三章 五話 『機械仕掛けの神』
霊廟付近での影狼事件から五日。襲撃はそれで終了とはならなかった。
「全部で二回……どっちも前兆として人影あり……正体は依然不明、っすか」
場所は点々としていたが、手口は同じ。警戒をしていた者が人影を視認、その後付近で突発的な魔獣襲撃が発生するというもの。
依然大事となっていないのが安心であるとともに、憂慮すべき点であるとディエスは告げる。
「どいつもこいつもザコばっかりだ。攻める気が全く感じられねえ。ただ戦力を浪費してるだけにしか見えねえな」
影狼は確かに群れを成せば格上すら喰いうる魔獣ではある。しかし熟練した戦士にしてみれば、群れようとも気を抜かなければ処理できる程度の相手。自警団とあらばなおさら。その上今回の襲撃、いずれをとっても数が中途半端だった。せいぜい二十から三十。軍を相手取るのであればこの十倍は欲しいところである。
「……団長、やっぱり俺も残って警戒強めた方が……」
そのやり口がミツキにはどうも気にかかる。胸のざわつきが治らず、以前結論づけた話を蒸し返してしまう。
「くどいぜ。何回も言ってるが、こんなんただの陽動だ。中途半端な攻め口がその裏付けだろ。お前は予定通り動け」
「私もこいつと同じ意見だな、少年。どうやら向こうも限られた戦力をどうにかやりくりしてこちらを釘付けにしている。よほど後ろめたいことがあるのだろう」
ディエスもアテナも、戦略や策謀を語らせればミツキのはるか上をいく。この二人がそういうなら正しいのだろう。
「当然、我々も無警戒で野放しにするなどの愚策はとらんとも。そこは女王と情報を共有して検討する。だから、なおさら心配などいらん」
「です、ね。了解っす」
後ろ髪は引かれるが、いつまでも引きずった状態だと魔法の行使に支障が残る。頭を切り替え、目前に迫った遠征に照準を合わせる。目を閉じ、息を整えて思考をクリアに。
「警戒! 全員いつでも行動できるように!」
「──!! まさか」
突如、国内に鐘の音が鳴り響く。狭くとも、国の体裁を整えた魔性の国、その全域に響き渡る。その意味は警戒。国に危機が迫っていることを告げる。ミツキも忘れることができない音。目覚めて最初に知った、絶望の足音がすぐそこまで迫っている。
「自警団員に伝令! 手の空いている者は全員、国の東まで集合! 繰り返す──」
「ミツキ、行くぞ。姉御は」
「分かっている。北の警戒は任せろ。いざという時の殿にもなる」
アテナは守りに優れる。攻めに回るより、追撃を警戒して待機をした方が総合的な戦力は向上する。数ヶ月前まで慣れなかった動きでも、今の彼女は慣れたように指示に従う。
彼女の背を見送ることもせず、残された二人は東に走る。
「ミツキくん! カイは西側見てる! あたしは」
「うん、こっち頼む!」
道中、鐘の音を聞きつけたゲルダと合流。カイは天眼通を駆使して周辺の警戒に回っている。すなわち、主力となるのはここにいる三人。これまでと同じ形ならば過剰戦力だが、騒ぎの大きさが違う。全力をもって挑まなければ、獣の国の二の舞になる。
「来た! 団長、ミツキ! ゲルダちゃんも!」
「みなさん、無事です、か……」
国の東。北部や西部と比べ緑の薄い地帯。その理由は鉄の国にある。彼の国が開発を続けた結果、魔法の国近辺以外は自然が著しく減少した。荒野のように荒々しい大地が剥き出しとなっている。
そこに繰り広げられるは大戦。その戦火に自警団は一切巻き込まれていなかった。彼らはただ見守るのみ。眼前で繰り広げられる蹂躙の光景を。
「なんだ……アイツ……!?」
地面に這うは影狼の群れ。今までのそれと変わらない三十程度の矮小な存在が、一秒ごとに命を散らす。
「鉄の国……じゃねえ、あれは──」
相対するは、機械。新幹線の先頭車両に近い形状、流線形の中心部。ただし見た目は全く異なる。装甲というものが存在しないように、内部構造が剥き出しとなっている。その底部には足が二本、巨体を支えられるだけの巨脚が地面に存在を突き立てる。
それだけでも異常な光景。だが、それ以上に目を引くのが腕であった。数は五つ。細い多腕の一つ一つに異なる武装が取り付けられている。
