三章 三十六話 『アイディール』
「遠いところからよくぞお越しで。何もありませんが、自分の家のようにお寛ぎになってくだされ」
アイディールという名の村、その村長が歓迎の意思を伝える。村の建築物はいずれも木製で古びたものだが、その中でも一際年季の入った家。そこにミツキたちは案内された。
「古いけど、居心地は悪くないでしょう? 私、この家の匂いが大好きなのよ」
他でもない、彼らを襲撃してきた神官、その一人であるベルの手で。
「ベルと皆様がお知り合いとは。奇妙な縁もあるものですなあ」
「あっはは……はい、そうっすね……」
「そう緊張しないで。何もとって食べちゃったりしないから。ここまで来ちゃったら、私には何もできないんだし」
「その発言、気になるねえ。キミたちの戦闘力に制限がかかるのかな? それとも」
「ダメですよ? あまりお喋りをしていたら、せっかくのご飯が冷めちゃいます」
食卓にはできたばかりの食事が並ぶ。しかし、食事といっても非常に慎ましい内容だった。大きな葉っぱに包まれて焼かれた餅のような食べ物。匂いと色から想像するに、根菜を潰して練ったものをしばらく寝かせたのだろう。作物が生らない年でも乗り越えられるように。そう考えられた保存食と推察される。
それと気持ちばかりの木の実。木いちごのような形のそれが、一人二粒づつ配られた。
思考が疎いミツキでも、その食事を見るだけで彼らの暮らしがうかがえる。この世界に来てこの方、食事に困ったことはなかった。元の世界の味を知っていても、問題ないほどに各地で味わった食は美味だった。
それがここにきて、原始的な食事を知ることになる。それほどまでに、この村の生活水準はこの世界においても低いものだった。
「これ、俺らほんとにいただいて大丈夫、すか?」
「ええ、ぜひ。断られたら、悲しくて泣いてしまうかも」
「客人にはもてなしを、がこの村の理念でして。お構いなく召し上がってください。我々には十分蓄えがありますので」
「断るのも失礼だろう、少年。ここは好意に甘えておくとしよう」
アテナが率先して口に食事を運ぶ。卑しく見えるが、れっきとした作戦行動。ここはすでに敵地。まさしくベルという敵が存在する場所で、出されたものを口にするのはリスクが大きい。そこで、竜として強い耐性を有するアテナが先陣を切って毒をみた。
「……うん、なかなか美味い。砕いた木の実が入っているな? 食感に違いが出て面白い。お前たちも食べてみろ」
彼女の言葉で、全員が食事に手をつけ始める。どうやら毒の類は入っていなかったらしい。
「おお! これは良い! ぼくも旅の時には携帯していこうかな?」
「火を通さずとも食べられますので、狩の時にももってこいです。よろしければ、作り方をお教え致しましょうか?」
「ありがたい! ぜひとも!」
リオンはそう言うと、村長と共に家の奥へと消えていった。もっとも、彼が本当に欲しかったのは、食事のレシピではない。千載一遇で掴んだチャンス。彼女から、情報を聞き出す機会を設けるため。
「私ね、この村で生まれたのよ」
彼女から話し始めたことに意表をつかれる。敵対する彼らに、情報など与えないとたかを括っていたからだ。
「さっき村長も言ってたけど、ここでは歓迎しないといけないの。それが例え──」
彼女は確かに、数の上で不利を受けている。だから従順に情報を提供しているのか?
