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三章 二十話 『叡智 ─コクマー─』

「思ってた大学と全然違う……!」


 ミツキも生前は高校生。進学することを念頭においていたため、大学のオープンキャンパスにもいち早く参加していた。そのため、アダンから聞き及んでいた大学を、かつて見たそれと重ねていたのだ。

 しかし目の当たりにしたのは、大学とは名ばかりの大都市。日本の首都圏と並べても見劣りしないほどの文明がそこにあった。


「確かノヴェル教授のいるところは……」


 一度路肩に止まり、掲げられていた掲示板を見る。それは次々と違う情報を映し出す電光、ならぬ魔力光掲示板。映し出される画像は地図が多い。上部には名称が、第一棟から第五棟まで順繰りで映る。


「第五棟じゃねえかな? 俺の記憶が確かならだけど」

「それならあってるね。うーん、まだまだ遠いなあ」


 コクマーは、大きく分けて五つの地区で構成される。そしてそのそれぞれが、異なる学問の集積された場所となっている。例えばノヴェルの在籍する魔道工学科だが、これは第五棟の中に研究施設が存在している。その他、理系科目のうち魔法の関わる学問は、全てこの第五棟に集約されていた。


「やあ、長旅お疲れ様」

「ノヴェルさん!? 迎えに来てくれたんすか!?」


 果てしない街並みを前に首を捻っていると、ノヴェルが三人を迎えに現れた。以前のラフな格好と異なり、白衣を纏った姿はまさに研究者と言ったところ。

 そしてもう一つ、彼女の佇まいには相違点があった。


「……ノヴェルさん、なんかやつれてないっすか……?」

「う……徹夜あけでろくに寝れてないの……それは言わないで欲しいな……」

「またミツキくんそうやって」

「心配でつい……こないだも朝までって言ってたし……」


 自分が同じ立場だった場合、ノヴェルと同じようにしただろう。それが故にミツキはつい心配を口にする。過労で命を落とした彼にとって、見過ごせない状態というものがある。

 ノヴェルの目の下にはクマができており、髪は乱れてボサボサ。以前会った時に輝いていた毛並みは失われてしまっている。


「うん。だから帰ったら今日はすぐ寝るつもり。心配しないで大丈夫だよ」

「大変な中わざわざすみません。正直、どこに向かえばいいか戸惑っていたので助かります」

「だよね。とりあえず、駅に行こう。地下鉄ならすぐだよ」

「地下鉄! やっぱとんでもねえ技術力だ!」


 コクマーの各棟は地下鉄でつながっている。これに乗れば棟から棟までものの数分で移動することが可能。最新技術をこれでもかと搭載した都市は、何も利便性を求めてこの形に至ったわけではなく。

 実態は、巨大な実験場。技術を人の生活に導入し、果たして円滑に機能するのか。それを観測するための箱庭こそが、コクマーという都市に隠された役割である。


「あ、それと」

「はい?」


 学ぶ者は皆、新しき技術を(こいねが)う。自らが新しきの先頭に立つことを渇望し、貪欲に人の叡智を高めあげる。


「その飛空板、後で見せてもらってもいい?」


 それはノヴェルとて同じ。常識人のような面をしても、一枚剥がせば研究者。まとった仮面も、全ては己が研究のために。そんな彼女が、未だ一般に流通していないはずの飛空板へと興味を示すのは至極当然の話だった。



    ◇



 第五棟。その一角に立つ高きビル。ガラス張りの入り口は自動ドアで、エントランスには学生と思しき人々がひしめき合っている。その中には獣人も。


「獣人って、ナレッジの大学行くものとばかり思ってたな」

「ここはビナーも近いからね。交流都市ビナー。獣の国(アニマ)で人権が確立した時から今まで続く希望の街だよ」

「あ、そっか。獣人だって、獣の国だけに住んでるわけじゃないもんね」

傭兵の国(ガルディニア)は入国が厳しかったからほとんどいないんだけど、別に希少種ってほど数が少ないわけじゃないよね。これも全部、獣の国の初代、その功績が大きいよ。ボクも尊敬してる」


 獣の国で知った、初代国王にしてルナリアの義父。彼が成した偉業は遠く離れた魔法の国(マギアマルクト)にまで波及していた。

 彼の国でも学びは優先事項とされ、様々な施策が施されていたが、どちらかというと探究よりかは基礎学力の面が大きかった。コクマーとナレッジ。同じく知識を司る地であれど、細部ではほんの僅かな違いがある。現代でもその僅かを追い求めて学生が大学を吟味するように、この世界であっても同じことがされているのだろう。


 エントランスの中心にはコンピューターが。ノヴェルは軽快にキーボードを叩くと、三人分の入館許可証が発券される。付近にかけられていた紐とホルダーをこれまた三人分取って許可証と一緒に渡す。


