない。もしここで逃げて、ミツキに目標が向けばそれは大きなロスになる。ロットの強さを知るがゆえに、ルーファスは無謀な戦いを挑む以外に選択肢が残されていない。


 背負ったものに報いなければ。信じてくれた人に、この世界を生きる人に。今できる自分の精一杯は、負けようともロットを足止めすること。最低限自分の役割は果たしたのだ。なんの気兼ねもなく、負けていい。全ては、より大きな目的のために──



「どこを」


 予備動作なし。杖の先端へと一息に魔力が収束。一瞬目がくらむほどの光が現れ。


「見ている」


 射出。魔力が収束したかと思えば、次の瞬間に細い水針となってルーファスの頬を掠める。練磨された技術は、瞬きすらも許さない。


「っ──!」


「お前はそうだ。いつだって、ないものを見て喘いでいる」


 変わらぬ瞳で、ロイドはルーファスのあり方を糾弾する。


「才能がない。力がない。それはいいだろう。お前の原動力だ。だがな」


 真っ直ぐ、ルーファスだけをその瞳に映して。


 


「ここにいない人間を、なぜ今も見続ける」


「……君には、わからないのかい? 僕はたくさんのものを託されたんだ。今、僕はみんなのために戦っている」


 背負ったものが力をくれる。いつも孤高で不遜で、感情の波を荒立たせないロットには、わからないのだろうとルーファスは言う。


「それが、今の僕が戦う理由」


「──それが、間違っていると言っているんだ!!」


「っ!?」


 長く大学生活を共にしてきた。決して密な関係ではなかった二人だが、それでも多くの表情を見てきたはずだった。そんなルーファスでも初めての経験。何があろうと感情の波を見せなかったロットが、紛れもない激昂を示している。


「誰かのため? ここにいないみんな? ふざけるな!! そんな、名も知らない誰かなど捨ておけ!! あったばかりの少年のことなど、どうして今も見続ける!? 父親がどうした!? 神が、なんだと言うのだ!! お前は、ルーファス・ギークだ! 誰かじゃない。他の誰かのための、お前じゃない!! ルーファス!! お前は──」


 彼の戦う理由をことごとく否定する。


「──オレだけを見ていればいいんだ」


「ロイ……ド……?」


「……他の人間は皆、オレの奇跡で感情を消せば追いかけるのをやめた。騙していただけだ。自分で自分を洗脳し、まやかしの思いに浸っていただけ。だがな」


 彼の奇跡、「感凪(プレス・インプレス)」は感情の波をゼロにする。「苦克上塗(カバーセンス)」が感情という数値を自在に操ることのできる奇跡とすれば、こちらは感情にゼロをかける奇跡である。


 ロットを目指し切磋琢磨する学生は多かった。邪な感情を向けるものも少なくなかっただろう。彼はその全てを、奇跡を使って追い払っていきた。そこにいる一人の例外を除いて。


「お前だけは、違った。どれだけ奇跡を使おうと、当然とばかりにオレの背を追ってきた! 震えたさ。ルーファス! 手の届きそうなほど近くに、お前はいつもいてくれた!!」


 ルーファスは、感情に流されずひたすらに勉学に励んだ。それしかなかったと彼は言うが、極まった努力にはロットの奇跡も無力だった。前にいるロットを目指し、ただ淡々と進み続ける。その姿に恐怖し、誰よりも喜びに打ち震えたのが他でもないロットだった。


「それでいい。それでよかったんだ!! お前は変わらず、オレの背を追ってくればいい!! 他の何を見るでもなく、お前はオレだけ見ていればいいんだ!!」


 だからこそ、彼はルーファスが他に進む理由を抱くことを良しとしない。自分こそが、ルーファスの視界に映る唯一であるべきと信じている。彼の原動力は自分以外にないのだと、今まで信じ続けていた。


「研究所では肩を並べなければならない……だから嬉しかったとも! 神官になれば、またお前と競えるのだとな!! だがお前は腑抜けていった! 世間なんてくだらないものに流され、あの日の輝きはくすんでいった!!」


 止まらない感情の荒波は、もはや怨嗟の声にも似た音となる。


「お前を元に戻す……それだけがオレの原動力だ、ルーファス!! お前が国に付くのなら、オレは迷わず国を脅かす。お前が世界を救うなら、オレは必ず世界を滅ぼそう」


 人一人に、これほどの激情を向けられるのか。一体何があれば、ここまで執着できるのか。


 ──違うのだ。ただ彼は、当たり前のように人が持つ執着心が、少しばかり強かっただけのこと。何気ない、学生であれば誰もが知る経験が、彼にとっては得難いものだったと言うだけのこと。


「お前が神に叛くというのなら、オレは変わらず神に付く。仮にお前が神に付くならば──今度はオレが神に背く」


 神官という立ち位置の彼が、神すら越えて欲したものがある。世界の狭間、最後の瞬間。変わる世界で変わらずにいられる保証がないからこそ、溢れ出た彼の本心。



「──だからオレを見てくれ、ルーファス……お前は、オレの好敵手なんだ」



 たった一人のライバルを、世界の何より望んだ男。心のうちが見えない彼は、一皮剥けばただの少年と相違なかった。


 なんて事のない、青春の一幕。知らぬものが見ても、きっと意味などわかるまい。だがその言葉に心震わせるものがいるとすれば、それは。



「──ごめん、ミツキ君」



 同じように望んだ、彼だけだろう。



「ごめん、ロイド」


 

 追い続けてきた背中。いつの日か肩を並べられるようにと願った。求める景色は違えど、その相違こそが彼らの関係の核となる。



「やっと、オレを見たな。ルーファス」


 久しぶりに見た彼の姿は、あの日と変わらない。自分が勝手に大きくしていただけだった。変わらないのなら、あの日と同じように。



「僕はルーファス・ギーク。コクマー国立大学卒業。ロイド、君のただ一人の好敵手」


 細い錫杖を取り出し構える。幾度となく競い、幾度となく負けた日々。なぞるのではなく、そこに一つ加えるように。



「……洗礼名ロット。だが、この場この時限りは」


 ここで出会ったのは因果でも幸運でもない。二人がそれを求めたからこそ生じた、必然。

 世界の命運など関係ない。神の思いも、少年の覚悟も。この戦いには乗ることはない。


 どんな得難い言葉や出会いより欲しかったものが、幸運にもここにある。


「──ロイド。そう名乗ろう。ルーファス。お前の、唯一の好敵手であるオレが見えるか」


 これまでに得た全ての得難きものを捨ててでも、二人には手に入れたいものがあった。

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