脚部と中心部、その付け根付近にまず二本。向かって右側には振動する刃。反対には熱を帯びているのか、真っ赤に変色した剣が。
その上部、中央部の真ん中からさらに二本。右は回転する螺旋の刃、例えるならばドリルのような装備が。左には鎖鋸が鈍く回転している。
そして最後。後部から体躯の上に構えられた一つは、大砲のような形状。それが今、噛みつこうと飛びかかる影狼十匹を、消し飛ばした。放たれたのは魔弾。強靭な出力を有する魔道士が放ったような威力が、物言わぬ機械から射出された。
其は機械の巨人。神に近づく術を求めて、研究を重ねる求道者たちの願いの結晶。鉄の国とも、魔法の国とも違う技術活用。名は──
「──『機械神教』か!」
『機械神教』。この世界に蔓延る邪教の一つ。
「それって、なんなんすか? あれ、味方だったりしないんすか?」
ミツキの疑問ももっともである。現状だけを見れば、機械と魔獣は敵対している。完全な味方とは言えずとも、敵を同じくする以上協力はできるのではないか。
「……そう見えるか。まあそうだろうな。だが無理だ。あれと対話なんざできやしねえよ」
「……団長?」
ディエスの声が普段よりずっと低く響く。歯痒さが滲み、後悔が沈む。
「アイツらが出てきたのは数年前。正直よくわかんねえことばっかりだ。分かってんのは、既存の神さんを信仰してるわけじゃねえってことだけ。見りゃわかんだけどな」
なおも機械は蹂躙を続ける。影狼は果敢に立ち向かうが、牙を突き立てることすら叶わずに一つまたひとつと消滅していく。
それをミツキたちは眺めるばかり。何度か視界──便宜上そう呼称するが、正確にはセンサーである──に捉えられたのだが、変わらず魔獣だけを処理している。
「噂によれば機械技術への崇拝だとかなんとか。それを誇示したかったんだろう、少し前は魔獣皆殺しにする勢いで活動してやがった」
「それ、悪いこと……なの?」
「いい話に聞こえるだろ? それが厄介だった。信徒が増えるからな。だが、奴らは間違えた。機械が殺すのは、魔獣だけじゃなかった」
すでに影狼は虫の息。残り三匹は後退りながらも同胞の敵を討とうと足下に食らいつく。その行動は、虚しくも牙の喪失という結果を招くに終わった。
「制御できなかったんだ。結構な数が巻き込まれた。あの頃はこんなデカくなかったから、騎士団や鉄の国がすぐに止めたがな。それから今までずっと、鳴り潜めてやがったわけだ」
影狼はさらに突き立てた爪を失う。粉々に砕け散ったそれは大気に混じり、緩やかに消えた。戦う手段を失ったそれを、機械神は決して見逃さない。仮に人であれば、憐憫を感じたかもしれない場面でも、心なき鉄塊はただ命令を遂行するのみ。
「機械……っ!」
思い出したのは機械。多足をカチカチと鳴らしながら円筒状の体。自らに突き立てられたガラス状の針。
全てを奪った、最も忌むべき存在。
「ミツキくん! しっかり、しっかりして! 息しないと死んじゃう!」
「っは……はぁー、はあ……はぁ……」
そこにあったのは怒りか、恐怖か。呼吸すら忘れてミツキは記憶に没頭していた。ゲルダに言われなければ、気を失うまで空気を取り込むことはなかっただろう。
「……ちっ……まあそうなるか……クソ」
最後の一匹が、動くこともできずに小さくなったそれが、機械神の脚で踏み潰される。音すら残さず消しさられ、魔獣の脅威はここに去った。
だが、人を脅かすのは魔獣だけではない。
機械神の視線が再びミツキたちを捉える。今度は真っ直ぐ、彼らだけを見続ける。
「全員下がれ。こいつは俺と……ゲルダが」
「俺も……いけます……すんません、ありがと、ゲルダ」
うずくまり浅く呼吸をしていたミツキが、立ち上がって長く息を吐く。
「よし。三人で片付ける。お前らは魔獣の残党を警戒しろ」
「了解」
機械の神は、心なき瞳で次の獲物を見定める。仕組みは、操られていた時のアテナと同じこと。違うのは、抗うつもりが微塵もないということ。
人を苛むのは魔獣のみにあらず。時として人は人を脅かす。
時として、神は人に試練を与える。
機械神教は、それすらも再現してみせた。