「それ、首にかけておいてね。そうじゃないと警報鳴るかもしれないから」

「了解っす。なんか楽しくなってきたな」

 

 ゲルダとフィルは完全に戸惑っている中、ミツキはわくわくを抑えきれずに目を輝かせる。全てが未知に映り処理が追いつかない二人に対して、既存の知識がある程度通用する彼は心に余裕がある。


「──ミツキ君。さっきも思ったけど、君もしかして」

「失礼します! ノヴェル教授、お時間よろしいですか?」


 エントランスの奥、エレベーターの前で声を掛けられた。見た目から判断するに学生の模様。その男子学生は、紙の束を手に持ったまま、かしこまった様子でノヴェルに尋ねる。


「以前提出いたしましたレポートなんですが、いかがでしたか? 我ながら良いものが書けたと自負しているのですが」

「ああ、あの……三人ともごめん。ちょっと待っててくれるかな?」


 思い当たる節があったらしく、しっかりとその学生に向き合って対応する。その姿はやはり生徒を導く教授らしい。アダンも時折見せていたそれ。教鞭を取ることで不可避的に獲得する独特の雰囲気が醸し出される。


「ええ。読ませていただきました。『魔力と強度の相関関係』についてでしたね」

「ええ、ええ! やはりですか! 教授に覚えていただけるなんて光栄だなあ!」


 学生は無邪気にも、彼女が題材を覚えていただけで小躍りしそうなほど身を震わせる。


「ところで──素人質問で恐縮なのですが」


 その震えは、ノヴェルの一言でピタリと止まり、別の震えに上書きされる。

 紛れもない恐怖。彼の身を包んだのは、これから始まる悪夢への寒々しい悪寒であった。


 謙遜を文字にしたような前置き。しかしその意味は違う。彼女の言葉に含まれたのは、「素人の自分から見ても明らかに変な場所がありますけど?」、という言外の指摘。


 すなわち、幕を開くは地獄絵図。圧倒的な知識量を、若き学徒に躊躇いなく放つ暴威の光景。


「まず七頁。最新の論文を引用したのでしょうが、この読み方で正しいのですか? 私が確認した限りですと、魔力量によって耐性が上がるというだけで、素材そのものの強度が増強するとは書かれていないはずですが」

「え、えー、それは、ですね。少々お待ちください……」


 自らが書き上げたレポートであるのに、まるで他人の作成した作品かのようにページを行き来する。紙を捲る音に混じって、間を繋ごうとする短い言葉が時折挟まれるだけ。耳に残る静けさが痛い。


「──次に八頁。そもそも前提にする論文の読み方が異なるところは置いておくとしても、実験から抽出した因果関係、本当にこうと読み取れますか? 結論ありきで細かい差異を無視してはいませんか? 他にも──」


 答えが準備できないうちに次の指摘が容赦なく彼の心を抉る。ガラ空きのメンタルに、怒涛のボディーブロー。冷や汗がレポートを濡らし始めた。


「──以上。どれも初歩的な質問ですが、せめてこれに対する答えは準備しておくことが望ましいです」

「は、い……失礼、いたしまし……」

「最後に一つ」


 満身創痍で今にも足下から崩れてしまいそうな彼。そんな彼にノヴェルが最後にかけた言葉は。


「──着眼点は悪くありません。論文も、最新のものに挑戦しながら、ただ引用するだけでなく自分の解釈を踏まえているのは好印象でした。もう少し時間をかけて、丁寧に検討してみてください。貴方の努力、また見られるのを待っています」


「──は、はい! ありがとうございました! 失礼します!!」


 虚だった瞳には生気が戻り、枝のように見えた足は勢いよく地面を踏み締める。少し顔を赤くした彼は、駆け足で建物の外に向かっていった。


「うわあ、見事なアメとムチ」

「……仕方ないじゃない──研究の成果に、嘘は吐きたくないの」


 少し照れた様子で、彼女はエレベーターのボタンを連打する。


 彼女は真面目なのだろう。自分は天才などではないと自嘲しながら、それでもと研鑽を重ねる。他人の欠落を指摘しながら、認めるべきを正しく肯定する。他人であっても厳しさを躊躇せず。自らであればそれよりも峻厳に。


 ミツキには、彼女が若くして教授の座に至った理由がわかる気がした。



    ◇



「はい。ここが私の研究室。というかこの階全部私のものだから、好きに使ってくれて構わないよ」


 ビルの五階。資料が散乱し、かろうじて人一人が座れるスペースの残された小部屋。ノヴェルの研究室だというその部屋に、ミツキとゲルダは懐かしさを感じていた。


「わあ。先生の家みたいだね」

「それ、俺も思った。やっぱり研究してる人はこうなるんだなって」

「これは今日までにまとめる案件があったから! 普段はもっと片付いてます!」


 その名を聞いてあからさまに嫌がった反応。この国で彼がどういう扱いをされているのか、よく分かる。


「……とにかく、空き部屋は四つあるから。給湯室とシャワー室もありますし、今晩くらいなら大丈夫でしょう。明日にはリオンがちゃんとした宿に案内してくれるでしょうから、今日のところは我慢してね」