否。仮に神官が全員揃っていたとしても、彼女は彼らを迎えただろう。例え、同士討ちすることになったとしても。
「──いずれ、殺し合うのが宿命だとしても。それが、姉様の願いだから」
「姉様……?」
「それは教えられないわ。全部教えないと歓迎じゃない、なんて言わないわよね?」
だからといって、全てを明らかにするつもりは毛頭ない。伝えられるのは、伝えたとして差し支えないもの。だから期待するな、との無言の念押しが、変わらぬ優しい声色で。
「では、僕から一ついいでしょうか? ロイド……いえ、ロットのことですが」
「ああ、そうね。あなた、ロットのお友達だったかしら。いいわよ、なんでも聞いて? あの子に知られたら、怒られてしまうけど、特別」
「お言葉に甘えて……お二人は、どのような御関係で?」
「ぶっ!! ルーファスさん!?」
思いがけない質問に、ミツキは口に含んだ木の実を噴き出した。予想も困難な行動でも、アテナは冷静に竜鱗を貼って被害を食い止める。
「……? ……っあ! ち、違うんです! ただお二人は、一緒に行動している様子だったので、それで」
「ふふ、そんなに慌てなくて大丈夫よ? そうね……ロットと私は、一心同体、みたいな感じかしら?」
「ぼほっ!? ベルさん、やっぱそうなんすか!?」
再度、ミツキは動揺し口の中に含んだものを噴き出した。さすがに二回はないと思っていたアテナが、その被害を顔で受ける。
「ふふふ……さあ、どうかしら?」
「なんか、カイに揶揄われたの思い出す……」
「ミツキ君。君、もう少し落ち着いた方がいいと思うよ……でも、これで少し分かりました」
ミツキがコミカルな反応を繰り返す中でも、ルーファスは一人冷静にベルの反応を窺っていた。私情に思えた質問の中に、本質を射止める狙いを交えていたのだ。
「二人一組、なんですね。神官というのは」
「どうかしら……なんて。もう隠してもしょうがないわよね。その通り。私たちは二人で一つ。目的をもって分けられているの。私とロットは、そのうちの一つ」
神官の基本的なスタンス。それはツーマンセルで部隊を区切り、行動を管理するもの。ミツキが二人と最初に出会った時もそう。ベルはロットと行動を共にし、二人揃うまで仕事に移行しなかった。
「なんだ、その程度とは拍子抜けだな。それならば騎士団の方がよほど手強い。二人でいなければ行動できないとはな」
「あら、お気に召しませんでしたか? やはりあなたには、特別なおもてなしが必要だったかしら?」
「安い挑発だな、叩き売りか? ゲルダなら安く買っただろうが、あいにく私は高級品にしか興味がなくてな。すまんが、それは下げておいてくれ」
ばちばちと二人が言葉で戦う。アテナがゲルダの名前を出したのも、挑発の一つ。自分たちは必ず彼女を取り戻すのだと、突きつけ焚き付けるための燃料だった。
「……ベルさん、俺からも一個、いいすか?」
「ええ。もちろんよ、ミツキ」
それに火がついたのは、ベルではなくミツキだった。彼女の名前をあらためて耳にして、遠くにいってしまったことを自覚する。
「──どこ、ですか。二人、ゲルダとカイがいるのは」
だから、駆け引きなんてできはしない。そもそも、彼は駆け引きに向いていない。単刀直入に、一番知りたい事項を聞き出す。それが、土台無理な話だとわかっていながら。
「それは、教えられないわね。ごめんなさい」
「……そう、っすよね」
わかり切っていた答えに、図らずも落胆してしまう。それまでの彼女の受け答えから、必ず答えが返ってくると錯覚していた。しかしやはり敵対者。望む答えが返ってくるなど思い違いだ。
「──でも」
しかし、彼女は他の神官と異なっていた。
彼女は生まれも育ちもアイディール。その性根は、真の芯まで人をもてなすことに染められている。そんな彼女でなければ、ミツキの問いに答えなかっただろう。そんな彼女だから、ミツキの望みに一歩、近づくことができたのだろう。あまりにも都合が良く、あまりに運がいい邂逅。
「──神殿を巡ってみたらどうかしら? 私から言えるのはここまで。どう? 信じてみる?」
差し出されたチケットは、望みに近づくものかはわからない。
「あなたは、信じることが得意なのよね? だったら」
受け取ってしまえば、逃げることはできない一方通行。
「──これは、罠。一度踏み入れてしまえば、あなたたちはもう掌の上。それでも、いえ、それすらもあなたは」
たった一つの光明に、すがることはできるのだろうか。
「私のことを、信じて進む?」
罠だとわかっても、ミツキは信じて進むだろうか。