「この街にも宿とかあるんすね」

「親御さんが様子見に来たりするからね。一人暮らししてて、親が立ち入って欲しくないって子も少なくないし。何より私もそうだったし」


 細かいところにまで手の届く気遣い。もっとも、これもイェソド同様宣伝を兼ねているのだろう。最新設備を備えた宿で得た感動を伝達させるように仕組んだプロモーション。商売人が集うことで得たノウハウが、研究区画でも成果を見せている。


「連絡したら明日の午前中には帰れるって。だから今日はしっかり休んでね。じゃあ私はこのまま寝るので。おやすみなさい」

「お、おやすみなさい……」


 気づくと、ノヴェルの目はもう半開きで何も見えていないような状態に。目を閉じれば立っていても寝られそうな姿に、急いで三人は部屋を出た。



    ◇



 翌朝。午前八時。


「ふー。仮眠用っぽかったけど、意外と寝心地良かったな」

「ねー。これもマドウコウガク? の力なのかな?」


 全然違う。シンプルな衝撃吸収素材が使われただけの普通のベットである。


「教授、起きてるかな?」

「もう起きてるっしょ? だって昨日寝てたの八時とかだぜ?」


 ノヴェルの研究室。明かりがついており、窓からうっすら見えるのは人影。どうやら動いている模様。


「お、起きてる起きてる。失礼します。入って大丈夫っすか?」


 一応ノックと声かけで確認したところ。


「ああ、構わないよ! ぜひ入ってくれたまえ!」

「? お邪魔します……?」


 軽快な返事。昨日までのノヴェルとは似ても似つかない口調。いや、口調どころか、声も。


「やあやあ! 長旅お疲れ様! キミたちの方も大変だったろう?」


「──!! 誰、」

「待った! あまり騒がないように頼むよ」


 そこにいたのは、迷彩柄の服と帽子に身を包んだ、いかにも探検家といった姿の男性。髪は短く帽子に隠れているが、黒の中に深い藍色が除くのを確認した。眼鏡をかけ、全体的に細身のシルエット。反して顔つきはとても穏やかで、見るものを和ませる雰囲気。無精髭がまばらに生えているのが、老練な雰囲気を織り交ぜる。


「寝てる子がいるんだ。疲れているみたいでね」


 人差し指を唇に当てながら、静寂を維持するようジェスチャーで伝える。緊張の糸が張り詰める最中。


「なんて! ぼくが一番やかましいんだけどねえ!! あっはっは!!」


 それを全て台無しにしながら手を叩いて笑い始めた。見るからに異常者である。


「やべえ人いるじゃん……警察呼ばないと……」


「ん……父、ちゃん……」

「おお。懐かしい。二十年ぶりくらいに聞いたよ!」


 彼の視線の先。布団の手前で力尽きるように眠っているノヴェルがいた。目を擦りながら、寝ぼけた様子でその男に語りかける。


 次の瞬間。


「──っ!! この!! 変態!! 勝手に! 部屋に! 入るとか! どうなってんの!!」


「はっはっはぁ!! ちゃんと声はかけたとも! 返事はなかったけどねえ!!」


 よろよろと両腕を振り回し、男の胸部を殴打する彼女の姿は、まるで少女のように。その光景だけでも、心を許していることが明らかで。


「もしかして、この人が……」


「おお!? もしかしてキミかい? アダン先生の言っていた『ミツキ君』というのは!」


 アダンとの繋がり。ノヴェルとの関係性。これらから導き出せる解はたった一つだけ。その正体は。



「リオンです! キミのことは色々聞いているよ! よろしくう!!」


 教授、リオン・ブラン。探し求めていた存在と、思わぬ形で邂逅を果たす。



「よろしくう! じゃ! なくて!! 出ていけって言ってんの!!」



 握手を求めている最中も、ノヴェルの怒りは収まらない。


 だから彼女は気づかない。だから、皆は気づかない。


「うるさ……頭痛いんだけど……」


 本来ノヴェルが眠るはずだったベットに、横になっていた少年のことを。


 ただ一人を除いて、声を上げるまで気づかなかった。


 ただ一人、少女はやがて、振り絞るように声を出す。



「──カイ」



 これから先、時は一度巻き戻る。それは彼らが出会うまでの話。


 探し求めていた存在と、数奇な邂逅を果たすまでの話。

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